雲井の余所 第六話
「なんか、悪かったな。」

 頼定の背が見えなくなって初めに口を開いたのは天真だった。

 学食内には人が少なかったとはいえ、大声であかねの恩人を詰問したのはまずかったとさすがに反省しているらしい天真は頭をかきながら視線を泳がせている。

 あかねは小さくため息をついた。

「謝るなら私にじゃなくて頼定さんにだよ。」

「お前、頼定さんって…いくら声が似てるからって下の名前で呼ぶのはどうよ。」

「だって、源さんってなんか呼びづらいというか呼び慣れないというか…そんなことより、どうして天真君ここにいるの?」

「蘭が友達からお前がここで男にナンパされてるって聞いたって言うんで駆けつけた。」

「もぅ、ナンパなんかされてないし、どうしてそこで天真君が駆けつけるかなぁ。」

「そんなもん、頼久にお前のことを頼まれてるからに決まってるだろう。」

「ナンパくらい、もしされたとしても自分でちゃんと断るよ。夜道でさらわれそうになってるわけじゃないんだし。」

「お前は人がいいからな、断りきれねーってこともありそうだ。」

「そんなことないよ。」

「ある。現にお前、さっきのあいつ、食事に誘ったりしたんだろう?この前のお礼をしなきゃとか考えてよ。」

「お礼くらいいいじゃない…。」

 言われてみれば確かに、あかねは頼定と二人で食事なんかしようとしていたわけで…

 それはよくよく考えてみれば確かに普通のことじゃないのかもしれないと気が付いて…

「いいわけねーだろ。お前が俺以外の男と二人で外食なんかしたって知ったら、頼久のやつ卒倒するぞ。」

「し、しないよ…。」

「卒倒ですめばいいけどな、あいつのことだ首くくりかねん。」

「ないってば!」

「それは冗談にしてもだ、頼久が気分いいわけねーだろ。お前はただの礼のつもりかもしんねーけどさ。」

「頼久さんはそんなに心が狭い人じゃありません。」

「あのなぁ…あいつは十分心が狭いぞ、お前のことに関しては。だいたい、お前だって嫌だろうが、頼久が仕事の関係かなんかの恩人の美人とお前に内緒で食事なんかしてたら。」

「それは…。」

 確かに嫌だ。

 嫌だというか、絶望してしまうかもしれない。

「わかったんなら気を付けてやってくれよ。帰ってきたあいつが即日ビルの屋上から飛び降り自殺とか勘弁してほしいからな。」

「そんなことしないってば…でも、うん、気を付ける…。」

「マジで頼む。頼久がいなくなってからお前、隙だらけなんだよ。」

「隙だらけ?」

 意外な天真の言葉にあかねが目を見開いた。

 頼久がいなくなってからは頼久のことしか考えていない。

 だからまさか隙があるとは思ってもみなかった。

 何しろ自分の中身は隙間なく頼久のことでいっぱいなのだから。

「頼久がいる時は隙だらけだろうがなんだろうかあいつがどうにでもするんだろうけどよ、俺には無理。」

「そんなに隙だらけ?」

「おう。なんていうか、誰でもいいからかまってってオーラ出てんぞ。」

「うそ。」

「ま、それは大げさだけどな。常にぼーっとしてるしな、お前。」

「それはまぁ、確かに…。」

「頼久のことばっか考えて、次は頼久のことを考えると寂しくなるからなるべく考えないようにしてんだろ。」

「天真君…。」

「俺じゃねーよ、蘭がそうしてるんじゃないかって気にしてた。だからお前、最近やたらと授業を真剣に受けてんだろ。」

「……うん。」

「やっぱな。ま、さっきの頼定だっけか、あいつは確かにお前をどうこうする気は今のところないのかもしんねーけど、これからはわかんねーぞ。」

「これからって…。」

「お前がそんな隙だらけだとその気がなかったのにその気になるかもしれねーって話だ。」

 天真にそう言われると何も言えなくて、あかねはただ「うん」とうなずくしかできなかった。

 ただ頼久がいない寂しさと戦うだけで精一杯で、周りのことなんて考えている余裕はほんのかけらほどもなかった。

 だから天真に言われるまでそんなことには気づきもしなかったのだ。

 けれど、こうしてまっすぐ言われてしまえば確かにそうだったかもしれないということはたくさんあって…

 あかねは自分の危なっかしさにあきれて深いため息をついた。

 すると、天真はあかねの頭をくしゃくしゃと撫でて、視線を上げたあかねにニッと笑って見せた。

「ま、これからは俺もかまってやっから、お前は一人の時、隙だらけになんねーようにだけ気を付けてろって。」

「うん、ありがとう、天真君。」

 天真の笑顔につられるようにあかねはその顔にやっと笑みを浮かべた。

 けれど、その笑顔は天真が知っているあかねの笑顔とはとても思えないほどにやつれていた。

 痛々しい顔をしているのだとあかねに気付かせないように、いつもの自分を保つだけで天真は精一杯だった。







 夜になると世界はとても静かになって、昼間よりもずっと自分が一人だと実感してしまう。

 昼間は大学にいれば学生が周りに大勢いるし、人があまりいない図書館でも最近は頼定が予習を手伝ってくれたりして一人でいることは少なかった。

 けれど、自分の部屋で夜を迎えてしまうと嫌でも一人きりで…

 あかねの手は自然と携帯に伸びたし、その目は携帯をじっと見つめたままだった。

 かかってくるはずの頼久からの電話を待つ。

 あかねの夜の時間の全てがそれに費やされていた。

 そして…

「もしもし。」

 携帯が待ちわびたその人からの着信を告げたとたんにあかねは通話ボタンを押していた。

 携帯自体を耳に当てるのももどかしく口を開くと、電話の向こうからほっとするような切ないような、心待ちにしていた声が聞こえてきた。

『神子殿、お変わりありませんか?』

 落ち着いたその声はたった一日聞かなかっただけなのに、もう何年も聞いていなかったような気がした。

 特に今日は、頼定と話をしているところを天真に目撃されて、色々考えさせられたこともあったから。

 だからどうしても頼久の声を聞きたくて待ちに待っていた電話だった。

 そのせいか、あかねの耳に届く頼久の声はとても綺麗で、泣きそうなほど懐かしかった。

「はい、元気です。」

『…お声が少し沈んでいるような気がしますが、大丈夫ですか?』

「ちょっと大学の勉強を頑張っちゃったから疲れてるだけです。大丈夫ですよ。」

『お体にはお気を付けください。』

「はい、でもそれは頼久さんもです。なんか頼久さんも声が沈んでますよ。」

『それは体調では…。』

「……。」

 暗に頼久はあかねのそばにいないから沈んでいるのだと言っている。

 そんなことはあかねにもすぐに察せられた。

 けれど、そんな状況に追い込んでしまったのはあかね自身であり、そのあかね本人が頼久よりも大きなダメージを受けているのだから何を言うこともできなかった。

『こちらの仕事は順調にはかどっております。神子殿には何か困ったことなどございませんか?』

「ないですよ、あったとしても天真君がすぐに何とかしてくれますから。」

『そうですか。』

 天真の名を出すと頼久は電話越しでもわかるほどに安堵した声を出した。

 そして…

『では、もう夜も遅いですから、また明日…。』

「待ってください!」

 会話が途切れればあかねの寝不足を心配する頼久が電話を切ってしまうのはいつものことだった。

 もともと頼久は言葉を使うことが得手ではないせいか、毎日電話で話をしていると長電話になるということはまずない。

 だいたい今日一日が無事に過ぎたかと体調の確認、天気の話なんかをすればそれで終わり。

 寝不足にならないようにと電話を切ってしまう。

 それは今日も同じこと。

 あかねは頼久の言葉から電話が切られてしまうとわかった瞬間、思わず叫んでいた。

 今日だけはもう少しだけ頼久の声を聞いていたいと思ってしまったから。

 いつもなら絶対頼久に心配をかけてはいけないと、こんなふうに引き止めたりはしないのだけれど…

『神子殿?どうかなさいましたか?』

 心配そうな頼久の声が聞こえて、あかねはハッと我に返った。

 我に返ったけれど、何を言っていいのかわからない。

『申し訳ありません。』

「はい?」

 突然の謝罪にあかねは慌てた。

 こんなふうに離れ離れになってしまったのはもとはといえばあかねが頼久にどうしても今回の仕事を受けてほしいと言い張ったからだ。

 頼久があかねに謝る必要などどこにもない。

『もう少し私が言葉を得手としていれば、神子殿のお気が済むまで話などしていられるのですが…。』

「そ、そんなの!全然気にしないでください!その……ちょっと声を聞いていたいなって思っただけで…。」

『そのように思って頂いていたのですか?』

「そんな思って頂いていたっていうほどのことじゃないです…その…私こそごめんなさい。」

『何が、でございましょう?』

「私が頼久さんに行ってくださいって言ったのに、声を聞いていたいとかそんなわがまま言って…。」

 鼻の奥がツンとして、涙があふれてきてあかねは言葉を切った。

 このままでは絶対に涙声になって、泣いていると頼久に知れてしまう。

 それだけは絶対にしたくなかった。

『わがままだなどと。正直なことを申し上げれば、私は神子殿のお声をいつまでも聞いていたいと思っておりましたが、神子殿は私の声などなくともよいのかと悲しく思っておりました。』

「そんな!」

『はい、今、神子殿もこうして話をしていたいと思っていてくださっているのだと知ってうれしく思っております。』

「頼久さん…。」

 それが頼久の本心なのか、それともあかねを気遣っての言葉なのかはわからない。

 けれど、頼久の優しい言葉がうれしくて、頼久が自分の声を聞きたいと言ってくれたことがうれしくて…

『神子殿?』

「頼久さん。」

『はい。』

 あかねにはこれが限界だった。

 泣かないことも、頼久と離れていることが平気だというふりをすることも。

 何もかもがもう限界で、ただただ頼久とこうして話をしていたくて…

 あかねの目から涙がこぼれるのと同時に、その唇からは絶対に言わないと決めていた言葉がこぼれていた。

「会いたいです……すごく、寂しいです。」

『…私もです…。』

 いつもよりもずっと低い、かすれそうな声が聞こえて、その言葉がうれしくて寂しくて、あかねはもう何も言えなくなってしまった。

 自分と同じように会いたいと思ってくれているのはとてもうれしい。

 けれど、二人がそう思っていても会うことはできなくて…

『なるべく早く終わらせて、一刻も早く戻りますので、もう少々お待ち頂けますか。』

 つらいのに耐えていたのはあかねだけではない。

 電話の向こうから聞こえるあかねの泣き声に頼久が今すぐ帰国すると言いそうになったことはいうまでもない。

 だが、それを言ってしまえば頼久を送り出したあかねの気持ちも、今までの努力も全てが無駄になる。

 だから頼久は帰国するという言葉を無理やり飲み込んで、待っていてほしいと懇願した。

 そんなふうに頼久に言わせてしまったことが悲しくて、あかねの目からこぼれる涙は止まらない。

「ごめんなさい……私が行ってくださいってお願いしたのに…。」

『いえ、承知したのは私です、お気になさらず。神子殿のお心を無にせぬよう、仕事もきちんと仕上げて帰ります故、もう少しだけ…。』

 会いたい会いたいとそればかり考えている自分とは違って、この人はちゃんと仕事を仕上げることも考えている。

 そのことを思い知らされて、あかねはギュッと両手を握りしめた。

 自分ばかりが勝手なことを言ってはいられない。

 そんなことはわかっていたはずなのに…

「はい、我慢して待ってます。」

 今のあかねにできるのはこうして素直に返事を返すことだけ。

 本当は今すぐ学校を休んで会いに行きますと言いたいけれど、それでは仕事の邪魔になる。

 いや、それだけじゃない。

 仕事をきちんと全うしようとしてる恋人に対して自分は学校を放り出そうというのだ。

 そんな頼久の恋人にふさわしくない真似があかねにできるわけがなかった。

『ありがとうございます。』

 辛そうで、でも優しくて、聞いただけで心が穏やかになるような切なくなるような複雑な声で頼久は心からの感謝を述べた。

 けれど、会話はそこで途切れてしまって…

 今度こそ電話が切られるとあかねが覚悟したその時、思いがけない頼久の声が聞こえた。

『こちらには史跡が多くありまして…。』

「シセキ、ですか?」

 おもいがけない頼久の言葉にあかねは涙をぬぐった。

 いきなり飛び出したシセキという言葉の意味がわからない。

『はい。歴史上の遺跡のことです。私はそれらを回りながら紀行文を書いているのですが、神子殿にもお見せしたいと思う風景がいくつもございました。たとえば…。』

 ゆっくりとではあるが、自分がどんな所へ行き、どんなものを見たかを語り始めた頼久に、あかねは驚いて何も言えなくなってしまった。

 いつも不器用で無口で、女性の気を引くような話をするのが一番苦手な人なのに、今はその史跡について懸命に話している。

 それが自分のためなのだと気付いて、あかねは再び目に涙を浮かべた。

「素敵ですね。」

 目に涙は浮かんでも、今度はそれをこぼすことはなかった。

 おそらくは必死の思いで語ってくれているであろう頼久の話を真剣に聞くためだ。

 途中、頼久が話しやすいようにあいづちをうって、あかねは全神経を耳に集中させた。

 すると、まるで頼久が隣に座って話してくれているようで…

 夜の静けさの中で、あかねは恋人の声を耳に、脳裏に、心に焼き付けるように聞き入るのだった。



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管理人のひとりごと

今回は書いててちょっと…しんどかった(’’)
悲しいシーンはシンドイデス、ハイ
ということで最後は少しだけ幸せ気分。
まあ、朝になればそれもパーって感じの状況ですが…(マテ
どうしても頼久さんを書きたくなったので電話で登場。
いや、ちゃんと電話で話をする場面は予定していたのですよ、本当ですよ(’’)
ちょっと早くなっただけ(コラ
電話で頼久さんを充電したあかねちゃんは翌日からも元気に学校です。
ということで、続きは第七話にて♪
もうしばし、お付き合いくださいませm(_ _)m










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