嫁入り修行
「あのね、お香については友雅さんから色々教わったし…。」

「いけません!神子様!友雅殿のお教えになることなど信用できませんっ!」

 十歳の少女にそう目の前できりっと言われてはあかねもこれ以上抵抗することもできず、しゅんと黙り込んでしまった。

 ここは藤姫の住まう土御門邸。

 あかねは今、藤姫とそのお付きの女房達に囲まれて嫁入り修行真っ最中なのだ。

 先日、あかねが自分が京の他の女性達よりも劣っていると言って自分を磨こうと頑張ってしまい、その話が八葉を通じて藤姫の耳に入ってしまった。

 大事な神子様がそのようなことでお悩みだったとわっ!

 と、神子様大事の少女が俄然張り切ってしまった結果が、土御門邸へこもっての花嫁修行だった。

「えっとね、藤姫ちゃん。友雅さんは大人の貴族で、しかも風流な人だし、信用できないっていうのはちょっと…。」

「あの方のお考えになることは少し偏っていらっしゃいますから。きっと神子様の御為にはなりませんわ。」

 そう言って深いため息をつく十歳の少女。

 あかねはそんな藤姫を苦笑しながら見つめた。

「じゃぁ、お香の勉強はいつまで続くのかなぁ?」

「もちろん、神子様がわたくしの言うような薫りの香を合わせて下さるまでです。」

「そ、それは…。」

 一生頼久さんにお嫁にもらってもらえる日がこない気がする、と、心の中でつぶやくあかね。

「この後、歌のお勉強と筝と……。」

 次々に挙げられるお勉強科目の数々に恐れおののいて、あきれて、そしてあきらめたように深いため息をついたあかねはふと御簾の向こうへと目をやった。

 今まで必死で外のことなんて眺める余裕もなかったけど、どうもしばらくこの状況から逃れられないと覚悟を決めたとたんに余裕が出てきた。

 余裕がでてきたというよりは諦めがついたといった方が正しいかもしれないが。

 御簾の向こうには綺麗に整えられた庭が見える。

 外は快晴、静かな秋の午後。

 つい数日前まではこんな日は自分の邸で朝から訪ねてきてくれる頼久と縁でゆっくり幸せに暮らしていたなどと思い出したが最後、あかねはとても頼久が恋しくなってしまってあっという間にその顔を悲しげに曇らせた。

「神子様?」

「……ごめんね、ちょっとだけ休憩してもいい?」

「神子様、お疲れでしたのね。わたくしとしたことが気付きませんで、申し訳ございません。」

「あぁ、えと、違うの、そういうことじゃないの…ちょっと、寂しくなっちゃって……。」

「まぁ、わたくしなどがお側にいても神子様のお心をお慰めすることはできませんのね…。」

 今度はそう言って藤姫がその目に涙を浮かべてしまい、あかねは慌てて首を横に振る。

「そ、それも違うの!寂しいって言うのはそういう意味じゃなくて…。」

 目の前の少女にわかるように説明したくても、説明したい内容はあかねが自分で語るにはあまりに恥ずかしくて、結局二人の少女は互いに黙り込んでしまう。

 そして沈黙で満たされた局にゆったりと侍従が薫り…

「おやおや、藤姫、神子殿は別に藤姫がいても寂しいとおっしゃっているのではないよ。」

「まぁ、友雅殿。」

「友雅さん。」

 艶な笑みを浮かべていつものようにするりと御簾のこちら側へ入り込んだ華麗な少将は藤姫の隣に静かに腰を下ろした。

 そしてなんの断りもなく御簾の中へ入ってきたことに抗議しようとする藤姫をやんわりと視線でかわす。

「藤姫が思い余って神子殿を己が手に絡めとり、その手の内に閉じ込めてしまったと聞いたので
、神子殿をお救いしようかと訪ねてきたのだよ。」

「まぁっ!わたくし、そのようなこと致しませんわ!」

「おや、怒らせてしまったかな、冗談だよ、藤姫。」

 余裕の笑みを浮かべる友雅に対して藤姫は真っ赤な顔をして怒りを隠そうともしない。

 そんな二人のやりとりをあかねはどこか暖かくなるような思いで見つめていた。

「さて、神子殿の寂しい、だけれどね。」

 こう友雅が話を切り出すと、ついさきほどまで怒りをあらわにしていた藤姫も興味津々といった瞳で友雅を見つめた。

「藤姫がいても、私がお側にいても、いや、他のどの八葉がいても今の神子殿はお寂しいのだよ、藤姫。」

「まぁ、どうしてですの?」

「ん?神子殿がもうすぐ婚儀を控えた女人だということを考えれば答えは簡単だ。頼久に会えないからに決まっているだろう?ね、神子殿。」

「友雅さん!」

 面白そうに微笑んでいる友雅をあかねは赤い顔でにらみつけた。

 そんなあかねを見て「まぁ」と声をあげた藤姫も扇で顔を隠してはいるが、どうやら耳まで真っ赤になっているらしい。

「事実だろう?神子殿。」

「っ………」

 そうはっきり言われては図星のあかねとしては「違います」と否定することはとてもできなくて…

「……神子様、申し訳ありませんでした……わたくし、神子様のために何かして差し上げたくてつい……何日もこちらにお引き留めして…そうですわよね…頼久に会いたいとお思いになるのは当然ですわ……わたくしったら……。」

「そ、そんなに落ち込まないで!藤姫ちゃんが私のためにしてくれたんだってことはよくわかってるし、それに三日会えないだけで落ち込む私もちょっとどうかって思うし……。」

「そうかい?私なら愛しい人と一時でも離れているのは嫌だがねぇ。」

「友雅さんっ!そ、そんなことないですもんっ!私はそこまでひどくないですもんっ!」

 赤い顔で必死にそう抗議するあかねが可愛らしくて友雅はくすくすと手にしていた扇を口にあてて笑ってしまう。

 藤姫はというと今のあかねの発言で更に落ち込んでしまったらしく、深いためいきをついた。

「そうでしたのね、神子様はそんなに頼久に会いたいとお思いでしたのに、わたくしったら…。」

「もうっ!友雅さんのせいですよ!こんな藤姫ちゃん落ち込んじゃうし!わ、私のことも誤解されるしっ!」

 友雅はもうくすくすと笑うのみ。

 あかねは顔を真っ赤にして友雅をきりりとにらみつけてはいるものの、照れて赤い顔では説得力ゼロだ。

「わかりました。では、今日は一日お休みに致しましょう。」

「はい?」

「神子様がそのように頼久に会いたいとばかりお思いではお稽古にも身が入らないでしょうし、わたくしも心苦しいですもの。今日は頼久は神子様のお邸に伺う必要がないというので武士団の方におりますから呼びますわね。」

 これは名案とばかりにぱっと顔を輝かせた藤姫。

 だが、あかねはすぐに頼久を呼びに行こうとする藤姫の着物の袖を慌ててつかんだ。

「神子様?」

「あ、あのね、呼ばないでほしいの。」

「まぁ?」

「私が会いに行こうかな、って……。」

 更に顔を赤くするあかねに目を丸くする藤姫。

 そして…

「では、私が武士団の棟までお送りしよう。」

 そう言って友雅が先に御簾を上げてあかねを促すと、あかねはぱっと表情を明るく輝かせた。

「有難うございます!友雅さん!」

 いったん元気になってしまえば行動力があるあかねのこと、すぐに立ち上がると友雅の前をすり抜けてすぐに局を飛び出していく。

 友雅はというと驚きっぱなしの藤姫に苦笑を浮かべて見せた。

「神子殿が他の男のもとへ通うのをお送りすることになろうとは思ってもみなかったが、大丈夫、この私がしっかりと神子殿を送り届けてくるから藤姫は安心してここで待っていなさい。」

 そう言い残して去っていく友雅の背を藤姫はほっとため息をつきながら見送った。





 数日前に藤姫から直接、あかねは嫁入り修行のためしばらく土御門邸に起居することになったと聞かされてからというもの、頼久は武士団の棟で後輩の指導に当たっていた。

 何故かというと、まだ頼久に与えられた任務はこの京にとどまられた龍神の神子の警護であり、その龍神の神子が土御門邸にいる以上頼久の仕事はその側近くでの警護になるのだが、肝心の神子は藤姫の局にほぼ軟禁状態で顔を見せることさえないという有様なのだ。

 ならば屋敷の警護でもと思っても、頼久が神子専属状態になること必至だったために既に頼久が抜けた穴は埋められた後で、結局のところ頼久には後輩の指導以外にやることがなかった。

 そんな源武士団の若棟梁が許婚の顔を見ることさえできないこと数日。

 武士団の若い衆はかなりぴりぴりとしていた。

 普段であれば、武士団の中でも一二を争う腕前の若棟梁に稽古をつけてもらえるということは願ってもないことなのだが、何しろ若棟梁の機嫌がすこぶる悪い。

 もともとにこやかな方ではないし、無口無表情な若者だが、ここ数日の若棟梁の機嫌の悪さは全身からにじみ出ている。

 寡黙さも無表情さもいつもと全く変わらないのだが、とにかく機嫌が悪いということだけは発する殺気のようなものから誰でも簡単に察知できた。

 だいたい、稽古のつけ方が荒い。

 おかげでここ数日、武士団の若い衆は全身生傷が絶えない状態だった。

 今も、朝早くから始まった稽古のために次々と若者達が苦悶のうめきをあげて倒れていく。

 これは早々にこの若棟梁に何か仕事を与えないととんでもない重傷者が出るかもしれない。

 と、武士団の古参が顔色を青くし始めた頃、頼久はとうとう若い衆全員をなぎ倒してしまったようで、ブンブンと軽く木刀を振ると辺りを見回してため息をついた。

「この程度で立ち上がれぬとは情けない。休みを入れる。」

 それだけ言うと頼久は木刀を手に縁に出た。

 残された若い衆は全員一斉に安堵の深いため息をつきながら床にのびてしまったのだった。

 一方、縁に出た頼久は木刀を手に、その場で素振りを開始した。

 とにかく体を動かしていないとどうもいらつくのだ。

 重要な任務の一つも抱えていればそれに集中していられたのかもしれないが、こうも時間を持て余すと脳裏に浮かぶのは許婚の顔ばかりで、その顔を実際に見ることができないとなるとイライラし通しだ。

 同僚と酒を飲んで憂さを晴らすなどという芸当はもとより持ち合わせていないし、これといって没頭する趣味もない。

 つまり、何かして体を動かしている以外、頼久にはこのイライラに対処する術がなかった。

 そんな頼久の様子を苦笑を浮かべながらどうしたものかと眺めていた武士団の古参一同はだが、遥か向こうの方から一人の人物が駆けてくるのを目ざとく見つけて苦笑を微笑へと変えた。

 木刀を振っていた頼久も自分の方へ駆けてくる人物の気配に気付いてそちらへ視線を向けて目を見開く。

 この京ではあり得ないことに小袿を着た女性がとてとてとこちらに向かって走ってくるではないか。

「頼久さんっ!」

 しかもその女性はというと、駆けつけた勢いそのままにはしっと頼久に飛びついて…

「み、神子殿!」

 木刀を持ったままその場に凍りつく頼久。

 その様子を見ていた武士団の一同は目が点の状態だ。

「頼久さん!頼久さん!」

「は、はい?」

 首に腕を回され、しっかり抱きつかれたまま名前を呼ばれて頼久はとりあえず神子殿を支えねばと左腕であかねの体を軽く抱きとめながら途方にくれる。

 何故、こんなにあかねが自分の名前を呼んでいるのかが理解できない。

 とりあえず返事はしてもあかねが何か言い出す気配はなく、頼久の名前を呼んだ張本人のあかねは何やら頼久の肩の辺りにすりすりと頬擦りしているようだ。

「頼久さんだぁ!」

「はぁ…。」

「会いたかったぁ…。」

 やっと落ち着いたようにそうつぶやいてきゅぅっとよりいっそう抱きつく腕に力を入れてからあかねは頼久を解放した。

 少しだけ体を離してあかねが頼久を見上げると、そこには目を見開いて驚く頼久の顔が。

「驚きました?」

 にっこり嬉しそうに微笑むあかねを見下ろしてかたまること数秒、頼久は呼吸をしていたのも忘れていたかのようにふっと息を吐き出した。

「驚きました。どうかなさいましたか?藤姫様のところで習い事をなさっていらっしゃると聞き及んでおりましたが?」

「それがその…。」

 急にもじもじとし始めるあかねに頼久の表情が曇る。

 何か不都合でも起きたのだろうか?

 あかねにとって何か心を痛めようなことが起こったのであればそれは頼久にとっても由々しき事態だ。

「どうか、なさったのですか??」

 真剣に、いったいどんな事件が起こったのかと眉間にシワを寄せる頼久を武士団の古参達は苦笑しながら見守った。

 年を重ねた年長者達にはすっかり事態が見えているらしい。

(あぁ、先ほど神子様は「会いたかった」とおっしゃったではありませんか、若棟梁…)

 と、心の中でつぶやく年長者数名。

 だが、それ以外の者達はいまだ目を点にしたまま自分達の信頼する若棟梁とその許婚を呆然と見詰めている。

「それがその……ずっと色々藤姫ちゃんに教えてもらってたんですけど……その……あの……。」

「何か不都合でも?」

「不都合っていうか……私の集中力が続かないっていうか……。」

「は?」

「……実は…私、ずっと頼久さんに会ってなかったから…もう頼久さんのことばっかり考えちゃって…その、お稽古に身が入らなくて……それで、藤姫ちゃんが今日はお休みくれたんです。」

 最後の方は恥ずかしくて声が小さくなってしまったあかねは、すっかりうつむいて顔を赤くしている。

 そんなあかねを見下ろす頼久はというと、あかねの口から紡がれた言葉を理解するべくよくよく噛み砕いていた。

 何故かというと、ともすればあかねの言葉を頼久が自分の都合のいいように曲解してしまいそうだったからだ。

 だが、今、はっきりとあかねは自分に会えなかったために自分のことばかり考えていたと言ってくれたわけで、それは頼久自身の今の状態と全く同じ状態だったわけで…

 いつの間にか頼久はその顔に優しい微笑を浮かべていた。

「神子殿…私も同じ想いでおりました。」

「同じ?」

「はい、私も神子殿にここ数日お会いできず、神子殿のことばかり考えておりましたので、同じです。」

 そう言って微笑む頼久を見上げて、いっそう顔を赤くするあかねがまた愛らしい。

 会いたくても会えなかった愛しい人の姿はいつまで見つめていても飽きることはなくて、縁に二人でたたずむことしばし、頼久はやっと耳に届くほどの小さな声で我に返った。

「若棟梁が笑ってる…。」

「しかも、幸せそうに笑ってるぞ…。」

 それは先ほど床にのびたばかりの若い衆の声だった。

 今まで無表情に任務をこなすとか、鬼の形相で敵を切るとか、自分達を威圧しながら鍛える若棟梁はいくらでも見ているが、笑っている姿などただの一度も見たことがない後輩達だ。

 それが今、目の前で溶け出さんばかりに微笑む源武士団次期棟梁を見て、全員魂を抜かれたように呆けているのだった。

 その様子に気付いた頼久は一瞬顔を真っ赤にしてから、とりあえず外野の存在を意識の外へやったのか小さく咳払いをして顔色を元に戻した。

「では、神子殿は今日一日お休みなのですか?」

「はい!」

「どこかお出かけになりますか?お供致しますが。」

「いえ…あの…その……今日は、頼久さんのお稽古を見せてもらおうっかなぁって思ってきたんですけど……。」

「私の稽古、ですか?」

 コクコクとうなずくあかね。

 相変わらず自分の予想だにしないことを言い出す愛しい許婚を見つめながら一瞬考え込む頼久。

 そして、そんな二人を興味津々の様子で見守る武士団の武士一同。

「ダメ、ですか?」

「いえ、ダメではありませんが…はたして神子殿が御覧になって楽しんで頂けるものかどうか…。」

「えっと、楽しみたいんじゃなくて、頼久さんがお稽古してるところを見て励みにしようかなぁっと…。」

「励み、ですか?」

「頼久さんも頑張って剣のお稽古してるから私も頑張ろうって思えるかなぁって……。」

 頼久はふっと再び優しい微笑をその端整な顔に浮かべてあかねを部屋の中へと促した。

「今、ちょうど若い連中に稽古をつけているところでしたので、神子殿さえ宜しければどうぞ御覧になっていて下さい。」

「はい!有難うございます!」

 嬉しそうにぱっと輝きを見せるあかねの笑顔に頼久のみならずその場の男達が見惚れる。

 若い衆などはもう一瞬にしてあかねの笑顔に魅了されてしまい…

「そこっ!立てるようになったのなら木刀を構えろっ!」

 はからずもあかねに見惚れて呆けているところを若棟梁に見つかってしまった若い衆は、自分達の方へ向かって歩いてくる男がどうやら先ほど以上に不機嫌になっていることに気付いて震え上がった。



 この後、武士団の武士は例外なく全員ものすごいしごきにあったのだが、全身傷だらけになりながらも部屋の片隅で見守って下さる龍神の神子様の優しい笑顔を見れただけで、そんな傷さえも気にせず幸せそうに呆ける者が続出し、若棟梁の機嫌はますます悪くなったのだった。





管理人のひとりごと

武士団の棟まであかねちゃんを送ってきた少将様は頼久さんにぶった切られる前に、少し手前で退散しています(笑)
今回書きたかったのは子犬みたいに頼久さんに駆け寄るあかねちゃんの図(爆)
あとは笑う頼久さんを見て驚く人たちかな。
以前の頼久さんから考えると笑っているところをみんな見たことないんだろうなと思いまして。
だからこそ、そういう人に微笑まれるとやられちゃうわけですが(爆)



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