破邪顕正 第九話
 空を見上げれば晴天そのもの。

 ゆっくり歩く森の中は木々の葉が激しく照りつける夏の陽射しを遮ってくれて心地いい。

 といっても、森の中を黙々と歩き続ける一行はそんな心地よさを楽しんでいる場合ではなくて、誰の顔にも緊張が見て取れた。

 先頭を行くのは泰明だった。

 ただし、その更に先にはもそもそと動く妙なものがある。

 泰明はその妙なものを追っているのだ。

 泰明の目の前をもそもそと動いているもの、それは腕だった。

 全体に硬そうな毛が生えているその腕は、指だけでもぞもぞと前進していた。

 腕の根元は綺麗な切り口になっていて、血は既に固まっているものの見ていて楽しいものでは決してない。

 それは先日、友雅が切り落とし、泰明が術をかけて動くようにした敵の腕で、その腕は泰明の命令で主のもとへ戻ろうとしているのだった。

 つまり、この腕の後を追っている一同は村に害成す怪物との決着をつけるため、その隠れ家へと移動中というわけだ。

 泰明の後ろに続くのは相棒の永泉、その後ろにイノリ、友雅と続き…

 友雅の後ろには鷹通が、更にその後ろにはあかねと先日あかねを襲ってからあかねにのみなついてしまった子供、そして最後尾には頼久の姿があった。

 本来なら敵へ奇襲をかける戦闘組と怪我人である鷹通やあかね、それに保護した子供を守る留守番組とに別れるはずだった彼らは結局のところ、こうして全員そろって移動するということになっていた。

 何故なら、意外と友雅が切り落としたという腕を見つけるのに時間がかかった上、泰明の術にも時間がかかり、全ての準備が整った頃には鷹通が動けるようになっていた。

 そうなると鷹通が黙って小屋で寝ているはずもなくて、鷹通が戦闘に参加するとなればあかねももちろん、ということになり…

 結局、あかねから離れない子供とあかねの警護が何より大事の頼久も奇襲に参加することになってしまったのだった。

 ただし、もともと留守番組だった一同は、いわば作戦参謀ともいえる鷹通と現場指揮官ともいえる泰明から必ず後方で待機してとりあえずは戦闘の行方を見守るようにと言い渡されている。

 あかねも鷹通ももともと戦闘が得意ではない。

 更に言うなら今回は子供も連れて来てしまっている。

 だから、最初からやる気満々で戦闘に参加するつもりでついてきているわけではなかったから、後方支援の指示にはすんなりと従った。

 ただし、頼久はあかねを守りつつも戦況を見極めて、味方が少しでも危うい状況に陥れば助けに入ることになっている。

 これで準備は万端、作戦は完璧。

 何もかもを整えての元八葉達の出陣だった。

 予想外だったのは初夏だと思っていた季節が少しばかり巡って、陽射しが想像していたよりも強かったこと。

 そして、敵の隠れ家へなかなか到着しなかったことだ。

 泰明を除く全員がおかげでかなり汗をかいていた。

 それが気持ち悪いと愚痴をこぼすことさえできずに一行は黙々と歩いていた。

 敵は近い。

 そのことが泰明の背中からひしひしと感じられたからだ。

 小さな話し声一つが次に起こるだろう戦闘をどれほど不利にするかわからない。

 なんとなくしか言葉の通じない子供にもそれはわかったらしく、あかねの衣の袖を掴んで離さないこの子供もうめき声一つあげることはない。

 そうして黙りこくったまま、前へ前へと歩くこと一時間。

 泰明の前を進んでいた腕が突然走り出した。

 いや、走り出したというのとは少し違う。

 5本の指をまるでムカデのようにもの凄い速度で動かし、これまででは考えられないほどの速度で移動し始めたのだ。

 そこで泰明は後ろからついてくる仲間達に手を上げて、止まるようにという指示を出した。

 動きを早くした腕はすぐ近くの茂みの中へと飛び込み、そのまま姿を消した。

 これは、その茂みに敵がいる、ということだろうか?

 と、あかね達が小首を傾げていると、あかねの傍らにいた子供が「ううっ」とうめき声をあげた。

 どうやら敵の気配を感じて警戒しているらしい。

 あかねが静かにさせようとした刹那、泰明が動き出した。

 掛け声はない。

 指示もない。

 けれど、一同は決戦の時が来たのだとすぐに察した。

 友雅は太刀に手をかけ、イノリは短刀を抜き、永泉が慌てて数珠を手に走り出す。

 追うのは泰明の背中だ。

 泰明は確かに稀代の術者ではあるけれど、実戦となれば友雅の太刀の腕の方に分がある。

 それがわかっているから、友雅も素早く泰明の隣へと駆け寄った。

 彼らを見送ってあかね達は木陰に身を潜め、あかねを背後にかばうように頼久が従った。

 頼久の手も鷹通の手も既にそれぞれの武器に添えられている。

 一気に辺りに緊張が張り詰めた。

 ついさっきまで聞えていたはずの鳥の声もいつの間にか聞えなくなっている。

 あかねは緊張で張り詰めた静寂の中でがさがさと草の鳴る音を聞いた。

 ちょうど走っていった腕が消えたその茂みの周りががさがさと動き始め、そして…

「熊?」

 のっそりと出てきたその姿にあかねは一言だけつぶやくようにこぼして息を飲んだ。

 熊というにはあまりにも大きいその体は京では背が高い方に入る頼久の身長の軽く倍はあった。

 目がぎらぎらと異様な光を宿していて、左の腕は肘から先が切断されている。

 その傷から血がしたたっているのは、今動いたせいでふさがりかけていた傷が開いたからだろう。

 腕が切り落とされていることからも、この大熊があかね達の探していた敵であることは間違いない。

 切り落とされた腕の方を見つけた時から敵はかなりの巨体だと覚悟はしていた一同も、さすがに身の丈3メートルもあろうかという熊を前にしては息を飲まずにはいられなかった。

 それでも、武人である友雅と頼久、そしておそらくは初めから敵の正体をなんとなく掴んでいたであろう泰明はすぐに我に返ると、各々武器を手に身構えた。

 一瞬遅れてイノリと永泉も我に返ったところで熊が襲い掛かってきた。

「急々如律令!」

 泰明の声が響き、その手から呪符が飛んだ。

 その呪符は大熊の足に絡みつき、その動きを封じた。

 動きが自由にならなくなった熊はいらだたしげに大声で吼える。

 その声は地響きのように振動となって空気を伝わり、あかねの肌をざわつかせた。

 慌てて耳を塞ぐあかねのそのすぐ側にいた子供は、まるであかねを守るかのようにあかねの前に立った。

 そんな姿を見せられてはあかねも悲鳴をあげたり怯えたりなどしていられない。

 耳から手を離し、深呼吸を一つしてしっかりとあかねが熊へと視線を戻すのを見て、頼久はかすかに笑みを浮かべた。

 あかねがあまりに怯えるようならもう少し離れなくてはと思っていた頼久だったが、あかねが龍神の神子であった頃と同じく、目の前の脅威に立ち向かう姿勢を見せたことにどうしてか胸が高鳴った。

 京の女性達とは違うそんなあかねの強さや優しさに自分は惹かれたのだ。

 そう頼久が再認識している間に戦闘は始まった。

 泰明が熊の足を止めたのをきっかけに、友雅とイノリが左右に分かれて一度に攻撃を開始したのだ。

 イノリが短刀を構え、友雅は腰の太刀を抜いて切りかかる。

 ところが、その刃は二つとも熊の腕の一振りで遮られてしまった。

 一撃でイノリの手からは短刀が飛ぶ。

 イノリの短刀を薙ぎ払いながら自分の方へと飛んでくる見たこともない大きな手に友雅は刃を振り下ろした。

 だが、その刃は熊の腕のほんの上辺を傷つけただけで振り払われた。

 太刀が持っていかれるほどの力を感じてその刃を瞬時に引いたのは友雅の腕があったればこそだ。

 尻餅をついて痛がっていたイノリは友雅が刃を引いて後ろへ下がるのを見ると、跳ね飛ばされた短刀に飛びついて、次の瞬間には友雅の隣へ走っていた。

「ふ、二人とも……。」

「神子殿、ご心配にはおよびません。我らは獣などよりよほど性質の悪い敵と戦って、これまで勝ってきたのです。」

 不安そうにしているあかねに頼久が声をかければ、あかねはしっかりと一つうなずいた。

 頼久は何もあかねを安心させるためにとっさに思いついたことを言ったわけではない。

 頼久自身、イノリも友雅もこの程度の敵相手に負けるとは露ほども思っていない。

 それほど、元八葉達への信頼は厚いかった。

「友雅!どうする?あいつの力、尋常じゃねーぞ。」

「わかっているさ。ここは知恵袋殿のお知恵を拝借したいところだが。」

 友雅とイノリはじりじりと熊から距離をとり、泰明と並んで背後の気配を探った。

 友雅が背後を気にしたのはそこに鷹通がいたからだ。

 知恵を拝借したいと言われた鷹通は少しの間何か考え込むと、すぐに相棒に伝えるべき答えを見つけ出した。

「敵の気を反らせて、その間に急所を狙ってください!急所は眉間です!」

「承知した!行くぞ、イノリ。」

「おうっ!」

 友雅がかけた声はそれだけ、何故なら鷹通からの指示は泰明と永泉にも聞えていたからだ。

 当然のように永泉が笛を吹き始め、泰明が何か口元で呪文を唱え始めると、熊がいらだたしげに声をあげた。

 永泉の笛の音や泰明のなんらかの術が熊の気を苛立たせているらしい。

 もちろん、友雅はこの二人がこうやって熊の気をそらせてくれることを予想して既に走り出している。

 熊が声をあげて暴れている間に間合いをつめて急所へ一撃入れようというのだ。

 ところが、人の倍もある熊は暴れついでに辺りにあった枯れ木や石、しまいには土の塊を手当たり次第に掴むとどこを狙うでもなく投げ始めた。

 イノリは俊敏に、友雅はこんな時まで優雅にそれをかわしながら熊へと近付いていく。

 そして木陰に隠れていたあかねはというと…

「きゃっ。」

 小さな悲鳴をあげたのは木陰から身を乗り出して友雅とイノリの戦いを夢中になって見ていたら、そこへいきなり枯れ枝が飛んできたので驚いたからだ。

 そんなあかねを背後にかばい、次々に飛んでくる枯れ枝から後ろにいる大切な人を守ろうと、あかねの側から決して離れないあの男の子が飛んでくる枯れ枝に噛みつこうと歯をむいた。

 もちろん、そんな危険なことを頼久がさせるわけがない。

 男の子の襟首を掴んであかねの方に押しやった頼久はすぐに綺麗な鍔鳴りの音を響かせて抜刀すると、あっという間に飛んできた枯れ枝を全て真っ二つに切り裂いた。

 頼久はからからと音を立てて地面に落ちた枯れ枝を眺めやって、それからまだあかねを背にかばおうとしている子供へと目を移した。

 幼いながらにも恩人を守ろうとするその心意気は頼久を微笑ませた。

「すまぬが、お前にも神子殿をお守りする役目を譲るつもりはないのだ。」

「頼久さん…。」

 思いがけない頼久の言葉にあかねが頬を赤くすると、頼久はそんなあかねに笑顔を見せてから刀を一度鞘へおさめるとそのまま熊の方へと向き直った。

「鷹通殿、神子殿を頼みます。」

 言うが早いか駆け出した頼久は飛んでくる枯れ枝を避けながらまっすぐ熊へ向かって進んでいく。

 あかねは自分を守ろうとしてくれているらしい子供を抱きかかえると、木陰に身を潜めている鷹通の側へと身を寄せた。

 今、戦いを見届けようと身を乗り出せば、頼久に心配をかけることになる。

 頼久がいない間に怪我をするなんてとんでもない。

 だから、あかねは微笑を浮かべてうなずいて見せてくれた鷹通の側で、子供を守ってじっとしていることにした。

「友雅殿!」

 あかねの耳に響いたのは、走りながら叫んだ頼久の声だった。

 暴れる熊がめちゃくちゃに投げている枯れ枝を巧みによける頼久を援護してイノリが熊を更に牽制、友雅は頼久と合流して太刀を振り上げた。

 大熊は狂ったように吼え、生臭い息を吐き、物を投げるだけでなく、めちゃくちゃに一本の腕を振り回し始めた。

 けれど、その動きは敵を見据えて狙っているわけではないから、友雅と頼久がかわすのはたやすい。

 二人は巧みに熊の腕をかわすと、懐に飛び込み、友雅は残っている熊の右腕へ向けて太刀を下から振り上げ、頼久は熊の眉間を狙って太刀を突き上げた。

 腕がどさりと切り落とされ、次の瞬間、断末魔の悲鳴が辺りに響き渡ったかと思うと、大熊は地面へドッと音を立てて倒れた。

 すぐに頼久が暴れようとする熊の側面に回りこむと、太い首を一刀のもとに切り落とす。

 それは、もちろん手負いのまま放置しておけば危険だということもあるが、このまま苦しまずに死ねるようにという頼久の配慮でもあった。

「やはり頼久は腕がいいな。私ではその急所は突けぬよ。」

「御謙遜を。」

「それに、首を落とす手際も見事だ。神子殿に苦しむ獣の姿を見せたくはない。」

「……。」

 太刀についた血を払いながら苦笑する友雅に頼久は溜め息をついた。

 確かに、獣が苦しみもだえる姿をあかねには見せたくない。

 だが、それと同じくらい、獣の死体もあかねには見せたくないというのが頼久の本音だ。

「頼久さん?みんな、大丈夫ですか?」

「ああ、神子殿、みんな無事だから、安心しておいで。それと、こっちへ来てはいけないよ。万が一にもこいつが生きていて暴れだしたりしてはいけないからね。」

「あ、はい。」

 首を落とされて生きているなどということがあるわけはない。

 つまり、友雅は頼久の心中を思いやったわけだ。

 そのことに気付いて頼久が友雅へ軽く会釈をすると、友雅は軽く手を上げてそれに答えて茂みの方へと歩き始めた。

 そこは、熊が潜んでいた茂みだ。

「おい、頼久、友雅なにやってんだ?」

 短刀を懐へしまいこみながら近付いてきたイノリは茂みへと消えていく友雅の背を見つめながら小首を傾げた。

 頼久は自分も太刀を鞘へおさめながらそれには答えなかった。

 答えはすぐにわかる。

 この大熊が本当に探していた敵だとすれば…

「間違いなかったよ。」

 頼久が想像していたとおり、友雅はすぐに戻ってくると開口一番そう告げた。

「何が間違いなかったんだよ。」

「ん?この茂みの向こうにはちょっとした洞穴があってね、そこに人の骨やらなにやら、色々転がっていた、ということさ。」

「うげぇ…。」

「さぁ、仕事はこれで終わりだ。我らが神子殿のもとへ戻ろうか。」

 すさまじいものを見てきた人間とは思えない朗らかさで、友雅は颯爽と歩き出した。

 せっかく着替えていた衣も再び返り血で赤く染まっていたけれど、そんなことを感じさせない足取りで歩く友雅にイノリと頼久は同時に溜め息をついた。

「かなわねーよなぁ、友雅には。あれが生粋の貴族ってやつだよな。」

「いや……。」

「頼久はそうは思わねーのか?」

「あの方は特別だ。普通の貴族なら血を見た時点で卒倒している。」

 イノリにそう言い放った頼久は、友雅の背を追って歩き出した。

 まずはあかねの無事を確認しなくては。

 そう思っていた頼久に鷹通にうながされて木陰から出てきたあかねの笑顔が見えた。

 返り血を浴びていても、獣相手とはいえ命を一つ奪った後であったとしても、あかねの笑顔は頼久の心を優しく包み込んでくれた。

 そんなあかねの笑顔のもとへ、頼久だけではなく、戦いを終えた元八葉全員がその口元に笑みをともしながら戻っていくのだった。



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管理人のひとりごと

はい、戦闘終了です\(^o^)/
あとは後日談があるのみ。
予告編を御覧頂いた方はおわかりと思いますが、あのシーンが入ります(笑)
ある意味、管理人が一番書きたかった部分です(’’)
お役目を果たした一行ですから、思いっきり羽根を伸ばしてもらおうと思います!
皆様にも一緒に羽根を伸ばして頂ければ幸いですm(_ _)m









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