行く先には
「修学旅行、ですか…。」

「そうなんです。すっかり忘れてたんですよね。」

 頼久はあかねの隣で眉間にしわを寄せた。

 そう、あかねの口から漏れた言葉は『修学旅行』だ。

 小学生、中学生、高校生と当たり前のように行われる修学旅行が今の二人の間の話題だった。

 あかねの高校では3年に修学旅行があるのだが、そのことをあかねはすっかり忘れていた。

 何しろ、頼久に会うための時間を作る受験生という立場のあかねは毎日が忙しいのだ。

 おかげで、今日、蘭に修学旅行の準備で買い物に行こうと誘われるまですっかり忘れていたというわけだ。

 高校生の修学旅行となれば一泊二日というわけにはいかない。

 当然のように一週間の日程が組まれていて、寝台車だの飛行機だのを駆使して移動し放題だ。

 つまり、その間、あかねは頼久の側近くにはいないということになる。

 そのことに気付いて盛大に落ち込んだあかねは、こうしてその事実を頼久に告げるため、頼久の自宅までやってきたのだった。

 そして、一週間修学旅行に行ってきますと言われた頼久は、当然のように眉間にしわを寄せた。

 あかねは深い溜め息をついて、頼久の隣で再び盛大に落ち込んだ。

 もちろん、あかねだって頼久と離れて一週間も過ごすなんて考えるだけでも憂鬱だ。

 仮病を使って行かないという選択肢もなくはないのだけれど、真面目な頼久がそれを許すわけもなく…

 病気で修学旅行を休んだなどとなれば頼久があかねを見舞うことは間違いなくて、そうなれば嘘は簡単に見破られる。

 これであかねが修学旅行に行かないという選択肢はほぼなくなったといっていい。

「来月なんですけど、テスト勉強したり頼久さんとデートの予定に浮かれたり、一喜一憂してる間にもうすぐ修学旅行になっちゃってて…話すのが遅れてごめんなさい。」

「いえ…。」

「あの…。」

「何か?」

「その、できれば私、修学旅行、行きたくないというか…頼久さんの側にいたいというか…。」

「神子殿…。」

 一瞬嬉しそうな笑みを浮かべた頼久は、すぐにその笑みをおさめてまっすぐあかねを見つめた。

 綺麗な紫紺の瞳にあかねが思わず見惚れる。

「高校での修学旅行は一生に一度のこと、是非参加してください。」

「それはまぁ、そうなんですけど…。」

 やっぱりかと心の中でつぶやいて、あかねはまた深い溜め息をついた。

 頼久がこう言うだろうことは予想していた。

 でも、はっきり言われてしまうとそれはそれでもう逃げ道も希望もないような気がしてしまう。

「出かけてしまえばきっと楽しい旅行になりましょう。天真もいることですし。」

「楽しくなんて…頼久さんがいないのに…。」

「私は、ここでずっとお帰りをお待ちしておりますので。」

「……はい。」

 落ち込んだままのあかねの顔は冴えない。

 いつもの花が咲いたような輝きを失ったあかねが痛々しくて、頼久はまた眉間にしわを寄せて考え始めた。

 どうすればこの恋人の悩みを解消できるだろうか?

「はぁ、ダメですね、私。」

「は?」

「たった一週間離れてるだけでこんなの、頼久さんはちゃんと待ってるって言ってくれてるのに。」

「離れるのは寂しいと思っていただけるのは嬉しくもありますが…。」

「う、嬉しいってそんな…。」

「ですが、神子殿には普通の高校生の生活を楽しんで頂きたいとも思います。」

「頼久さん……はい、頑張ってみます。」

 楽しむことを頑張るらしいあかねに頼久は思わず苦笑する。

 本当はどこへも行かせたくなどない。

 どこにも行かせず、誰にも渡さないためにこの家に閉じ込めて、自分の腕の中の虜にして、一生抱きしめていたい頼久だ。

 だが、そんなことが不可能なこともよくわかっている。

 あかねには幸せになってもらいたいし、自分のせいで何かを失うことがあってはならないというのも本心だ。

 では、どうすればあかねが幸せになるのかというとそれが頼久にはなかなか難しいのだが…

「どちらへ行かれるのですか?修学旅行では。」

「あ、えっと、北海道ですね。青森に一日だけ滞在で、後は全部北海道です。函館と札幌だったかな。」

「それはまた…。」

「遠いでしょう?」

「はい。」

 不満げなあかねに返事をしながら頼久は苦笑した。

 確かに遠い。

 遠いが、だからこその修学旅行だ。

「毎日メールしますね。写真いっぱい撮って送ります。あと、電話もします。」

「はい。」

「本当にいっぱいしますから…。」

「はい。お待ちしております。」

「お土産もいっぱい買ってきますから。」

「はい。」

「あとは……。」

 目に涙を浮かべ始めるあかねに驚いて、頼久はその薄い肩を優しく抱き寄せた。

「土産は重くなるようでしたらお送り下さい。」

「ダメです!絶対ちゃんとここで渡します!で、旅行の最中にあったことをたくさん話します!」

「神子殿……はい、楽しみにしております。」

 そう言って頼久が微笑みかけてもまだあかねは涙を浮かべたままで。

 そんなあかねが愛しくて、あかねにそんな顔をさせてしまう自分が不甲斐なくて…

 頼久はあかねの肩を抱く手に力を込めると、その愛らしい唇に優しく口づけた。

 言葉の苦手な自分には今はこれくらいしかあかねにできることはないから。

 せめて想いをこめて。

 そんな頼久の想いは伝わったようで、唇を離すとあかねは赤い顔で幸せそうに微笑んでいた。






 修学旅行当日。

 あかねは学校へ集合してからというもの溜め息のつきっぱなしで同じクラスの蘭を心配させた。

 心なしか顔色も悪くて、とてもではないけれど修学旅行を楽しむどころではないようだ。

 もちろん、クラス中があかねがどうしてそんな状態になっているのか理解しているので、周囲の視線は暖かい。

 あんなにステキな恋人と離れているんだから無理もないというのがクラスメイト達の大方の意見だ。

 初日にはニコリともしなかったあかねは、二日目、やはりニコリともしないまま、朝食もほとんど口にしなかった。

 三日目になってとうとう見るに見かねた蘭と天真が自由時間にあかねを滞在中のホテルのロビーへと呼び出した。

 呼び出されたあかねはというと天真が驚きで凍りつくほどにやつれていた。

 一回り体が小さくなったように見えるほどだ。

 同じクラスの蘭は毎日見ているからもう見慣れているが、クラスが違っていて三日ぶりにあかねの姿を見た天真にそれは衝撃的でさえあった。

「おい、あかね、お前、メシ食ってんのか?」

「え、た、食べてるよ、ちゃんと……。」

「お兄ちゃん、質問が無駄。食べてるわけないじゃない、こんなげっそりしちゃって。」

 あきれたようにそう言う蘭の言葉をあかねは否定しない。

 否定できないのではなく、そんな話はどうでもいいようで、ただただ溜め息をついている。

「こりゃ、重症だな。」

「でしょ。これから札幌観光、一日自由時間だっていうのにこれじゃぁ…。」

「あかね、お前、頼久にメールとか電話とかしてないのか?」

「してるよ。毎日メールは朝昼晩で、電話も寝る前に毎日かけてる……。」

「それでこれかよ……。」

 天真はあきれ果てて溜め息をついた。

「テストが近いとかって時は別にお前ら毎日会えてるわけじゃないだろう?一週間くらい会えないことだって今まであったんじゃねーの?」

「あったけど……でも、会いたいって思ったら会える距離にいたし……こんなに離れたの再会してから初めてで…。」

 そこまで話したあかねは改めて恋人との距離を感じたのか目に涙さえ浮かべ始めた。

 これ以上あかねを追い詰めて泣かせるつもりかと、蘭の視線が兄に突き刺さる。

「とにかく、出るぞ。せっかくの自由時間を無駄にすることねーだろ。」

「でも、私……ここに残ろうかな…。」

 うつむきかげんのあかねの左腕を蘭が、右腕を天真がつかむと二人はあかねを引きずるように歩き出した。

「ちょっと、二人とも…。」

「放っておけるわけねーだろ。今日は天気いいからな。大通り公園にテレビ塔、時計台、とにかく行くぞ。」

 気乗りしないあかねの腕を引いて天真と蘭は容赦がない。

 しかたなくあかねも降り注ぐ夏の日差しの下へと歩みだした。

 夏といっても北国の夏は心地良くて、天真と蘭の顔には自然と笑みが浮かんだ。

 あかねはどうかと二人が伺ってみれば、こちらは二人のことを意識してかうっすらと苦笑を浮かべている。

 その覇気のなさはまるで幽霊と共に歩いているようだ。

「お兄ちゃん、まさか頼久さんもこんな感じになってる、なんてことはないよね?」

「……。」

 何気なく尋ねた蘭の一言に天真は何も答えなかった。

 この無言こそが何よりの答えだ。

「頼久さんもかぁ…。」

「ここまでやつれてるかどうかはわかんねーけどな。メール出してみたが、反応がなぁ…。」

 そう言って首の後ろを掻く天真を見て蘭は苦笑した。

 蘭は修学旅行中、落ち込むあかねが心配でべったりくっついていたのだが、どうやら兄の方は頼久の方の面倒を見ていたらしい。

「よ、頼久さんは大人だし、そんな、私みたいにはなってないよ…。」

「あかねちゃん、自覚はあったんだね、やつれてるって。」

「う、うん……。」

 赤い顔でうつむくあかねを見て、天真と蘭は視線を交わして苦笑した。

 もう本当にこれはどうにも手がつけられない。

 何を見ても、どこを歩いてもあかねはうっすら微笑を見せても心ここに在らずといった様子だ。

「お兄ちゃん、本当にあかねちゃん、ホテルで休ませてあげた方がよくない?」

「よくねー。少しでも外に出て気分転換した方がいいに決まってんだろ。」

「そうかなぁ…。」

 足取りの重いあかねを見るに見かねて蘭が提案しても天真に譲る気は全くないらしい。

「大丈夫だよ、二人と一緒に歩いていれば楽しいし。」

 弱々しい笑顔であかねがそう言ったその時、3人は目的地の一つであるテレビ塔の前にやってきた。

「おし、到着だ。」

「上にのぼったら大通り公園が一望できるねぇ。」

 そう言ってテレビ塔の方へ歩き出そうとする蘭の腕を天真がつかんだ。

 何事かと蘭が兄をにらみつけると、天真はニヤリと笑ってテレビ塔のふもとへ視線を移した。

 蘭が同じように視線を移すとそこには…

「おい!こっちだ!頼久!」

 天真のこの声にあかねの体がピクリと反応した。

 慌てて辺りを見回したあかねは、天真の視線の先に立つ人影に気付いた。

「頼久、さん?」

 人影はどこからどう見ても会いたくてしかたがなかった恋人のものに間違いなくて、あかねは目をパチパチとさせる。

 こんなところにいるはずのない人だ。

 まさか、昼間から夢を見ているのだろうか?

 それとも会いたさのあまり幻覚でも見ているのだろうか?

 あかねが自分の目を疑っている間に、遠くに見えていた人影はどんどん近づいてきて、そして、途中から慌ててあかねに駆け寄るとまじまじとその姿を凝視した。

「神子殿……そのお姿……食事もろくにとっていらっしゃらないというのは本当だったのですね。」

「頼久さん……頼久さん!」

 目の前に立って心配そうにしているその姿は間違いなく愛しい恋人だとわかって、あかねはその胸に抱きついた。

 たった三日ですっかり細くなったような気がする小さな体を抱きしめて、頼久は小さく息を吐く。

「天真から聞いてはおりましたが、これほどとは。」

「じゃ、俺達はテキトーに時間つぶしてくっから、あかね頼んだぜ。」

「うむ、感謝する。」

「お前のためじゃねーよ、あかねのためだ。」

 そんな憎まれ口をききながらも天真は蘭の腕をつかむと、引きずるように妹を伴って姿を消した。

 ここからは二人きりにしてやろうという心遣いだ。

 蘭には「お兄ちゃん、やるぅ。」などと褒められながら去っていく友の背に、頼久は軽く一礼した。

「神子殿、人目につきますので…。」

「あっ、ご、ごめんなさい……。」

 ここは外だったと気付いてあかねは慌ててその体を頼久から離した。

「そうだ、頼久さん、どうしてここに?」

「天真が教えてくれましたので、今日は自由時間でここへ神子殿を連れ出してくれると。」

「あああ、それで天真君、絶対外に出るって言い張ったんだ…。」

「今回は天真にずいぶんと手間をかけさせてしまいました。」

「ごめんなさい…私がご飯食べれなかったりとか、旅行も上の空だったりとかしたから天真君が心配して頼久さんを呼んでくれたんですね…。」

「それも、あるのですが…。」

「はい?」

「実は前々から考えていました。」

「何を、ですか?」

「神子殿と遠く離れていることに耐えられるだろうかと……。」

「頼久さん…。」

「実際、離れてみるとどうにもいけませんでした。それで、神子殿にそれと悟られぬよう、お側近くをついて歩こうかと思案していたところに天真からここへ来れば会わせてくれると連絡がありまして。」

 そう言って頼久は苦笑した。

 どうやら会いたくてしかたがなかったのはあかねだけではなかったようだ。

 その事実が嬉しくて、あかねの目にうっすらと涙が浮かんだ。

「神子殿?」

「大丈夫です。ちょっと嬉しかっただけ。」

「嬉しいと思って頂けるのですね。」

「もちろんです!会いたいって思ってもらえるのは嬉しいですよ。」

「天真には、神子殿の修学旅行をつけまわすなどストーカーのようだと嫌われるからやめろと止められていたのですが…。」

「そ、そんなこと思いません!でも、頼久さんお仕事とか…。」

「私の仕事は別に、どこででもできますので。」

「じゃぁ、自由時間くらいは一緒に……。」

「はい。本日一日と、明日の午後、それに明後日の夜ですね。」

「へ?」

「天真から日程表をもらいました。」

 そう言う頼久の手には一枚の紙が。

「そ、そうじゃなくて、本当にずっとついてきてくれるんですか?」

「神子殿が嫌だとおっしゃるのでしたら明日にでも帰りますが…。」

「嫌じゃないです!全然嫌じゃないです!」

「では、自由時間は共に。」

「はい!」

 あかねの顔に満面の笑みが浮かんだ。

 源頼久という人と共にいる。

 たったそれだけのことでこんなにも幸せになれるものだろうかとあかね自身も不思議なくらいだ。

 すっかり顔色もよくなったあかねの手をとって、頼久はスタスタと歩き出した。

「頼久さん?」

「まずは食事にしましょう。神子殿にはここ数日分を食べて頂かなくては。」

「あ、はい…。」

 恥ずかしそうに赤い頬でうなずくあかねを見て、頼久はニコリと微笑んだ。

 その大きな手はあかねの小さな手を握り、暖かなぬくもりがその手を通して互いに伝わっていった。








管理人のひとりごと

管理人がすっかり忘れていたわけですが(マテ
あかねちゃんの修学旅行です♪
高校って確か一週間くらいありましたよね?日程的に。
そんなに長い間遠く離れてるなんて嫌だ!という甘々なお二人の話です♪
結局のところ頼久さんがつけまわしてくれるみたいですね(’’)
そんなことしたら確実にストーカーだと思いますが…
される方が喜んでいるからいいんです(’’)(コラ









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