破邪顕正 第七話
 頼久の太刀にかすかな手ごたえが伝わってきた。

 本気で攻撃することのできない頼久が牽制のつもりで放った白刃は敵をかすったようだった。

 刃にかすかに血がついていることを確認しながら、頼久は素早く動き続ける敵の気配を探るのに必死だ。

 今まで遭遇したどの敵よりも動きの素早い相手は獣のような俊敏さではあるが、一瞬見えた姿は鬼とも人とも獣ともつかなかった。

 あかねが頼久に敵を殺すことを禁じたのはおそらくそのためだと頼久は気付いていた。

 敵は想定していた鬼でもなければ獣でもない。

 どちらかといえば人に近い姿をしているのだ。

 しかも、予想していたよりもずっと小柄だ。

 人の姿をした小さな敵だからといって気を抜いていいわけでは決してない。

 敵の凶暴さと見た目が比例するわけではないことを頼久はこれまでの経験でよく知っている。

 けれど、頼久にとってはそんな経験や知識よりもあかねの言葉が優先するのだ。

 だから絶対に敵を殺すことはできない。

 と同時にあかねを守らなくてはならない。

 頼久は瞬時に相手の気配を探りながらあかねの位置を確認すると、今どうすべきかを計算した。

「神子殿、お早く、中へ。」

 それが頼久の下した決断だった。

「はい!」

 今度ばかりは頼久の言うことを聞いてすぐに行動したあかねは、もう少しで小屋の扉に手が届くというところで息を飲んだ。

 足が反射で止まり、体が後ろへと傾く。

 一瞬の間にあかねの目の前には小さくうずくまりながら上目遣いにあかねを睨む敵の姿があった。

 すぐ間近に迫った敵の顔を見て、あかねは目を丸くした。

「神子殿!」

「やめて!」

 頼久があかねの名を叫ぶのとあかねが目の前の敵に向かって叫ぶのとは同時だった。

 そして次の瞬間、あかねはうめき声をあげて後ろへとのけぞっていた。

「神子殿!」

 頼久は思い切り太刀を振り抜いた。

 もちろん、あかねにその刃が達することがないように間合いははかっている。

 あかねには刃を当てず敵だけを斃す。

 それは冷静な頼久であればたやすいことだが、今の頼久には難しい仕事だった。

 あかねに刃を当てず、更に敵を殺さず、あかねを傷つけようとする敵を排除する。

 頼久以外の人間には到底無理と思われる仕事を、だが、頼久は成し遂げた。

 成し遂げたのだが…

「神子殿!」

 敵の呻き声を聞きながら太刀越しに手ごたえを感じた頼久は、迷わずあかねへと駆け寄った。

 焚き火に照らされて仰向けに地に倒れているあかねは目を閉じている。

 頼久は無意識のうちに太刀を手放し、あかねの体を抱き上げると真っ青な顔で口を開いた。

「神子殿!神子殿!」

 絞り出すような頼久の叫び声が辺りに響き渡った。

 その腕の中にあるあかねはぐったりとしたまま動かない。

 血が流れるほどの傷は見られないが、頭を強く打ったものか、あかねは一向に閉じた目を開けようとはしなかった。

 ただ腕の中にある小さな体が温かい。

 それは生きているという証。

 その証にすがるように頼久はあかねの大切に大切にかき抱いたまま、叫び続けた。

「神子殿!」

 顔面蒼白のまま動揺の極致に在る頼久と気を失ったままのあかねのもとに最初に駆け付けたのは友雅だった。

 息を切らせて駆けつけたその姿は、返り血を浴びていつもの優雅な姿からは考えられない修羅のごとき様相だ。

 しかも、その顔にはあの穏やかな微笑は欠片ほども浮かんでいなくて、きつく引き結ばれた口元と細められた目が恐ろしいほどだった。

 奥の歯を強くかみしめているのだろう、こめかみの辺りに力が入っているのも見て取れた。

 次に駆けつけた泰明は、すぐにあかねの傍らにかがみこむと、その様子をうかがう。

 いつも表情を変えない泰明も、その顔には苦々しい表情が浮かんでいた。

 それはあかねの容態のせいではなく、あかねをこんな状態にしてしまったという己の力のなさへの憤りのようだった。

「泰明殿、神子殿は…。」

「大事ない。おそらく頭を打って気を失っているだけだ。気の巡りは問題ない。」

 そうは言うものの、泰明の表情は晴れない。

 頼久はその泰明の表情があかねはもう目を開けないと言っているような気さえして、腕の中にあるあかねの体を抱きしめた。

「神子殿…どうか目を開けてください…どうか………あかね。」

 形のいい小さな耳の傍でそう囁くようにつぶやいた頼久の声は、あかねの目をゆっくりを開けさせた。

 そのことに抱きしめている頼久よりも先に気付いた友雅と泰明が安堵のため息をついた。

 そして…

「頼久、さん?」

「神子殿!」

 耳に届いたあかねの声に、頼久はあわててその身を離し、やっとあかねの開いた目を覗き込んだ。

「神子殿……よかった……。」

「あれ……今、名前、呼んでくれた気がしたんですけど……。」

「やっと目を開かれた我らの姫君が最初に気にすることがそれとは、さすがは豪胆と言おうか。」

 柔らかな友雅の声に反応してあかねが視線を巡らせれば、そこにはあでやかに笑ってはいるもの、血まみれの友雅の姿があった。

「と、友雅さん!怪我……いたっ…。」

 慌てて頼久の腕から体を起こそうとして、あかねはすぐに額に手を当てると顔をしかめた。

「神子殿!」

「私は大丈夫。ちょっと頭を打ったというか、ぶつけられたというか……それより友雅さん!」

 いたわる頼久よりもすぐそばに倒れている小さな敵よりもまずは血まみれの友雅が気になってあかねは痛む額に手を当てたまま立ち上がった。

 長い髪もきらびやかな衣も何もかもが血まみれの友雅はこちらも血まみれになっている抜身の太刀を手にしたまま苦笑を浮かべた。

「神子殿に心配してもらえるならこの姿も悪くはないと思っていたけれどね、残念ながら私は無傷だよ。」

「残念なんてそんな……え?じゃあその血は…。」

「返り血という奴だね。」

「えっ!」

 あかねは慌てて側に倒れている小さな敵へと視線を移した。

 けれど、友雅に返り血を浴びせるほどの怪我を小さな敵は負っていないようだ。

「神子殿、あれは峰打ちに致しましたので打ち身程度はありましょうが、大きな怪我はさせておりません。」

「え、でも今、友雅さん返り血って…。」

 何がどうなっているのかわからないあかねが心配した頼久に肩を抱かれながらきょとんとしていると、泰明と友雅が素早く足元に転がっている小さな敵の姿を凝視した。

「違う。」

 先につぶやいたのは泰明だ。

「違うね。これは少しばかりわかりづらい姿をしてはいるがおそらく人の子だろう。私が切ったのはもっととんでもなく大きな姿をしてる人ならぬものだったしね。」

「はい?じゃあ……。」

「敵が二手に分かれて襲ってきたということでしょうか?」

 混乱しているあかねの代わりに結論を導き出したのは頼久だ。

 けれど、その結論には泰明が首を横に振った。

「いや、これはただの人だ。先ほど我らが相手にした敵は人ではなかった。関係があるとは思えぬ。」

「さて、この者があれを操っていたという可能性もないではない、のではないかな?泰明殿。」

「それもない。あやつはただ人ならぬものというだけで術の生み出したものではない。誰かに操られているというわけではなかろう。」

「えっと…。」

 泰明と友雅の間であかねと頼久にはわからない会話が続く。

 そんな中、二手に分かれたはずの残る二人、永泉とイノリが戻ってきた。

「どうだった?」

 何があったのかと二人が地面に倒れる小さな敵の姿を見つけて口を開く前に泰明の声が二人をとらえた。

 何がどうなっているんだという視線を永泉、イノリとあかね、頼久が互いに交し合っている間に友雅が太刀の血を払い鞘へ納める音が辺りに響く。

「ああ、えっと、追いかけてはみたんだけどな、足が速くて逃がしちまった。」

「怪しげな気配は感じませんでしたので気配をたどることもできず…申し訳ありません。」

「できぬことはできぬのだ。問題ない。」

 泰明はいつもの調子を取り戻すと、地面に倒れている小さな敵をしげしげと覗き込んだ。

 よくよく様子をうかがう泰明には今話しかけても無駄なようで、残る一同は互いに顔を見合わせて小さなため息をついた。

 どうやら深刻な怪我人は出ていないようだ。

 ただし、あかねの額は赤く腫れていたし、友雅の姿は見るも無残なことになってはいたのだが…

「それにしても、よく頼久はこれを殺さなかったものだ。私なら神子殿に襲い掛かった時点で問答無用で切り捨てていただろうに。」

「それは……。」

 友雅の言うことはもっともだった。

 武士たるもの、主が危険にさらされたとなれば全力で敵を排除するのが常識だ。

 頼久はその武士を束ねる立場にある者。

 八葉にも選ばれた屈指の武士なのだ。

 その武士が主を危険にさらされながら敵に手心を加えるというのはあまりほめられた行為ではなかった。

「私がお願いしたんです。殺さないでくださいって。」

「神子殿が?」

「はい、ちらっと見えたんです、その子の顔。それで、子供が村の人達が言っているような残忍なことをするわけがないし、第一できないし、だったらその子は犯人じゃないんじゃないかって思って…。」

「なるほど、真犯人は他にいると神子殿は考えたわけだ。」

「はい。」

「さすがは神子殿、慈悲深く思慮深き見事な御判断です。」

 嬉しそうに微笑んだのは永泉だった。

 どうやら他の一同も永泉と同じ見解らしく、誰もが皆満足そうにうなずいた。

「そ、そんなたいしたことじゃないんですけど…。」

「いや、神子は正しい。事情はわからぬが、神子の言うとおりこの者がこれまでの事件を起こした化け物とは考えられぬ。」

 小さな敵を見下ろしていた泰明はそう言って目の前の小さな体を抱き上げると小屋へ向かって歩き出した。

「泰明さん?」

「人ならば介抱が必要であろう。頼久ほどの手練れの一撃を受けたのだしばらくは目覚めまい。その間は鷹通の隣にでも寝かせておく。」

「わ、私、看病します!」

 恐ろしい敵ではないとわかったとはいえ、それでも自分達を襲ってきたものに違いはない。

 子供であってもそんな危険の伴う存在を怪我人と二人きりにするわけにはいかないとあかねは慌てて泰明の後を追った。

「頼久、ついていた方がいい。相手が子供とはいえ、目覚めてやはり神子殿を襲おうなどという気を起こしたら怪我をしている鷹通一人の手には負えないだろうからね。」

「そう致します。」

 友雅に促されて頼久も慌ててあかねの後を追った。

 するとその場に残されたのは友雅、イノリ、永泉の三人のみだ。

 三人は顔を見合わせて苦笑すると深いため息をついた。

「おい、友雅、オレ達はどうすんだよ。」

「まぁ、とりあえずは我らが知恵袋殿にこれまでの事の成り行きを知らせるべきだろうねぇ。」

「鷹通殿なら何か新たに気付くこともあるかもしれません。確かに事の成り行きを知らせるべきでしょう。」

「オレ、何がなんだかいまいちわかってねーんだけど?」

「なに、敵はどうやら一人ではない、というより、神子殿を襲ったあの子供が我らの予想外の闖入者と考えるべきなのかもしれない。」

「闖入者?」

「まぁ、その辺は鷹通の推論を聞くとしよう。神子殿の警護は頼久に任せるとして…。」

 友雅は途中で言葉を切るとイノリと永泉をじっと見つめた。

 彼らが相手にした敵についての詳しい話は鷹通の前ですることになるが、予想していたものと敵の正体は多少なりとも違っていた。

 それについても皆で話し合う必要がある。

 ただ、実際に敵に一太刀浴びせた友雅は、イノリが取り逃がしたというその敵が強大だということを身をもって知った。

 気を抜くことができないのはもちろんのこと、覚悟を新たにしなくてはならないことも悟っていた。

「なんだよ、友雅。」

「イノリも敵の姿を少しは見ただろう?」

「ああ……とにかくでかかったってのはわかった。あと、なんか獣の遠吠えみてぇな声が聞こえた。」

「それは私が腕を切り落とした時の声だろうね。」

「腕、切り落としてたのかよ!」

「まあね。」

「だから逃げ出したのか、あいつ…。」

「腕を一本切り落としたくらいで解決するような問題でもないだろう。頼久が神子殿につききりになるということは我々が主だった戦力になるということだ。」

「わかってるって。」

「あれは一筋縄でいく相手ではなかった。イノリも敵を前にしたら気を抜かず、かなわぬと思ったら逃げなさい。」

「逃げ…。」

「永泉様も。」

「はい。」

 抗議しようとしたイノリに対して永泉はゆっくりと一つうなずいた。

 そんな永泉と友雅の表情を見て、イノリは抗議しようとしていたその言葉を飲み込んだ。

 逃げなければ本当に殺されるかもしれない。

 今敵に回している相手はそういう相手なのだ。

 イノリは友雅がその事実を知らせようとしたのだと気付いて両手をかたく握りしめた。



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管理人のひとりごと

お待たせしております、連載第七話でございます(><)
二手に分かれたからなんだか書くのに時間がかかってしまいました…
友雅さん側の戦闘を書くつもりは最初からなかったんで、こんなに手間取るはずじゃなかったんだけどなぁ…
計算が甘いのは管理人、いつものことです(’’)
今回は頼久さんがその腕前をぞんぶんに使ってあかねちゃんの望みをかなえたところでございます!
拍手御礼SSにもあった予告の場面もちょっと手を加えた状態で投入されております。
あとは事件解決とその後のお話を残すのみ!
なのに年内に終わると思えない(゚Д゚|||)
申し訳ありませんが、もう少々お付き合いくださいませm(_ _)m









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