「もしも…」第五話
 頼久の前であかねがうめき声をあげていた。

 別に体調が悪いわけではない。

 テーブルの上には問題集と参考書。

 つまり、あかねは今、宿題と格闘している最中なのだ。

 週末はどうしても頼久と一緒にいたくてこうして訪ねてくるのだが、現役女子高生には宿題という天敵がある。

 古典や現代文は頼久がささっと教えてくれてそうあっという間に片付けることができるのだが、数学や物理、化学になるとそうはいかない。

 おかげで頼久の前でみっともなくもうめき声を上げることになるのだが…

「申し訳ありません、理系のものはどうもこちらの記憶を持つ私も苦手なようで…。」

「あぁ、気にしないで下さい。古典はともかく、頼久さんが現代文ができるだけでももうびっくりですから…そしてとっても助かってますから…。」

 そう言って力なく微笑むあかね。

 そう、もとは京の人間である頼久に物理や数学を教えてくれという方がもともと無理な話なのだ。

 歴史や古典はともかくも…

「英語はまだできるんです…問題は数学で……。」

 溜め息をつきながらあかねが問題集との格闘を再開する。

 頼久はとりあえず頑張るあかねを苦笑しながら見守った。

 あかねの成績は決して悪くはないが、だからといってトップクラスというわけでもない。

 今のところは困らない程度の成績という感じだ。

 天真に言わせれば十分優秀らしいのだが、本人はどうやら行きたい大学があるようで、こうして週末もきちんと勉強している。

 同じ年頃ではないためにこうして無理をして週末に訪ねてきてもらったり、共に宿題をすることができないことが頼久には申し訳なくてしかたないのだが、そこは年の差、どうしようもない。

 だから、頼久は静かにあかねの好きなローズティをいれて勉強にいそしむ姿を見守るしかなかった。

「はぁ…どうやってもこの問題だけわかんない…どうしよう…。」

 しばらくしてあかねが泣きそうな顔でためいきをついた。

 少し休んではと頼久が声をかけようとしたその時、あかねの携帯が鳴った。

「あ、鷹通さんからメールだ。」

 鷹通という名前を聞いて頼久の表情が曇る。

 このタイミングで鷹通。

 頼久には決して歓迎できる名前ではなかった。

「鷹通さんが一緒にお昼ご飯食べませんか?って。」

「は?私とですか?」

「頼久さんとっていうか、頼久さんにお届け物があるから私がここにいるなら一緒に3人でお昼ご飯にしませんか?ってことみたいです。来てもらっていいですよね?」

「あぁ、なるほど。はい、かまいませんが…。」

 本来ならもちろんきてもらいたくなどない。

 あかねと二人でいられる貴重な時間なのだから邪魔をされたくないのはもちろんのことなのだが、しかし、鷹通に次の原稿の資料を調達してくれるように頼んだのは頼久なので、ここは断るわけにもいかなかった。

「珍しいですね、鷹通さんが頼久さんにお届け物なんて。」

 メールに返信しながらあかねがそういうと頼久は苦笑した。

「次の原稿で欲しい資料があったのですがなかなか見つからず、話してみると鷹通殿の通っている大学の図書館にあるとのことだったので見せてもらいたいとお願いしました。」

「あ、なるほど。鷹通さん、文学部国文科でしたもんね。あそこの大学って確か歴史的資料にも強いって鷹通さん言ってたし。」

「そのようです。」

「でも鷹通さんすごいなぁ。いきなりこっちへきてあの大学に入って、成績もトップだって言ってたし。あの大学、凄く入るの難しいんです。私なんて絶対無理。」

「鷹通殿はもともと学問がお好きですし。」

「そうですよねぇ、勉強が苦手な私とは大違い。」

 そう言って溜め息をつくあかね。

「神子殿も十分に勤勉でいらっしゃいます。いつもよく学んでおいでではありませんか。」

「学んでも追いつかないんです…。」

 はぁ、と大きく溜め息をつくあかねはもう放っておくしかない。

 そう心得ている頼久はただ苦笑してあかねを見つめた。

 頼久からしてみるとあかねは同年代の学生と比べればよく学んでいる方だと思う。

 きちんと目標を設定して勉強しているし、頼久と一緒にいたいからといって勉強をサボったりもしない。

 神子として京で頑張っていた頃と同じように、今自分が成さねばならないことを精一杯努力していると思う。

 だが、頼久がどれだけそう思ってもあかね自身は納得していないらしく、時々解けない問題にぶつかったりするとこうして頼久の前で落ち込んでしまうのだった。

 これはあかねの好きな甘いものでも用意して元気付けるしかないかと頼久が立ち上がったその時、ドアチャイムが鳴った。

 間違いない、さっきメールをよこした鷹通がやってきたのだろう。

 玄関へ迎えに出ると、まさしくその鷹通が革のカバンを手に立っていた。

「あ、鷹通さん、こんにちわ。」

 頼久に伴われて入ってきた鷹通にあかねは力ない笑みで挨拶した。

 いつになく笑顔にちからのないあかねを見て鷹通が目を丸くする。

「神子殿、どうかさなさったのですか?」

「あぁいえ、たいしたことじゃないんです。ちょっと数学の問題が解けないだけで。」

 そう言って溜め息をつくあかねに鷹通は優しく微笑みかけた。

「数学ですか、でしたらお力になれるかと思います。頼久、頼まれていた資料、何冊かそれらしいのがあったので借りてきました。締め切りが近いのでしょう?神子殿の宿題は私がお手伝いしますから、頼久はこれを使って仕事を片付けてはどうですか?」

「……はぁ…そうさせて頂きます。」

 そうさせていただきたいわけはもちろんないのだが、こう言われてしまっては頼久に抵抗する術はない。

 鷹通に差し出された本の束を受け取って、頼久は書斎へと姿を消した。

「すみません、せっかくお昼ご飯を一緒にって楽しみにしてきてくれたんですよね?」

「いえ、神子殿のお力になれるなら、これほどの喜びはありません。さ、宿題をすぐに片付けて心置きなく昼食に致しましょう。」

「はい。」

 あかねの隣に座った鷹通は本当に心強い家庭教師で、今まであかねが全く解けずにいた数学の問題を簡単に解いて見せた上に、物理、化学と難しい問題の解き方を次々に教えてくれた。

 しかもそれがわかりやすくて、あかねはあっという間に宿題の全てを終えることができた。

「すごーい。やっぱり鷹通さん凄いですねぇ。」

「お役に立てたのなら光栄です。他にも何かわからないものがあればお教えしますよ?」

「有難うございます、でも今日はいいです。お昼ごはん作らないと。」

 そう、二人で宿題を解いている間に正午はとっくに過ぎていて、あかねは参考書を閉じると腕まくりをして立ち上がった。

 頼久と鷹通、二人においしい昼ごはんを食べさせなくては。

「あり合せになりますけど、おいしいご飯つくりますね!」

「お手伝い致します。」

 あかねが張り切るのと同時に頼久が書斎から出てきた。

 その手にはさっき鷹通から借りたばかりの本がある。

「鷹通殿、助かりました。有難うございました。」

「もういいのですか?まだ返却までには時間がありますよ?」

「いえ、もう十分です。おかげさまで仕事も終わらせることができました、有難うございました。」

 そう言って鷹通に本を手渡すと、頼久は先に台所へ立っていたあかねの隣に立って料理を手伝い始めた。

 本を受け取ってカバンへと詰め込んだ鷹通は、自分の入る隙がないのに気付いて苦笑を浮かべた。

 二人並んで台所に立って仲良く料理をする姿はとても微笑ましい。

 二人が思いを通いあわせた間柄であることは知っているし、自分が入る隙などないとつくづく実感させられる。

 それでも神子殿のお役に立ちたいと思ってしまう自分に苦笑して、鷹通は立ち上がった。

「何かお手伝い致しましょうか?」

「えっと、お台所そんなに広くないんで、鷹通さんはテレビでも見ててください。すぐできますから。」

 にこやかなあかねの返事に鷹通はまた苦笑した。

 こういう答えが返ってくるであろうとわかっていたのに、口に出されてしまうとなんだか自分が疎外されたような気分だ。

 もちろん、あかねがそんなつもりで言っているのではないとわかってはいる。

 それでも鷹通は頼久の背中を嫉妬の念をこめた眼差しで見つめずにはいられなかった。

 台所から聞こえてくる何気ない会話さえとても楽しそうに聞こえる。

 鷹通はこのままではいけないと窓辺に移動して庭を眺めた。

 庭の花でも眺めて気分を落ち着けようと思ったのだが…

 そこにあるのはあかねのためにだけに整えられた庭。

 あかねが好きだといっていた小さな花が植えてあり、大きな桜の木が緑の葉を揺らしている。

 普通に眺めればそれはそれで美しい庭なのだろうが、鷹通にはあかねのことを思いながら楽しく庭の手入れをする頼久の姿さえ見えてきそうだった。

 いつから自分はこんなに嫉妬深くなったのかと鷹通が頭を軽く振ったその時、あかねの声が聞こえた。

「鷹通さん、お待たせしました。できましたよ〜。」

 あかねの明るい声を聞くだけで今までのどんよりとした胸のうちが晴れた。

 やはり神子殿と鷹通が微笑しながら振り返る。

「あ、お庭見てたんですね、綺麗ですよね。頼久さんいつも丁寧にお世話してるんです。」

「そのようですね。とても綺麗に整っていました。次は桜が満開のところも見て見たいものです。」

「凄いですよ、一本しかないですけど満開になったここの桜、とっても綺麗です。あ、たいしたものできませんでしたけど、どうぞ。」

「では、いただきます。」

 まるでここが自分の家であるかのように食事をすすめるあかねに心の内で苦笑しながら、鷹通は料理を口にした。

 その間、頼久は幸せそうな顔であかねだけを見つめている。

「鷹通さん、大学の方はどうですか?」

「順調です。先日、院へ進まないかと教授に誘われました。」

「うわぁ、凄いですね、まだ進路決める段階じゃないのに。」

「勤勉な学生は最近少なくなったと私を気に入ってくださったようで。」

「じゃぁ、そのまま学者さんになるんですか?」

「さぁ、そう簡単になれるものかどうか…ただ、研究というものは興味深い仕事だと思いましたので目指してみようかとは思います。教師というのも考えたのですが…。」

「うん、向いてると思います、教師。鷹通さんの教え方、凄くわかりやすいですよ。」

「では、神子殿が何かまたわからない問題にお困りのことがありましたがお呼び下さい。いつなりとお手伝いいたしますので。」

「はい。どうしてもダメな時はお願いします。でも、なるべく自分で頑張りますね、勉強ってそういうものだと思うから。」

 あかねがそう言って微笑むのを鷹通は満足げな顔でうなずいて見つめた。

 今まで二人の会話に入れずに曇った表情を浮かべていた頼久もこのあかねの一言で嬉しそうな笑みを浮かべる。

 龍神の神子として京を救ったこの少女は元の世界へ戻ってもその純粋さで皆を救うところは変わらないらしい。

「神子殿は料理もお上手ですし、勉強も頑張っておいでです、御立派です。」

「り、立派なんて!そんなことないです。もう今できることをやるのでいっぱいいっぱいで…って、それは京でも同じでしたね。ダメだなぁ私、先のこと考えてなくて。」

「そんなことはありません。神子殿は京もちゃんとお救い下さったではありませんか。神子殿は神子殿の信じるように努力なされば大丈夫ですよ。」

「はい…っていうかそうするしかないんですよね。」

 優しい教師のような口調の鷹通にあかねはにっこり微笑みかけた。

 鷹通が優しい教師ならあかねは優秀な生徒だ。

 そんな様子を頼久はただだまって見つめた。

「ああああああ!」

「神子殿?」

 急に大声をあげたあかねに鷹通は目を丸くし、頼久は慌てて時計を見た。

「大変!もう帰らないと!お母さんと買い物に行く約束してたんだった!」

「2時、とおっしゃっていたかと…。」

「そう!あと15分!」

「後片付けは私が致しますので神子殿はお早く…。」

「でも…お母さんにメールして…。」

「いえ、私も頼久を手伝いますので神子殿は気兼ねなくご帰宅を。」

 鷹通にまでそう言われて、頼久と鷹通、二人の年上の男性に優しく微笑みかけられてはもうあかねに抵抗する術はない。

 自己嫌悪で一つ深い溜め息をついてから、あかねはすっと立ち上がった。

「すみません、じゃぁ、後片付けお願いします!頼久さん、夜メールしますから!」

 帰ると決まれば行動の早いあかねだ。

 立ち上がるとすぐカバンを手に玄関を飛び出して行った。

 残された男二人はほっと安堵の溜め息をついて後片付けを始めた。

「せっかくきて頂いたところをばたついて申し訳ありません。」

「頼久が謝ることではないでしょう。」

 返事に棘がある。

 そう感じて頼久は溜め息をついた。

 あかねとの関係を考えると、言葉に棘のある鷹通に悪感情を抱くこともできない。

 自分が逆の立場だったら、そう考えるといたたまれない。

 二人の男は微妙な空気の中、次々に食器を片付け始めた。

「頼久。」

「はい?」

「神子殿のこと、泣かせるようなことがあれば私が承知しません。」

「……。」

「今は確かに神子殿は頼久のものかもしれませんが、もし、神子殿が泣くようなことがあれば…。」

 その後の言葉を鷹通は口にしなかった。

 だが、目を見ただけで頼久には鷹通が何を言いたいのかがわかった。

 あかねを泣かせるようなことがあれば、自分があかねを奪う。

 そう言っているのだ。

「お言葉、覚えておきます。」

 低い声で頼久がそう答えた後、二人は無言のまま食器を片付けた。

「図書館。」

「はい?」

「うちの大学の図書館は外部の人間も入ることができるんです。身分が証明できるものを持っていけば利用カードが作れます。私には頼久がどの資料をどれくらい必要としているかわかりませんから、今度自分で覗きに行ってみるといいですよ。」

 食器を片付け終わって帰り支度をした鷹通はそう言って微笑んだ。

 それはもういつもの勤勉で誰にも平等に優しい鷹通の顔だった。

「はい、そうします。」

「では、また。」

 玄関から去って行くときにはもう鷹通はいつもの穏やかさを取り戻していた。

 だが、頼久は鷹通を送り出してほっと安堵のため息をついた。

 今までももちろん気遣ってきたつもりではあるが、今まで以上にあかねが寂しがったりしないように気をつけなくてはと頼久は一人、思いを新たにしなくてはならなかった。





「鷹通さんは絶対大学でも成績ナンバーワンです。」

「……。」

「学者さんになっちゃうかも。」

「……。」

「頼久さん?」

「……。」

「頼久さ〜ん?」

「はっ、申し訳ありません少々考え事を…。」

「うん、私もすごーくリアルに想像しちゃいました。鷹通さんがいたら宿題とかすごーく簡単に教えてくれるんだろうなぁとか。あ、ダメですねこんな他力本願なの。」

 くすっと笑うあかねが愛らしくて一瞬見惚れたものの、頼久ははっと我に返って今想像していた光景を思い出して溜め息をついた。

「頼久さん?どうかしたんですか?」

「もし…もしも、八葉全員がこの世界にいたならと思うと…。」

「思うと、どうして頼久さんが落ち込むんですか?」

 あかねは本当に何もわかっていないようで、キョトンとした顔で小首を傾げた。



       
終章へ







管理人のひとりごと

ということで最後の一人、鷹通さんでした。
鷹通さんはけっこう正々堂々と宣戦布告するタイプじゃないかなぁと。
こういうふうに正面から宣戦布告されちゃうと頼久さんはけっこうたじたじなんだろうなぁ(マテ
で、思いのほか長くなったので次回、終章、一つ入れることにしました(’’)
2万Hitで完結いたしますので、もう少々お付き合いくださいませ(^^)





プラウザを閉じてお戻りください