雲井の余所 第四話
「惜しい。」

「へ?」

「ああ、すみません。あなたの呼んだ名前が俺の名前に近かったので、つい。」

「はあ…。」

「ああ、俺の名は源頼定(よりさだ)というんです。」

「あ、元宮あかねといいます。」

 思わずあかねがペコリとお辞儀をすると、クスッと笑みを漏らして源頼定と名乗った彼も会釈を返してくれた。

「さっきの彼は…。」

「えっと、友達のコンパに付き合って参加していて、その中の一人で、さっきトイレから出てきたところをつかまってしまって…それで、無理やり二人きりになろうって言われて困ってたところでした。助けてくれて有難うございました。」

 あかねは再びペコリと頭を下げた。

 すると頼定は優しく微笑んで首を横に振った。

「たまたま通りかかっただけですし、かっこつけて手を出したのは俺がたまたま武道をたしなんでいたからですので。」

「武道、ですか?」

「合気道を少々。」

「ああ、なるほど。」

 思わずあかねは納得していた。

 確かに彼はあかねを助ける時、全く躊躇がなかった。

 不埒な男に負けるとは露ほども思っていないようだった。

 そんな自信に満ちた態度も少しだけ頼久に似ていたのかもしれない。

「武道なんかかじっていると、今のような場面でかっこつけたくなるものなんですよ。」

 やっぱり綺麗な声だとあかねは心の中でつぶやいていた。

 頼久にそっくり同じその声は、聞けば聞くほど源頼久本人が話しているような気になってしまって、あかねの顔から笑みが消えた。

 目の前にいる人が別人であるという事実が悲しかった。

「大丈夫ですか?」

「あ、はい、ごめんなさい、その……中に戻るのちょっと…。」

 あなたの声が今は会えない恋人の声にそっくりで悲しくなったんですとはとても言えないあかねがそう言ってごまかすと、頼定はなるほどと納得した様子でうなずいた。

 実際、今自分を強引に連れ去ろうとした男がいるコンパの席へ平気な顔で戻れるほどあかねは図太くはない。

 全てが嘘ではなかったが言い訳でもあったあかねの言葉を頼定はすっかり信じたようだった。

「確かにさっきの男がいるところへ戻りたくはないでしょうね。俺が家まで送りますと言いたいところですが、それじゃ今度は俺が怪しい。」

「そんなこと…。」

「いえ、弱っている女性につけこむ男にはなりたくないので、そうですね、最寄の駅まで送ります。そこにお友達を呼んではどうですか?コンパにはお友達と一緒に参加、でしたね?」

「あ、はい…。」

「俺に送られるよりは安全ですよ。」

 優しく微笑んで頼定は歩き出した。

 自然とあかねはその隣を歩き始める。

 ちょっとした気遣いや、あかねへの丁寧な物言いまでが頼久に似ている気がして、あかねの視線が足下へと落ちた。

 酔っ払いが多い人混みの中を二人は駅へ向かって歩いた。

 少しだけ余裕ができて辺りを見回したあかねは絶対に一人ではこの中を歩けなかったと悟った。

 酒が入っている人達はどこか乱雑で、何が起こるかわからないという恐ろしさがあった。

「この季節の週末は新人歓迎コンパとかで社会人も繰り出してきますから、かなり物騒なんで気をつけてください。」

「あ、はい、有難うございます。」

 そういうことかと納得しながらあかねは人混みに流されないように懸命に歩いた。

 あまりの人の数と勢いで、身構えていないとどこまでも流されていってしまいそうだった。

 あかねは必死に、そして隣を歩く頼定はさりげなくあかねを気遣いながら歩くこと十分。

 二人は駅に到着してやっと一息ついた。

 備え付けのベンチに座って、あかねはさっそく天真にメールを出した。

 電話をかけてもいいけれど、事情をその場で説明した場合、天真がぶち切れて同席しているあの男を殴り倒しそうな予感がした。

 だから、ただ事情があって今駅にいるから解散したらこっちへ来て欲しいとだけメールで送信したのだ。

 これなら天真の性格だとメールで何事が起こったのかを問いただすような面倒なまねはしない。

 直接話を聞きに飛んできてくれるはずだった。

「どうです?」

「あ、今メール出したんで、すぐ来てくれると思います。有難うございました。」

「いえ、迎えが来るまでここにいますよ。」

「でも、そんな迷惑…。」

「乗りかかった船ですし、それに、迷惑でもありません。俺も似たようなものなので。」

「はい?」

「友人に付き合わされたコンパから脱出途中でした。」

 そう言って頼定は微笑んだ。

 屈託ない笑顔がとても心地いい人だとあかねは思った。

 頼久も笑うととても優しくて、暖かい気持ちになる。

 頼定も同じように、周りを暖かくするような笑顔の持ち主だった。

 顔は全然似ていないのに、どうしても頼久を思い出してしまう隣の人の申し出をあかねは断ることができなかった。

「頼定さんもコンパで嫌なことがあったんですか?」

 せっかく一緒にいるのだから、楽しい会話くらいは心がけようとあかねが口を開いた。

 すると頼定は一瞬驚いたような顔をしてからクスッと笑みを漏らした。

「頼定さん?」

「いや、下の名前で呼ばれるとは思わなかったので。」

「あ…。」

 いつも頼久さんと呼んでいる勢いで名前で呼んでしまった事に気付いてあかねは顔を真っ赤にした。

 さっき出会ったばかりの他人に対して、確かに今のは慣れ慣れしすぎたかもしれない。

 けれど、あかねが自分の非礼を詫びて事情を説明しようとするよりも先に頼久だが口を開いた。

「嫌なことは別になかったんですが、どうも俺はああいう席が苦手で。酒は強いんですけどね。なんていうか…ああいうテンションの高いのはどうも。ああ、あと、化粧臭い女性は苦手なんですよ。」

 ああ、やっぱり似ているとあかねは思った。

 頼久も天真が言うには酒はザルと言ってもいいくらい強いらしい。

 あかねも頼久が酒に酔ったところを見たことがない。

 京にいた頃は武士団で飲み会くらいはあったのだろうけれど、そういう席に頼久が顔を出しているという話はついぞ聞いたことがなかった。

 たぶんそれは頼定と同じ、そういう席が苦手だからに違いない。

 それに化粧の臭いだ。

 これも頼久はあまり好きではなかった。

 あかねが頼久のために必死になって化粧をしようとしないのはそのせいだ。

 京では焚き染められた香の薫りが漂っていたから、こちらの世界のそういった人工的な臭いは頼久の好みではないらしい。

 そんなところまで似ていると思うと、あかねはつい溜め息をついてしまった。

 隣にいる人は声も、性格もきっとよく似ているのに、顔だけは違っていて…

 いいや、どんなに似ていても源頼久その人でないことは明らかだ。

 そのことが今のあかねには無性に悲しかった。

「どうか、しましたか?」

「へ、ああ、いえ、何でもありません!」

「すみません、俺はその、女性との楽しげな会話というのも得意じゃないので、退屈でしょう?」

「そんなことありません!」

 自分が落ち込んでいてはこの恩人に気を使わせてしまうと気付いて、あかねは姿勢を正した。

 こんなところで落ち込んでいてもしかたがない。

「すみません、助けてもらった上に気を使わせてしまって…。」

「いえいえ、俺はけっこう楽しんでますよ。ヒーローのふりもできたし。」

「ふりじゃないです!ヒーローでした!」

「それはどうも。」

 頼定は嬉しそうに、そして保護者のように優しく微笑んだ。

「私、ほんと、もうちょっとしっかりしないとダメですね。」

「まあ、ああいうのに絡まれないように警戒はした方がいいでしょうね。ただ、元宮さんはそのまっすぐなところがいいと俺は思うので、あまり警戒しすぎるのもどうかなぁ。」

「はぁ…。」

「あ、ナンパに聞こえますね、今のは。どうも俺は何気ない会話というのが得意じゃなくて…。」

「そんな!気を使わないで下さい!大丈夫です!」

「俺は思っていることを正直に口に出してるだけなんですが、どうも女性には誤解されることがあるようで、さっきもコンパで誤解されてしまったので逃げ出したんですよ。」

「誤解、ですか?」

「ええ、友人が黙っていないで何か言えと言うので、とりあえず思ったことを言ったんですが、どうもそれが口説き文句ととらえられたようで、女性の側から猛アタックされてしまいまして。そんな気を持たせるようなことを言ったつもりはなかったんですが、どうも俺は不器用みたいで。」

「ああ、わかります、そういうの。」

 同じような人がつい先日まで側にいたから。

 と、あかねは心の中でつぶやいていた。

 心にもないことを言葉を飾り立てて言うことは決してできない不器用な人。

 けれど、美しいと思えば美しいと言い、尊いと思えば尊いと本人に向かって言ってしまう人。

 それは確かに口説き文句に聞こえないまでも、女性からしたら気に入ってもらっているくらいの勘違いはするかもしれない。

 あかねも頼久のまっすぐな言葉にちょくちょく赤面させられているから、その辺はよく理解できた。

「コーヒーでも飲みますか。」

「はい?」

「俺が喉渇いたんで、ちょっと買ってきます。」

「あ、はい。」

 突然立ち上がった頼定の背をあかねは呆然と見送った。

 ちょうど二人が座っているところからはコーヒーショップが見えていて、頼定がコーヒーを二つ手にするのがあかねにもはっきりと見えた。

 歩み去る後ろ姿はやっぱり頼久のものとは違っていて、コーヒーカップ二つを手に振り返った人は別人で…

 それなのに声だけが源頼久そのひととそっくり同じ。

 あかねは穏やかな笑みを浮かべて戻ってくる頼定を見つめながら、必死に笑顔を作っていた。

「どうぞ。」

「あ、すみません、お金…。」

「気にしないで下さい。」

 代金を支払おうとするあかねにカップを一つ渡して、頼定は経ったままコーヒーを口にした。

 頼久とはこんなふうに外で紙コップからコーヒーを飲んだことはなくて、あかねにはなんだか新鮮に感じられた。

 手にはコーヒーの温かさが伝わってきて、それだけで緊張が解ける気がした。

 もしかするとこの温かさを手渡すためにコーヒーを買ってきてくれたのだろうか?

 あかねがそんなことを考えて両手で紙コップを包み込むように持っているうちに、頼定がいきなり遠くを指さした。

「あれですかね?」

「はい?」

 あかねが立ち上がって頼定の指の先を見やると、そこには人混みを必死にかき分けながら辺りを見回している天真と蘭の姿が見えた。

 数段階段を上った上にいたおかげで二人の姿ははっきりとあかねの目に映ったのだ。

 あかねはなんだか嬉しくなって、二人に向かって大きく手を振った。

「天真君!蘭!こっち!」

 あかねの声に気付いた天真と蘭は、恐ろしい勢いで人混みを掻き分けるとあかねの方へとダッシュした。

 階段を駆け上がり、息を切らせてあかねの前に到着した天真は恐ろしい形相であかねに詰め寄った。

「どうした!何があった!」

「あの、えっと、天真君、ちょっと…。」

 ガシっと肩を掴まれて、鬼の形相で問われてあかねは苦笑した。

 隣の蘭もどうやらご機嫌斜めの様子だ。

「怪我は?怪我してねーだろうな?お前に怪我なんかされたら俺が頼久に殺される!」

「それはないから、大丈夫だから。説明するから天真君、ちょっと離して…。」

「あ?ああ、そっか、わりぃ。」

 どうやらあかねに怪我はないようだと見てとって、天真はやっとあかねの肩を解放した。

「あのね、ちょっとトラブルがあって…でも、助けてもらったのこの人…あれ?」

 あかねは頼定を紹介しようとして隣を見て、そこには誰もいなくなっていることに気付いた。

 ついさっきまでそこであかねを見守ってくれていたはずの人は、まるで最初からいなかったかのように姿を消していた。

 あかねの目に映るのは行き交う見知らぬ人の群ればかりだ。

「どうした?」

「さっきね、トイレに行って出てきたら二人で抜け出してどこか行こうって言われて、断ったんだけど無理やり外に連れ出されたの。で、無理やりどこかに連れて行かれそうになったんだけど、それを助けてくれた人がいて…。」

「誰もいないよ?あかねちゃん、頼久さんの幻でも見たんじゃない?」

「ううん、だってほら、コーヒーおごってくれたし、ついさっきまで側にいてくれたの。自分が家まで送ったんじゃナンパした男と変わらなくなっちゃうからって、二人が来るのを一緒に待っててくれたんだけど…。」

「へえ、紳士だねぇ。」

「うん…。」

 あかねは蘭と会話しながら辺りをキョロキョロ見回してみたけれど、どこにも頼定の姿はなかった。

 けれど、手の中にあるコーヒーはまだ温かくて、その温度だけが源頼定という人が本当に存在したのだと主張している感じがした。

「……殺す。」

『へ?』

 物騒な呟きを発した天真にあかねと蘭が同じ声をあげた。

 見ればすっかり天真の目が据わっている。

「天真君?」

「あのちょっと髪の長い、やたらジャラジャラ首につけてたやつだろう?くそっ、名前も覚えてねー。」

「えっと…。」

「コンパの最中に席立った男はあいつだけだからな。今から追いかけてぶっとばしてくる。蘭、あかね頼む。」

『待った!』

 今にも駆け出しそうな天真を左右両方からあかねと蘭が腕をつかんで止めた。

 そうしなければ天真はたぶん本当にあかねを連れ出そうとした男を追いかけて行ってシャレにならないほど殴りそうだったから。

「お兄ちゃん!私お兄ちゃんが警察のお世話になるとか嫌だからね!」

「危ないことしないで!」

 蘭とあかねは必死になって天真の両腕にしがみつく。

「俺は頼久と約束したんだ、あかねを守るってな。」

 その声はとても真剣で、あかねをはっとさせた。

 もとはといえば自分が不注意だったのだと思うと涙が出そうになる。

「私は……私は大丈夫だから…お願い、行かないで。」

 叫ぶのでも懇願するのでもないあかねの静かな言葉で天真の勢いは削がれた。

「あかね?」

「私は大丈夫だし、これからはちゃんと気をつけるから。もう、帰ろう、ね。」

 そういって寂しそうに微笑むあかねを見てはもう天真もあかねを方って男を殴りに行くことなどできなかった。

 本当に守るということがどういうことなのか、天真にはよくわかっている。

 今はあかねの心を守ってやる時だ。

「わーった。帰ろうぜ。それと、蘭、二度とあかねをコンパには誘うなよ。」

「はーい。」

 やっと落ち着いた天真と、ふてくされたようでいてどこか反省したらしい蘭はあかねを真ん中に挟んで歩き出した。

 なんとか友人のために苦笑を浮かべているあかねが痛々しくて、天真と蘭はあかねの前でひたすらふざけて見せるしかできなかった。

 こんな時、あかねを笑わせることができるのは頼久だけだとわかっていたから。

 そしてあかねは、その脳裏に頼久の姿を描いていた。

 頼久とあかねを守ると約束した。

 その天真の一言があかねの中の頼久を呼び起こしていた。

 だから、あかねの中から源頼定という人物のことはこの時、頭の片隅へと追いやられていた。

 すっかり消えることはなくて、ただ、頭の片隅に静かにその声が横たわったようだった。


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管理人のひとりごと

名前つくほど主張するオリキャラは出したくないなぁと思っているんですがね(TT)
出ちゃいましたので、観念してください(マテ
一応、そっくりさんとか分身みたいな感じではありません。
皆様は三木さんの声だけ想像して読んで頂ければOKです(コラ
外見も全部そっくりにしようかともおもったんですが…
頼久さんみたいな奴、現実にそうそういないんだよ!リアリティ欠けすぎだよΣ(゚д゚lll)
と己に突っ込んでやめました(’’)
声だけならさ、とりあえず三木さんがいるじゃん!←本人だから
どこか一箇所だけなら実際、なきにしもあらず…な気が…しないこともない(’’)








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