落花流水 第七話
 あかねは暗闇の中、少し考えてから身を起こした。

 だいぶこっちのこの真っ暗な夜にも慣れてきて、最近では眠れないことなんてほとんどなかったのに、今夜は全然眠くない。

 昼間あった出来事や耳にした話が頭の中でぐるぐると回って、とても眠れそうになかった。

 暗闇はもう昔のように恐くはない。

 ここには電気はないけれど、その代わり、もっと頼もしいものがあることがわかったから。

 あかねは夜着の上に一枚着物を羽織ると、そっと縁へ出てみた。

 今夜は綺麗な月夜。

 その月に照らされて予想した通りの後ろ姿がそこにはあった。

 長身の広い背中。

「神子殿?」

 ゆっくり局から外へ出てみれば予想通りの声が聞こえる。

 そう、それはいつもあかねを守ってくれている頼久の声だ。

「こんばんわ。いつも有難うございます。」

「いえ…。」

 慌てて頼久は縁の階に座るあかねに手を貸して、自分はその脇に控えた。

 それがいつもの頼久の定位置だ。

「お寒くはありませんか?」

「はい、大丈夫です。ちゃんと一枚羽織ってきましたから。なんだか眠れなくて…。」

「……。」

「いろんなことがたくさん起こって、わからないことだらけだし…それに、怨霊の封印もしないといけないし…。」

「神子殿はできる限りのことを努力しておいでです。」

「有難うございます。怨霊の数も減ってきたし、お札も手に入れたし、もうすぐこの戦いを終わらせられるっていう気がしてるんですけど…ここにきて気になることが増えちゃって、考えてたら…眠れなくなっちゃいました。」

「……。」

 こういう時、頼久はあかねが何か問いかけないかぎり、殆ど言葉を発しない。

 だが、あかねの話は真剣に聞いてくれている。

 それがあかねには気配と頼久の表情でわかるようになった。

 だから、頼久が何も言ってくれなくても別に気にはしない。

「私、わからないんです。」

「……。」

「この戦いが終わったらどうなるのかって。」

 頼久の瞳があかねの横顔をとらえた。

 頼久にはあかねが何を言いたいのかがわからない。

 この戦いが終われば京は平和を取り戻し、人々は平穏に暮すことができるようになり、あかね達はもとの世界へ戻れるようになる、はずだ。

「今まで目の前のことだけでぎりぎりで全然考えたことなかったんですけど、八葉のみんなにも私が来る前の生活っていうのがあったんですよね。例えば、頼久さんは武士団の若棟梁として頑張ってたでしょ?友雅さんは左近衛府少将って言ってましたよね、鷹通さんは治部少丞さんでしょ?永泉さんはお坊さんで泰明さんは陰陽師、イノリ君は鍛冶屋さん、私達が向こうの世界で学生だったのと同じように、みんなにもこの戦いに巻き込まれる前の生活があったんですよね…。」

「……。」

「この戦いが終わって、私が元の世界へ帰るのと同じようにみんなも元の生活に戻るってこと、ですよね…でも、私、みんながこの戦いに巻き込まれる前ってどんなふうに暮らしていたのか全然知らなくて…みんな、この戦いが終わったらどんな生活に戻っていくのかなって、そんなことまで考えて…なんだか寂しくなったというか…。」

 そこまで言ってあかねは自分の膝を抱えると黙り込んでしまった。

 風のない静かな夜。

 辺りを照らすのは月明かりのみ。

 頼久は落ち込むあかねを見つめて考え込んだ。

「頼久さんは、この戦いが終わったらどんな生活に戻るんですか?」

「私、ですか…。」

「はい。毎日毎日怨霊退治に付き合わされることもなくなるし、私みたいな女の子を毎晩警護しなくても済むようになるでしょう?よく考えたら私、頼久さんには私のためにずいぶんたくさん時間を使ってもらってて…その時間が全部自由になったら何に使うのかなって。」

 ぽつりぽつりと小さな声で話すあかねを見つめて、頼久はいっそう考え込んだ。

 この戦いが終わったら…

 そんなこと、今までは全く考えてこなかった。

 ただひたすらこの可憐な主を守ることだけに集中していたからだ。

 特に、兄への想いから救い出してもらってからは、この主の力になりたいと切望してきただけに自分のことなど考えていられなかった。

 だが、今、その主がこの戦いが終わった後のことを聞きたがっている。

 頼久は全力でこの戦いが終わった後のことを考えてみた。

 八葉の一人に任じられるまで、頼久は源武士団の若棟梁として暮らしていた。

 仕事は藤姫の身辺警護だったり、左大臣の警護だったりと色々だ。

 賊の退治に出たこともある。

 この戦いが終われば龍神の神子は元の世界へ帰り、頼久は八葉ではなくなる。

 つまりは八葉ではなかった頃の生活に戻ることになるということだ。

 それは考えてみれば当然のことで簡単なことのような気がする。

 だが…

 頼久はそこまで考えて、とても今までの生活に普通に戻ることなどできない、そんな気がした。

 この戦いで頼久は大きく変わった。

 永遠とも思われる苦しみから救われ、未来を与えられた。

 もう、八葉に任じられる前とは何もかもが全て違っているのだ。

「頼久さん?私、難しい質問しちゃいました?」

「いえ…。」

 心配そうにあかねに覗き込まれて、頼久は慌てた。

 どんなに口下手な自分でも、この主に心配をかけてはいけない。

 ここは何か語らなくては。

 頼久はとにもかくにも何かと、それだけ考えて口を開いた。

「八葉に任じて頂く前は藤姫様の警護や左大臣様の警護をさせて頂いておりました。ですので、この戦いが終わればそれらの仕事に戻ることになるかと…。」

 そう、それらの仕事に戻り、もうこの神子の警護をすることはなくなるのだ。

 事実を口に出してみて初めて実感して…

 頼久は胸の奥が苦しくなる奇妙な感覚に襲われていた。

「そっか、そうですよね…。」

 この主を守ることのない日々など、今となっては想像もできない。

 そんなことを思って頼久が顔色を青くしている間にあかねは深い溜め息をついた。

「なんか想像できないんですよね…私も元の世界に戻って高校生になって勉強して…。」

 高校生というものが頼久にはどんなものかわからない。

 だから、あかねが元の世界に戻ったらどんなふうになるのか想像もつかなかった。

 だが、元の世界にあかねが戻れば今のような生活が完全になくなるのだということはわかる。

 そのことを思うと頼久の胸の奥はまた苦しくなる。

「藤姫ちゃんとも仲良くなれたし、八葉のみんなとだってせっかく仲間になれたのに、この戦いが終わったらみんななかったことみたいになっちゃうなんて…。」

 そう、この戦いが終わったら全ては元通りになって、龍神の神子の降臨も八葉が神子と共に戦ったこともきっとすぐに過去のこととなって消えてなくなってしまうのだ。

 それでも時間は流れ続けるだろう。

「頼久さんは…。」

「はい?」

 急に呼ばれて頼久は思わず目を丸くしてあかねを見つめた。

 そこにはなんともいえない頼りなげなあかねの瞳が…。

「友雅さんも鷹通さんも言ってましたけど、この戦いが終わったらもうお兄さんのことも大丈夫だし、きっとお嫁さんをもらって武士団の棟梁になって幸せに暮すんですよね?」

「は?」

「この戦いがなかったらもっと早くそうなってたかもしれないんですよね…。」

「それは…。」

 絶対にないと断言できる。

 頼久はそう心の中でつぶやいて溜め息をついた。

 兄のことがあって妻を娶るなどということは考えたこともなかった。

 この戦いがなければあかねに会うこともなく、そうだとすると今でも兄のことをひきずっていたはずだ。

 兄の代わりに武士団のために尽くそうと思ってはいたが、妻を娶って跡取りなどと考えたこともなかった。

 たとえば家の安泰のために父が妻を決めて連れてきたとしても、おそらく自分は見向きもしなかっただろう。

 頼久にはそう断言できた。

 自分が妻と子供をもうけて幸せに暮すなど、そんなことができたはずがない。

「神子殿に出会わなければ、私がそのように普通に幸せに暮すということはなかったかと思います…。」

「お兄さんのことがあったから?」

「はい。」

「でも、今は大丈夫ですよね?」

「はい。神子殿にお救い頂きました。」

「そ、そんなたいそうなことはしてないんですけど…でも、もう大丈夫だから、この戦いが終わったら頼久さんはきっと幸せになれますよね…。」

 そう言ってあかねはなんだか力なく微笑んでいて…

 頼久はその顔を見ているだけでやはり胸の奥が苦しくなった。

 もっと明るく、太陽のように笑う人だったはずだ…

「それは…。」

「頼久さん?」

 この戦いが終わったら、幸せに…

 本当にそうなれるだろうか?

 頼久はまた考え込んだ。

 守るべき神子がいない世界。

 過去から自分を救ってくれた女神のいない世界だ。

 そんな世界で自分の成すべきこともなく、はたして幸せになどなれるのだろうか?

「なれぬかもしれません…。」

「はい?」

「幸せには…。」

 頼久がそこまで言ったその時、急に人の気配を感じて頼久は太刀の柄に手をかけた。

 急に殺気を放った頼久に驚いてあかねが息を飲む。

「何者だ!」

 凛とした頼久の声が庭に響き渡り、その視線の先にはゆっくりと泰明が姿を現した。

「泰明殿…。」

「泰明さん…。」

 頼久とあかねがほっと安堵の溜め息をつく。

 泰明の方はいつもの無表情さでつかつかと二人の方へ歩いてきた。

「起きていたか、神子。」

「あ、はい、色々あってちょっと眠れなくて…泰明さんはどうしてこんな時間に?」

「動きがあったので知らせに来た。何かあったらすぐ知らせろと言っていた。」

「あああ、ごめんなさい!こんな夜中にまで来てくれたんですね…そんなに急がなくてもよかったんですけど…。」

「なんだ、いけなかったのか?」

「いけなくはないです!でも、泰明さんに迷惑かけちゃったなと…。」

「問題ない。そんなことより神子、動きがあったのだ。」

「あ、はい、そうでした。」

 あかねは姿勢をただして泰明に真剣な眼差しを向ける。

「物の怪が出た。」

「えっと、あの…どっちの…。」

「結界を張ってあった方の屋敷だ。怨霊ではなかった。」

「やっぱりそうですか…なかったって、あれ、もう退治しちゃったんですか?」

「逃げられたが、傷を負わせた。気配も覚えている。本体の近くに寄ればすぐにわかる。」

「本体って…。」

「あの物の怪には本体がある。あれは人の思念の塊だ。」

「思念の塊…つまり、誰かが何かを強く想うその気持ちの塊っていうことですか?」

「そうだ。」

「それって…呪い?」

「呪いとは違う。呪いは術者が放つが、その類のものではない。ただの念の塊だ。」

「ん〜、わかりづらいです…。」

「神子はわからずともよい。問題ない。」

「問題ある気がするんですけど…。」

「頼久。」

「は。」

 一人で考え始めたあかねを放置して泰明はその目を頼久へと向ける。

「相手は念の塊だが、お前ほどの使い手ならば遅れはとらぬだろう。八葉の力をもってすれば勝てぬこともない。万一の時はお前が神子を守れ。」

「承知。」

「神子はもう寝ろ。これ以上起きていては気が乱れる。」

「あ、はい。って、泰明さんは?」

「逃がした物の怪の気配を探る。」

「でも、泰明さんも休まないと…。」

「問題ない。」

 それだけ言って泰明はさっさと立ち去ってしまった。

 相変わらず要点しか語らない仲間の背中をあかねは呆然と見送った。

 そしてしばらくして…

「神子殿、泰明殿のおっしゃる通りもうお休みください。」

「あ、はい、そうですよね。動きがあったなら私も明日は頑張らなくちゃ。」

 そう言って立ち上がって、あかねははっと何かに気付いたように振り返った。

 そこには小首を傾げた頼久の姿が…

「神子殿?どうかなさいましたか?」

「あの…頼久さんは幸せになって下さいね?」

「は?」

「さっきの話。どうして幸せになれないって思ったのか私にはわかりませんけど、でも、頼久さんは幸せになって下さい。私、頼久さんには幸せになってほしいです。」

「神子殿…善処致します…。」

「有難うございます。じゃぁ、お休みなさい。」

 あかねはなんだか安心したような笑みを浮かべてペコリと頭を下げると局の奥へと姿を消した。

 残された頼久はあかねが去っていった方を見つめたまま、しばらく動くことができなかった。

 動き出した事件。

 幸せになってほしいと言ってくれた主の儚げな顔。

 そしてこれからのこと…

 頼久の頭の中には様々な出来事が渦巻いていた。

 そして何より、どうしてあかねに対して自分は幸せになれると思えないと言ったのか…

 その理由が頼久には自分でもわからないでいた。

 ただ、この戦いが終わったら…

 それを考えたとき、頼久の脳裏を駆け巡るのは平和な京と静かな暮らしではなく、主を失う虚無感だった。

 この戦いが終わったら…

 頼久は月明かりの下にたたずみながら、その先を考え続けた。




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管理人のひとりごと

お待たせ致しました第七話でございます♪
あと二話くらいで終わる気がするようなしないような(’’)(マテ
やっと自分の気持ちと向き合い始めた頼久さんの図をお届けしました。
あかねちゃんの方はどうなのか、は次回。
事件の解決より糖度を上げる努力をしたい管理人ですが(’’)
一応、事件も解決はしますので(爆)もう少々お付き合いくださいませm(_ _)m






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