記念日 前編
 千尋は小首を傾げながら回廊を歩いている。

 どうして、どこへ向かっているのかといえば、リブが呼びにきたからアシュヴィンの部屋へ向かっている途中だ。

 なんのために呼ばれたのかは全くわからない。

 リブに聞いても自分も聞かされていないと言われてしまった。

 アシュヴィンはわがままなところも気ままなところもあるけれど、政務が忙しい中、自分勝手を無理に通したりはしない。

 特に常世の皇となってからは発狂するほどの書類仕事に耐えることもあるほどだ。

 それなのに、今日はなんだか突然千尋を呼んでこいとリブに物凄い剣幕でまくしたてたらしかった。

 千尋のもとへ駆け込んできたリブは息さえ切らせていて、本当に慌てて飛んできたといった様子だったのだ。

 結局、そんな状態で駆け込んできたリブのお願いを聞かないという選択が千尋にあるわけもなくて、リブに連れられてアシュヴィンのもとへ急行することになった。

 そして…

「お、来たか千尋。」

 リブに促されてアシュヴィンのいる部屋へ一歩足を踏み入れて、千尋は息を飲んだ。

 何やら楽しそうな笑顔を浮かべているアシュヴィンの前には、所狭しと色とりどりの布が散らかり放題に散らかっていたのだ。

「アシュヴィン、いったいこれ……。」

「リブ、ご苦労だったな。」

 そういわれてリブは苦笑を浮かべながら一礼すると、あっさり千尋を部屋の中へ残して去っていってしまった。

 ご苦労だったなといわれたということは、もうここにいる必要はないといわれているのだと付き合いの長いリブにはすぐにわかったらしい。

 千尋はというとそんなアシュヴィンとリブとのやりとりの間も、足の踏み場もない状態に唖然とするばかりだ。

「何してるの?これは何?」

「何と言われても、何に見える?」

「布。」

「布だな。」

「……。」

 千尋はしばらくじっと楽しげなアシュヴィンを見つめて、それから深い溜め息をついた。

 時折、悪戯坊主のように見えるアシュヴィンがどうやら本領を発揮しているらしいと気付いたから。

「布なのはわかったけど、なんでこんなにいろんな布が散らかってるの?って聞いてるの。」

「お前はどれがいい?」

「はい?」

 すっとんきょうな声をあげながら、千尋はなんだか前にも同じようなやり取りをしたような気がしていた。

 確か新しくしつらえる衣装か何かの色をこうして問われたことが前にもあったような…

「白はよかった。お前には白はやたらと似合う。だがな、青も捨てがたいと思っていたんだ。色々と布を取り寄せてみれば浅葱や紅も捨てがたくなった。」

「……それってもしかして…私の衣装の話?」

「それ以外になんの話だというんだ?」

「アシュヴィンの、とか……。」

「俺の?」

 困ったような千尋の一言に驚いて目を丸くしたアシュヴィンは、次の瞬間クスクスと笑い出した。

「な、何がおかしいの?」

「俺はこのままでかまわんさ。」

「そんないことないよ。私ばっかりおしゃれしてるのはなんだかおかしいもの。アシュヴィンも同じ色の衣装を仕立てて着てくれるなら私もどんな衣装でも着てあげる。」

「ふむ、そろいの衣装か……悪くないな。」

 アシュヴィンはそういいながら一番近くあった燃えるような紅色の布を手に取ると、千尋の方へと歩み寄り、二人の体をくるりと布で巻いてしまった。

「アシュヴィン?」

「こんな感じだな。」

「ちょっと違う……。」

 急に愛しい人との距離が縮まって、顔を赤くしてうつむく千尋。

 そんな千尋を布ごと抱きしめてアシュヴィンは満足気な笑顔だ。

「そうだな、たまには紅もいいかもしれん。どうだ?この色は。」

「あ、アシュヴィンが似合うと思うならどんな色でもいいから、私は…。」

「ほぅ、殊勝なことを言ってくれるな、俺の妃殿は。」

 楽しくてたまらないというふうにそう言って、アシュヴィンは千尋の顔を上向かせる。

 碧い瞳に捕らえられると、その体を絡め取っているのは確かに自分の方なのに心の方は千尋に絡めとられてしまう気がした。

「紅色にもお前の金の髪はよく映えるな。白い肌と、それに何よりその瞳が。」

 囁くようにそういいながら、アシュヴィンは千尋に口づける。

 燃え盛る炎のような紅はかつてこの世界を救うための戦いに勝利した女神にはよく似合って、その女神が自分の腕の中にいるのだと思えば幸せで…

 アシュヴィンは唇を離してからもしばらく千尋を抱きしめたまま解放しようとしなかった。





「アシュヴィン…。」

「なんだ?」

「なんだ?じゃなくて、どうしてこんなことになってるの?」

「こんなこと?なんのことだ?」

「どうしてまた謁見の間でこの状態なのか?って聞いてるの。」

 千尋はその顔いっぱいに不機嫌そうな表情を浮かべてアシュヴィンをにらみつけた。

 どうしてかといえば、現在千尋の体があるのはアシュヴィンの膝の上で、そのアシュヴィンはというと謁見の間の玉座に座って千尋の体を膝に乗せて上機嫌なのだ。

 だが、千尋はどうして今この状態で謁見の間にいなくてはならないのか、何も聞かされてはいない。

「似合うな。」

「何が?」

「やはり、お前は紅もよく似合う。」

 アシュヴィンはそう言って膝の上の千尋をよくよく見つめて満足そうな笑みを浮かべた。

 先日、急に呼び出されて選んだ紅色の布は見事に今、千尋とアシュヴィンの体を包む衣に仕立てられて、今日は朝からアシュヴィンの希望で、千尋もその衣を身に着けていた。

 つまり、おそろいの衣装を着て謁見の間に二人きり、千尋は夫の膝の上というわけだ。

「こんな立派な衣装を着て、謁見の間で、どうしてこの状態なの?って聞いてるの!」

「結婚記念日だ。」

「……なに?」

「だから、結婚記念日を祝う。」

「………結婚記念日って言ったの?今。」

「さっきからそう言ってるぞ。」

 千尋は眉間にシワを寄せるアシュヴィンを見つめて、それから溜め息をついた。

 似たような会話を前にも交わしたことがあると思い出したからだ。

 間違いなく、結婚記念日などというものはこの常世には存在しない。

 ということは、絶対にアシュヴィンにその風習について情報を吹き込んだ人物がいるのだ。

 そしてそれが誰なのか千尋には予想できまくりだった。

「また風早でしょ?風早が私が育った国ではそういう風習があって、結婚した日を毎年祝うんだとか説明したんでしょ?」

「いいや?」

 何を言い出すのかといった顔でアシュヴィンに否定されて、千尋は小首を傾げた。

 結婚記念日なんて絶対に豊葦原にもあるわけがない。

 だからそんな話を聞かせたのは風早だと確信していたのに…

「えっと……じゃぁ、誰に…。」

「那岐だ。」

「……。」

 そうだった、あっちの世界に一緒にいたのは風早だけではなかったのだったと思い出して千尋は本日二度目の溜め息をついた。

「それで、那岐はアシュヴィンになんて説明したの?結婚記念日のこと。」

「妻は美しい衣装で着飾り、一族郎党、呼べるだけの者を招待し、できうる限り贅沢な宴で結婚の日を祝うのだと聞いたが?違うのか?」

「……。」

 違う、全然違う。

 これはもう間違いなく那岐がご馳走食べたさと千尋への悪戯のつもりでアシュヴィンに吹き込んだに違いない。

 そう一瞬でわかったのだけれど、千尋には上機嫌のアシュヴィンにそれを告げてしまえば、せっかくの気分のいい時間を台無しにしてしまいそうで、どうしてもはっきりということができない。

 でも、このままにしておくと、それこそアシュヴィンはみんなの笑いものになりかねない。

 千尋がどうしたらいいかわからずに悩んでいると、アシュヴィンは困ったような苦笑を浮かべて千尋の頬をそっと撫でた。

「嘘、なのだろう?」

「…知ってたの?」

「ああ、とんでもない有力者じゃない限り、どの世界でもそんな大掛かりなことができるとは思えん。どうせお前を独り占めにしている俺への嫌がらせだろうとは思ってたさ。だから、宴は小さなものにしておいた。招待したのも風早と那岐の二人だけだ。」

「え?嘘だって知ってたのに二人は招待したの?」

「あの二人はお前の家族のようなものだろう?だから招待しておいた。結婚して一年たったからな、お前も家族とゆっくり話したいこともあるだろう。まぁ、俺としてはせいぜい美しい俺の妻を見せびらかしてやるとするさ。」

「アシュヴィン…。」

 なんだかんだ言いながらもけっきょく自分のことを考えてくれているアシュヴィンの首に千尋はギュッと抱きついた。

 普段はまるで風早や那岐を親の仇のように嫌っているように見えるのに、こういう時はちゃんと気を使ってくれる人なのだ。

「なんだ、ずいぶんと機嫌がよくなったものだな。」

「アシュヴィンが優しいから。」

「気難しい妃殿に褒めて頂けるとは光栄の極み、だな。」

「気難しくなんかないんだから。」

「で、本当はどんな日なんだ?」

「え?」

 ぷっとふくれていた千尋は急な話の展開についていけずに小首をかしげる。

「結婚記念日とやらだ、本当は何をする日なんだ?」

「年に一度、結婚の誓いを立てた日を夫婦二人きりで祝う日ですよ。子供がいると子供も一緒に祝ってくれたりします。」

「風早!」

 急に姿を現した風早に千尋が満面の笑みを浮かべた。

 ちょくちょく顔を見せてくれてはいても、やはり風早との再会は千尋にとって嬉しいものだ。

 だが、アシュヴィンにとっては複雑な状況であり…

「ほぅ、それはいいことを聞いた。宴のあとは夫婦水入らずで祝わせてもらおう。」

「宴って、宴の準備もしてあるの?」

「ああ、小さな宴だがな。せっかくお前が美しく着飾ったんだ、宴くらい開かずにどうする。」

「う、美しくはないけど…。」

「いえ、とってもよく似合ってますよ。千尋は。」

「千尋は、な。」

「ええ、千尋は。」

 顔には微笑を浮かべながら視線だけで音を立てそうなほどぶつかり合うアシュヴィンと風早の間で千尋はキョトンとした顔で小首をかしげた。

 この二人、いつも会話の息はぴったり合っているのにどうして仲良く見えないんだろう?

 千尋がそんなことを考えていると、風早の背後から面倒くさそうに那岐が姿を現した。

「那岐!」

「なんてカッコしてるんだよ、千尋。」

「え、似合わない?」

『まさか。』

 慌てる千尋にアシュヴィンと風早の声が重なった。

 二人は苦笑を交わしているが、ただ一人那岐が深い溜め息をつく。

「服じゃないよ、その状況のこと。」

 言われてよくよく見れば、千尋は今、アシュヴィンの膝の上に座っているという状況だ。

 千尋は慌ててアシュヴィンの膝から真っ赤な顔で飛びおりた。

「ふ、二人ともようこそ。ゆっくり楽しんで行ってね。」

 慌てて引きつった笑みを浮かべる千尋を風早は暖かく見守り、那岐は深い溜め息をつきながら見守った。

 そしてアシュヴィンはというと、着飾った千尋と風早達二人とを見比べて満足気な笑みを浮かべていた。




              後編へ







管理人のひとりごと

ということで、麻里子様に捧げるキリ番リクエスト短編前編でした♪
千尋ちゃんを独り占めの殿下はちょっと余裕が出てきましたよ(^^)
風早父さんや那岐小姑には負けません!(マテ
しかも今回は那岐の嘘を見破りました!(オイ
風早父さんにいいことを教えてもらったので、夫婦水入らずは後編で♪







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こちらはキリ番10万Hitを踏んで下さった麻里子様よりアシュヴィンと千尋の甘いお話でというリクエストを頂き、完成した作品となります。閲覧はどなたでもご自由ですが、麻里子様のみお持ち帰りが自由となります。キリ番を踏んで下さった麻里子様へ感謝と愛を込めて、管理人紫暗より捧げさせて頂きますm(_ _)m