
カタリと音がして、Tシャツとフレアスカートに着替えたあかねがリビングへ戻ってきた。
ドライヤーで乾かした髪はまだ生乾きだが、それ以外はバスルームへ入っていった時と大差ない姿だ。
あかねがリビングへ入るとすぐに頼久があかねの姿を見つけて微笑を浮かべる。
あかねは小首を傾げながら頼久の隣に座った。
「何してたんですか?」
「テレビを見ておりました。」
「あれ、テレビあまり見ないって言ってませんでしたっけ?」
「普段はあまり見ませんが、今は殺人犯のニュースが流れるかもしれませんので。」
「あぁ、なるほど。」
京にいた頃の頼久はそれこそ武士という護衛のプロだったわけだが、こちらの世界へやってきてからは違う。
それなのにやはり警護となると頼久の能力はフル稼働するようで、あかねが思いつかないところにまで細かな気配りを見せていた。
「ゆっくりできましたか?」
「あ、はい、意外と…。」
「それは何よりでした。」
「頼久さんも入ってきたらいいのに。」
「夜が明けて自宅に戻ってからゆっくり入ることに致しますので。」
そういってにっこり微笑まれてはあかねにそれ以上すすめることはできない。
そして話す話題も尽きてしまって、あかねはなんとなく気まずい思いでテレビへと目を向けた。
テレビ画面に映っていたのは…
「頼久さん、これ、経済ニュース…。」
「はい、他にニュース番組がありませんでしたので。経済とはいえニュース番組です、何か情報があれば流すでしょう。」
「それはそうかもしれませんけど…経済ニュースなんか見て、面白いですか?」
楽しむために見ているわけではないとわかっていても、もうちょっと番組を選んでもいいと思う。
「神子殿の面白いとはちがうかもしれませんが、興味深いとは思います。」
「興味深い、ですか?」
「経済は世界を動かしている大きな力の一つですので。京でも財力を持つものは身分を持たずともそこそこの力を持っておりました。もちろん、身分ある者はたいてい財力も持っておりましたが、身分がなくとも財力があれば何事かはできました。こちらの世界でもそれは変わりませんので、経済は学んでおいてもいいものだと思いました。」
こちらの世界でも変わらないというか、こちらの世界の方が身分がない分、世界は経済で動いているのかもしれないとあかねは思った。
京なら身分があるというだけで出世できたし、身分だけでいくらでもお金が入ってきているようだった。
だが、こちらの世界はその身分がない。
だからその分、どれほど経済力を持っているのかが人の評価の一部になっているような気がする。
身分に縛られた世界もどうかと思ったが、こうして考えてみると財力で人の一部が判断される世界もどうだろうと考えてあかねは苦笑した。
どっちもどっちだ。
「神子殿が何か御覧になりたいものがおありならどうぞ。」
「いえ、私は別に。こんな時間まで起きてることあまりありませんし、起きてても友達と電話で長電話とか……頼久さんと長電話とかですし…。」
「そうでした。では、もうお休みになりますか?」
「えっと…お風呂に入って喉かわいちゃったんで、何か飲んでからにします。」
そう言ってあかねは台所で紅茶をいれた。
もちろん、ついでに頼久の分も入れる。
喉はかわいていたが、別に何か飲まなければ眠れないというほどではない。
だが、せっかく頼久と二人でゆっくり過ごすことができるのだから、もう少しだけ二人で起きていたいというのがあかねの本音だった。
二人でいれば緊張もするけれど、やっぱり幸せだったから。
「頼久さんもどうぞ。」
「有難うございます。」
紅茶を手渡して隣に座ればまた会話は途切れてしまう。
いつもはなかなか会えなくて会えば話すことがたくさんあるのだが、こうして長時間一緒に二人きりだとさすがに話すことも尽きた。
いつだって話すのは一方的にあかねの方で、口下手な頼久は聞き手に回る。
穏やかな顔であかねの話を聞いてうなずいてはくれても頼久の方から話題を提供してくれることはそうはない。
今もその状態に変わりはないわけで…
あかねはテレビの音だけが響くリビングでそっと手を伸ばせばすぐに恋人に触れることができる距離に座って緊張しながら紅茶を手にしていた。
この紅茶を飲み終わったらここに座っている理由もなくなってしまう。
それが嫌で紅茶はただ見つめるだけでなかなか飲むことができない。
「私は…。」
「はい?」
「私は口下手ですので、神子殿のお気に召すような話もできず…もし過ごしづらいようでしたら私は外へでも…。」
「ダメ!」
「はい?」
「過ごしづらくないんかないです、それに外は台風でひどい雨と風です。頼久さんが外に出るなんて絶対ダメです。」
「はぁ…。」
「別に過ごしづらくなんかないです。夜一緒にいることってめったにないからちょっと緊張しちゃってるだけで…私別に頼久さんが何も話してくれなくても過ごしづらくなんかないです。」
「神子殿…。」
「頼久さんが過ごしづらいなら頑張って何か話しますけど…。」
「いえ、頑張って頂くほどのことでは…私はこうして神子殿のお側に置いて頂けるだけで幸福ですので。」
「ま、また頼久さんはそういうこと言って…。」
本当に幸せそうに微笑む頼久を見てあかねは顔を真っ赤にして紅茶を口にした。
何かしていないと顔から火が出そうだ。
何を話すこともない、何かすることがあるわけでもない、けれどこうして二人で静かに過ごす。
こんな時間が京では全くとれなかった。
それだけこの世界が、今が平和だということ。
そういう平和な時間を共に過ごせて本当によかったと思う。
もし、京に自分が残っていても、頼久は武士で、結局戦いの毎日だっただろうから、きっとこんなふうに穏やかな時間は持てなかったと思う。
だから、大切な人に大変な思いをさせてしまったけれど、それでもこれでよかったとあかねは改めてそう思いながら紅茶を飲み続けた。
外が嵐であることも、殺人犯が逃走中であることも、京のあの戦いの日々を思えばたいしたことではない。
そっとテレビを見ている頼久の横顔を盗み見れば、確かに京にいた頃よりは穏やかになっているのだ。
そのことが嬉しくて、あかねは思わず笑みをこぼしていた。
「神子殿?」
「あぁ、ごめんなさい、えっと…あの…なんというか…頼久さん変わったなと思って。」
「変わりましたか?」
「はい。穏やかになりました。凄く優しい感じ。あぁ、京にいた頃も頼久さんは優しかったんですけど、いつも緊張してるっていうか、そういうところがあったから。」
「武士ですから、常に周囲に気を配っているのは当然のことです。こちらではその必要がありませんので……多少なまったかもしれません。」
「いえあの、別になまってもいいと思うんですけど…。」
急に眉間にシワを寄せた頼久にあかねは苦笑した。
こちらの世界では武士ではないのだから別に鍛錬などしなくてもいいし、武士としてのカンが鈍ってもいいと思うのだが、どうやら生まれながらの武士だった頼久はそうはいかないらしい。
「私はたとえば頼久さんの剣の腕がなまっても、今みたいに優しくって穏やかでいてくれる方が嬉しいです。」
「神子殿…承知致しました。」
頼久があかねの想いを受け取って優しく微笑むと、あかねもそれに答えるように微笑みながら紅茶を飲み干した。
これで起きている理由は終わり。
あかねはティーカップを置いて軽く溜め息をついた。
「私はここで警護しておりますので、神子殿は安心してゆっくりお休み下さい。」
まるで京にいた頃のような口調で、でもすこしだけ悪戯っぽく頼久がそう言ってもあかねは立ち上がることはなくて。
それどころかあかねはうつむいてもごもごと何か言い始めた。
「神子殿?」
「えっと…そのですね……。」
あかねにしてみれば確かにそれは二人きりでいれば緊張はするが、できれば離れたくないというのも本心だ。
だからといって両親に心配をかけるようなことにはなりたくないし、でもこうして隣に座っていたりはしたいわけで。
なんならもう少しそういう雰囲気くらいにはなってくれてもいいと思うのだが、もちろん誠実さの塊みたいな恋人がそんなふうになるわけもなく…
「どうかなさいましたか?」
「その…やっぱり私もここで休んじゃダメですか?」
「神子殿にはご自身のベッドがおありでしょう?」
「そう、なんですけど…。」
「一人では恐ろしくて眠れませんか?」
「そ、そんなことはないですっ!頼久さんが守ってくれてるのに一人じゃ恐いとかそんなことはないです!」
「では、ご自身のベッドでお休みになった方が…。」
「それはそうなんですけど…その…離れたくないというか一緒にいたいというか…せっかく二人きりなのにというか……。」
顔を赤くしてあかねがそう言ってうつむくと頼久はそっと肩を抱き寄せた。
それだけであかねの体が緊張してピクリとしたのに気付いて、頼久は苦笑した。
乙女心は複雑だ、それを理解しろというのは天真とその妹である蘭によくいわれることだ。
どうやら今、あかねはその複雑な乙女心のおかげで戸惑っているらしい。
「ここでお休み頂いても私は一向に構いませんが…眠れますか?」
「へ。」
頭上から降ってきた優しい声にあかねははっとして視線を上げた。
そこには微笑む恋人の端整な顔が…
「えっと…。」
よくよく考えてみれば、同じ部屋に頼久が起きている状態で自分が眠れるとは思えない。
間違いなく貫徹だ。
でもここにこうして一番一緒にいたい人がいてくれるというのに自分の部屋で一人で眠るなんて寂しすぎる。
自分がもっと大人だったら一緒にベッドに入って眠るという選択肢があったのだろうかと考えるとなんだか悲しくなって、あかねはうつむいて溜め息をついた。
「もうちょっと私が大人だったらなぁ…。」
「何故でしょう?」
「頼久さんと一緒にベッドで寝るっていう選択があったかなぁと…っていや、その、そういう意味じゃなくてその…。」
一瞬キョトンとした頼久はすぐにふっと微笑んであかねの肩を抱く手に優しく力を込めた。
「たとえば今、神子殿が社会人でいらっしゃったとしてもその選択肢はないかと。」
「へ、そうなんですか?」
驚いてあかねが再び視線を上げれば頼久はゆっくりうなずいて見せた。
「どうしてですか?」
「結婚、しておりませんので。」
「はい?」
「ご両親にご信頼頂いてもおりますし、私にとって神子殿は何にも代えがたい尊きお方、婚儀も挙げぬうちに傷物にするような真似はできかねます。これは年齢とは関係のないことです。」
「…なるほど。」
頼久らしい考え方だとは思う。
そうは思うけれどやはりこうはっきり言われてしまうとあかねとしては笑ってはいられなかった。
それが頼久の優しさであり誠実さでもあるのだとわかってはいる。
でもこの状況下で恋人同士らしい雰囲気にもならないのもどうかと思ってしまうのだ。
あかねがうつむいて不機嫌そうにしているとすっと頼久の手が伸びてきてあかねの顔を上向かせた。
何が起こったのかわからずにあかねがキョトンとしている間に流れるような動きで頼久の顔が近づいてきて、あっという間に口づけられていた。
最初は驚いて体をかたくしてしまったあかねだが、頼久の唇はなかなか離れることがなくて、そのうちあかねもうっとりと目を閉じた。
そうしているうちに頼久が腕に力を込めてあかねの体を自分の方へと更に引き寄せたその時、テーブルの上で携帯が鳴った。
着信メロディからそれが頼久の携帯であることがわかる。
頼久の携帯はあかねからの着信以外は全て普通のベル音なのだ。
頼久はあかねから離れると顔を赤くしているあかねに笑顔を見せてから携帯を手に取った。
「…………天真…。」
それが電話に出てしばらくしての頼久の一言だった。
何を話しているのかわからずにあかねが小首を傾げる。
「お前が勝手にきたのだろうが…神子殿のお宅にお邪魔している……お父上に殺人事件があったので神子殿の警護……。」
「頼久さん?」
「切れました…。」
そう言って携帯をテーブルへ置きながら頼久は溜め息をついた。
「天真君からだったんですか?」
「はい。何を思ったかこんな天気のこの時刻に自宅の方へ訪ねてきたようで…。」
「珍しく留守だったからどこにいるかって電話してきたんですね……ってことは…。」
「ここにいることは話しましたので飛んでくるでしょう。話している途中で電話を切りましたし。」
そう言って頼久は苦笑した。
これはあっという間に天真が飛んできそうだ。
あかねは残念なようなほっとしたような複雑な気分で溜め息をついた。
時計を見ればもう日付が変わっている。
天真はバイクで移動して歩くからそれでなくても近い頼久の家からはあっという間にここへやってくるだろう。
二人きりの夜はそこで終わりだ。
「神子殿。」
「はい?」
あかねがなんとなく寂しいなと思っていたところへ名前を呼ばれて無防備に頼久の方を向くと、すっと端正な顔が近づいてきてあっという間に口づけられて、そして唇が離れたかと思うとすぐ上半身を抱きすくめられてしまった。
「あ、あのぉ…。」
「天真が来るまでの間だけ、しばしこのまま…。」
「…はい……。」
小さく返事をしてあかねは頼久の腕の中でおとなしくしていることにした。
天真が来たらこんなことは絶対にできないから。
朝までずっと二人きりだと思っていたのにそうではなくなってしまったのだから、せめて天真が来るまでの一時くらいはこのままでもいい。
あかねがそんなふうに思って黙っているとあっという間に時は流れてドアチャイムが天真の来訪を告げた。
名残惜しそうに頼久があかねを解放して立ち上がる。
あかねは少しだけ寂しさを感じながら頼久の後を追った。
朝陽が顔に当たってあかねは目を覚ました。
リビングで騒ぐ天真やその相手を適当にしているらしい頼久の気配を感じている間に安心して眠ってしまっていたらしい。
目が覚めて上半身を起こせばそこは自分の部屋の自分のベッドで、あかねはベッドを抜け出すとすぐパジャマから私服に着替えてカーテンを開けた。
外は昨日の台風が嘘のような秋晴れだ。
あかねは思い切り深呼吸をしてにっこり微笑むと部屋を出た。
リビングではおそらく頼久と天真の二人が寝ているはずだ。
何しろ昨夜は天真が持ち込んだ酒で酒盛りをしていたのだから。
ところが、あかねが部屋の扉を閉めて階段を下りていくと階段を上ろうとしている頼久と鉢合わせた。
「あ、頼久さん、おはようございます。」
「おはようございます、もうお目覚めでしたか。」
「はい…えっと…。」
「朝食の用意ができましたのでお呼びしようかと。」
「ええ、朝ごはん作ってくれたんですか?」
「はい、時間を持て余しましたので。」
そう言って爽やかに微笑む頼久に朝方まで酒盛りをしていたような気配は微塵もない。
「えっと…昨日天真君とずいぶん遅くまでお酒飲んでたんじゃ…。」
「はい。」
あっさり返事をするものの、外見からはとてもそんなことをしていた人間には見えない。
あかねは苦笑しながら階段を下りた。
「すみません、本当はわざわざ来てもらった私の方が用意しなくちゃいけないのに。」
「いえ、時間を持て余しましたので。」
「……もしかして頼久さん、寝てないんですか?」
「はい、一応警護ということでここにおりますし、私が眠っている間に天真が不届きなことをしないとも限りませんから。」
「そ、それはさすがにないんじゃ…。」
そこまで言って恋人の顔を見てあかねは溜め息をついた。
にこにこと微笑んでいるところを見るとどうやら冗談だったらしい。
「一晩や二晩眠らずとも私は一向に問題ありませんのでお気遣いなく。ただ、リビングでまだ天真が眠っておりますので…。」
「あぁ、じゃ、起こさないように静かにしない、と?」
話しながらリビングのドアを開けようとしてあかねはそのまま言葉を飲み込んでうつむいた。
何故かといえば後ろから頼久に抱きすくめられてしまったからだ。
ドアノブに手をかけたままあかねは身動きがとれなくなってしまった。
「朝食には神子殿がお好きだとおっしゃっていたフレンチトーストを御用意しましたので、紅茶をいれて頂けますか?」
「えと……離してもらえればすぐにでも…。」
「それはできかねますので、もう少々後でお願いいたします。」
「フレンチトースト冷めますよ?」
「冷めたフレンチトーストはお嫌いですか?」
「……いいえ…。」
ここでハイと答えれば解放してもらえるのだろうが、天真という思わぬ来客で離れ離れになってしまって少しだけ寂しく思っていたあかねはどうしてもハイとはいえなかった。
少しくらいフレンチトーストが冷めても、もうちょっとだけこうしていたいと思うのは恋人と同じ思いだったから。
窓から差し込む秋の日差しを浴びながら二人はしばしそのままリビングの前でたたずんでいた。
管理人のひとりごと
はい、余裕な頼久さん、最後までリードとりました!(爆)
あかねちゃん本人に手を出さない宣言もしました!
管理人的にはパーフェクトです!(マテ
天真君が邪魔しなかったらどうなってたかなぁくらいの雰囲気を残してみました(’’)
いや、天真君こなくても頼久さんの意思が折れることはないと思いますが…
ご想像にお任せします(w
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