
けっきょくのところ、全てはアシュヴィンの思い通りになったんじゃないだろうか?
と窓辺で月を見上げながら千尋は今日一日を振り返っていた。
朝からアシュヴィンとおそろいの生地で仕立てられた衣装で着飾った千尋は、まずアシュヴィンの膝の上で家族同然の風早と那岐を迎えることになった。
アシュヴィンは結婚記念日のお祝いをしてくれるつもりで二人を呼んでおいたらしいが、いくら大好きな旦那様とはいえ、膝の上に乗って家族同然の二人に会うというのは千尋にとってかなり恥ずかしい経験だった。
だったけれど、一度二人と別れた時のアシュヴィンの顔があんまり満足で嬉しそうだったものだから、千尋はとうとうそれについてアシュヴィンにきつく言うことはできなかった。
その後はすぐにアシュヴィンが宴の用意をしてくれていて、主催者のアシュヴィン、その妻の千尋、そして招待された千尋の家族とも言える風早と那岐、それにアシュヴィンの家族とも言えるリブ、本当に家族のシャニやナーサティアを交えての宴が始まった。
常世の皇夫妻の宴としては驚くほど規模の小さなものだったけれど、それはアシュヴィンの千尋への気遣いだった。
たまにはごく親しい者だけでゆっくりと楽しくくつろいで。
そんなアシュヴィンの気遣いのおかげで、千尋は本当にくつろいだ一時を過ごすことができた。
風早や那岐と一緒に食事をするのは本当に久々で、いつもより料理がおいしく感じたほどだ。
それに、なんといっても最年少のシャニはとてもはしゃいでいて、そんなシャニの相手をする風早がまるで祖父のようだとアシュヴィンにからかわれたほどだった。
賑やかな宴は日没まで続けられて、すっかり日が暮れた頃に解散になった。
風早と那岐は常世で一泊することになっていて、心置きなく遅くまで騒いだあとは与えられた部屋へおとなしくおさまった。
というのも、珍しく酒の類を飲みすぎたらしい風早の足下がふらついていたので、那岐が抱えて部屋へ戻るハメになったからだ。
本当は千尋が部屋まで送ると申し出たのだけれど、それは怒ったような顔のアシュヴィンに止められて、困ったような顔の風早に断られた。
どうして二人がそんな顔になったのか千尋にはわけがわからなかったけれど、どうやら一人事情を把握したらしい那岐が珍しく面倒そうではあっても自分から風早の介抱をかって出たので事は穏便に収まったのだった。
宴が解散すればあとは休むだけなのだが、千尋はアシュヴィンに自分の部屋へ戻ったら用意してある衣装に着替えてこいと言われていた。
だから、部屋へ一度戻ったのだけれど、用意してあるという衣装がまだ届いていなくて采女を待っているというわけだ。
窓の外にはもう月がすっかり昇っていて、宴が終わった今はとても静かだ。
千尋も宴で少しはしゃいでしまって、体はすっかり疲れているけれど、今日一日を風早たちまで招待して自分のために色々してくれたアシュヴィンに部屋を訪ねてきてほしいと言われては断るわけにもいかない。
自分が育った世界の風習にならって気配りしてくれた旦那様に今度は恩返しをしなくては。
そう思って千尋が眠い目をこすっていると、そこへやっと白い衣を手に采女がやってきた。
「申し訳ございません、せっかくの記念の日とうかがい、すっかり準備に時間をとられてしまいまして…。」
「いいの、気にしないで。そんなに一生懸命するほどのことじゃないし…。」
「何をおっしゃいます、陛下が何日も頭を悩ませてお選びになった衣装とうかがっております。やはり美しく着飾り、陛下を喜ばせて差し上げませんことには。」
「そ、そうなんだ…。」
何日も悩むほどのことじゃないのにと千尋が苦笑しているうちにも采女たちは真っ白なふわりとした衣を千尋に着せ付けてくれた。
髪には青い花の髪飾りが飾られ、綺麗に髪が整えられる。
そして最後が…
「それは…。」
「香油でございます。せっかく記念の日の夜を陛下と二人でおすごしになるのですから。」
と、張り切る采女に香油を塗られ、千尋は「ハイ完成」と言われた。
せっかく記念の日の夜を夫婦水入らずで過ごすのは確かにそうなのだけれど、こんなふうにあからさまといわんばかりのおめかしはこれが初めてで、千尋の顔がほんのり赤く染まった。
千尋がそんなふうに可愛らしく照れていられたのはほんの一瞬のこと。
アシュヴィンが待っているからと千尋はすぐ采女に連れられてアシュヴィンの寝室へと連行されてしまった。
部屋の前まで連れてこられてはもう中へ入るしか選択肢はない。
ごゆっくりと言われて笑顔で采女にさっさと立ち去られてはもうどうしようもなくて、千尋はそっとアシュヴィンの部屋へと足を踏み入れた。
部屋の主アシュヴィンはというと、上着を脱ぎ捨て首元をはだけさせたラフな格好で寝台の上に足を放り出して座っていた。
もちろん、ただ座っていたわけではなくて手には竹簡が見えた。
千尋を待つ間、仕事を片付けていたことは一目瞭然だった。
「アシュヴィン…。」
「やっと来たか。ずいぶんと待たせてくれるから仕事を片付けてたんだが、これは待ったかいがあったな。」
「そう?」
「ああ、せっかく俺が選んだんだ。もっと近くでよく見せてくれよ。」
ニコリと機嫌よさそうに笑ってそう言われてしまっては千尋が抵抗できるはずもなくて…
そっと千尋が寝台へ近づけば、アシュヴィンはさっと千尋の腕をつかんで自分の方へその体を引き寄せた。
当然のようにバランスを崩してアシュヴィンに倒れこんだ千尋は少しだけふくれた顔でアシュヴィンを見上げる。
「危ないじゃない。」
低い声で千尋がそう文句を言ってもアシュヴィンは愛しそうに目を細めるばかりだ。
「よく似合っている。それに…。」
「なに?」
「いい香りだな。」
「ああ、これね。さっき塗られたの、香油。」
「ほぅ。」
無邪気に答える千尋にニヤリと笑ってアシュヴィンはその首元に鼻を寄せるとすっと息を吸い込んだ。
「ちょっ、アシュヴィン!」
「なるほど、花のようないい香りだ。お前にはよく似合う。」
「そ、そうかなぁ…。」
「ああ。」
愛しそうに目を細めるアシュヴィンに千尋が顔を赤くしてうつむいた。
「今夜はまたずいぶんとおとなしいじゃないか。」
「それは…アシュヴィンが私のために色々してくれて嬉しかったから、今日くらいは仲良く楽しく過ごしたいし…。」
「今日は妃殿にとっていい一日になったようだな。」
「もちろん!アシュヴィンが色々準備してくれたし、風早や那岐も呼んでくれて、本当に今日はありがとう。とっても嬉しかった。」
千尋の顔に花が咲いたように華やかな笑みが浮かんだ。
心の底から喜んでいることがわかる笑顔だ。
アシュヴィンは満足そうに微笑んで千尋の髪をなでた。
「気難しい妃殿がそれほどまでに喜んでくれるなら、これくらいの宴、毎年開いてやるさ。」
「だから、気難しくないったら。」
「いつも俺は説教ばかりされてる気がするんだが?」
「それはアシュヴィンが私を怒らせるようなことばかりするからじゃない。」
「それは……まぁ、そう、だな。これからは気をつける。」
これは逃げ場なしとばかりに苦笑するアシュヴィンに満足気に微笑んで見せてから、千尋は広い胸にもたれた。
するとアシュヴィンが優しく抱きしめてくれる。
「この衣装、アシュヴィンが作ってくれたのね。」
「ああ。昼間の衣装もよく似合っていたが、やはり白も捨てがたかった。青も考えたんだが、やはり一日の終わりは白にしたんだ。」
「最近のアシュヴィンは衣装のことばかり考えてるのね。」
「お前の衣装だからだ。俺のはどうでもいい。」
「でも、今日のおそろいの衣装はちょっと嬉しかったの。またおそろいで着てくれる?」
「妃殿が望んでくれるならな。」
そう言ってアシュヴィンは千尋に軽く口づけると小さな体を抱きしめた。
ふわりと香油の薫る妻の体はほのかに温かくて心地いい。
こんなにやわらかいと、少し力を込めただけで壊してしまいそうだと思いながらもアシュヴィンは少しだけ千尋を抱く腕に力を込めた。
「結婚記念日をこの世界でこんなふうにお祝いできるなんて思ってもみなかったなぁ。」
「お前が育った世界にそのまま残っていたら色々できたのだろう?これくらいは夫としてしてやらないとな。」
「どうかなぁ。向こうの世界でもこんなにステキな記念日にはならなかった気がする。」
「ほぅ、それは、俺が褒められていると思っていいのか?」
「もちろん、褒めてるの。アシュヴィンは向こうの世界でもこっちの世界でも一番の旦那様なんだから。」
「嬉しいことを言ってくれるな。お前だって最高の妃だと思ってるぜ?何しろ、この世界を救った龍の姫で、異界からやってきた奇跡の姫でもあるしな。何より、お前はこんなに美しい。」
アシュヴィンがそう言って再び千尋に口づけを贈ろうとしたその時、その胸元から小さな寝息が聞こえてきた。
そっと千尋の顔をのぞきこんでみれば、自分の胸に抱きついたまま幸せそうな顔で眠っている顔が…
アシュヴィンは小さく溜め息をつくと、千尋の体をそっと自分の方へと更に抱き寄せて、やわらかな布をかぶせてやった。
今夜は二人きりで艶やかな夜をと思っていたあてが外れたのは予想外だったが、それでも自分の腕の中で眠るこんな幸せそうな寝顔を見せられては起こすことなどとてもできない。
思い起こせば昼間の千尋はずいぶんいつもよりはしゃいでいた。
常世の皇の妃になってからはそれでも、ずいぶんとおてんばは減っていて、今日も以前よりはおとなしくしていたような気がするが、それでも普段よりは騒いでいたから疲れたのも無理はない。
純白の衣装に身を包み、花の香りのする妻は最高に魅力的だが、ここは夫として妻の眠りを守ってやろうと心に決めて、アシュヴィンは千尋の額にそっと口づけを落とした。
妻の眠りを守ると胸の内に誓っても、アシュヴィン自身にはなかなか眠りは訪れてはくれなくて、その瞳はいつまでも愛しい妻の幸せそうな寝顔を見つめ続けるのだった。
翌日、目を覚まして慌てて千尋は優しく自分を見守るアシュヴィンの視線に気付いて、テレながらも熱っぽい口づけを夫へ贈った。
めったに自分からは積極的に口づけなど贈ってくれない妻の行動に、アシュヴィンは一夜、妻の眠りを守り続けた自分に感謝するのだった。
管理人のひとりごと
ということで、キリ番頂きましたアシュヴィンの甘いお話、これで完了でございます\(^^)/
麻里子様、キリ番リクエスト有難うございましたm(_ _)m
あまり甘い感じにはなってないかもしれませんが…(^^;
アシュヴィンと千尋の初めての結婚記念日のお話でした。
せっかくなので風早と那岐、リブなんかもちょこっと出てもらいました(笑)
お楽しみ頂ければ幸いです(^^)
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