『神子殿?何かありましたか?』
「はい?何もありませんけど…。」
夜、あかねは電話を通して頼久と会話しながら、つい頼定のことを思い出して会話が上の空になっていた。
そこをすかさず頼久に指摘されて、思わず声が上ずって…
あかねは頼久には気づかれないように小さくため息をついた。
一日の出来事を話そうとするとどうしても頼定のことが話題に出そうになる。
けれど、頼定のことを頼久にどう話せばいいのかがわからない。
そのことに気を取られて、あかねはせっかくの頼久との会話を上の空で流してしまったのだった。
神子殿大事の頼久がそれに気づかないはずもなくて、電話の向こうから気遣わしげな声が聞こえてきた時、あかねはちらりと罪悪感を感じながら嘘をついた。
何かあったかと言われればあったから。
頼定に無理をしていると指摘されてしまって、それが事実だったという事件が。
けれど、それを話してしまうと頼定のことを説明しなくてはいけない。
それだけじゃない、あかねが無理をしているということも話さなくてはならなくなる。
だからあかねは嘘をついた。
何もないと。
『なら、いいのですが…。』
カンの鋭い頼久が納得しているはずもなくて、心配そうな声音は変わらない。
それでも何もなかったはずはないと詰め寄らないのは源頼久という人が相手であるが故だ。
そんな出すぎたことを神子殿が何より大事な頼久にできるはずもなかった。
「何かおかしいですか?私。」
『いえ、お声に少しはりがなかったのと、少々上の空でいらっしゃったかと…。』
「ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて…でも大丈夫ですから。」
『そうですか。』
「それより、仕事は順調ですか?」
『すこぶる!順調です。』
何故かあかねの問いに対する頼久の答えはどこか険しい感じがした。
≪すこぶる≫をやたら強調した頼久はなんだか少し怒っているような気もする。
それとも本当はあまりうまくいっていなくて、嘘をつかなくてはならないからいらだっているのか…
そんなことを想像して、あかねは携帯を握り直した。
早く頼久に会いたいのはもちろんだけれど、そのために仕事を頑張りすぎて病気になんてなってほしくはない。
「頼久さん、本当に大丈夫ですか?急いで仕事を片づけるために無理とかしてませんか?」
『しておりません。神子殿も私が普段より鍛錬しているのはご存じのことと。』
「それはわかってますけど、でも頼久さんだって不死身ってわけじゃないんですから、ちゃんと休んでくださいね。」
『心得ました。』
「あ、休んでくださいって言ってる私と長電話してたら意味ないですよね。今日はもう寝ますね。」
『神子殿。』
「はい?」
急に電話の向こうの声が低くなって、あかねの返事がほんのわずか高くなる。
『…いえ、なんでもありません、ゆっくりお休みください。』
「あ、はい、おやすみなさい…。」
頼久が何を言おうとしたのか気になりながらも、あかねはプチッと頼久の方から電話が切られる音を聞いた。
いつもはあかねが先に電話を切る。
何故なら頼久が自分から切ることはできないと初日に言ったからだ。
けれど今日はまるで慌てたみたいに頼久の方から電話が切られた。
たったそれだけのことでもなんだか胸が苦しくて…
あかねは切られた携帯を握りしめて抱えた自分の膝に顔をうずめた。
あふれ出てくる涙をどうすることもできなくて、あかねは夜、部屋で一人、胸の痛みを抱え続けなくてはならなかった。
「お兄ちゃん。」
「ん?」
天真は妹に呼ばれて雑誌から視線を上げた。
目の前には椅子に座っているくせに姿勢を更に低くして、眉間にしわを寄せている妹の顔がある。
その表情に天真は小さなため息をついた。
「ん?じゃないよ、放っておくの?」
「放っておく?何をだ?」
「何をって、あかねちゃんに決まってるじゃないっ!」
蘭は小さな声にめいっぱい力を込めてそう言うと、上目づかいに兄をにらみつけた。
天真はもう一度ため息をついて蘭の背後に立つあかねの背をちらりと見やる。
あかねは今、台所に立って料理をしている真っ最中だ。
どうしてあかねがそんなことをしているかと言えば、本日の昼食を作るため。
では、どうしてあかねが昼食を作っているのかといえば、この場にいる3人の中で唯一料理がまともにできる人物だから、だった。
「放っておかねー場合、どうすんだよ。」
あかねの背から妹へと視線を戻して、天真はめんどくさそうな顔でそう尋ねた。
「どうするって…それはお兄ちゃんが考えて。」
小さな声でそう言い放つ妹に天真は再びため息をついた。
どうして蘭が小さな声で話をしているのかと言えば、それは背後で作業をしているあかねに聞こえないようにだ。
どうして聞こえてはいけないのかと言えば、それはあかねの様子がどうもおかしいから天真がなんとかするべきだという内容の話だからだった。
そして話を持ちかけられた天真はというと、蘭が心配するのも無理はないと思いながら、だからといって自分に何ができるのかとなるとさっぱり見当もつかなかった。
「あかねちゃんのあのやつれよう、尋常じゃないって。」
「んなこたぁわかってんよ。」
「だったらなんとかして!」
「なんとかってお前、簡単に言うけどな…。」
蘭の言うとおり、あかねの様子は確かにおかしかった。
様子がおかしいだけならまだしも、やつれ果てたその姿にはさすがの天真も驚いた。
それが一か月かけてやつれたというのならまだしも、天真があかねと顔を合せなかったのはほんの3日ほどのことだ。
その間にあかねは見事に目の下にクマを作り、げっそりと頬がこけていた。
寝ていない、食べていない、この二つは間違いない。
今日は、頼久に会えなくて落ち込んでるだろうと予想した蘭が天真を巻き込み、あかねを元気づけるために家に呼びつけたのだが…
食事の用意一つしていなかったため、あかねが台所に立つことになったというわけだ。
いつもならそんなごたごたも楽しい一騒動になるのだけれど、今回ばかりはそうはいかなかった。
朝、玄関に現れたあかねはまるで幽鬼か何かのようなありさまで、そこからはどんな話をしても寂しそうに苦笑するのみ。
ボードゲームをやろうが蘭がどんなにバカ話をしようが反応は同じ。
とうとうお手上げになった森村兄妹は苦肉の策で詩紋に電話し、3時までにおいしいお菓子を持参してくれと悲鳴をあげる勢いで要請した。
いつもなら昼ごはんはみんなでワイワイ作るという流れになりそうなものだったけれど、今日は静かに自分が作ると言い出したあかねに全てを任せることになった。
まるで台所で一人にしてくれと言わんばかりの立候補だったからだ。
おかげで森村兄妹は二人であかねの背中をため息をつきながら眺めることになってしまった。
蘭が痺れを切らしたのはそんないたたまれない状況がもう3時間も続いているからだった。
「お兄ちゃんの真の友があかねちゃんをあんなにしてるんだから!」
「いやだからな、それは頼久の責任であって俺の責任じゃねーし…。」
とかなんとか妹にはぶつぶつ言って抵抗する天真だが、何かしなくてはと思ってはいる。
なんといってもその真の友からあかねのことを頼まれているのだから。
けれど、何をどうしていいのかがわからない。
「はい、簡単なものでごめんね。」
天真がどうしたものかと考え込んでいる間に、あかねは3人分のチャーハンを完成させて運んできた。
できたての湯気があがるチャーハンはとてもおいしそうだ。
「お、サンキュ。」
「簡単も何も、こっちこそ何も用意してなくてごめんね。」
「ううん、気にしないで、お邪魔してるの私の方だし。」
だから客にメシ作らせてるのがおかしいだろ。
という視線を天真が蘭に送ってみても、蘭は素知らぬ顔でチャーハンを食べ始めた。
どうやら妹に次は自分が作ろう、などという殊勝な心がけは皆無らしい。
あかねは天真の向かい、蘭の隣に座ると律儀に「いただきます」と手を合わせてからチャーハンを食べ始めた。
そしてそれを目にして蘭と天真が同時に同じようなため息をつく。
「なぁ、あかね。」
「ん?なに?」
「お前それはねーだろ。」
「何が?」
キョトンとしているあかねの前にある皿。
それに天真と蘭の目は釘付けになっていた。
問題は皿の上に何がのっているかではない。
のっているものの量だった。
「あかねちゃん、それ、私達の分の半分もないよ…。」
「ああ、うん、ちょっと食欲がなくて…。」
ちょっとじゃない!
と兄妹は同時に心の中で叫んでいた。
げっそりとやつれている理由の一つは間違いなくこれだ。
「あかね、無理してでも食え。食っとけ、死ぬぞ。」
「た、食べてるってば。3食ちゃんと食べてるもの…。」
「あかねちゃん、3回食べててもそれじゃ1食分にもならないよ。」
あきれたような声を出す蘭を見て、あかねはうつむいた。
食べないといけないというのはわかっている。
たとえば頼久が帰ってきた時、離れていたことが原因で病気になどなっていたらどれほど頼久が自分を責めるかわからない。
だからこそ、食べなければならないとわかってはいるのだけれど…
「とりあえず、それは全部食えよ。」
「…うん。」
「お前、自分でもたぶん気が付いてるだろうけど、やつれてんぞ。」
「…うん……。」
「そんな姿、頼久が見たら卒倒すんぞ。」
「そんなことは…。」
『ある。』
兄妹の息の合った断言にあかねは思わず苦笑した。
卒倒することはないにしても、ちゃんと元の自分に戻っていなくてはという思いはあかねにもある。
けれど、何を思っていたとしても体が食べ物を受け付けてくれないのだからしかたがない。
それでも蘭と天真にうながされて、あかねは皿の上にのっていたチャーハンはなんとか平らげた。
食べ終わるまでに1時間ほどかかってしまったけれど…
「あかね、お前、メシ食ってねーだけじゃねーだろ。」
「へ?」
「寝てねーだろ。」
「……。」
「やっぱりかよ…。」
「どうした?ついこの前までそんなじゃなかったろ。何かあったのか?」
「別に…。」
「別にって感じじゃないよ。私達には話せない?」
どうやら本格的に行動を起こそうとしているらしい兄を助けるべく、蘭もあかねの顔を覗き込んだ。
この兄妹、いつもは喧嘩ばかりしているが、あかねのこととなると気が合うのだ。
「別にね、何かあったってわけじゃないの。ただ、休みになるとみんな遊びに行ったりして、そういうの見るとちょっと…。」
「頼久さんがいないことをしみじみ感じちゃう?」
「うん。そういうのとか、あとは、なんていうか、私が自分の中で勝手にぐるぐる悪い方へ考えちゃってるだけだと思う…。」
そう言ってあかねにうつむかれてしまえば、もう二人にそれ以上追及する術はない。
天真は深いため息をつくと、背もたれに身を沈めて天井を見上げた。
「ま、頼久が帰ってくれば何もかも解決だからな。」
「このままじゃ帰ってくる前にあかねちゃんが死んじゃうよ。」
「そ、そんなことは…。」
『ある。』
再び兄妹に同時に肯定されて、あかねは肩をすぼめて小さくなるばかりだ。
「ま、そういうのは気晴らしするしかねーよな。」
「でも、気晴らしっていったってコンパ行くわけにもいかないし…遊園地とか?」
「それもいいが…。」
天井を見上げていた天真がそう言って時計に目をやる。
つられて蘭も時計を見ると時間はちょうど午後3時。
そして、いいタイミングでドアチャイムが鳴った。
「グッドタイミング!」
嬉しそうに玄関へ飛び出していった蘭が連れて戻ったのはもちろん詩紋だ。
その手には見るからにケーキが入っているという箱があった。
「あ、ちょうどよかった?」
「うん、もうバッチリ。」
「シフォンケーキ焼いてきたんだけど。」
「詩紋君……有難う、心配かけてごめんね。」
明らかに二人に呼び出された詩紋に苦笑を見せて、あかねはすっと立ち上がった。
「そんな、ボクは作りたくて作ってきたから…。」
「うん、でもお茶は私にいれさせてね。」
「じゃあ、ボクはケーキを切り分けるね。」
あかねの気遣いをさらりと受け入れて、詩紋はあかねと並んで台所に立った。
助っ人の登場でなんとかその場を乗り越えた森村兄妹はというと…
「お兄ちゃん、そろそろ限界だって、二か月とかそもそも無理だったんだって。」
「まぁなぁ、老成した夫婦ならまだしもなぁ。」
普通の恋人達だって遠距離恋愛ならダメになる例も多い。
ましてやあかねと頼久は時空を超えた二人で、更に言うなら龍神の奇跡がなければ二度と会えなかったかもしれない二人だ。
会えない時間というものが二人にとってまだまだ普通の恋人達よりもつらいものだということは天真にも想像ができた。
だからこそ、蘭の言う限界というのもわかる。
問題はそれがわかっていて自分にできること、だ。
「お兄ちゃん、あかねちゃん死ぬ前になんとかして。」
「俺も今どうすっか考えてる。」
「頼久さんの首に縄つけて引きずって帰って。」
「それはダメだろ、あいつが自分の意思で、しかも仕事が終わった状態で帰ってこねーと。」
「でもそんなこと…。」
「やっぱこれしかねーか。」
「これしかって?」
「頼久の尻に火をつける。夜にでも電話して、早く仕事片づけて帰ってこねーとあかねが死ぬって言っとく。」
そんなことをすればどうなるか、天真にはよくわかっている。
おそらく頼久は命を削ってでも仕事を早く終わらせるための努力をするだろう。
そしてでき得る限り早く帰ってくるに違いない。
ひょっとしたら病気になって帰ってくるかもしれないが、そこは体力バカの見本みたいな男なのだからなんとかしてもらうしかない。
天真が今夜、必ず電話で頼久に現状を告げようと決心したのと同時に、テーブルには綺麗に切り分けられたシフォンケーキと紅茶が並ぶのだった。
第九話へ
管理人のひとりごと
ちょっとだけ長電話で頼久さんを充電したあかねちゃんでしたが、すぐそんなにわか充電は切れました(爆)
で、電話の向こうでは頼久さんにどうも変化があったようです。
それもあかねちゃんには気になって、結局やつれてます(^^;
現状を打開するのは天真君かあかねちゃんか、それとも頼久さんか。
お話はもう少々続きます、お付き合い頂ければ幸いですm(_ _)m
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