幻の消える時 第一話
「久しぶりですね、頼久さんとこんなふうにお散歩するの。」

 あかねはニコニコと上機嫌で歩いていく。

 その隣にはやはりたった今まで幸せそうな笑みを浮かべていた青年武士の姿がある。

 もちろん、あかねの夫となってもうずいぶんな時を過ごしたはずの頼久だ。

 ところがそんな頼久はあかねの今の一言で一瞬のうちに顔色を青くした。

「……申し訳ありません。」

 急に隣から聞こえた声に驚いてあかねははっと足を止めた。

 するとつられたように足を止めた頼久が心細げに自分を見つめているのに気付いた。

 夫になってやっと隣を歩いてくれるようになったその青年の顔はいつの間にか従者のものに戻っていて…

「えっと、何がでしょう?申し訳ないって…。」

「ここ数日は左大臣様の警護で満足に神子殿のお相手もできず……。」

「そ、それはお仕事だからしかたないじゃないですか!頼久さんはもう私の従者じゃないんですから、仕事で忙しくて私の相手ができないなんて謝るようなことじゃありませんから!」

「しかし…。」

「しかしじゃないです。私が言いたかったのは久しぶりに頼久さんと二人でゆっくりできて嬉しいなっていうことであって、頼久さんに謝ってほしかったわけじゃないんですから。」

「これからはもう少々休みを…。」

「ダメです!私のために休みをとるなんてダメです!今だってなんだかんだって休んでもらってるのに、それじゃまるで私が頼久さんのお仕事を邪魔してるみたいじゃないですか…。」

「そのようなことは……。」

「そういうことになっちゃいますよ、私のために仕事を休むなんて…。」

「いえ、私が神子殿のお側にいたいのです。」

「へ。」

 あかねが驚いて頼久の顔をまじまじと見つめれば、いつの間にかその顔には幸せそうな笑みが浮かんでいる。

 あかねはその笑顔に一瞬見惚れて、それからすぐに顔を真っ赤にして歩みを再開した。

「また頼久さんはそういう恥ずかしいことを…。」

「恥ずかしいことでは決して、私の本心です。」

「それが恥ずかしいんです!」

 そう言って真っ赤な顔をするあかねがいとおしくて、頼久の顔に浮かんでいる笑みが深くなる。

 辺りを照らす春の陽射しは暖かく、歩く大路は何事もなく平穏だ。

 この辺は市が開かれていて人通りも多いが、不穏な気配は感じられない。

 京のこの平和は隣を歩く愛らしい女性がもたらしてくれたのだと思えば、その愛情は深まる一方で…

 頼久は辺りを見回してからあかねに視線を戻すと、再び口元を緩めた。

「やはり、もう少々休みを頂くことに致します。」

「へ?だから、ダメですってば。」

「いえ、頂きます。藤姫様にお願いすれば増やして頂けるでしょう。」

「ふ、藤姫にまで迷惑かけるなんて絶対ダメですってば!」

「左大臣様も神子殿のためとあらば休みの一日や二日…。」

「だーかーらー!」

「神子殿。」

「は、はい?」

「辺りを御覧下さい。」

 促されてあかねが辺りをキョロキョロと見回してみても特に変わった所は見当たらない。

 あかねは歩みを止めて長身の夫の顔を見上げた。

「何かあるんですか?」

「はい、平和な京が。」

 ニコリと微笑んでそういわれてあかねは改めて辺りを見回した。

 貧しい人の姿がないわけじゃない、商売をしている人たちも裕福そうには見えない。

 けれど怨霊と戦っていたあの頃のように、鬱屈とした空気はどこにも見当たらない。

 少なくても自分達の手ではどうにもできないほどの脅威はもうこの京には存在しないのだ。

「そう、ですね。平和かな。」

「はい。その平和な京をもたらしてくださったのは神子殿です。その神子殿のために私が休みを取ることくらい、誰妨げることができましょう。」

「へ?」

「私ごときがお側に仕えることで神子殿が満足してくださるのでしたらいかようにも…。」

「ちょっ、ちょっと待ってください!そんな、まるで頼久さんがご褒美みたいに…。」

「私ごときを褒美として受け取ってくださるのでしたら…。」

「違いますっ!」

 力いっぱい否定してあかねはふっと深い溜め息をついた。

 この人は夫になってからもまだたまにこういうことを言い出すのだから。

 と心の中で少しばかりあきれてみる。

「神子殿?」

「私は頼久さんの妻なんです。だから、旦那様が帰ってこないなって寂しく思いながら帰りを待つのも私の仕事なんです。そういうのが妻!っていう感じでいいなって思うときもあるんです。」

「そう、なのですか?」

「そうなんです、だから、無理に休みを取ったりしないで下さい。もちろん、頼久さんが疲れてるとか体調が悪いとかっていうときは別ですけど。」

「神子殿がそうおっしゃるのでしたら…。」

 不本意だといわんばかりの顔ではあったが、頼久がとりあえず承知したようなのであかねは安堵の溜め息をついた。

 怨霊と戦っていたあの頃も過保護なところのあった人ではあるけれど、夫婦になってからはそれが更に加速したような気がする。

 まぁ、それも頼久の愛情だと思えば嬉しくないわけではないのだけれど…

 と一人で想いを馳せてあかねはその顔に笑みを浮かべた。

 何が何やらわからないが、とりあえずあかねが幸せそうに微笑んでいるので頼久も隣でかすかに笑みを浮かべた。

 自分の生まれた世界を捨ててまでこの京に残り、自分の妻となってくれた天女だ。

 泣かせることはおろか、ほんの少しのことであってもこの妻の思い通りにならないことがあってはならない。

 常々そう考えている頼久だから、あかねが幸せそうにしてくれているのなら他の事はたいていどうでもいいという姿勢が出来上がっていた。

「そうだ、頼久さん、今日はどこかでおいしいものでも食べちゃいましょうか?」

「神子殿がお望みでしたら何か購って参りますが。」

「ん〜、何がいいかなぁ。」

 そう言ってあかねが辺りをキョロキョロと見回しながら歩き出す。

 あかねは何を買うわけでもなく市を見て回るのが好きだが、今日は珍しく食べ物を買うということで辺りを見回すその目は真剣だ。

 出会ったばかりの頃からすれば髪はずいぶんと伸びたが、動きやすいという理由で今日は水干姿のあかねはどこか子供らしいところもあって頼久の目にはとても愛らしく映っている。

 辺りを興味深げに見回すその様子は無邪気な女童そのものだ。

 なんと愛らしいお方かと頼久が自分の妻の魅力を改めて噛み締めていると、あかねの顔が突然曇った。

 何事かと頼久があかねの視線の先を追えば、そこにはどうやら貴族らしきいでたちの少年とその付き人、そしてその一同の前で声をあげて泣いている子供の姿が見えた。

 心優しいこの龍神の神子はこういった光景を見逃すことができない。

 きっと事情を聞いて解決しようと言い出すだろうと頼久が予想していると、あかねが頼久の衣の袖をくいっと引っ張った。

「頼久さん、あそこ見てください。なんか子供が泣いてるみたい。」

「はい、そのようです。」

「事情はわかりませんけど、あんなに泣いてるなんてかわいそう…。」

 やはり。

 と頼久は心の中でつぶやいた。

 そう、あかねがそんな様子を放っておくわけがないのだ。

 見ればどうやら貴族が子供達を怒鳴り散らしているように見える。

 もちろん、京では貴族の身分は絶対だ。

 泣いている子供達は着ている服を見ても、間違いなく貴族ではない。

 このまま貴族に殺されてしまっても文句は言えないような身分の様子だ。

 放っておけばどうなることか、頼久には予想がつく。

 予想がつくだけにそんな光景をあかねに見せるわけにはいかないし、あかねが止めよと命ずるのであれば止めるべきであろうとも思うのだ。

「事情を聞いておさめて参りましょうか?」

「……事情はわかりませんけど、あんな小さな子供だし、うん、そうしましょう。」

 そういうが早いかあかねは少年と貴族達の方へ向かって歩き出した。

 頼久が言いたかったのは命じてくれれば自分が事をおさめに行くということだったのだが、もちろんあかねが頼久だけ派遣して自分がそれを高みの見物などありえないわけで…

 頼久は一瞬苦笑してからすぐにその表情を引き締めた。

 あかねが出て行くとなればどんな事態になろうとも自分はあかねの身を最優先に考え、守らねばならない。

 どのような事態であれ、相手がなんであれ油断はできないのだ。

「神子殿、何か危険を感じましたらいつなりとこの頼久の後ろへお回り下さい。」

「大丈夫ですよ。私にはこの京で一番強い武士がついてるんですから、なんにも心配してませんから。」

「神子殿…。」

 本当に何も恐くはないというように微笑んで見せるあかねの信頼が嬉しくて、頼久はさりげなく左手を腰の太刀に添えた。

 この天女の期待を裏切らないためにも、どんなことにも対処して守り抜いて見せねばならない。

 頼久がそう気合を入れ直すのと同時にあかねは泣いている子供のそばにかがみこんだ。

「大丈夫?恐い目にあったの?」

 まずは弱いものから心を配る。

 それこそが心優しき龍神の神子だ。

 頼久はさもあらんと一つうなずいてそっとあかねの傍らに立った。

「邪魔をするでない!女!そこをどけ!」

 あかねを罵倒したその声はこちらも少年のものだ。

 驚いてあかねがはっと振り返る。

 するとそこに立っていたのは着ているものこそ立派ではあるがまだあかねよりははるかに年下、イノリよりも年が下ではないかと思われるほど幼い少年だった。

 周りに立っていた5人ほどの男達があかねを睨みつけながらその身を盾にして少年をかばおうとしているところを見ると、やはりこの少年はかなりの身分の人物で、5人の男達は従者といったところらしい。

 相手は腰に太刀を佩いている屈強な男が5人。

 主が少年とはいえ女であるあかねはひるむのが普通だ。

 威嚇すれば黙って立ち去るだろうと予想していたらしい少年の従者達はだが、すっくと立ち上がったあかねが仁王立ちするのを目撃して目を丸くした。

 あかねは少しも臆することなく腰に手を当てると貴族の少年を正面からきりりとにらみつけたのだ。

「君!この子はまだ君よりずっと小さいじゃない。何か悪いことをしたのかもしれないけど、こんなふうに泣くまで責めるのはよくないんだから!お説教はちゃんとこの子がわかるようにしてあげないと意味がないの!」

「なっ……。」

 びしっと右手の人差し指を突きつけて説教をするあかね。

 それを聞いて一瞬放心状態になる少年。

 そして少年以上に呆けている従者達。

 彼らの実力のほどを肌ではかりながら頼久はそれでも口元が緩みそうになるのを必死にこらえた。

 さすがは我らの神子殿、なんと毅然とした態度であられることか。

 胸の内ではそんな賞賛をあかねに捧げていた頼久だが、その眼差しはしっかりと貴族の従者達を牽制している。

「いったいこの子が君に何をしたの?悪いことをしたのならちゃんと謝ってもらうから私に話してみて?」

「貴様何者か!そのように童のような格好をしてこの私に説教をするとは!無礼にもほどがある!」

「あのね、貴族が偉いのはわかるけど、君だってまだ子供でしょう?子供同士の喧嘩なのにそんなふうに権力を振りかざすのはよくないよ。」

「なっ……なんという物言い……その汚い童はこの私にぶつかった挙句、謝罪もせず泥をはねつけて立ち去ろうとしたのだぞ!」

「へ、たったそれだけのこと?」

「そ、それだけとは……。」

 驚くあかねに対して少年は顔を真っ赤にして物もいえない様子でふるふると震えている。

 あかねにとっては年下の子供を諭しているつもりなのだが、この京で身分が下の者から説教をされるなどということはありえない。

 少年にとってはそれこそ天変地異にも等しい出来事であったろう。

 そのことを思えば頼久も少年に少しばかり同情しないわけではないが、身分というならあかねはこの京を救った龍神の神子。

 どんなに身分高い人間よりも高貴な女性ではあるのだ。

 もちろん、その事実は世間には伏せられているので声高に叫ぶわけにはいかないが…

 そして何より、あかね自身に高貴な身だという自覚もない。

「でも、そうだね、ぶつかっておいて謝らないのはダメかも。」

 少しだけ思案したあかねはそう言って泣いている子供を立たせると、同じ目線にかがみこんで泣いていた子供の涙をぬぐってやった。

「人にぶつかって謝らなかったのは君が悪いから、あの子にちゃんと謝ってあげて。ちゃんと謝ったらあの子だって許してくれるんだから。」

「だ、誰が許すと…。」

「君は貴族なんでしょう?すごーく偉い人なんでしょう?偉い人なら貧しい人のちょっとした失敗くらい大きな気持ちで見逃してあげなきゃ。小さなことに目くじら立てている人間が大物だって思える?思えないでしょう?」

「そ、それは……。」

「ほら、謝って。」

 あかねに促されて泣いていた子供はすぐに貴族の少年の前に土下座して詫びた。

 そこまですると思っていなかったあかねが慌てて立たせようとするのを頼久が止める。

 貴族に対して土下座ですむのならこの少年は奇跡にあったといってもいいくらいだ。

「も、もうよい、興がさめた。」

「ほら、もういいって、許してくれたよ。これからはちゃんと気をつけて歩いてね。」

 あかねに諭された子供は小さくうなずくと脱兎の如く駆けていった。

 その小さな体は人込みに紛れてすぐに見えなくなる。

「よっぽど恐かったんだね。君も、あんな小さな子をあんなに恐がらせるなんて、確かにいけないことをしたら謝ってもらうように教えてあげることは必要だけど、やりすぎはよくないんだからね。」

「お、お前はまだこの私に……。」

 顔を真っ赤にして怒る少年にあかねはすっと歩み寄った。

 従者達が慌てて太刀を抜こうとしたが、その様子を見ていた頼久が視線で従者を牽制したために従者達はそれ以上動けなかった。

 少年に歩み寄ったあかねはにっこり微笑むと、少年の頭を優しくポンポンとなでた。

「でも、許してあげたのは偉かったと思う。君は本当は凄く優しいんだね。」

「なっ……。」

 更に優しく頭をなでられて少年の顔が一層赤くなった。

 今度は怒っているからではないだろうその顔の赤みを見て、頼久は太刀から手を離した。

 少年はあかねの優しさに心服したに違いない。

 もうあかねに危険が及ぶことはないだろう。

「じゃぁね、今日は人が多いから気をつけて帰ってね。」

 無邪気に微笑むあかねが頼久の方へ戻ろうとしたその時、あかねの衣の袖を少年がつかんだ。

「ま、待て、お前の名は?この私に説教をするなどいったいどこの誰だ?」

「え、私?えっと……名前はあかね、み、源あかね、かな。」

「かな?」

「え、あ、うん、そう、源あかねです。」

 そういえば全くの他人に頼久の妻になってから名乗るのは初めてだななどと思いながらあかねが照れていると、少年は訝しそうにしながら小首を傾げた。

「源……源氏の者か?」

「えっと、源武士団若棟梁、源頼久さんの妻です。」

 真っ赤な顔であかねがそういうのと同時に頼久がすっとあかねの隣へ並んだ。

 長身な上に鍛え上げられた体躯の持ち主がすっと現れたのだから、少年は思わず息を呑んだ。

 少年の従者達とはその腕前が比べ物にならないと既に外見が告げている。

「君は……ってお忍びかな。貴族の人はあまりこういうところどうどうと歩かないんだもんね。お忍びならいつもよりずっと気をつけてね。さ、頼久さん、行きましょう。」

「はい。」

 あかねは頼久を伴って少年に背を向けた。

 事件は解決した。

 少年に源あかねと名乗ったことでなんだかちょっと幸せな気分にもなった。

 あかねはその顔に笑みさえ浮かべて人込みへと足をすすめた。

 頼久はというと少年達の気配が背の向こうで人込みの気配に完全に紛れて消えるのを確認してほっと安堵の溜め息をついた。

 今回は相手の従者がたいした腕ではなかったから大事には至らなかったが、明日からはもう少し鍛錬を積まなくてはと一人心の中で決意を新たにする。

 隣を歩くこの天女がどんなことに巻き込まれようとも守り抜く、それこそが夫としてもらえた自分に唯一できることなのだから。

 一人真剣にそう考えている頼久の腕を急に抱いてあかねはにっこり微笑んで見せた。

「神子、殿?」

 頼久が人前でこういうことをされるのに慣れていないと知っているあかねは普段はあまり人の多いところでこんなことはしないのだが、どうやら今のあかねは上機嫌なようだ。

「頼久さんがいてくれれば誰が相手でも全然恐くありませんね。」

「神子殿…。」

「怨霊からだってずっと守ってくれたんですもん、人間を相手にして恐いなんてことあるわけないんですけど。」

「ご信頼に答えられるよう、これからも精進いたします。」

「頼久さんはもう十分強いですよ。それより、おなかすいたからもう今日は帰りましょう。お屋敷に帰ってご飯作ってもらった方がゆっくり食べられるし。今日はなんだかもういいこともたくさんあった気がするし。」

「散歩はご満足頂けましたか?」

「はい。だから、後はお屋敷に帰って二人でゆっくりしましょう。頼久さんは明日もお仕事なんだからゆっくり休まなきゃ。」

「それが神子殿のお望みとあらば。」

「また頼久さんはそんなこと言って…って、じゃぁ、神子殿のお望みなので今日はゆっくり休んで下さいね?」

「御意。」

 ニコニコと楽しげな笑みを見せられては、頼久には腕を解放してくれと言うことはできなくて…

 あかねは頼久の腕を抱いたまま、幸せそうな笑みを浮かべて屋敷までの道を楽しむのだった。





       第二話へ








管理人のひとりごと

ということではっと気付けばもう10日Σ( ̄ロ ̄lll)
と慌てて昨日第一話を書いて連載を始めてみた管理人です(’’)
一応、おおまかなプロットはできてたんで見切り発車してみました。
サイトの記念日はやっぱり遙か1で祝いたい、そんな管理人です♪
一気に書いているのでいつものごとく誤字脱字はご容赦下さいm(_ _)m
今回はほんのさわりだけ。
次回から話は動き出すと思います、たぶん(’’)









プラウザを閉じてお戻りください