縁側で月見をしたいと言い出したのはあかねの方だった。
今年は夏が長くて、夜もまだ暖かかったから。
大切な人と縁側に並んで座ってお茶を片手にお月見にはいい気候だ。
もちろん、頼久はそんなあかねの申し出を二つ返事で了解した。
秋の空に冴えわたる美しい望月の光に照らされるあかねがどんなに美しいかは頼久の想像力を越えているに違いない。
帰り道はあかねを自宅まで送り届ければいいわけで、頼久に反対する理由はなかった。
結果、二人はというと、頼久の家の縁側に座り、頼久は酒を片手に、あかねは湯飲みを片手に昇りゆく満月を見上げていた。
「今年はやっぱり去年より少し暖かいですね。」
「はい、そのせいか、少々月には霞がかかっているように見えますが…。」
「ですね。でも、こういう月も綺麗だと思います。」
「はい。」
頼久は杯片手にあかねの横顔をじっと見つめていた。
ニコニコと楽しそうな微笑を浮かべて月を見上げるあかねは、まるで絵に描いた天女のように頼久の目に映った。
「頼久さん?ちゃんと月見てますか?」
「はい。」
視線を感じてあかねが問えば、頼久はしらっとそう答えた。
もちろん、その視線はあかねの横顔に釘付けだ。
そのことに気付いてあかねはさっと頬を赤くした。
「頼久さん、こっちばっかり見てると思います。」
「いけませんか?」
「いけなくはないですけど…恥ずかしいです…。」
そう言うあかねも愛らしくて、頼久はますます目が離せないのだ。
あかねはといえば、自分がそんなに注目される理由が全くわかっていないのだけれど。
頼久は顔を赤くするあかねの横顔を堪能しながらも、一人言い知れぬ安堵と幸せを感じていた。
今、この状況がもし京であったら…
頼久とあかねが京に残ることを決めていたら、きっと頼久はこんなふうに穏やかに月見などできていなかった。
どれだけあかねが自分の側にいると言ってくれたとしても、きっと心のどこかで元いた世界に帰りたいと思っている二違いないと頼久は考えるだろう。
月を見るたびに、月へと帰って行ったという姫君の話を思い出さないわけがない。
そしてその姫君とあかねとを重ね合わせて、何とも言えない焦燥感に駆られていたに違いない。
それが、こうしてあかねが生まれ育った世界で見上げているというだけで、月は頼久にこの上ない安堵と幸せをもたらすのだ。
いや、その二つをもたらしているのは隣で赤い顔をしているあかねなのだが。
「そうだ!今日は本当に満月だってニュースで言ってました。」
「本当に、満月、ですか?」
恥ずかしさから逃れるようにあかねがにっこり微笑みながら口にした言葉に頼久は首を傾げた。
本当に満月というのはどういうことか?
確かに二人の頭上に輝いているのは真ん丸な月だ。
満月だからと月見をしているのだから当然だろう。
満月に本当も本当でないもあるのかと頼久が悩み始めたところで、あかねが微笑を苦笑へ変えた。
「ああ、すみません。私の説明が悪かったですね。」
「いえ…。」
「えっと、本当に真ん丸になるんだそうです。満月っていっても、いくらか欠けてることが多いらしいんですけど、今年の仲秋の名月は真ん丸なんです!」
「ああ、なるほど。」
言われて改めて頭上を見上げてみれば、確かに丸い月は完璧なまでに丸く見えた。
「次に仲秋の名月が真ん丸になるのは何年も先だそうです。」
「そうでしたか…。」
何年もたたないと再び丸い明月を見ることができないと知ると、今この瞬間が貴重な時であるような気がして、頼久はじっと月を見つめた。
「あの……頼久さん。」
「はい。」
改めて愛しい人に名を呼ばれて、頼久は月から隣のその人へと視線を移した。
そこには月明かりに照らされて、頬をほんのり赤く染めたあかねの恥ずかしそうな微笑があった。
「その…次の真ん丸の満月も、一緒に見ましょうね。」
楽しそうに、幸せそうに、この上もなく穏やかにそう告げたあかねの笑顔が頼久の脳裏に焼き付いた。
次の真円の月を共に見ようというただそれだけの誘いに、頼久の体は熱を帯びた。
何年も先になるという真円の月。
それを共に見るということは、何年も先まで共に在ろうということだ。
それは頼久が常日頃から願ってやまないこと。
そしてあかねだけをこの世界へ返し、頼久が京へ残ったなら願うことすらかなわなかったことだ。
「頼久さん?」
「……喜んで、お供させて頂きます。」
「また頼久さんはそんな、お供じゃないです。一緒に見て下さいっていうだけです。」
「はい。」
「その……。」
「?」
「本当にもうお供とかそういうのやめてください……もうすぐ、け、結婚するわけですから…。」
あかねの顔が薄明りの中であっという間に赤くなった。
その様子が愛らしくて愛しくて。
語られた言葉が嬉しくて。
頼久は手を伸ばすとそっとあかねを抱きしめた。
「あの、頼久さん?」
「神子殿のおっしゃる通りです。改めるよう努力致します。」
「あ、はい、お願いします……って、その神子殿もできたら……あと、その、ちょっと恥ずかしいです。」
「せっかくの月ですし。」
「つ、月とこういうことをするのは関係ないと思うんですけど…。」
「お嫌ですか?」
あかねの耳に届いたのは艶のある、どこか悲しげな低い声。
そんな声を出させたかったわけではなくて、あかねは慌てて頼久に抱きしめられたまま首をぶんぶんと横に振ってしまった。
「い、嫌なんじゃなくて恥ずかしいだけで…。」
「では、あかね。」
「はいっ!」
「私もあかねの夫にふさわしい振る舞いとなるよう努力いたしますので、あかねも妻としてこの程度の事には耐えるよう努力して頂けませんか?」
思いもよらなかった申し出にあかねは一瞬あっけにとられて、それから顔を赤くしてうつむいた。
額に感じる頼久の体温が温かくて幸せで、あかねの顔には自然と微笑が浮かんだ。
「耐えるっていうほどのことじゃないです。嫌なわけじゃないので。嬉しくもあるし…。」
「では、もうしばし、このままでもよろしいですか?」
「はい。」
あかねの短い肯定の返事は幸福に満ちて聞こえて、頼久の顔にも笑みが浮かんだ。
しばらくあかねを抱きしめて、それからそっとその小さな体を離して微笑み合えば、これから先の未来には幸せしか待っていない気さえする。
この後、二人は縁側に座ってひとしきり月を見上げていた。
二人並んで月を見上げて、そしてこの先も共に同じ月を見上げる約束ができる幸せを噛みしめながら。