薄紅の、花の下にて

 源家の庭には大きな桜の木が一本、悠然とたたずんでいる。

 一般人が暮らす家の庭に生えている桜としてはかなり大きな方だ。

 その大きな桜が満開を迎え、更に美しい散り際を見せるのをあかねは毎年、とても楽しみにしている。

 そして、そんなあかねが花を愛でる姿をこそ愛でたい男が一人、桜の下に立っていた。

 この庭の主である頼久にとって桜は言葉では表現できないほど思い入れの深い花だった。

 そう、京であかねに出会うまでは、どちらかといえばあまり浮かれた気分で見上げる花ではなかった。

 だが、頼久はあかねに出会うことができた。

 あかねに出会ってからというもの、あかねの幸せそうな笑顔を絶えず見ることができるこの花の季節は頼久にとっても心浮かれる季節となっていた。

 見上げればそこには青い空を背景に咲き誇る薄紅の花の数々。

 そして…

 背後にふわりと春の陽射しよりも温かく、夏の風よりも爽やかで、それでいて優しさに溢れた気配が現れた。

 頼久が反射的に口元に笑みを灯して振り返れば、そこにはまだ眠そうな目をこすってはいるものの、しっかりと身なりを整えたあかねの姿があった。

「おはようございます。」

「おはようございます。頼久さんは今日も早いですね。」

 まだ少し寝ぼけた様子であかねはゆっくりと窓辺へ歩み寄る。

 光に慣れない目を細めながらも頼久を見つめたあかねの瞳には頼久が幸せを感じるには十分すぎるほどの微笑が浮かんでいた。

「鍛錬がありますので。あかねはもう少し休んでいてもかまいませんが?」

 あかねは特別朝が苦手なわけではないが、鍛錬をする頼久は一般人と比べるとかなり朝が早い。

 頼久としてはそんな自分にあかねが合わせて生活する必要はないと常々思っているのだ。

 朝食の用意なら自分がしてもかまわないのだから。

 もちろん、あかねの手料理にかなうはずもないが。

「もったいないですから。」

「もったいない、ですか…。」

 苦笑するあかねの口からこぼれたのは頼久の予想を越えた言葉だった。

 寝坊をしたくないとか朝食をちゃんと作りたいとか、そういう言葉が返ってくるかと思っていた頼久にとって「もったいない」というあかねの一言は予想外だった。

「もったいないです。だって、今だけですから。頼久さんとお花見できるのは。」

 そう言いながらあかねはベランダから庭へと降りてきた。

 朝陽に照らし出されるあかねの姿を見つめながら頼久は心の中で『さすがは神子殿、慧眼。』と、一人つぶやいていた。

 もちろん、『神子殿』などと今更口に出して呼べばあかねが他人行儀だと拗ねるので、口に出したりはしない。

「うわぁ、すっかり満開ですね!」

 頼久の隣までやってきて庭の桜を見上げたあかねはその笑顔こそが満開の花と頼久に思わせる笑みを浮かべた。

 花から自分へとその笑顔が向けられる奇跡に頼久が感動している間に、あかねは再び花を見上げると、何やら必死に背伸びを始めた。

「あかね?」

「せっかく綺麗に咲いてるので、もうちょっと近くで見たいなと思うんですけど……いいですよね、頼久さんは背が高いから…。」

 少し残念そうにそう言ってあかねは背伸びをすることをあきらめて苦笑した。

 せっかくの桜の季節にあかねのこんなに残念な苦笑を見ることになろうとは…

 頼久は眉間に軽くシワを寄せて考えて、それからその長い腕をすぐ頭上にある枝へと伸ばそうとした。

 重さに負けはしないかと思うほど花をつけたその枝に頼久の長い指が届こうとしたその刹那、あかねの手が頼久の二の腕に乗せられた。

「やめてください。」

「は?」

「頼久さん、その枝を折って私に花をよく見せようとしてくれてるんですよね?」

「はぁ…。」

「桜って切ってはいけないって聞いたことがあるし、それに、かわいそうですから、やめてあげてください。」

 そう言ってふわりと微笑まれてはもう頼久が手を更に伸ばすことはかなわない。

 ゆっくりと腕を下ろすと、その腕をそっと抱いてあかねは嬉しそうに微笑んだ。

 頼久は利き腕に幸せな温もりを感じながらゆっくりと花を見上げた。

 すぐ目の前にあるように頼久には感じられるその花は、あかねからは確かにけっこうな距離がある。

 花枝一本手折ることをさえ許さない心優しいこの人に、何故その美しい姿をよく見せてくれないのかと頼久は一人心の中で桜を責めた。

 もちろん、そんなことは桜のせいではないとわかっているのに。

「私も頼久さんくらい大きければ良く見えたのにって思いますけど…でも……頼久さんと並んでて同じ大きさの私じゃ頼久さんに好きになってもらえなかったような気もするし、複雑です。」

「そのような御心配は不要です。あかねはどのような大きさでもお美しいので。」

「う、美しくはないですけど…。」

「そもそも、私はあかねの外見に心ひかれたというわけではありません。もちろん、外見もお美しく愛らしいと思ってはおりますが。」

「美しくも愛らしくもないですから!そういう恥ずかしいこと言うところ、変わらないですよね、頼久さん…。」

 首まで真っ赤になってうつむくあかねをまさに今、上から見下ろている頼久の耳に突如、先ほどのあかねの声が甦った。

『私も頼久さんくらい大きければ良く見えたのに…』

 そう、花の方を引き寄せることがかなわないなら、あかねの方が花へと身を寄せることができればいいのだ。

 頼久の頭の辺りまででもあかねの視線を上げてやることができれば、あかねは花をもっとよく見ることができるはず。

 視界の中でゆっくりと顔を上げ、上目使いに自分を見上げるあかねを見つめて、頼久はハッと目を見開くと、そのまま何を思ったかあかねの前にかがみこんだ。

「頼久さん?」

 あかねが目を白黒させている間に頼久はあかねの両足を抱えると自分の肩にあかねを座らせるようにして立ち上がった。

「きゃっ。」

 その小さな悲鳴があかねの口からこぼれたのはほんの一瞬。

 驚きはしたものの、あかねを恐怖が襲うことはない。

 頼久があかねを取り落とすなどということは金輪際有り得ないということをあかねは肌で覚えている。

「えっと…どうしたんですか?急に。」

「これならば花をよく愛でて頂けるかと。」

「あ…。」

 頼久に促されて初めて気付いて、あかねは視線を上へ向けた。

 すると…

「わぁ…」

 あかねのすぐ目の前にそれはあった。

 薄紅の可愛らしい花びらを五枚付けた可憐な花。

 その花が所狭しと並んでいる。

 よくよく見れば花の中央にある雌蕊や雄蕊までが良く見えて…

「見れば見るほどかわいいですよね、桜って。」

「かわいい、ですか…。」

「花一つ一つを近くで見るとかわいいなって思います。でも、遠くからたくさん咲いているのを見ると気高いっていうか、荘厳な感じ、かな。」

「なるほど。」

 あかねの感想に頼久が感心してうなずいていると、二人しかいなかった庭にもう一つ入り込んだ気配を感じて、頼久はそちらへと体を向けた。

「お前ら…。」

「天真君、おはよう。こんなに早くどうしたの?」

 あきれたような声をあげながら入ってきたのは天真だった。

 きょとんとしているあかねに対して呆れたような溜め息をついている天真の様子に、頼久は眉間にシワを寄せた。

「どうしたの?じゃねーよ。そっちこそ何やってんだよ。」

「何って…お花見?」

「あのなぁ、新婚夫婦の花見ってのは情緒ってーか風情ってーか…なんだ、ああ、色気があるもんだ。」

「い、色気?!」

「おう。」

 何故か自慢げに胸を張る天真に対して、あかねが一瞬で顔を赤くしたのが頼久には確認するまでもなくわかっていた。

「おい、天真、朝から何を…。」

「朝っぱらから新婚夫婦じゃなくて親子みてーなことしてる連中に言われたくねー。」

『親子…』

 同時につぶやいてあかねと頼久は顔を見合わせた。

 その視線の向きは普段とは逆だ。

 あかねが頼久を見下ろすなどということはそう多くはない。

 ということに思い当たると、現在、自分達がどんな状態にあるかを思い出し…

「頼久さん…その……。」

「はい。」

 あかねに皆まで言わせずに、頼久はゆっくりと慎重にあかねの体を地面へと下ろした。

「で、なんであかねは頼久の肩にのっけられてたんだ?」

「私の背が低くて花が良く見えなかったから…。」

「ああ、かわいそうだから枝を折るなとか言ったわけな。で、苦悩の末、頼久がお前を抱え上げたわけだ。」

「凄い!よくわかったね、天真君。」

「あー、お前らとも付き合いが長いからな…。」

 目を輝かせて驚くあかねに天真は深い溜め息をついた。

 結局、この二人は結婚しようがしまいが、常にこうしていちゃついているのだと思うと天真としては脱力するしかない。

「お前はこんな時間から何をしに来たのだ?」

「蘭がな、ここでみんなで花見したいとか言い出したんだ。で、あかねはやるって言うんだろうなと。」

「うん!天真君よくわかるね!」

「でだ、そんなら買い出しだなんだと人手がいるだろ?蘭が言いだしたことだからな。買い出しは俺が行く。」

「じゃあ、私は料理で…。」

「私が掃除を致しましょう。」

「お願いします。」

 親子と言われたショックから早くも立ち直った二人は笑みを交わした。

 一瞬で二人の世界に弾き飛ばされた気がした天真が頭をかきむしっていると、あかねの笑顔はすぐに天真へと向けられた。

「頑張っておいしいもの作るから、天真君、お買い物頑張ってね。」

「……おう。」

 幸せそうなあかねの笑顔を見てはもう天真には頑張るという選択肢しかない。

 花見の席では何が食べたいかと頼久に尋ねるあかねは幸せそのもので…

 天真はおそらくは次に同じことを聞かれるだろうことを予想して、答えを用意するのだった。








管理人のひとりごと

大変遅くなりましたが、これをやらないと春が来ないということで(^^;
桜の枝を折ってあかねちゃんが喜ぶわけがないってお話。
の、つもりだったんですが…
親子みたいな話になった○| ̄|_
頼久さんなら肩にひょいって乗せれるんだろうなぁと思ってしまって(^^;
力持ち頼久さんをお楽しみ頂ければ幸いです(ノД`)