煩い
 永泉は車でゆるゆると移動している。

 その表情は心配で陰りを見せていた。

 それというのも今朝、龍神の神子であるあかねが体調を崩して寝込んだという話を聞いたからだ。

 年末年始は忙しくてあまり訪ねることができなかった。

 その間に神子の身に何か無理がかかったのかと永泉は悔やんでいた。

 もう少し自分が神子のもとへ参上していれば事態はこうも悪化はしなかったかもしれない。

 そう思うと悔やんでも悔やみきれなかった。

 もちろん、神子には源頼久というちゃんとした許婚がいる。

 己ごときが何をしたところで何も変わらなかったのかもしれないが、それでも何もしなかった自分が腹立たしい。

 年末年始、左大臣の警護に頼久が忙しい時こそ自分が側にいればよかった。

 もともと、自分の生まれ育った世界を捨ててこの京へ残ってくれた神子なのだ。

 無理がかかるのはわかりきっていたことのはずだった。

 それでも、忙しいなら無理はしなくても大丈夫と笑ってくれる神子に甘えて、自分はなんと愚かだったのかと車の中で永泉は自分を責め続けていた。





 鷹通は車に乗って移動している。

 いつもは気にならない車の移動速度が今はやけにゆっくりに感じられて、思わず供の者を急かしてしまった。

 それというのも今朝、龍神の神子であるあかねが病で倒れたと聞いたからだ。

 藤姫がよこした使いは落ち着いてはいたが、渡された藤姫からの文からはただならぬ気配を感じた。

 育ちのいい藤姫の文字とは思えないほど文字は震えていたし、それにあのいつも元気な神子殿が病に倒れるなどよほどのことだ。

 だから、病で倒れたと聞いてはさすがの鷹通も黙ってはいられなかった。

 珍しく仕事を全て休むことにして、牛車に飛び乗ったのは鷹通にとっては当然のことだった。

 京滅亡の危機を救った龍神の神子の一大事となれば、仕事の方は簡単に休むことができた。

 それでなくても八葉としての活躍が認められ、帝の覚えさえめでたくなっている鷹通だ、休みを取るのになんの支障もないのだが、生来の生真面目さから休みをとることなどほとんどない。

 今から思えば、年末年始、皆が忙しくしている時だからこそ自分が休みをとって神子殿の話し相手の一つもつとめるのであったと悔やまれてならない。

 自分が生まれ育った世界を捨てて、住み慣れないこの京にとどまったことでどれほど神子殿が心細く感じていたことか。

 それがそうと予測できていたにもかかわらず、自分は神子殿に今までどれほどのご恩返しをしただろうか。

 何一つできていないではないか。

 己の過去をまっすぐに見つめ、同じ白虎の相棒である友雅とも息の合う仲間となることができた。

 人を理解することもできるようになった。

 それらは全て、あの怨霊との戦いの中で神子殿が与えた下さったものだったというのに…

 鷹通は牛車の中で己を責め続けていた。





 イノリは泣きそうな、それでいて怒りに震えているような、そんな顔で走っていた。

 それというのも今朝、龍神の神子であるあかねが病で倒れたと聞いたからだ。

 話によるとどうやらあかねは食べ物も喉を通らないらしい。

 そんなことになるまであかねの異変に気付けなかった自分が腹立たしくて情けなくて、イノリは全力で走りながらも涙が出そうになるのを必死でこらえていた。

 最近は一人前の立派な鍛冶屋になろうとそればかりに必死で、あかねの様子を見に行くことをしていなかった。

 もちろん気になっていなかったわけではないが、頼久という許婚もいることだし大丈夫だろうと気軽に考えていたのだ。

 今になってみれば、異世界からやってきたあかねが心細い思いをしていたことは間違いない。

 しかも年末年始は貴族には色々と行事が多い。

 そのせいで頼久が忙しくしていてあかねの側にはいられなかったのかもしれない。

 もしそうだとしたら、この京で迎える初めての年末年始をあかねはどれほど寂しい想いで過ごしたのだろうか。

 そう思うとイノリはいても立ってもいられなかった。

 だから今は泣いている場合ではない。

 とにかく大地を蹴る足に更に力を込めて、イノリは走り続けた。





 泰明は牛車の中で目を閉じていた。

 牛車はゆるゆると進んでいるが、中に座っている泰明にはそのようなことはお構いなしだ。

 泰明の意識は今、式神に集中していた。

 それというのも今朝、龍神の神子であるあかねが倒れたと聞いたからだ。

 いても立ってもいられずに屋敷を飛び出してきたのだが、車に乗って一息ついてみればなんのことはない、あかねの屋敷に配置してある式神を通してあかねの様子を見れば済むことだった。

 そうと気付かぬほどに動揺していた自分に驚きながらも、今はそれどころではないと気を引き締めて式神に意識を集中する。

 放っておいた式神はちょうどあかねの屋敷の庭の片隅で警護をしているところだった。

 屋敷の中は特にこれといっておかしな気配はない。

 何者かが進入したりというような危険が神子に及んでいることはないようだ。

 屋敷内も多少騒がしくはあるが、それはあかねが倒れたせいだろう。

 あかねの局はというと御簾が下ろされていて、外からのぞきこんでみても几帳がしっかり立てられていて中は見えそうにない。

 式神をあかねの局の前に立たせて中をのぞきながら、だが泰明は御簾の内へと式神を入れるのをためらった。

 中のあかねになんの断りもなく御簾の内へ入るのはいつものことだが、そんなことよりも泰明は今、式神を中へ入れて、式神の目を通してあかねを見ることの方をためらっていた。

 陰陽師たる自分があかねの体調の変化に気付けなかった。

 何か病だとしたら物の怪のしわざかもしれない。

 もしそうだとしたら、あかねが倒れた責任の一端は陰陽師であり八葉でもある自分にある。

 そう思うと、一刻も早くあかねの様子を確認したいという想いと、式神を送り込むような真似をせずにちゃんと自分が会いにいくべきだという想いとの間で泰明は揺れた。

 優秀な陰陽師、八葉としては式神で一刻も早くあかねの様子を確認し、打つ手があるならば打つべきなのだろう。

 だが、泰明は車の中で考えに考えてそれをやめた。

 式神で気配を探ったところ、別にこれといって危険はなさそうだ。

 ならば、自らの目であかねの様子を確認し、あかねを病から守ることができなかったことを直接詫びよう。

 そう考えて泰明は式神から意識を離した。

 牛車はゆるゆると進み続けていた。





「これはまた…。」

「なんだよみんな血相変えて。」

「皆、神子を案じる気持ちは同じということですね。」

「八葉は神子のためにある、問題ない。」

 あかねの屋敷の門前で鉢合わせした鷹通、イノリ、永泉、泰明の4人は互いに顔を見合わせて苦笑してから4人並んで屋敷へと歩みを進めた。

 勝手知ったる屋敷を4人があかねの局へと歩いていくと、御簾の向こうから幼姫が顔を出した。

「まぁ、皆さんおそろいで。」

「藤姫、神子殿の具合は…。」

 まずは出てきた藤姫に様子を聞いてと鷹通が歩みを止めたところで、うしろをついてきていた泰明がそのまま御簾をくぐって中へ入ってしまった。

 一刻も早くあかねの様子を確認したいらしい。

 無表情さはあまり変わっていないが、人間らしい一面を見せるようになってきた泰明に微笑みながら、残る八葉と藤姫は後を追って几帳の向こう側へと移動する。

 あかねはというと静かに寝息をたてて眠っていた。

 顔色も悪くない。

 少しばかり顔が痩せたような気がするが、それは病なのだからしかたないだろう。

「いかがですか?泰明殿。」

 心配そうな声で尋ねたのは永泉だ。

 じっとあかねを見つめていた泰明は、腑に落ちないという顔で小首を傾げた。

「物の怪、呪詛の類は感じられぬ。病でもない。」

「は?」

「ただ、ひどく気が乱れている。」

「泰明殿……わたくしたちにもわかるようにご説明頂けませんか?」

「病ではないと言っている。激しい気の乱れが体調を狂わせているのだろう。」

「つまりあかねは病気じゃねーんだな?」

「そうだ。」

 イノリの質問に泰明があっさり返事をして、それに一同はほっと安堵の溜め息をついた。

「とりあえず病ではないというのは安堵しました。しかし、藤姫、文には食事も喉を通らず、ほとんど眠ってもいらっしゃらないとありましたが?」

「はい。今朝方まで本当にそうでしたの。夜もほとんどお休みになりませんし、食事もほとんど手をつけてくださらなくて…。三日ほど前から神子様が体調を崩されたというのでわたくしがこうしてお側におりましたのですけど、それでも神子様のご様子は悪くなるばかりで…それで今朝方、とうとうお倒れになりましたの…。」

 鷹通の問いに答えた藤姫はつぶらな目いっぱいに涙をためて今にも泣き出しそうだ。

 何よりも神子様大事のこの幼姫にこの三日間はよほど辛いものだったらしい。

 心細さと心配とでとうとう八葉の面々に文を出したということだろう。

 そうと悟って八葉の4人は皆かすかに微笑んでうなずいた。

「泰明殿の見立てに間違いはないでしょう。病ではないということですから藤姫もそんなに心配せずに。」

「ですが、病ではないとしたらどうして神子様はこのように弱っておしまいなのでしょう…。」

「それは、まぁ、病といえば病だからだねぇ。」

 背後から聞こえた声に一同がはっと振り返ると、そこにはいつものように艶に微笑む友雅の姿があった。

「友雅殿、神子殿の大事に何をしておいでだったのです。」

 不満げな声をあげたのは白虎の相棒、鷹通だ。

 それに対して友雅はいつものように飄々とした態度で相棒の不満を受け流す。

「そう恐ろしい顔をするものではないよ、鷹通。」

「神子殿の大事です、少しは真剣になって下さい。病といえば病とはどういうことです?」

「そう急き立てないでほしいね。特効薬を持参したのだから。」

『特効薬?』

 5人がいっせいに疑問の声をあげた。

 泰明でさえ何故あかねが弱っているのかがわからないというのに、このいつもふざけた態度の友雅にはわかったというのだろうか?

 ニヤリと得意げに笑った友雅はその身を横に移動して道を開ける。

 すると友雅の背後からは不機嫌そうな顔をした頼久が現れた。

「というわけだから、特効薬、神子殿を頼んだよ。」

「……人を薬扱いするのはおやめ下さい…。」

 ますます不機嫌そうになった頼久が驚きでぽかんとしている一同の間をすり抜けてあかねの側に膝をつくと、急に眠っていたあかねの目がパチリと開いた。

「頼久さん!」

「はい、お目覚めですか?」

 病だと聞かされていたあかねはがばっと上半身を起こすと一瞬驚きで目を見開いて、すぐ次の瞬間には満面に笑みを浮かべていた。

「はい!あ、でも、頼久さん、もうしばらくお仕事じゃなかったでしたっけ?」

「そうなのですが……。」

 困ったように苦笑した頼久に小首を傾げたところで、あかねの視線は初めて頼久以外の人間をとらえた。

「あ、みんな、どうして集合してるんですか?」

 このあかねの一言で駆けつけた4人は深い溜め息をついた。

 心配でいてもたってもいられなくて駆けつけたのだが、どうやらあかねに異常はないらしい。

 自分達になかなか気付いてもらえなかった寂しさと、あかねは無事という安堵とが一度に4人を襲って、4人はまさに倒れんばかりに全身から力が抜けたのだった。

「あ、あれ?」

「神子殿が毎晩ほとんど眠らず、食事も満足にとらないでお倒れになったと藤姫から文が届けられてね、これは我らが神子殿の一大事と皆慌てて駆けつけたわけさ。だが、当の神子殿はというと泰明殿の見立てでも病で倒れたわけでもなければ呪詛の類を受けたわけでもないとわかった。それで困り果てていたようだよ。」

「そういう友雅さんはすごーく落ち着いてますね?」

 ジト目であかねが友雅を見上げると、友雅はまたニヤリと不敵に微笑んだ。

「それはね、私が神子殿の病の正体を知っていて特効薬を持参したのでね。」

「私、別に病なんかじゃないですよ?」

「いやいや、立派な病といえると思うね、私は。神子殿の病名は恋煩い、で、特効薬が…。」

 そこまで言って友雅が頼久を見ると、自然と一同の視線が頼久に集中した。

 あかねの病が恋煩いなら、当然、特効薬は許婚の頼久というわけだ。

「ここここ、恋煩いって…そ、そんなんじゃ…。」

「左大臣殿に尋ねてみれば、なんと頼久を十日も拘束したままだというじゃないか、愛しの許婚に十日も会えないとあってはそれは神子殿も恋煩いにもかかるだろうと、まぁそう思ってね。事情を説明して頼久を解放して頂いたのだよ。」

「えええええ!じゃぁ私のせいで頼久さんお仕事できなくなっちゃったってことじゃないですかっ!」

 あかねが慌てて顔色を青くしながら隣に控える許婚を見れば、頼久は優しい笑みを浮かべて静かに首を横に振って見せた。

「いえ、神子殿の御身第一。神子殿がお倒れになったというのに仕事などしている場合ではございません。」

「だ、だから病気じゃないのに……。」

 そういいながら顔を真っ赤にしてうつむくあかねを優しく見守る頼久。

 二人の姿を見て藤姫こそ嬉しそうに微笑んだが、残る一同はもうただ苦笑するしかない。

「あ、せっかくみんな集まったし、お菓子でも食べておしゃべりしましょうか、みんなの近況知りたいし。」

「神子様のお体に無理がかからない程度でしたら。」

「もう、藤姫は心配しすぎ、私は病気じゃないってば!」

 そう言って褥から飛び起きたあかねは、すぐに八葉全員を外へ追い出して藤姫と共に着替えを開始した。

 縁に追い出された八葉達は安堵と落ち着きの溜め息をついて、顔を見合わせて苦笑した。

 どうやらあかねはこのまま宴会を始めるつもりらしい。

 あかねの身を案じてきた一同としてはあかねが元気なのは喜ばしいことなのだが、このまま宴会に突入するとは思ってもみなかったので戸惑いも大きい。

 だが、ただ一人、状況を理解していたらしい友雅はすぐに楽しそうに笑みを浮かべてその場に座った。

「まぁ、神子殿の御身に大事がなかったのだから、そう皆で落胆することもないだろう。」

「落胆など…。」

 そう言って鷹通が友雅の隣に座ると、他の一同も次々にその場に座った。

「まぁ、これからはもう少し頼久が神子殿を気遣うのだね。」

「皆様に御心配をおかけして申し訳なく…。」

「そうやって神子殿の前でもそろそろ夫らしく振る舞っていれば神子殿も少しは機嫌を直して下さるだろうよ?」

「お、夫らしくとは…。」

 赤い顔でうつむく頼久を見て、一堂は溜め息をついた。

 婚儀直前の男がこれだから神子が恋煩いになどなるのだ…

「頼久の控えめで実直なところは美点と思いますが、いつまでもそのようでは神子が不安に思うでしょう。婚儀の後は神子のお心を守るのは頼久より他にはいないのですから、もう少し夫らしくしてもよいのではないでしょうか。」

 微笑みながらそう言う永泉に一同がきょとんとした顔を見せた。

 自分の意見を表立って口にすることを普段から好まない永泉がここまではっきりとものをいうのが珍しかったからだ。

 一同の表情に気付いた永泉はぱっと顔を赤くして手で口元を押さえた。

「も、申し訳ありません、わたくしのようなものが……。」

「いえ、永泉様のお言葉、しかと。」

 頼久が永泉に深々と一礼した。

 いつもは意見を言わない永泉がこうして頼久に意見したのは、あかねのことを思ってだ。

 それがわかればこそ、頼久は永泉に礼を尽くさずにはいられなかった。

 この場の誰もが慕ってやまない女性を自分は妻にするのだから。

「頼久さん、何でそんなお辞儀しちゃってるんですか?」

 藤姫と共にお菓子の入った器を手にやってきたあかねが小首を傾げると、頼久はすぐに姿勢を正して微笑んで見せた。

「いえ、なんでもありません。お気になさらず。」

 そう答えながら頼久が器をあかねの手から取り上げて皆の前に置くと、あかねもすぐ頼久の隣に座り、更にその隣に藤姫が座る。

「ん〜、せっかく皆がそろったのだから酒も用意させよう。」

 友雅がそう言って女房を呼んで酒の準備を命じるのを見て、一堂は苦笑した。

 これはどうやら本格的に酒宴になりそうだ。

「今朝方は神子殿が倒れられたと聞いて少々冷や汗をかきましたが、このように一同が集って宴を開けるとは。」

 そう言って鷹通が微笑むと、全員の顔に笑みが浮かんだ。

「たまには病気になるのもいいかも。」

「神子殿!」

 慌てる頼久にくすくすと笑って見せたあかねは一同の顔を眺めて満足そうだ。

「病は勘弁してくれよ、あかね。オレだって寿命縮んだぜ。どうせなら宴を開くから大集合って連絡くれよ。」

「そうだね。今度はそうするね。」

 元気なあかねの返事を嬉しそうに聞いてイノリがお菓子に手をつけると、早速酒も運ばれてきて酒宴が始まった。

 少々酒の入った友雅と永泉はいつものように美しい音楽を奏でてくれて、一同は久々の仲間との一時を楽しんだ。

 あかねが頼久の妻になろうが、八葉の面々の立場が変わろうが、この仲間達の絆が変わることはないだろう。

 そしてまたあかねに少しでも異変が起こればこうして皆、取るものもとりあえず慌てて集うのだろう。

 あかねさえ健やかであってくれたなら、こうしていつまでも集うことができる。

 そしてそのたびにこうして穏やかで楽しい一時を過ごすことができる。

 一同は美しい音楽の中、皆、そう確信したのだった。








管理人のひとりごと

というわけで、おそらくあかねちゃん独身生活最後の創作でした(爆)
番外編ぽいのは出てくるかもしれませんが、京版はたぶんこれが独身最後と思われます。
恋煩いといえばやっぱり少将様ということで一番理解のありそうな方大活躍です(笑)
あかねちゃんが他人のものになろうがなんだろうが心配する八葉のみんなの図を書きたかったのです(’’)
これからもずっとあかねちゃんと八葉の関係は変わらないよってことです(^^)
ということで、これから先は頼久さんが妬くことが多いかもしれません(w





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