
テーブルの上には赤い薔薇の花。
その周囲には空になった二人分のティーカップ。
ティーカップを挟むように置かれた白い皿の上には2枚のクッキーが寂しげに残されている。
そんなリビングの風景を照らし出しているのは、ベランダから差し込む紅色の陽の光だった。
外はもう夕暮れ時。
赤い夕陽が照らしだすリビングはだが、無人だった。
部屋の主がどこにいるかといえば、その大きな背中は縁側にあった。
紅の光に染められているリビングの主、源頼久はその顔に穏やかな微笑を浮かべながら小さな背をゆるやかに抱いていた。
膝の上に乗っているその小さな背は、頼久の愛しくてならない婚約者のものだ。
「頼久さん、本当にこれでよかったんですか?」
あかねがそう言いながらそっと後ろを振り返れば、背後からその小さな体を抱きしめている頼久は端整な顔に穏やかな笑みを浮かべてうなずいていた。
「この上なく幸福な一日を過ごさせて頂きました。」
その声の色、あかねの目の前にある満面の笑み、腕や胸といった触れている場所から伝わる優しい熱も全てが頼久の言葉が本心だと告げていた。
「それならいいんですけど……。」
頼久の膝の上であかねは苦笑を浮かべていた。
そしてその苦笑を頼久が幸せそうな顔で見つめている。
そんな光景がこの一日ずっと家の中を満たしていた。
何故なら今日は頼久の誕生日だったからだ。
あかねとしては色々計画してはいた。
手料理を作ってあげて、ケーキも焼いて、そしてプレゼントを渡して、等々…。
けれど、それらのほとんどは頼久に却下されてしまった。
却下されたというよりは懇願されたというのが実際のところだ。
誕生日を祝いたいと思ってくれるなら、あかねは家の中でゆっくりしていてほしいというのが頼久の懇願の内容だ。
その間に頼久が料理を作り、あかねにふるまうというのだから、あかねが苦笑するのも無理はなかった。
それでも頼久はどうやら自分一人があかねに奉仕する一日を堪能したようで、こうして一日が暮れゆく夕焼け空の下で満足気にあかねを膝の上に乗せているというわけだった。
「私、頼久さんの誕生日、毎年何もできてない気がするんですけど…。」
「いえ、こうして一日側にいて頂いております。」
「それはそうですけど…でも、そんなのもうすぐ毎日一緒にいるようになるし…。」
後半は言い淀んだあかねの頬がほんのり赤く見えるのは夕陽に照らされているせいだけではない。
もうすぐ二人は結婚する。
そのことを想像すればあかねの顔が赤くなるのも無理はなかった。
「それまでは離れておりますから。」
聞こえた声はどこかせつなくて、あかねは思わず頼久の顔をじっと見つめてしまった。
頼久の言う通り、まだあかねは自分の家へと夜になれば帰ることになる身だ。
だからあかねも夜になると寂しい思いをすることはあるけれど、頼久がこんなふうに切ない声を出すとは思ってもみなくて、あかねの普段から丸い瞳は更に丸く大きく見開かれた。
「共に暮らすことができるようになるその日までは。」
「……じゃあ、来年は私にお祝いさせてくださいね。お料理作ったりケーキ焼いたり。」
「それは…。」
「ダメなんですか?」
さすがにあかねもこれには更に驚いた。
来年の今頃は一緒に暮らしているはずなのだから、まさか今日と同じようにただ一緒にいてくれということもないだろうと思ったのに…。
「共に暮らすようになれば神子殿は毎日毎食、手料理を作って下さるのではありませんか?」
「それは…確かに…。」
「では、やはり私の誕生日くらいは私に作らせて頂きたく。」
うっとりした様子で抱きしめられて耳元でそんなことを言われては、もうあかねには抵抗することなんてできなくて…
それでもやっぱり何かお祝いはしたくて…
あかねはそっと頼久を見つめると、その顔にできる限りの笑みを浮かべた。
すると今度は頼久の目が驚きで多きく見開かれた。
「頼久さん。」
「はい。」
「お誕生日おめでとうございます。」
生まれ育った世界を隔てての出会いや、その存在自体、何もかもに感謝しながらあかねはその一言だけを口にした。
感謝の気持ちも、お祝いの気持ちも、愛しさも、色々な想いは重なって…
その想いの全てを乗せる言葉の中で誕生日にふさわしいものはやはりこの一言だったから。
「有り難うございます……あかね。」
万感の想いを込めたあかねの言葉に応えたのは、頼久の、やはり万感の想いのこもった一言だった。
自分の名を呼ぶその声に頼久の愛情の全てを感じてあかねは顔を赤くしながらも幸せそうに微笑んだ。
そうして想いを交わしてしまえば、もう二人の間に言葉は必要なくて…
いつの間にか更に身を寄せ合った二人は暮れ行く夕陽をそろって見つめていた。
「頼久さん、渡したいものがあるんです。」
あかねがそう言いだしたのは、すっかり陽が暮れて夜になってからのことだった。
夕陽を縁側で楽しんだ二人はその後、あかねの手料理で夕食を軽く済ませた。
食事を済ませてしまえばもう外は真っ暗で、頼久があかねを家まで送って行こうと申し出た矢先にあかねは顔を赤らめながら紙包みを頼久に差し出した。
ふわふわとしたものが包まれているらしい紙包みを受け取って、頼久はその包みを開ける前にあかねをじっと見つめた。
誕生日のプレゼントに欲しいものはないかと聞かれて、あかねのために料理がしたいと言ったのは頼久だ。
だから昼食は頼久があかねのために作った料理で済ませた。
頼久にしてみれば、そうして自分の作った料理をあかねが食べてくれるのがプレゼント、のつもりだったのだが…
「もしやこれは…。」
「お誕生日のプレゼントです。どうしても私が贈りたくて。受け取ってもらえますか?」
「もちろんです!有り難うございます。開けてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ。」
少しばかり恥ずかしそうにはにかんだあかねの笑顔から手元の包みへと視線を移して、頼久は慎重に包みを開けた。
中から出てきたのは、紺の毛糸で編まれた帽子だった。
「これは…もしや編んで下さったのですか?」
「はい。毎年セーターとかカーディガンとかだと芸がないかなぁと思って、今年は帽子に挑戦してみました。」
にっこり微笑むあかねの前で頼久がその帽子をかぶってみれば、サイズは驚くほどぴったりだ。
「よかった。サイズ大丈夫みたいですね。」
「はい、ちょうど良いようです。よく私の頭の大きさなどおわかりで。」
「いえそれは…その…たまに膝枕をする時になんとなく髪を撫でたりしながらはかっていたというか……。」
突然顔を赤くしてもごもごとそう言うあかねを見ては、頼久も黙ってなどいられない。
帽子はかぶったまま、腕をのばして小さな体を抱き寄せれば、あかねは静かに頼久の腕の中におさまった。
「有り難うございます。」
何よりも大切な人に自分が産まれたその日を祝ってもらえる幸せを噛みしめながらそうつぶやけば、あかねは頼久の腕の中で顔を上げた。
至近距離にある愛らしい婚約者の顔に頼久が見惚れていると、あかねは顔を赤くしながら口を開いた。
「来年の今頃は一緒に暮らしていると思いますけど、またこうして二人で誕生日を祝わせてくださいね。」
「もちろんです。私の方からお願い致します。」
「再来年も祝いたいです。」
「是非お願い致します。」
「その先もずっと…。」
「………はい、望むことが許されるのなら永久に。」
そう言葉を交わしてお互いの体を優しく抱きしめて…
そうして温もりを堪能してから頼久はそっとあかねの体を離した。
「もうすっかり遅くなってしまいました。お送り致します。」
「はい。」
帽子をかぶったままコートを着る頼久にあかねはにっこり微笑んだままうなずいた。
本当はこのまま泊まりたいくらいだけれど、そんなことをしなくてももうすぐ共に暮らす日々がやってくるから。
だから今は、自分が編んだ帽子をかぶってくれている頼久と共に夜道を帰ることを楽しむことにした。
−翌日−
「…………………あぁ、そういうことか。」
またかと言いたげな顔の頼久に出迎えられて玄関で一瞬凍り付いたのは、缶ビール片手の天真だった。
一人で何やら勝手に納得したかと思うと、頼久が入れと言うまでもなく勝手に中に入り、これまた勝手に酒盛りを始める。
もうこの光景はいつものことなので、頼久も何を言うわけでもなく天真から缶ビールを受け取ると向かいに座って飲み始めた。
「何がそういうこと、なのだ?」
「何がってお前、決まってんだろ、その頭だ。」
「サイズがちょうど良いのだ。」
「そうかよ。」
「温かくてな。」
「どうせあかねの手編みなんだろう?誕生日プレゼントなんだろうが、家の中でかぶるのはやめろ。」
「しかしせっかく…。」
「せっかく編んで下さった神子殿は外出用にと思って編んでるに決まってんだろ。家の中でかぶってるの見たらさすがに不気味がるぞ。」
不気味がるの一言に反応して頼久はやっと頭にかぶっていた毛糸の帽子をそっとテーブルへと置いた。
「それにしてもあかね、マメだなぁ。」
「共に過ごしてくださるだけで十分だと申し上げたのだがな。」
「ま、あかねはそれじゃ納得しねーな。」
「お前とは違ってな。」
「ふん。」
そんな会話を交わしながらも二人はニヤリと笑みを交わしていた。
天真が酒を片手にやってきたのはやはり友の誕生日を祝うため。
誕生日の翌日になったのは当日はあかねと二人きりで過ごさせようと気遣ったからだ。
そのことを悟っている頼久は、何も言わない友と笑みだけを交わし、生まれ育った世界を捨てた自分にもたらされた幸福を噛みしめるのだった。