
あかねは一人、局の奥で待っていた。
待っているのは今日一日を一緒に過ごす八葉の一人、頼久だ。
几帳と御簾を隔てた庭からはかわいらしい小鳥の囀りも聞こえるから外はきっと晴れているのだろうが、物忌みのあかねはこの屋敷はおろか局から出ることができない。
そんな物忌みの一日を共に過ごす相手にあかねは頼久を選んだ。
昨日、二人で外出した時は頼久の意外な一面を見ることができた。
でも、帰ってきて他の八葉の何人かを集めて作戦会議を開いてみれば、頼久はいつもの寡黙さを取り戻してほとんど何も話してはくれなかったのだ。
もちろん、あかねが求めれば状況説明くらいは手伝ってくれたのだが…
頼久を物忌みに呼ぶのはこれが初めてというわけではない。
最初はなんとか話をして打ち解けようと努力もしていたから、逆に頼久はよく呼んでいる方だと思う。
だから緊張したりはしないけれど、今日のあかねは少しばかり気合が入っていた。
今日こそはもっと頼久と仲良くなる。
それが本日のあかねの目標だ。
物忌みで外出ができないおかげで怨霊退治に出かけていけないので、とりあえずそんな目標を立ててみた。
そして目標達成のためなら努力を惜しまないあかねは、飲み物やお菓子を用意して頼久を待ち構えているのだった。
「神子殿、源頼久、お召しにより、参上いたしました。美しい色の文を有難うございました。これより、警護に…。」
いつものようにいつものセリフを途中まで口にして頼久ははっと視線を上げた。
するとそこには御簾からちょっとだけ顔を出しているあかねが…
頼久は局の中へ入るつもりがないので縁に片膝をついて挨拶をしていたのだが、物忌みで外へは出られないはずのあかねの気配がしたので視線を上げたのだ。
「神子殿?」
「今日は私、外へは出られないんです。」
「はい、存じております。ですので、私が警護に…。」
「私は頼久さんとお話がしたいんです。」
「はぁ…。」
「中に入ってもらえませんか?本当は八葉の人には近くにいてもらった方がいいみたいですし、物忌みって。」
「そう、なのですか?」
「頼久さん以外の人はみんな物忌みの時は中で守ってくれてます…。」
「……。」
他の八葉は皆そうしてるといわれてしまうと、頼久にこれ以上逆らう理由もなく、中にいた方が主のためになるとあればもう中へ入るしかない。
数秒考え込んでから頼久は立ち上がった。
「では、失礼して中へ入らせて頂きます。」
「はい!どうぞ!」
何故か急に張り切ったあかねが御簾を跳ね上げて、驚く頼久はあれよあれよという間に中へ招き入れられていた。
中には何やらお菓子のようなものと白湯が用意されていて、その向こうであかねが何やら楽しそうに微笑んでいる。
ほとんど御簾の内側へ入ることのない頼久は、予想だにしない光景を目にして立ち尽くした。
「さ、どうぞ!」
「はぁ…。」
張り切るあかねに促されて頼久は茶菓子をはさんであかねの向かい側に腰を下ろした。
すると向かい合って座っているあかねはいつもとは違って袿姿で…
ニコニコと楽しそうに微笑んでいる様は本当にまるで人形のように愛らしくて、頼久は思わずそんなあかねに見惚れてしまった。
「だいぶ物忌みにも慣れたんですけど、局に一人で一日中いるっていうのはやっぱりつまらなくて。せっかくだから頼久さんと昨日の話とかしようかなと思ったんです。」
「……。」
「頼久、さん?」
「…っ、申し訳ありません…。」
「いえ、いいんですけど、何か気になることでもありました?」
「いえ、そういうわけでは……。」
「昨日、あの後、一応泰明さんが式神を使ってあのお屋敷を見張ってくれてはいますけど、まだ敵の正体もつかめないじゃないですか。鷹通さんと泰明さんの話を総合しても今回の怨霊はちょっと変わってると思うんですよねぇ。」
そうなのだ。
怨霊といえば手当たりしだいに人を襲うのが普通なのだが、今回の怨霊はどうやらあの屋敷によほど執着があるらしく、その周囲の人間には全く被害が及んでいない。
昨日、二人で屋敷に帰ってから情報では一番頼りになりそうな泰明と鷹通を呼び出して作戦会議を開いた。
泰明も鷹通も今回の怨霊はいつも戦っている怨霊とは少し質が違うと判断したのだ。
物忌みで神子が外出できなくなるということで、心配するあかねの気持ちをくんで泰明が式神を屋敷の見張りに出した。
泰明の話だとあの屋敷には確かにうっすらと結界が張ってあるらしいのだが、その結界もだいぶ弱くなっていていつ破れるか知れないらしい。
いつも戦っている怨霊の力ならたやすく破れるはずなのだがと泰明は小首を傾げていた。
「泰明さんの話だといつ結界が破られてもおかしくないらしいですし…。」
「はい。」
「心配なのは心配なんですけど、怨霊の正体も気になるんですよね…。」
「はい。」
「でも、ほら、友雅さんの話だと身分の高いお姫様のところにも怨霊が出るって話だったじゃないですか。」
「はい。」
「そっちも気になるし、心配なんですよね…。」
「はい。」
「……。」
ここであかねは溜め息をついた。
これまでの会話で頼久が発した言葉は謝罪と「はい」のみ。
これでは仲良くなるどころの話ではない。
もともと頼久が話をすることを苦手としているのは知っているが、話をしないでどうやって仲良くなれというのか…
「ごめんなさい。」
「は?」
「頼久さんは迷惑かなって…。」
「何が、でしょうか。」
「こういうふうに私がしゃべっているのって、頼久さんはうるさいって思ってるかなって。」
「そ、そのようなことは決してっ!」
「でも、さっきから頼久さん『はい』しか言わないし…。」
「それは、その…お話し頂くのはかまわないのですが、その…神子殿のお気に入る受け答えは私には…。」
「気に入る返事をしてほしいって思ってるんじゃないです、頼久さんの意見というか考えというかそういうのを聞きたいなと思って。お互いが考えていることをちゃんと聞いておかないと仲良くなれないでしょう?」
「仲良く…。」
「です。」
目の前でにっこり微笑むあかねに再び一瞬見惚れて、我に返った頼久はうつむいた。
主に仲良くしたいと言われたのはこの天女が初めてだ。
もちろん、頼久にはどうしていいかわからない。
「前から言ってますけど私は頼久さんと仲間として仲良くなりたいんです。」
「はぁ…。」
そういわれても、頼久にはその経験がないのだからどうしようもない。
「私が話しているのは嫌じゃないですか?」
「それは全く。」
「ん〜、じゃぁこうします、とりあえず私が考えていることを話しますから、頼久さんも話したくなったら話してください。昨日はほら、ちゃんと私に助言してくれたりしたじゃないですか。ああいうの、凄く嬉しいんです。だから、私の話を聞いて思ったことがあったら言ってくださいね。」
「善処致します。」
そう言って頼久は深々と一礼した。
善処してもらうほどのことじゃないんだけど、とあかねは心の中でつぶやいて苦笑しながら口を開いた。
「まだ見にいってない友雅さんが教えてくれた方のお姫様のお屋敷も気になるんです。私の体は一つしかないし、こうして物忌みなんかもあって、みんなを助けられるわけじゃないってわかってはいるんですけど、でも、危ない目にあってるかもしれない人を知っているのに放ってなんておけないんです。」
この天女ならさもあらんと頼久は黙ってうなずく。
「でも、昨日の屋敷の怨霊も放ってはおけないし……そういえば昨日の頼久さんはちょっと驚きました。」
「は?」
「私の代わりに話をどんどん進めてくれたり、私が迷っているときに助けてくれたり。普段はそういうことって友雅さんとか鷹通さんとか他のみんながやってくれてたから、頼久さんにやってもらうの新鮮でした。」
「それは…出すぎた真似を致しまして申し訳なく…。」
「あああああ、もう、違いますって、だからそういう頼久さんの一面が見られて嬉しかったって言ってるんです。頼久さんは他の人がいるとどうしても遠慮しちゃうっていうか、そういうところがあるからまた二人でお出かけしてみるのもいいかもしれませんね。」
「いえ…どうしてもと仰せでしたら無論、お供致しますが…。」
「頼久さんは私と二人でお出かけは嫌ですか?」
「いえ、嫌とか好ましいとかいうことではなく…相手は怨霊、私一人の警護でもし神子殿に万一のことがあってはいけません。」
「ああ、危ないってことですか?ん〜、まぁ、怨霊がたくさんとか出てきたら危ないかもですけど、頼久さんは強いからそんなに心配はしてなかったですよ。」
そう言ってあかねがにっこり微笑むと、向かい合って座っている頼久もかすかに口元を緩めた。
だが、それも一瞬のことで、頼久の顔は再びいつもの真剣なものに戻る。
「御信頼頂くのは光栄ですが、なるべくでしたらやはり他の八葉もお連れ頂いた方が安全かと。」
頼久が真剣な顔でそれだけ言って主の機嫌をうかがうように視線を上げるとそこには嬉しそうなあかねの顔が…
「神子殿?」
「ああ、ごめんなさい。やっと頼久さんがちゃんとお話ししてくれたなって思って。」
「……。」
「ああああ、だから、それが悪いって言ってるんじゃないですってば、嬉しいですっていうことです。」
「はぁ…。」
主の寛容さに甘えて余計なことを言ったかと一瞬凍りついた頼久だったが、目の前の少女の優しい微笑みは本当に嬉しそうで、とりあえず頼久はほっと胸を撫で下ろした。
だが、いまだにこの少女が何を言えば喜び、何を言えば悲しむのかがよくわからない。
頼久としては忠実に、ただひたすら忠誠を捧げているつもりではあるのだが…
「その…最近、頼久さんに聞きたいことがあるんですけど…。」
「はい、なんなりと。」
「この前藤姫ちゃんに言われて気がついたんですけど、その…最近ずっと頼久さんばっかりお供を頼んじゃってたみたいで、頼久さんは武士団のお仕事もあるでしょうし、迷惑じゃないですか?」
「いえ、神子殿の八葉としての役目の方が重要、迷惑だなどということは決して。」
「よかったぁ。頼久さんがいてくれると安心だからついお願いしちゃって。」
「神子殿…御信頼頂き光栄です。今は何よりも八葉の役目が重要と思っておりますので、どうぞお気になさらず御指名下さい。御指名頂ければこの頼久、必ずや神子殿をお守り致します。」
「はい、宜しくお願いします。」
あかねはそう言って嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を自分の言葉が引き出したものと思うととても大切なもののような気がして、頼久はじっと見つめるしかできなかった。
「でも、都合が悪い時は言ってくださいね。天真君とかに代わってもらいますから。」
「いえ、お気遣いなく、なんなりとお申し付け下さい。」
「ん〜。」
頼久が深々と一礼してみせるとあかねはうめき声をあげて考え込んでしまった。
これはまたも、無骨な己がこの尊き神子の気に触ることを言ってしまったのかと頼久が青くなっていると、あかねは視線を上げて苦笑を見せた。
「お申し付けとかそういうんじゃないんですけど…。」
「は?」
「いえ、今はいいです。それより、これからのこと少し考えたいんですけど。」
「はぁ…。」
「頼久さんは昨日のお屋敷の怨霊と、友雅さんが話してくれたほうのお屋敷、次はどっちに行ってみたらいいと思いますか?」
「……。」
「神子殿の御心のままにはなしですよ?」
「……。」
主に先手をうたれてしまい、頼久は眉間にシワを寄せて考え込んだ。
「正直に頼久さんの考えを言ってください。私は前にいた世界ではまだ本当に子供で、なんにも知らなくて、今でも子供ですけど…だから、頼久さんはこの京でずっと武士なわけだし、私よりたくさんのことを知ってて私よりたくさんの戦いを知っているでしょう?私よりずっといい考えを持ってると思うんです。」
真摯な瞳でまっすぐに見つめられて、頼久は息が詰まる思いだ。
主にこんなふうに見つめられたことがなかったから。
だが、このまま黙っているわけにはいかない。
この主の望みをかなえるべく、ここはなんとしても己の考えを口にしなくてはならないらしい。
頼久は少しだけ考えて、それから思い切ったように口を開いた。
「では、申し上げます。」
「はい!どうぞ!」
「昨日の様子であればあの屋敷の怨霊はそう簡単に姿は現さないかと。泰明殿の式神が怨霊の姿を見つけてから我々が行動を起こしても遅くはないはずです。それに、今までの怨霊とは違い、少しばかり変わった毛色をしているようですので敵の正体を知るための情報を集めることも肝要かと。」
「なるほど。じゃぁ、頼久さんは友雅さんが話してくれたお屋敷を次に見に行くべきだって思うんですね?」
「はい。正体が知れないのはそちらも同じですが、昨日の屋敷の敵が姿を現すのを待つしかない以上、こちらからは不用意に動くことはできません。屋敷には結界もあったことですし、敵を見極めるために時を置いても問題はないかと。」
「はい。」
「であれば、今ひとつの問題の方を先に見極めておくのも手と…。」
「わかりました!じゃぁ、明日は友雅さんがお話してくれた屋敷の方へ行ってみましょう!」
嬉しそうにあかねがそう言って張り切ると、頼久はキョトンとした顔で息を呑んだ。
こんなにあっさり自分の意見が全面的に採用されるとは思わなかったからだ。
「頼久さん?どうかしました?」
「いえ…その…宜しいのですか?」
「はい?」
「その…私ごときの考えで全てを決定なさるのは…明日の朝にでも鷹通殿か泰明殿か…他の八葉にもお尋ね頂いた方がよろしいかと…。」
「ん〜、私は全然頼久さんの考えでいいと思うんですけど…ん〜、そうですね、一応みんなにも明日聞いてみますね。」
そう言って微笑むあかねは上機嫌だ。
嬉しそうに微笑むあかねが愛らしくて、思わず頼久は見惚れてしまった。
「頼久さん?さっきから何かおかしいですよ?」
「…いえ……神子殿がその…何やら楽しそうにしておいでなので…。」
「そりゃそうですよ、頼久さんがこんなにたくさん、こんなに長く、自分の考えを話してくれたの初めてなんですもん。」
「は?」
「イノリ君とかはどんどん自分の意見を言うじゃないですか、でも頼久さんってそもそもお話をすること自体少ないんです。なかなか声を聞けないというか。」
「はぁ…。」
「たまには今みたいにたくさん声を聞かせてくださいね。」
「声、ですか…。」
「そうです、声と一緒に頼久さんの考えも聞かせてください。」
「……神子殿のお望みとあらば…善処致します…。」
「ははは、お望みとか善処とかじゃないような気がしますけど、今はそれでいいです。」
そう言ってあかねは苦笑した。
この主は自分の声が聞きたいらしい。
こんなことも頼久にとっては初めてだ。
翻弄されることこの上ない。
声だの意見だのをこんなに聞きたがる主がいるとは…
だが、こうして戸惑っている自分はというと主の声をいつまでも聞いていたいと思っていることに気づいていた。
こんなことも頼久にとっては初めてのことだ。
主の側にあり主を守りたいと思うのは当然のことだと今までは思っていた。
だが、主の声を聞いていたいとは…
もしや主も同じ想いで自分の声を聞かせてほしいと言ったのだろうかと、一瞬そう考えて頼久はその考えを打ち消した。
その考えは、何やらとても主を汚す考えのような気がしたからだ。
「頼久さん、難しい顔してますよ?ほら、せっかくですからお菓子でも食べてください。物忌みの一日はまだまだ長いんですから。」
そう言ってあかねは目の前にある菓子の入った器を頼久の方へすすめてよこした。
頼久はその菓子を受け取っていいのかどうかさえ悩んでしまう。
こうして頼久はこの日一日、愛らしい主の行動にいちいち翻弄されて過ごすことになるのだった。
第五話へ
管理人のひとりごと
お待たせ致しました第四話でございます(><)
「遙か4」の発売があったりとかでかなり遅れてしまいました(TT)
今回は物忌みの一日。
頼久さんと必死に仲良くなろうとしているあかねちゃんと天然頼久さんの図(マテ
本人達は必死だと思うんですが、これ、どう見ても端から見てるといちゃついてるだけですね(’’)
どうやら今後の方針は決まったようなので、次回はたぶん違うお宅ご訪問。
完結までもう少々お付き合いくださいませm(_ _)m
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