雲井の余所 第三話
 時間というものは、全ての人、全てのものに平等に流れ続けるものだ。

 それなのに、あかねのこの一週間は一ヶ月にも感じられた。

 大学へ行けば、新しく始まった講義の数々に慣れるのに精一杯のはずなのに、ふと気がつくと会うことのできない恋人のことを考えている。

 家に帰っても一人で自分の部屋にこもっていることがほとんどだった。

 そうしてまた、会えない人のことを想うのだ。

 あかねが会いたいと思ってやまない源頼久はというと、出発する時に約束したとおり毎日欠かさずメールと電話をよこした。

 ところが、慰めになるだろうと思ったそれらの行為はあかねの心中に巣食った寂しさを増加させていくようだった。

 声は聞けても会うことはできない。

 メールで気遣ってもらえても頭一つ撫でてもらうこともできない。

 そう思うとあかねの寂しさはつのる一方だった。

 朝、目を開けてすぐにあかねは溜め息をついた。

 目を開けて朝だと気付いて一番最初に思うのは頼久さんは今何をしているだろう?ということ。

 ベッドから抜け出してのろのろと着替えを済ませると、顔を洗い、髪を整えて、携帯を片手にキッチンへと向かう。

 そこで携帯を傍らに置いて軽く朝食をとると、また携帯を手に自分の部屋へ戻り、講義に必要なものをカバンに詰め込んで家を出た。

 携帯は手に握ったまま、ゆっくりと大学への道を歩く。

 どうしても携帯を離せないのは、恋人からのメールを待ちわびているから。

 昨日の夜は電話で話もしたし、その後おやすみメールもきた。

 それにきっちり返信してから眠ったのに、あかねはもう頼久からのメールを待ち望んでいた。

 そんなにメールがほしいなら自分から何か話題を見つけて送信すればいいのだけれど、仕事をしに行っている恋人にそんなにしょっちゅうメールを出すのはさすがに鬱陶しいと思われる気がしてなかなか行動できない。

 あかねが本日最初の溜め息をついたその時、携帯の着信メロディが鳴り響いた。

 あかねの手がすぐに携帯を持ち上げて受信メールを確認する。

 もちろん、それは頼久から着信したメールだった。

『おはようございます。こちらは良い天気です。そちらも天気がよければいいのですが。神子殿には今日も健やかに一日を過ごされますように。』

 それはいつも言葉少なな頼久がおそらくは一生懸命打ち込んでくれたメールだ。

 あかねのことを気遣っている言葉ばかりであかねはギュッと携帯を抱きしめた。

「おい、なーにやってんだ?」

 後ろから聞こえた声は天真のもの。

 あかねは慌てて振り返って苦笑した。

「おはよう、天真君。」

「おう。なんだ…ああ、頼久からメールか?」

「うん。」

「返信は教室入ってからにしろ。歩きながらやると転ぶぞ。んで、お前が転んで怪我なんかした日には、俺が帰ってきたあいつに殺される。」

「まさか。」

 わざとふざけて見せる天真にあかねはなんとかふざけて答えた。

 天真の気遣いがわかるから、こんなところで弱っている自分を見せることなんてできない。

「ああ、返信は忘れんなよ。返事が来ないとあいつのことだから首くらいくくりそうだかんな。」

「ないない。」

 あかねは天真と二人、並んでキャンパスへ足を踏み入れた。

 こうして天真が声をかけてくれるから、その一時だけは寂しさが薄れる。

 そのことに感謝しながら天真と分かれ、あかねは教室へ入ってからメールの返信を打ち始めた。

 寂しいとか会いたいとか、そんなことは絶対に書けない。

 だから、こちらもいい天気だとか、大学の講義で忙しいとかそんなことだけ書き込んで送信ボタンを押した。

 本当はもっと色々話したいことがあるはずなのに、本当に話したいことは何一つ書かずに…

 あかねが送信完了の文字を確認して携帯を閉じたその時、教授が教室に入ってきて講義が始まった。

 また一日、源頼久という人のいない日が始まる。

 それはあかねにとって長い長い一日になるのだった。







 午前中の講義が終わって、あかねは蘭につかまった。

 午後からは講義がないからそのまま家に帰ろうと思っていたところを蘭につかまって、二人でランチを楽しんだ。

 その間に頼久から昼のメールが着信して、ひとしきり蘭にからかわれたけれど、あかねはあまり元気に返すことができなかった。

 その様子をすっかり見抜いた蘭はあかねをコンパに誘った。

 天真も一緒だから大丈夫といわれてはあかねも断ることができなくて、結局、あかねもコンパに参加することになってしまった。

 コンパの時間までは蘭のショッピングに付き合わされて、午後も講義が入っていた天真と合流してから三人は夜の街を歩き出した。

「にしても、あかね誘ってどうするよ。」

「何言ってるのよ。頼久さんがいないんだし、あかねちゃんがコンパで楽しむとしたら今しかないじゃない!」

「お前なぁ。」

「あかねちゃん、頼久さんよりいい男見つけたら乗りかえちゃえ!」

「…やめてくれ、俺が殺される…。」

「お兄ちゃんはあかねちゃんのために犠牲になりなさい!」

「お前…容赦ねえな…。」

 じゃれあう二人を見て、あかねはうつむいた。

 天真も蘭も自分を気遣ってくれているのはよくわかる。

 それもこれも自分が落ち込んでいるせいだということも。

 それなのに二人と一緒に騒ぐことができない自分が嫌になる。

「ごめんね、二人とも気を使わせちゃって…。」

「ちょっ、やだ!あかねちゃん!そんなの当たり前じゃない!」

「そうそう、蘭はお前をダシに俺まで巻き込んでコンパに初挑戦でウキウキなんだから気にすんな。」

「お兄ちゃん!」

「それより、ほんと、あかね、お前、少しはハメ外せ。頼久のことばっか考えて落ち込んでたら、倒れっぞ。」

「…うん、そうだね。」

 二人の気持ちはとても嬉しい。

 だからこそ、天真の言うとおりたまには二人とちゃんと楽しまなくては。

 蘭の大学でできた新しい友人がセッティングしたというコンパは、男性5人女性5人の集まりで、全員が大学生だった。

 蘭の友達が中心になって人を集めたらしいが、大学はバラバラだった。

 それでも全員が大学生という環境にあるということで、居酒屋で開始されたコンパはおそらくは普通の流れだったのだろう。

 あかねはコンパ自体が初めてだったからよくわからなかったけれど、天真が常に隣にいてくれたおかげで変に絡まれることもなく、とりあえずの笑顔を浮かべて周囲の話にあいづちをうっていた。

 蘭は天真が時折眉をひそめるくらいに楽しそうに騒いでいて、天真に止められるのも聞かずにお酒も飲んでいた。

 あかねはというと、頼久と一緒じゃなくては安心して飲むことができなくて、ずっとオレンジジュースばかりを飲んでいた。

 集まった女の子はみんなかわいらしく着飾っていて、女子大生なんだなとあかねは感心してしまった。

 当のあかねはというと、頼久と一緒の外出以外はそんなふうにおしゃれをしたことがなかったから。

 男性の方もそれなりにおしゃれには気遣ってきているようだったけれど、あかねにはよくわからなかった。

 天真にこっそり聞いてみると「お前は頼久が基準だからな、あれよりいい男に自分を演出できるやつはいないってこった」といわれてしまった。

 確かに、誰がどんなふうに着飾っていたとしても頼久以上にステキだとは絶対に思わないだろうと自覚して、あかねは小さく溜め息をついた。

 こんな集まりでまで頼久のことを考えていたのではせっかくの天真と蘭の気持ちが無駄になってしまう。

 あかねは軽く首を横に振ると気持ちを切り替えて会話に集中することにした。

 話している内容はたいしたことじゃない。

 最近のアイドルの失敗談、テレビドラマがつまらないというような話、お互いの大学にいる名物教授のこと。

 どれも害もなく益もない世間話みたいなものばかりだ。

 あかねはなんとなく参加してあいづちを打ちながら、ジュースを飲んだ。

 ただそうしているだけでも一人でいるよりはずっとましだった。

 一時間ほどそうして過ごしたところであかねは席を立った。

 別に用事があったわけじゃない。

 ただ、にぎやかな席に座り続けることに少し疲れたのだ。

 女子トイレに入って鏡に映る自分を見て、あかねは深い溜め息をついた。

 鏡の中にいる自分は青白い顔をしていて、とても魅力的とは言いがたかった。

 きっと参加している男の子達はがっかりしたんだろうな。

 心の中でそうつぶやいて苦笑して、あかねは携帯を取り出してみた。

 メールの着信はなし。

 時計を見るともう8時を回っている。

 あかねは物悲しい気持ちで携帯をハンドバッグにしまうと、女子トイレを出た。

 そして、そこで思いがけないことが起きた。

 トイレを出たそこにさっきまで同じテーブルでおしゃべりをしていた男の子の一人が立っていたのだ。

 あかねはぼーっと話を聞いていただけだから、名前さえ覚えていない。

 けれど、その男の子は明らかにあかねを待っていたようで、あかねがトイレから出てくるとすぐに近寄ってきた。

「疲れちゃった?」

「へ、あ、はい、少し。」

「じゃあ、どっかいっちゃおうか?」

「はい?」

 あかねが何を言われているのかわからずに小首を傾げている間に、手首が目の前の男に掴まれた。

 この時点であかねの中で目の前の男の子は男に変わった。

 強く掴まれた手首から恐怖心が競り上がってくる。

 いつもならこんな時は必ず頼久が後ろから男の手首をひねり上げてくれるのだが、その頼久は今は海を渡った遠い国にいる。

 辺りを見回すとついたてが立ててあって店内からは死角になっている。

 助けを呼ぼうにも天真の姿は見ることさえできない。

 あかねはどうしていいかわからないまま、男に手首を引かれて店の外へ出てしまった。

 表に出ると、外は当然のことながら真っ暗で、明らかに赤い顔をした酔っ払いがたくさん歩いている。

 あかねは頼久と一緒に歩いている間は、自分の周りがどんな様子なのか気にしたことがあまりない。

 だから、夜のこういった通りが物騒だということをすっかり失念していた。

「さ、二人でどっかで飲みなおそうよ。」

 あかねの手首を掴んだまま、男は上機嫌で歩き出そうとしている。

 このままだとどこへ連れて行かれるかわかったものではない。

 あかねは慌てて自分の手首を引き戻して、両足にしっかり力をこめた。

「戻らないと…。」

「気にしない気にしない。二人でいなくなればそういうことだってわかるからさ。」

「そうじゃなくて…。」

 せっかく引き戻した手首を再び強く引かれてあかねはよろけてしまった。

 危機感で背中に汗が滲む。

「ごめんなさい!私、ちゃんとお付き合いしている人がいるから!」

 これはもうちゃんとわけを話してあきらめてもらうしかない。

 そう決意してあかねは叫ぶように主張したのだが…

 男はニヤリと笑っただけでひるむ様子もない。

「いいよ、俺は別に。奪い取っちゃえばいい話でしょ。」

 あかねの必死の主張はあっさりと流されてしまい、男はあかねの細い手首を掴んだまま歩き出す。

 当然のことながら、あかねは自分の手首を自分でつかみ、両足を力一杯踏ん張って抵抗した。

「友達にはさ、後でメールで連絡入れればいいじゃん。俺もそうするし。」

「そうじゃなくて…。」

 どうやってもあかねの主張は聞いてもらえなくて、足がよろよろと男に引っ張られるままに動き出してしまう。

 背中を冷や汗が流れて、あかねは息を吸い込んだ。

「いやっ!」

 あかね自身は思い切り叫んだつもりだった。

 けれど、その声は雑踏の中に溶けて消えてしまうほどの大きさにしかならなかった。

 夜の繁華街はにぎやかで、あかねの声などあっという間に雑音の中に消えてしまう。

 当然、男がひるむわけもなくて、あかねはずるずると引きずられるように歩き出してしまった。

 急に鼻の奥がツンとして、脳裏に厳しい表情の頼久がちらついた。

 このまま連れて行かれたりしたら、恋人が帰ってきた時になんと言って言い訳すればいいのかわからない。

 言い訳なんてさせてもらえないかもしれない。

 そこまで考えてあかねの目に涙が浮かんだその時、あかねの背後から伸びた手が男の手首を掴んだ。

「彼女は嫌がっているみたいだが?」

 その声が耳に届いた瞬間、あかねは心の中で「まさか」とつぶやいていた。

 何故なら、その声があまりにも聞き慣れた声だったから。

 驚いて止まったあかねの足と同時に男の足も止まる。

 そして二人は同時に声のした方を見た。

「なんだ?お前。」

「彼女、嫌がってるだろう。そういう無粋なことはよした方がいい。」

「嫌がってるなんてどうしてわか…。」

 抗議を始めた男の手から力が抜けた瞬間、あかねは手を振りほどいて男を掴んで止めてくれた助っ人の後ろに隠れた。

 これであかねが嫌がっていたということは明白だ。

 男は舌打ちすると、あかねを一睨みして店の中へ戻っていった。

「大丈夫ですか?」

「……頼久さん…。」

 あかねは思わずつぶやいていた。

 それはここにいるはずのない人の名だ。

 そして目の前に立っている人物がその名前の主ではないことも承知しているのに。

 ただ、あかねの耳に聞こえてきた彼の声が、あまりにも愛しい人の声に似ていたから。

 けれど、自分の方を振り返ったその人の顔を見て、あかねは悲しげな笑みを浮かべた。

 落ち着いて整った顔立ちの人ではあるけれど、全く頼久には似ていなかったから。

 そう、似ていたのは声だけだ。

 髪だって短いし、背だって頼久の方がうんと高い。

 それなのに、あかねは彼の中に頼久の面影を見ずにはいられなかった。



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管理人のひとりごと

なんかやっぱりわざとくさい展開になってきた気がするΣ(゚д゚lll)
でもめげずに続ける(’’)←始めちゃったら気にしない
オリキャラ出てますが、その辺ももう開き直る(っдT)
連載はどうしても長くなるから出ちゃうんだよなぁ…
その辺はそういうものとあきらめてお付き合いくださいm(_ _)m
頼久さんの声だけそっくりさんが出てきてお話はやっと展開…
これ、何話続くんだろう(’’;という漠然とした不安を抱きつつ…(マテ
まったり管理人がまったりと連載していきます(っдT)
次回は頼久さんの声だけそっくりさんがもうちょっと出てくるかも…









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