ニコニコと微笑むあかねの様子に、皆が一様に頬を緩ませていた。
鷹通の負傷、あかねの気絶、そして血まみれの友雅。
どれも仲間が欠けるような大事ではなかったけれど、心穏やかな出来事でもなかった。
だから、あかねが微笑んでいるその様子は八葉の一同にとって一時の安らぎとなっていた。
鷹通はまだ褥の上に座している状態で、あかねは額が赤く腫れていたりする。
更に友雅はというといつもの美麗な衣裳とは正反対の姿をしているというこの状況は、安らいでいていい状況とは思えないのだが…
それでもやはりあかねの微笑は八葉の面々に笑顔をもたらした。
「それにしても、よくなついたものだね。」
村人から着物を借りているせいで、艶やかな姿と衣裳が全くつりあっていない友雅はそう言って苦笑を浮かべた。
あかねは照れたように微笑んだだけで膝に乗っている小さな頭を優しく撫でていた。
「神子殿の優しいお心が伝わったのでしょう。」
褥の上で優しく見守っている鷹通の言葉に永泉と頼久が深くうなずく。
「そ、そんなことないです…私、子供好きだから…。」
「最初からあかねはこいつには手出しすんなって頼久に言ってたわけだしな。そういうのってきっと子供には伝わるんだと思うぜ。」
「そう、なのかなぁ…。」
「おう。」
胸をはるイノリにあかねは嬉しそうにうなずいた。
そんなあかねの膝の上には今、小さな子供の頭が乗っている。
子供はすっかり安心した様子で眠っていて、小さな手はあかねの膝の辺りの衣をしっかりと握っていた。
この子供、実はあかねを襲い、頼久によって峰打ちにされたあの子供だった。
気絶させられていた子供は鷹通が養生している小屋に運び込まれ、あかねと鷹通に看病されることになったのだが、さすがに二人だけでは大変だろうと永泉が村人達に協力を頼んだ。
はじめのうちこそあかねを襲った恐ろしい敵だと思っていたらしい村人達は協力を拒んでいたが、永泉の説得で何人かの女性が子供の世話をしようと申し出てくれた。
その女性達が気絶している子供をまじまじと見つめ、そして目の前の子供が3年ほど前に神隠しにあった子供だと気付いた。
女性達の話では、当時まだ幼子だったその子供を抱いて母親が山へ山菜を取りに入り、そのまま神隠しにあって戻らなかったのだという。
その、母と共に消えた幼子、それがあかねを襲ったこの子供だった。
つまり、母を失った幼子はその後、自力で3年もの間生きてきたということになる。
目を覚ました子供は当然のように暴れだしたが、それをあかねがなだめた。
子供にとっては村の女性達は見知った顔のはずだったけれど、どうやら幼すぎた子供の記憶に村人達の顔は残っていなかったようで、とにかく小屋から逃げ出そうと暴れ続けたのだが、それをあかねがなだめ続けた。
言葉もろくに通じない子供にあかねは笑顔で説得を試みたのだ。
結局のところ、女性達が用意した食べ物で子供の興味を引き、あかねが優しく接することで子供はなんとか暴れるのをやめ、与えれた食べ物にかじりついて一段楽したのだが…
問題はその後だった。
子供の父親は妻と子供が神隠しにあったその気苦労のせいで他界しており、子供の血縁は既にこの村にはなかった。
それでも、母親の友だったという女性達が子供の面倒を見ると申し出たのだが、子供の方がそれを拒絶した。
そして、旧知のはずの女性達を拒絶した子供はあかねだけになついたのだ。
食べ物を食べ終わってからはあかねの側から離れず、疲れたのかそのうちあかねの膝にすがるように眠ってしまって今に至る。
あかねはというと自分になついてくる子供がかわいくてしかたがないらしく、常に笑顔で子供の面倒を見ていた。
「お母さんと離れ離れになってきっと今まで一人で頑張ってきたんだよね。だったら、私が側にいることでちょっとでも安心したりしてくれると嬉しいなぁ。」
「安心してるに決まってるって。こんな顔して寝てるしな。」
「そうだねぇ。神子殿の膝はさぞかし寝心地がいいと見える。そうなのだろう?頼久。」
「友雅殿……。」
ここぞとばかりに頼久をからかう友雅に頼久は深い溜め息をついた。
まあ、こんなふうに冗談を言ったりできるのも、こうして全員が無事にそろうことができたから、と思えば怒るべきではないのだが…
「それにしても、表で騒ぎが起きていたというのに何もできず、申し訳ありませんでした。」
「そ、そんな!鷹通さんは怪我をして休んでたんですから!そんなこと気にしないで下さい!」
落ち込む鷹通に必死に主張するあかね。
ところが、あかね以外の一同はというと…
慌てて唇に人差し指を当てていた。
「神子殿、大きな声を出すとその子が起きてしまうよ。」
「あっ……。」
あかねが慌てて両手を口に当てると、八葉の面々はにこりと微笑んだ。
慌ててあかねが様子をうかがえば子供はすやすやと眠っている。
「なかなか肝の太い子だね。」
「そりゃまぁ、森の中で今まで一人でやってきたってんだからな。」
頼もしそうに子供を見つめる友雅の言葉にイノリはまるで自分のことのようにそう言うと大きくうなずいた。
イノリにしてみれば、あかねの膝で眠っている子供も自分も、そして自分を慕ってくれている京の子供達もそう大差はないらしい。
「それにしても、神子殿はきっと良い母におなりですね。」
「そ、そうですか?」
「はい、初対面の子供、しかも、人を信じることができずにいた子供をあっというまになつかせてしまうのですから、神子殿の御子として生まれる子はさぞかし幸せなことでしょう。」
鷹通はそう言って目を細めた。
母、という存在に思い入れの強い鷹通であればこそ、あかねのそういった資質をよく見抜いているようだった。
ところが、評価された当の本人はというと…
「全然自信ないんですけど…でも、いいお母さんになれるといいなぁとは思います。」
「なれますよ、神子殿なら。」
「それはどうだろうねぇ。」
いきなり話に割って入ってきたのは友雅だった。
あかねなら良い母親になるに違いないとイノリも永泉も頼久も、鷹通の発言にうなずいていただけに友雅のこの言葉には目を丸くした。
誰よりもあかねのそういった部分を評価しそうな友雅の発言とも思えない。
そんな友雅の顔には飄々とした笑みが浮かんでいた。
「友雅殿は神子殿が良い母にはなれないと思っておられるのですか?」
「それ以前の問題だといってるんだよ、鷹通。」
そう言って友雅は視線を頼久の方へ向けた。
つられるように、あかね、鷹通、イノリ、永泉の視線が頼久へと向けられる。
頼久は明らかに不機嫌そうな表情で友雅を睨みつけた。
こういう態度の友雅の発言はろくなものじゃないとこれまでの経験で学習済みの頼久だ。
「みんな一つ大切なことを忘れていやしないかい?」
面白そうに言う友雅の言葉にあかね達は顔を見合わせて小首を傾げた。
ただ一人、頼久だけは憮然とした表情で黙り込んだままだ。
「友雅殿、我々が何を忘れているとおっしゃるのですか?」
「おや、我らが知恵袋の鷹通でもわからないかい?神子殿が良い母になるためには子が必要だということだよ。」
「あ…。」
声をもらしたのはあかねだった。
友雅の言うことはもっともで、子供を生まなければまず母親になることができないということに今更のように気付いたからだ。
そして、友雅はというとニヤリと不敵な笑みを浮かべて頼久をじっと見つめていた。
「まあ、そもそも母親になれるかどうかは神子殿がどうというよりは頼久の方に責任があるのだろうけれどね。」
「友雅殿…。」
友雅が何かと頼久をからかって楽しむのはいつものことだ。
だから、頼久は軽く受け流して溜め息をついた。
その瞬間…
「神子は子が欲しいのか?」
「へ…。」
今まで黙っていた泰明が突然口を開いた。
しかも、発言が突拍子もないので、声をもらしたあかねはもちろんのこと、誰もが目を丸くした。
「えっと…欲しいといえば欲しいんですけど……泰明さん、作ってやるとか言いませんよね?」
「私が神子に作ってやるのは問題があるのではないか?」
「そ、そういう意味じゃなくて!こう、いつもみたいに術でぱぱっととか…。」
「そのようなことはできぬ。」
「……。」
あかねにはこの泰明のそのようなこと、のラインがどうにもよくわからない。
式神を使ってあれやこれややることも、あかねにしてみればじゅうぶんに『そのようなこと』の中に入る。
「泰明殿、神子殿は欲しいけれどもまだできないことが少々残念だと思っていらっしゃるだけで、泰明殿に作って欲しいとおっしゃっているわけではありません。」
慌ててフォローに入ったのはいつものごとく永泉だ。
「そうなのか?神子。」
「え、まぁ…。」
「そうか。子はそのうち、神子の体の備えが整い、気が満ちればできる。」
「そう、なんですか?」
「そうだ。まだ今は神子の体が整わぬゆえ、授からぬだけのこと。見れば神子の身の内には頼久の気も見える。できる時にはできる。」
「そうなんだ。」
ちょっとだけほっとしたようにあかねが息を吐いた。
頼久と共に暮らし始めてからけっこう時間がたった今でも子供がいないというのは、それはそれであかねにとっては確かに少しばかり気になる事態ではあった。
何しろ頼久は源氏武士団の若棟梁という世間的にも立派な立場のある人で、やがては棟梁になるといわれている。
ということは、当然のことながら跡取り息子が欲しいと思っていることは間違いない。
頼久だけじゃない。
頼久の父やその他、武士団のみんなも立派な跡継ぎをと思っているに違いないということはあかねにもよくわかっていた。
だから、泰明にこうまで断言してもらえれば、今はまだ子供がいなくても問題ではないのだと安心することができた。
そんなあかねはともかくとばかりに友雅は扇を手にニヤリと口元にまた不敵な笑みを浮かべた。
「神子殿の身の内に頼久の気が見える、ねぇ。」
「友雅殿、何か?」
「いや、少々心配していたのだが、まぁ、頼久もやる時はやるものだと思ってね。」
「なっ…。」
頼久とあかねが全く同じタイミングで同じような声を漏らしたので、友雅はクスクスと笑いをかみ殺した。
そんな友雅にイノリと永泉は目を白黒させ、鷹通は呆れたような深い溜め息をついた。
「友雅殿、神子殿と頼久は同じ屋敷で生活する妻と夫なのですからそれくらい当然のことです。ここでことさらおっしゃるほどのことではないでしょう。」
「わざとことさらに言ってみたのだよ。」
「趣味の悪い。」
「趣味が悪いのか?友雅は。」
「悪いですね。」
すっかりあきれ返っている鷹通は泰明の素朴な疑問にも即答だった。
そんな相棒に肩をすくめて見せて、友雅はやっとその口を閉ざした。
どうやら心ゆくまで頼久をからかったものらしい。
「そもそも、我々は友雅殿のからかいに付き合うために集まったのではないのでは?」
「そうだ!これからどうするって話、するんじゃなかったのかよ。」
「そ、そうだよね。」
鷹通が水を向ければイノリとあかねが真っ先に身を乗り出した。
あかねの膝を枕に眠っている子供は結局のところ村人を襲った犯人ではなかった。
真の敵には友雅達が遭遇していたのだ。
その真の敵について話し合うために一同は身動きできない鷹通の周囲にこうして集まった。
もちろん、友雅もそのことを忘れていたわけではない。
ただ、ここからは深刻な話をしなくてはならない。
ならば、そんな話の前には少しばかりくつろぎの時間もあっていいのではないか?
そんな時間を作り出せる人物がいるとすれば、この面々では友雅しかいない。
そういった友雅の心遣いに気付いて鷹通は苦笑しながら口を開いた。
「友雅殿とイノリ、永泉様、泰明殿は神子殿がこの童に襲われている間に違う敵に遭遇したというお話でしたね?」
「ああ。たぶん、陽動などではないよ。この子はおそらく、自分のことだけ考えて人が少なくなった隙を狙って我々から食べ物でも奪い取ろうと思って出てきたのだろう。それに、我々が相手にした敵は人の言葉を解するとは思えない様相だったしね。」
「様相、とは?」
「さて、身の丈は我々の倍よりももっとあっただろう。全身が毛のようなものに覆われているように見えた。」
「あと、なんか獣みたいな叫び声をあげてたぜ。」
「獣…泰明殿はどのように思われますか?」
「あれは人ならぬものであることは間違いない。おそらくは獣であろう。だが、獣であるとすればあまりに大きく、力も強すぎる。」
「そうですか……先手を打ちたいところですね…。」
鷹通は顎に手を当ててなにやら考え始めた。
誰もが固唾を呑んで見守る中、友雅がぱちりと開いていた扇を閉じた。
「腕を一本切り落としたはずなのだが、泰明殿、何か役には立てられないものかな?」
「持って帰ったのか?」
「いいや、けれど、陽射しがあれば探し出せると思うがね。なにしろ大きな腕だった。」
「……。」
今度は泰明が考え込んだ。
どうやら友雅の読みは当たっているようだ。
「泰明殿、何か手の打ちようがありますか?」
「腕が見つけ出せれば、それを使って敵の居場所を突き止めることは可能だ。」
「そのような術が…。」
「ある。だが、その先はどうする?」
「敵は夜になると活動を開始するようですから、昼のうちに敵を奇襲すれば勝機はあるように思います。」
「獣であればなおさら、昼の方が我らに分があるか。」
「そういうことです。」
鷹通と泰明の間で話が進んでいくのを一同はぼーっと眺めているだけだ。
何しろこの二人に任せておけば、良い作戦が出てくることは間違いない。
ただ一人、永泉だけが何か自分にもできることはないかとおろおろしていた。
「二手に分かれる必要がありますね。」
「それには私も同感だよ。敵を知っていることだし、私とイノリは奇襲組に回してもらおう。鷹通はまだ動けぬだろうし、童を連れ歩くわけにもいかない。童は神子殿につききりだろうし、だとすると神子殿も留守番組だろう。となればここの警護は頼久に任せるより他ない。」
「なるほど、必然的に追跡組は術を使うことのできる泰明殿、その背を守る永泉様、敵に接触した経験があり戦力として見込める友雅殿とイノリということになる、と。」
と、頼久。
「私はそう思うが、我らが知恵袋殿はどう考える?」
「……異存ありません。」
少しだけ考えて鷹通は友雅の提案を受け入れた。
どう考えてみても友雅の人選が最善のように思えたからだ。
ただ一人、納得していないように見える頼久も、あかねを守れといわれてしまえば抗えるはずもなく、こうして一同の次の一手は決定した。
「そうと決まれば、まずは腹ごしらえ、しようぜ。目が覚めたらまたそいつも腹減ったって言いそうだし、オレ、食いもんもらってくる。」
そう言ってイノリが行動を開始すれば、残る面々もすぐに行動を開始した。
泰明と友雅は腕を探しに外へ、永泉はおろおろしながらも泰明の後に従った。
頼久は念のため安全を確認すべく見回りに出て、鷹通は次の戦いにはなんとか役に立てるようになろうと褥に横になった。
そしてあかねはというと、ただひたすら膝にすがりついたまま眠っている子供の髪を撫で続けた。
そうしていることこそが今自分にできる唯一のことだと、あかね自身がよく理解していた。
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