
「……。」
いつものようにあかねがやってくる気配がしたので玄関に飛んでいってドアを開けた頼久は、満面の笑顔で立っているあかねを見て一瞬凍りついた。
うっすらと紅いがかってキラキラと輝く唇、風に乗って薫る香水の香り、指先の爪もうっすらと桜色に染まっていて…。
「頼久、さん?」
「……すみません、どうぞ…。」
いつもと違う様子のあかねに戸惑いながら頼久が長身を横へとずらすと、あかねはその脇をすり抜けてするりと中へ入った。
もうすっかりこの家にも慣れたあかねは「お邪魔しま〜す」と言いながらリビングのソファの上に陣取った。
そんなあかねを追いかけるように中へ入った頼久は、あかねの向かい側に座ってマジマジとその顔を見つめてしまう。
どこからどう見ても今日のあかねは薄化粧をしているようで、今まで全く化粧などしなかったあかねからすると何かあったとしか思えない。
だが、頼久は何があったのかと思いはしても何もたずねることができずただただあかねを見つめるしかできなかった。
「どうかしたんですか?」
そんないつもと違う頼久の様子にあかねが気付かないわけもなく、小首をかしげたあかねに頼久は眉間にシワを寄せて見せる。
「いえ、その…いつもとご様子が違うので…。」
「あぁ…。似合い、ません?」
「いえ……。」
ここに天真がいたなら「そういう時は間髪入れずに褒めろ!」と怒鳴られただろうが、残念ながら今ここに頼久の真の友はいない。
更に言えば、たとえ天真に忠告されたとしても、目の前の女性を褒めちぎるなどということが頼久にできるわけもなく…
「友達に聞いたりとか色々したんですけど…やっぱり似合わない、ですよね…。」
「いえ、似合わないというわけでは…。」
落ち込むあかねに慌てて否定した頼久だったが、綺麗ですと褒めることはどうしてもできなかった。
綺麗だとは思う。
ただ、その美しさはどこか作られたような感じがして。
いつもの、自然と輝くようなあかねの愛らしさが作られた美しさの下に隠れてしまったような気がして。
もともとどんなに美しく見えても頼久には言葉にするのが難しかっただろうが、それ以上に、今のあかねを頼久は心の底から美しいと思うことができなかった。
どこかおかしい。
違和感というか、何かしっくりこないものを感じてしまう。
それはあかねが初めて化粧をしたからだと言われてしまえばそれまでかもしれないが、それ以上の何かがある気がして頼久はただじっとうつむくあかねを見つめるしかできなかった。
「私って童顔だし、スタイルもよくないし、やっぱり背伸びしても全然ダメですねぇ。」
顔を上げてそういったあかねは微笑んではいたけれど、とても楽しそうといえるような笑顔ではなくて…
「その…どうかなさったのですか?」
「私がおしゃれしちゃいけませんか?」
「いえ、そういうわけでは…。」
途切れる会話。
こういう時、頼久は自分の口が思うように動かないことがもどかしくてならない。
京を捨て、あかねとこの世界で再会してから約一ヶ月、あかねは週末の休みがくるたびにこうしてここへやってきて楽しそうに学校であったことや天真や詩紋、蘭といった頼久もよく知る友人達の話などを聞かせてくれた。
いつだって目の前の恋人はとても楽しそうで幸せそうだったというのに、いったい何が起こったというのか頼久には皆目見当がつかない。
「ごめんなさい、私、おかしいですよね。気にしないで下さい。そうだ、今日は一緒に見ようと思ってDVD持ってきたんですよ。」
無理に明るく振る舞おうとするあかねが痛々しくてしかたがないのに、頼久には何を言ったらいいのか、どうしたらいいのかもわからない。
何故こんなにもあかねが無理をしているのかが全くわからないのだからしかたがない。
あかねの言葉に返事をするのも忘れてただただあかねの様子をうかがうことしかできない。
そんな頼久に気付いているのかいないのか、あかねは鞄の中からDVDのケースを取り出すとプレイヤーにセットして開始ボタンを押した。
テレビ画面に映し出された映画の内容などもちろん頼久に理解する余裕などなくて。
向かい側に座っているあかねはというとじっとテレビ画面に見入っているようだ。
何があってあかねが急に化粧などしてきたのか、そればかりが気になる頼久とは違い、あかねはどうやら映画をしっかり見ているらしい。
だが、頼久に見せるそのあかねの横顔もやはりいつもとはどこか違って、何か違和感があって…
と、頼久が映画などそっちのけであかねを見つめること数十分、目の前のあかねは急にその目からぽろぽろと涙を流し始めた。
「み、神子殿?」
「ごめんなさい…でも、悲しくて…。」
あかねは両手で顔を覆って泣き始めた。
もともとあかねは他人の思いに入れ込みやすいところがあるし、感動する映画を見た時に声を殺して泣いていることはよくあった。
だが、今の涙は何か違う気がして、頼久はあかねの隣へとその身を移すと優しくその肩を抱いた。
「ごめんなさい、すぐ泣き止むから…。」
「いえ、無理はなさらないで下さい。そんなに悲しい映画でしたか?」
正直言って頼久には映画の筋は全くわかっていない。
それどころではなかったからだ。
だが、そんな頼久の状態など全くわかっていないらしいあかねは肩を震わせて泣いている。
「ちょっと…ちょっとだけ悲しかったの…思い出しちゃったこととかあって…。」
そう言ってあかねはまた言葉を詰まらせた。
何があかねをそんなに悲しませているのか全くわからない頼久は、いつものように眉間にシワを寄せて考え込んだ。
学校で何か心に傷を負うようなことがあったのだろうか?
よもや自分のことでご両親と言い争いをなさったのではあるまいか?
それともこらから先のことを考えて不安な思いをなさっておいでなのだろうか?
逡巡する頼久の思いはだがどこへたどり着くこともなく、結局、巡り巡って何一つわからないという結論に達する堂々巡りだ。
「神子殿、やはりいつもとは違うご様子、学校で何かあったのですか?」
頼久のやっと口からついて出た問いかけにあかねはただ何も言わずに首をふるふると横に振るだけだ。
この様子ではどうもあかねから何かを語ってもらうのは不可能だと悟った頼久が途方にくれたその時、テーブルの上に置いてあった頼久の携帯がけたたましい音を発した。
手にとって見るとどうやら天真からの電話らしい。
あかねは頼久の隙を見てその腕からすり抜けると、顔でも洗いたかったのか洗面所の方へと姿を消した。
そんなあかねを見送りながら、少しばかりいらつく思いで頼久は携帯を耳にあてる。
「天真か?」
『頼久、お前にどうしても聞きたいことがある。』
電話の向こうから聞こえてきた友の声があまりに真剣で、頼久の眉間のシワはよりいっそう深く刻まれた。
「なんだ?」
『…本当は俺なんかが口出しすることじゃねーってわかってる。わかってても…どうしても俺は納得がいかねーんだ。』
「何の話だ?」
『あかねは気にしないとか言ってたけどな、あいつが気にしないわけねーんだよ。』
珍しく歯切れの悪い天真の物言いに頼久の眉間のシワは更に深くなる。
猪突猛進、自分の信じた道へ一直線というタイプの天真がこのように言いよどむことは珍しい。
「お前らしくもない、なんの話だ?」
『……頼久、お前、女がいるのか?』
「今、洗面所へ向かわれたが?」
『向かわれたって……あかねのことじゃねーよ、って、あかね今そこにいるのか?』
「さきほどから言っている、洗面所へいらっしゃったが?それがどうかしたのか?」
『……どうかしたかって、俺が聞いてんだ、お前、あかねの他に女がいるのか?』
「…………何の話だ?」
『だーかーらー、よーーーく聞け、お前にはあかね以外に恋愛対象として付き合っている女がいるのか?って聞いてんだ。』
「…………………何の話をしている?」
電話の向こうで天真は深いため息をついた。
一方頼久はというと、何を言われているのか全く想像がつかない。
天真の言いたいことが飲み込めないのだ。
『ここまで噛み砕いてもわかんねーのかよ…あー、そうだな、これ以上わかりやすく…あぁ!これだ!』
「なんだ?」
『お前、浮気してんのか?』
「……………。」
天真の言葉を熟考すること数秒、眉間にシワを寄せていた頼久は今度はこめかみに青筋をたてた。
「いくらお前とはいえ、言っていいことと悪いことがある。わかっているだろうな?今の質問はつまり、私が神子殿を裏切っているのか?と聞いていることになるのだぞ、これで私の理解は間違っていないだろうな?」
『やっと伝わったかよ…。』
何故か安堵しているらしい天真に、頼久がこめかみに浮かせている青筋の数が増える。
「貴様…言うに事欠いて私が神子殿を裏切っているなどと……容赦せん、そこに直れっ!」
『電話で直れって言われてもよ…。』
「何を根拠にそのような根も葉もないことを言うのだ。私は神子殿を裏切ったことはいまだかつて一度もない!」
『だよなぁ、神子殿命のお前が浮気ってあり得ねーよなー。』
電話の向こうで勝手に納得する天真に頼久の怒りは更に増して…
「天真…貴様…今自宅か?今すぐ斬りに行くぞ!」
『ちょ、ちょっと待てって!あかね放って俺を斬りにくるのかよ!てか、刀なんてどこにもねーだろっ!』
「うっ…。」
さっきまで泣いていたあかねの顔を思い出して頼久の怒りは少しだけおさまった。
そうだ、あんなに泣きはらしていた神子殿を置いてなどとうてい出かけられるものではない。
頼久は思い直して携帯を持ち変えると一度深呼吸をした。
『俺だって根拠もなしに疑ったりしねーよ。根拠があったって信じられなかったんだからよ。』
「では、その根拠とやらを聞かせてもらおうか?」
多少怒りをおさめたとはいえ、頼久の声はまだまだ不機嫌そうでいつもよりもかなり低い。
それでもドスのきいた頼久相手にひるむような天真ではない。
『昨日、お前、女と歩いてただろ。』
「昨日?女?」
聞き返しながら頼久は昨日の記憶を呼び起こす。
昨日は確か、朝起きてすぐに神子殿からおはようのメールが届いてそれに返信をして、朝食を軽くすませてから仕事をしてちょうど学校の昼休み辺りの時間に神子殿にご機嫌伺いのメールを出して、神子殿からかわいらしい花の写真が添付されたメールを返信して頂いた、それから……
ここで頼久ははっと自分のある行動に思い至った。
『お前さ、スポーツ用品店から女連れて出てきたろ。しかも女子大生みたいな感じのちょっと美人の。俺、ちょうどあかねと一緒に家に帰る途中で、二人で見かけた。』
「女子大生、美人…。」
と天真に言われても頼久には全く記憶がなかった。
連れと共に店に入って行ったのは覚えているのだが、その連れの人物の風体が全く思い出せないのだ。
『あれ、誰だよ。』
「……おそらく…私が今乗馬を教えているサークルのメンバーの一人かと思うのだが…誰だったか覚えていない…。」
『はぁ?乗馬ぁ?覚えてないだぁ?』
「うむ。確か、基礎体力をつけるためにトレーニングをしたいという話で、家で簡単にトレーニングができる器具を選ぶのを手伝ってほしいと言われたので共に店に行った。その人物のことだと思うのだが…。」
『一緒に買い物したやつのこと覚えてねーのかよ、お前…。』
「話した内容は覚えている、選んだものも覚えているが…どんな容姿だったかは覚えていない……。」
『こう、知的美人、みたいな女子大生風の女で、かなりお前に気がありそうな視線を送ってたぞ?』
「女、だったか?」
『…………。』
今度は天真が電話の向こうで頭を抱えた。
目は悪くないはずだ、夜目まできくし、バカでもないと…思う、たぶん、だとすると…
『…なるほどな、お前、女=あかねなのな。』
「なんの話だ?」
『疑った俺がバカだった……覚えてねーんだろ、昨日一緒に歩いてた女が女か男かも。』
「うむ。」
『つまり、お前にとって女ってもんはあかねだけで、それ以外の女は男と同じなのな…。』
「……そう、かもしれん…。」
そんなこと考えたこともなかった。
だが、天真に言われてみて初めて頼久は、確かにあかね以外の女のことは誰一人として女として認識していなかったことに気付いた。
『頼久。』
「なんだ?」
『お前、あんま外出んな。』
「ん?」
『お前はあかね以外は女じゃないかもしれねーけど、あかねにとっちゃ女はみんなライバルなんだよ。お前がそんなんで、男といるつもりで女と歩いたりするとあかねが気にするだろ。で、お前にあかね以外の女を意識して遠ざけろってのも無理な気がするし、そうなるともうお前を外へ出さないのが一番だ。』
「うむ。」
『あっさり了解かよ…。』
「私が外へ出ないことで神子殿が不安をぬぐって下さるのなら造作もないことだ。」
『はいはい。あぁ、俺何やってんだ。急にむなしくなってきたから切るぞ。』
「うむ。天真、忠告、感謝する。」
天真は『けっ』と言って電話を切った。
けっこう長い時間話していたような気がするのにまだあかねは戻ってこない。
頼久は誤解したまままだ泣いているかもしれないあかねを思ってため息をつくと、はたと思い出して流れっぱなしになっているDVDを少し戻して再生してみた。
するとテレビ画面に映し出されたのは、恋人の浮気場面を主人公が目撃するシーンで…
頼久は軽く首を横に振って深いため息をついた。
「頼久さん?電話終わったんですか?」
目を赤くしてはいるものの、どうやら顔を洗って涙は洗い流してきたらしいあかねはそっと頼久の隣に座って苦しそうな顔の頼久を見上げた。
そうして大きな瞳で見上げるあかねの顔は、薄化粧がすっかり落とされていつものあかねに戻っていて、頼久は安堵のため息をついた。
「どうかしたんですか?」
「神子殿。」
「はい?」
「私に言いたいことがおありなら、なんでもおっしゃって下さい。聞きたいことがおありなら、なんでもお尋ね下さい。」
「…えっと…どうして……。」
「天真が今電話で説明してくれました。」
「……。」
「正直に申しますが、昨日共に歩いていた人物が女性だったことに私は今の今まで気付いていなかったのです。」
「はい?」
目を見開いて驚いているあかねに頼久はさきほど天真にしたのと同じ説明をして聞かせた。
つまり、共に歩いていた女性の風体は全く覚えていないし、女性だと認識さえしていなかったと説明したのだ。
「えっと……つまり、頼久さんは昨日一緒に歩いていた女の人のことを女の人だと思ってなかったってことですか?」
「はい、迂闊でした…。」
「……えっと…頼久さんが乗馬を教えてるのってひょっとして私が前にせっかく馬にも乗れるし剣もできるんだから、そういうの趣味にして生かした方がいいですよって言ったから、ですか?」
「はい、おっしゃる通りだと思いましたので。」
「……今までは気にならなかったから聞かなかったんですけど、頼久さんが乗馬を教えてるのってどんなサークルですか?」
このあかねの問いに帰ってきた頼久の答えは、某お嬢様女子大学の乗馬サークルだった。
あかねの表情がさっと曇るのを頼久が見逃すはずもなく…
「…私の思慮が足りなかったのですね…明日、講師をやめて参ります。」
「えっ、いえ、そこまでしてもらわなくても…。」
「いいえ、神子殿が誤解をなさったり、そのことで苦しんだりなさるのなら私には趣味など必要ありませんので。」
断固として譲らないだろう頼久の態度にあかねはけおされて、ただただ嬉しいやら恥ずかしいやらでうつむいてしまった。
「剣道も教えることになったのですが、断っておきます。」
「えっ、いえ、そんな、断らなくても…。」
「女子高の剣道部ですので断ってまいります。よくよく考えれば女子大も女子高も女子しかいないのです。すっかり失念しておりました。」
「女子高…。」
「ご安心を、明日、断ってまいりますので。」
そう言って頼久は優しく微笑んで見せた。
今、目の前にいる何よりも大切な人が少しでも安心してくれるように。
「私…バカですね。頼久さんにはああいう大人の女性っていうか、もっと年上の人が似合うなぁなんて思っちゃって…どこから見ても私って子供だし、全然頼久さんにつりあってなくて…それで自分も大人の女性になりたいって勝手に一人で背伸びして…それで頼久さんにいやな思いさせちゃって…そんなのやっぱり全然子供ですよね。」
「いえ、神子殿は決して子供などではありません。京を、私の魂をお救い下さった、最も清らかで最も純粋で、聖なるお方です。」
「よ、頼久さん……。」
自分を見つめる頼久の視線が真剣だからこそ、あかねは顔を真っ赤にしてうつむいた。
真剣に自分が思っていることを口に出しているのはわかる。
もともと頼久は思ってもいないことをその場しのぎのために言葉にできるほど器用じゃない。
だが、本心だとわかればこそ、今の発言はあかねにとってはかなり恥ずかしい。
「神子殿?」
「えっと、嬉しいんですけど、でも、その、今のはちょっと恥ずかしいです…。」
「恥ずかしい、ですか?」
自分の発言を思い起こしても何が恥ずかしいのかわからない頼久は小首をかしげる。
そんな頼久を見て、あかねはやっといつものように微笑んだ。
「頼久さん、映画、最初から見ましょう。」
そういったあかねの顔にはあの優しき神子の笑顔が戻っていて、頼久はその笑顔を見ているだけで幸せに満たされるのを感じながらうなずいた。
ずっと流しっぱなしになっていたDVDはまた最初から再生し直されて、あかねと頼久は言葉を交わすこともなく、ただ並んで座ってじっと映画に意識を集中した。
それは悲しい悲恋物の映画だったが、最後まで見終わってもあかねは泣かなかった。
「悲しい映画でしたけど、頼久さんと観てると悲しい映画も楽しく観れます。」
そう言った恋人の言葉が嬉しくて、思わず頼久はあかねを抱きしめた。
最初は驚いたように体をこわばらせたあかねは徐々に体の力を抜いて頼久の胸によりかかる。
そんなあかねを頼久は大事そうに、愛しそうに抱きしめるのだった。
管理人のひとりごと
頼久さんは別にバカじゃありません(爆)
あかねちゃんしか見えてませんってことです(^^)
今回はでも、天真君頑張れって感じになったなぁ…
たぶん、天真君はこれからもけっこう登場します。
なんたって真の友ですから(笑)
ちなみに管理人は化粧が好きじゃありません。
頼久さんの場合は化粧云々よりあかねちゃんならなんでもいいんですたぶん(爆)
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