≪はじめに≫
こちらはキリ番160000を踏んで下さいました愛逢月さまより頂きましたキリ番リクエスト短編となります。閲覧は何方様もご自由ですが、お持ち帰りは愛逢月様のみとさせて頂きます。よろしくお願い致しますm(_
_)m

頼久はゆっくりと目を開けた。
けだるい眠気を何度かのまばたきで追いやって意識をはっきりさせてみれば、目に入ってきたのは見慣れた屋敷の天井だった。
巡らせた視線の先が既に明るいのは夜明けからだいぶ時間が経っていること示している。
まだ薄暗いうちから起き出して鍛錬を欠かさない頼久がこれほど明るくなってから目覚めることは珍しかった。
寝過ごしたかと一瞬焦り、勢いよく上半身を起こしてから頼久はそういえばと、やっと昨日のことを思い出した。
昨日、頼久は仲間と共に京に跋扈していた盗賊の一味を見事捕縛した。
都に賊が出るのは珍しいことではないけれど、その賊が左大臣の遠縁の者まで襲ったとなると黙ってはいられない。
左大臣から直々に命を受ければ左大臣に仕えている頼久達武士団の面々は一刻も早い解決をと賊捕縛に乗り出したのだ。
その賊の問題が思いのほか早期に解決したのは頼久達の活躍があったればこそということで、頼久を始め今回の事件解決に力を尽くした武士団の面々には休みが与えられたのだった。
もちろん、そう長い休みではないが、それでも今日と明日、二日の間はゆっくりできる予定だった。
だから、頼久の神経はいつものように朝早く起きることを拒絶したのだ。
珍しく手に入れた休みを妻の屋敷でゆっくり過ごせるというのに、暗いうちから起きて鍛錬などして、愛しい妻の眠りを覚ましてしまってはと頼久の無意識が判断したものらしい。
そう思い至って、頼久はまだ休んでいるはずの妻の姿を隣に探した。
ところが、いつもは幸せそうにすやすや眠っているあかねの姿はそこにはもうなかった。
あかねはあまり朝が得意な方ではないから、たいていは頼久よりも後に起きる。
そのあかねがもう褥にいないということはそれだけ頼久が朝寝をしたということになる。
頼久は小さなため息をついて起き上がると、手早く着替えを始めた。
あかねが起きた気配に気づかないとは、どれほど油断して眠りこけていたものか。
もちろん、愛しい妻の気配と賊の気配とでは同じ気配でも雲泥の差がある。
安らぎを感じるあかねの気配で目が覚めなかったとしても別段問題はないのだが、頼久の中では武士としてそれでよいものだろうかという思いがよぎった。
憮然とした表情で着替えを済ませた頼久は早速、寝所を後にした。
本当は目が覚めてすぐに愛らしいあかねの寝顔を見るつもりでいたのができなくなったので、まずはあかねの姿をと外へ出たのだが、予想以上に強い陽射しに頼久はすぐに目を細めることになった。
想像していたよりもずっと時が経っていたようで、陽はもうずいぶんと高い位置にある。
頼久はこれはもうあかねはすっかり活動時間に入っているだろうとふっと溜め息を漏らすと、簀子(すのこ)に腰かけて庭へと目をやった。
初夏の庭は緑も豊かで美しい。
昨夜までの殺伐とした戦いからは想像もできないような穏やかな庭に頼久が何とはなく癒されていると、聞き慣れたてとてとという足音が聞こえてきた。
最初は小さかったその足音がだんだん近づいてくるところを見ると、足音の主は頼久を目指して歩いてくるものらしい。
頼久は思わず口元をほころばせて足音のする方へと視線を向けた。
果たしてそこには奥から出てきてゆっくりと頼久の方へ歩み寄ってくるあかねの姿があった。
ただし、頼久はそのあかねの姿を見て、何も言えぬまま目を大きく見開き、口も半ば開いた状態で凍り付いてしまった。
しっかりと着込まれているきらびやかな衣。
思っていたよりずっと長く伸びている美しい髪。
そして何より…何よりも……
「頼久さん、おはようございます。凄く疲れてたんですね、こんな時間まで寝ちゃうなんて珍しい。」
「……。」
「頼久、さん?」
凍り付いている頼久の隣にちょこんと座って小首を傾げるあかねは頼久のよく知っているあかねよりは少し大人びて見えた。
いや、そんなことよりも頼久の目を引いたのはあかねの下腹部だ。
どう見てもそこはもうすぐ子供が産まれますと言わんばかりに大きく膨らんでいるわけで…
頼久はその膨らんだ腹部を凝視したまま何も言えずに固まるばかりだ。
「あ、あの……その……どうかしましたか?」
「………。」
「頼久さん?」
だんだんと不安の色を濃くするあかねの声に我に返った頼久は、眉間にシワさえ寄せて考え込んで、そして覚悟を決めた。
どうしても、あかねの腹の膨らんでいる理由を問いたださなくては先には進めない。
頼久の記憶では確かに昨日、褥で眠りにつくまではあかねの体はこんなふうではなかったはずなのだ。
「神子殿…。」
「はい?どうしたんですか?」
「その……そのお体はいったい……。」
思い切ってそう頼久が尋ねると、あかねは頼久の視線の先、自分の膨らんだ下腹部を見やってからポンっと音が出そうな勢いで顔を赤くした。
「いったいって……それは、その…も、もうすぐ産まれますから……。」
「産まれる、とは…。」
「はい?」
「ですから、産まれるというのは……。」
「何言ってるんですか?頼久さんも喜んでくれてたじゃないですか、もうすぐ自分の子供が産まれるって……え、嬉しくなくなっちゃったんですか?」
急に不安げに曇るあかねの声と、その声が語る事実に驚いて目を見開くこと数秒、頼久は激しく首を横に振った。
「まさか!嬉しくないなどということがあろうはずがございません!」
「よかったぁ…。」
ほっと安堵のため息をついて大事そうにお腹を撫でるあかねを見つめながら頼久は軽く頭を横に振った。
どの記憶をどうたどってもあかねに子供ができたという情報が頼久の記憶からは探り出せない。
だが、目の前にいるあかねは確かに自分の子供をもうすぐ産むのだと言っている。
もちろんそれが本当ならばこれほど頼久にとって喜ばしいこともないのだ。
頼久はじっとあかねの姿を凝視して、そしてその手をとるとそっと自分の方へ引き寄せた。
愛しい人が自分の子を産んでくれるというのに何をこだわることがあるだろう。
腕に抱いた温もりは確かに本物で、そのぬくもりの中に自分と愛しい人、両方の血を引いた子がいるのだと思うと自然と頼久の顔に笑みが浮かんだ。
「私は、おそらく夢でも見ていたのでしょう。」
「夢、ですか?」
今度は幸せそうな微笑を浮かべながらあかねが頼久の腕の中で夫の顔を見上げた。
あかねが幸せそうにしてくれているのを見るだけで、頼久にはもう細かいことはどうでもよくなっていた。
「はい、まだ神子殿がずっとお若く、子もできていない頃の夢を見ていたのでしょう…。」
「ああ、それでさっき変だったんですね。頼久さんが寝ぼけるなんて珍しい。きっと疲れてたんですね。」
「そうかもしれません。ですが、こうして神子殿と過ごしていれば疲れなど吹き飛びます。」
「また、頼久さんはそういうことを…。」
恥ずかしそうに視線を伏せるあかねを頼久は優しく抱きしめた。
太刀を振るう力にまかせて今のあかねを抱きしめては、体に異常が出るかもしれない。
そう思うと自然と頼久の腕は慎重に慎重にあかねをかき抱いた。
「男の子か女の子か、泰明さんにお願いすればわかるんですけど、でもそれは生まれた時のお楽しみにしておこうかなって思うんです。」
「神子殿がそれでよろしければ。」
「はい。でも、そうすると名前は女の子のと男の子の、二つ考えておかないといけないんですよね。」
それは頼久にとっては贅沢な悩みというものだ。
二つ考えなくてはならないのなら楽しみは二倍になるのだから。
「それは私にはとても幸福なことに思えます。神子殿が産んで下さる我が子の名前を二つも考えることを許されるなど。」
「ゆ、許されるっていうことじゃなくて、考えなきゃいけないっていうことなんですけど…でも、頼久さんが楽しく考えてくれるなら私も嬉しいです。」
「では、ゆっくり考えさせて頂きます。」
「もうそんなに時間がないみたいなので、急いでもらえると…。」
「ああ、そうでした。では、鷹通殿や泰明殿にも聞いて良い字を探してみましょう。」
「はい、お願いします。」
嬉しそうにうなずくあかねに幸せを感じて頼久が目を細めていると、そこへ小さいがしっかりとした足音が聞こえてきた。
それは頼久が今までに聞いたことのない足音で…
「父上!また神子殿を独り占めなさっているのですね。私はともかく、妹や弟達はまだ小さくて神子殿を必要としているのですから、独り占めはいいかげんになさってください。」
「ちち、うえ?」
とすとすと足音高らかにやってきたのは、頼久の記憶の中にある幼い頃の自分の姿そのままの少年だった。
年の頃は12歳か13歳といったところか。
「また、そんな、神子殿なんて…頼久さんからも言って下さい、母上って呼ぶように。」
「は?」
頼久はあかねの自分に対する抗議の内容が全く理解できずに目を白黒させた。
明らかにいきなり現れた少年は自分を父上と呼んでおり、そしてあかねを神子殿と呼んだ。
頼久が父なら当然、母はあかねということになる。
何しろ頼久にはあかね以外の女性を母と呼ぶ子ができるような身に覚えはないからだ。
ところが、その母であるはずのあかねを神子殿と呼ぶというのは、この少年、どういうわけか。
頼久は首を傾げながらまじまじと、少年の姿を見つめた。
「父上が神子殿とお呼びしているのです、我々も神子殿とお呼びするのが当然のことと思います。それほど神子殿は尊いお方なのですから。」
「ほら!頼久さんが尊いとか普段からそういうこと言うからですよ!」
「は?」
何が何だか話がわからない。
じっくりと見つめた少年の姿は紛れもなく頼久の少年時代の物で、そこから考えてもこの少年は息子に違いない。
それが母を神子殿と呼ぶのがどうやらあかねの話によると自分のせいであるらしい。
そこまで今までの会話について考えて、そして頼久はもう一つ、少年の言葉の中で重要な部分があったことに気付いた。
「妹や弟達…。」
そう、少年は妹や弟がいると言ったのだ。
ということは…
「父上は神子殿の事ばかり気にかけておいでだから御自身の御子の数までお忘れなのです。私の下に弟が二人、妹が三人です。」
「……。」
頼久はもう開いた口がふさがらなかった。
今、自分の子が初めて産まれてくるのだという事実を受け入れたばかりなのに、実際には目の前のあかねのお腹にいるのが7人目だという。
そんなに子宝に恵まれた記憶は一切ない。
しかも目の前の少年はもう成人も間近と見えるほど大人びている。
頼久が同じ年齢の頃よりもよほどしっかりしているようだ。
そんな子を育てた覚えもなくて…
考えれば考えるほど、頼久の意識はだんだんと遠のいていった。
「頼久さん?頼久さん!大丈夫ですか!?頼久さん!」
頼久は意識の遠い向こうで愛しい人が自分を呼んでくれる美しい声を聞きながらゆっくりと目を閉じてしまった。
心配そうなその声が、なんと美しく優しいのだろうなどと場違いなことさえ思いながら。
そして……
頼久は重い目蓋をゆっくりと持ち上げた。
どうしても愛しい人の顔をもう一度見たかったからだ。
そして無理やりに開けた頼久の目に飛び込んできたのは…
「頼久さん、そろそろ奥へ入らないと風邪ひいちゃいますよ?」
間近で心配そうにしているあかねはよくよく見れば頼久の膝の上に抱きかかえられていて、どうやら頼久はあかねを抱きしめたまま、柱にもたれて眠ってしまっていたようだたった。
「神子、殿…。」
「はい?」
小首を傾げる愛らしいあかねの顔は頼久の良く見慣れたもので、髪の長さも眠る前と寸分違わぬ長さだった。
小さな体をよくよく見れば、膨らんでいたはずのお腹も今は平らに見えている。
「あ、あの……そんなにじっと見つめられると恥ずかしいんですけど……。」
「申し訳、ありません……。」
答えながら頼久はもう一度じっとあかねを見つめて、幼さの残るその顔に何故か安堵のため息をついた。
ここでやっと頼久は、あの大人びたあかねは夢の中の姿だったのだと思い至ったからだ。
ということは、頼久の若い頃の姿そのままに現れた少年も存在していないということで、当然のことながらその妹や弟達も夢の中の存在だったということになる。
「頼久さん、大丈夫ですか?恐い夢でも見ましたか?」
「いえ、恐い夢では…不思議な夢でしたが……どちらかといえば幸せな……。」
「よかったぁ。少しうなされてたみたいだったので…。」
うなされるような夢ではなかったが、頼久にとっては身重のあかねを心配してみたり、子供達の成長を案じたりと気苦労の多い夢ではあった。
だいたい、6人もの子供を育てた覚えがない親はどうなのだ?などと考え始めていたから、その辺も唸り声くらいはあげていたかもしれない。
それでも、あんなふうに自分と愛しい妻との間の大勢の子供達の将来を心配することができる未来はやはり幸せだと頼久は思った。
だから、その顔には柔らかな笑みを浮かべて、眠っている間ずっと膝の上にいてくれたらしいあかねを優しく抱きしめた。
「神子殿が私に多くの幸せを与えて下さる夢でした。」
「へ、私ですか?」
「はい。覚めてしまうのが惜しかったほどです。」
「ごめんなさい、寒くなってきたかなと思ったんですけど…起こさない方がよかったですね。」
「いえ、そいうことでは。神子殿のお気遣いは有り難く。」
確かに日が落ちると春の終わりの簀子の上はすっかり肌寒い。
今の頼久はあかねを抱いているから寒いとまでは思わないが、眠っていては風邪をひきかねない気温ではあった。
もちろん、その辺で眠ったくらいで風邪をひくような軟弱な体はしていないつもりだが、それでも頼久は自分を案じてくれるあかねの心遣いが嬉しくてその顔の笑みが深くなった。
「夢から覚めてしまったのは惜しいことをしましたが…次は夢ではなく、本物に会えましょうから。」
「会うって、誰かに会う夢だったんですか?」
「はい、神子殿が産んで下さる私の子供達に会って参りました。」
「へー……え?子供達……ええっ!」
ニコニコと幸せそうな頼久から少し体を離して、あかねはその端整な顔をじっと見つめると瞬時に顔を真っ赤にしてうつむいた。
あかねと頼久は夫婦なわけで、別に驚くことでも恥じらうことでもないのだが、あかねの顔は自然と赤く染まってしまった。
頼久はそんなあかねの反応さえも愛しくて、もじもじしているあかねの体を再び抱き寄せると、夕陽に赤く染まる庭へと目を向けた。
その庭を、いつの日か夢で出会ったような子供が何人も駆け回る日が来るのかもしれない。
その光景を想像しながら頼久はあかねを抱く腕に力を込めた。
「えっと…頼久さんは子供、何人くらいほしいですか?」
「7人、でしょうか…。」
「7人?!」
予想だにしない数にあかねはがばっと身を起こすと、目を丸くして頼久を見つめた。
「ああ、いえ、夢の中では7人ほどおりましたので。」
「が、頑張ります…。」
「人数はともかく、健やかに育ってくれる子であれば何人でもかまいませんので。」
「そう、ですよね。元気が一番ですよね。頼久さんの子供なら絶対元気だと思いますけど。」
朝から鍛錬をして昼間は仕事をして、夜には警護までして、いつ寝ているのかわからないような生活を淡々と続けることができる頼久だ。
その頑丈さはあかねも良く知っている。
きっとこの人の子供なら驚くほど丈夫な子供が産まれてくるに違いない。
あかねはそんな想像をして微笑んだ。
その微笑は未来の母親のそれに見えて、頼久は再びあかねを抱き寄せた。
夢の中ではあかねを独り占めしすぎだと息子に説教をされていたが、そこばかりは直せそうにない。
頼久は愛しいぬくもりをしっかりと抱きしめながら、未来の長男にそっと詫びた。