
薄紅の花びらが風もないのに次々に舞い落ちる様は、まるで雪が降っているようにも見えた。
辺りは春の陽光に照らされて温かくて、あかねの顔には満面の笑みが浮かんでいた。
目の前には元八葉の面々が勢ぞろいしていて、琴や琵琶も並べられていた。
「それにしてもよく晴れたね。さすがは龍神の神子殿といったところかな。」
「もう違いますよ。」
からかう友雅に微笑を浮かべるあかねは、長い髪がすっかり京の女性らしい様子で桜の花が良く似合った。
桜の下に敷物を敷いて、その上にみんなで座って桜を楽しむ。
それはあかねが提案した花見で、元八葉の面々は毎年この誘いを楽しみにしているらしかった。
現に、いつも艶な微笑を浮かべている友雅のみならず、泰明まで穏やかな表情で杯を手にしている。
その様子を頼久は少し離れた桜の木にもたれながら眺めていた。
頼久にしてみれば、あかねと二人きりで桜を愛でたい気持ちはもちろんあるのだが、こうして元八葉の面々と楽しそうにしているあかねを見つめるのも幸せな一時だった。
元は八葉の仲間とはいえ、皇族である永泉や貴族である友雅、鷹通と同じ席について同じ酒を飲むことは頼久にとってはまだまだ抵抗がある。
だから、こうして時折席を離れては、辺りの警戒をするという名目で少し離れた桜の間をゆっくり歩くのだ。
そうすれば、愛しい妻が仲間達と楽しげにしている様子がまるで絵のように美しく見える。
頼久はかすかに皆の笑い声が聞こえる程度の場所であかねの様子をしみじみと眺めていた。
「どうだろう、もう一曲。」
「今度は友雅さんの琵琶と永泉さんの笛で聞きたいです。私、自分が弾いてるとそればっかり集中しちゃって、せっかくの二人の演奏を集中して聞けないんですもん。」
「神子殿の仰せとあらば、何曲でも弾いてさしあげるさ。」
「わたくしも、神子殿が望んで下さるのでしたら。」
いつもは控えめな永泉も、今日ばかりはあかねのためにと笛を吹くことを厭わない。
友雅が琵琶をかき鳴らし、永泉が柔和な笑顔で笛を構えるのを頼久もまた口元を緩めて見つめていた。
先に聞こえたのは琵琶の音、それに続いて永泉の笛。
頼久にはその音楽がどれほど素晴らしいものなのかはよくわからないが、それでも二人があかねのために最高の音色をと心を砕いていることだけはよくわかった。
自身も琴を弾くあかねはというとうっとりと耳を傾けている様子だ。
自分には音楽などという風流なものの才能はないだけに、頼久はこうして音楽であかねを楽しませてくれる仲間達に感謝していた。
もし、彼らがいてくれなければ、きっと京に残ったあかねはさぞかし毎日を退屈して暮らしていたことだろう。
時折旬の魚などを手に訪ねてきてくれるイノリはあかねのいい気分転換になったし、鷹通はあかねの良き師だ。
風流など全く解さない泰明も、彼のおかげであかねはいつも安心して毎日を暮らせていると言ってもいい。
何か心配なことがあれば、とりあえず泰明を訪ねれば解決してしまうというくらいあかねは泰明を頼っているはずだった。
この仲間達がいてくれればこそ、自分の生まれ育った世界を捨てて京に残ってくれたあかねに寂しい思いや不自由な思いをさせずにすんでいる気がした。
そう考えてしまうと、では自分はいったいあかねのために何ができているだろうかと心配になってしまうのが頼久だった。
遠くで仲間達と楽しそうに過ごすあかね。
それは、まだ八葉としてあかねに仕えていた頃を頼久の脳裏に呼び起こした。
今は自分の妻であるはずのあかねが、この瞬間だけは手の届かない主に戻ってしまった気がして…
明るい春の陽射しの中で眩暈を起こしそうになった頼久の耳に突然、春風のように爽やかに優しくその声は聞こえた。
「頼久さん!こっちで一緒にお菓子食べましょう!」
以前の頼久なら、こんなあかねの誘いに応じたりは決してしなかった。
けれど今は違う。
頼久はその口元に木漏れ日のように微笑を灯して、ゆっくりと歩き出した。
目指すは妻とその仲間達が集う場所。
歩き出した頼久を目に、あかねは優しい微笑を浮かべて見せるのだった。
「綺麗ですねぇ。」
夜、月が天に姿を見せて、縁は優しい光に包まれているかのようだった。
あかねが綺麗だと言ったのは桜のことだった。
昼間、元八葉の仲間達と花見を楽しんだあかねは、その後、頼久の馬で帰宅した。
何を思ったのか頼久は、一日休みだったというのにその後すぐあかねの前から姿を消し、薄暗くなった頃に戻ってきたその頼久の手には桜の枝が握られていた。
それは白い墨染の桜で、あかねが一番好きだといつも言っている桜の一枝だった。
今、その枝は花器に生けられて縁にある。
満開の桜の枝の下には酒器が並んでいて、あかねは桜を眺めながら頼久にお酌をしようと上機嫌で縁に座っていた。
当の頼久はというと、外出先から戻ってすぐに奥で着替えてあかねの元へと戻ってきたところだった。
「わざわざ墨染まで行ってくれたんですね。」
「今年は仁和寺での花見となりましたので。」
「頼久さんも疲れてたのに…。」
「いえ、私は鍛えておりますから。」
頼久は桜の隣に座る美しいあかねを見て微笑んだ。
昼間は仲間達みんなのものだったあかねだが、今は頼久一人のものだと言っていい。
独り占めにできた妻の姿を前に、頼久は満足気だった。
「でも本当に綺麗。散ってしまわないうちに一緒に見に行きませんか?」
「神子殿のお望みのままに。」
「もぅ、また頼久さんはそんな言い方して。」
ぷっとふくれて見せるあかねをやはり愛らしいなどと思いながら頼久が見つめていれば、いつもならすぐに機嫌を直してくれるあかねがどんどん不機嫌そうになっていくではないか。
頼久は慌ててあかねの顔をのぞきこんだ。
「神子殿?」
「昼間。」
「は?」
「昼間もそんな感じでした。」
「そんな感じ、とは……。」
頼久は相変わらず言葉は不得手だ。
それは自分が言葉で伝えることが苦手だというのみならず、相手の言うことを理解するのも苦手と言えば苦手だった。
特に相手が女性だった場合。
更にその女性があかねだった場合、頼久の舌は硬直して動かないこともしばしばだ。
あかねの口からこぼれる言葉の意味をはかりかねて失敗を続けることもある。
頼久はあかねの言いたいことをなるべく取り違えることなく理解しようとあかねの顔をじっと見つめた。
表情をうかがうことは言葉の苦手な自分にもできるのだから。
「頼久さん、見回りしてくるって何度も席を立ったでしょう?そんなの、なんだか今でもずっとなんていうか、自分だけ身分が低いから、みたいな感じがしました。」
あかねの言うことは間違ってはいない。
今でも頼久にとって友雅や永泉は同じ席につくには身分が違いすぎる相手ではある。
けれど、席を立った理由はそれだけではない。
「私のことを心配して見回りしてくれてるってわかってますけど、でも…。」
あかねの顔が悲しげに曇った。
自分の夫が身分を気にして卑屈になっていることが悲しいのだろうと思えば、頼久は深い溜め息をついた。
鷹通や友雅といった貴族はもちろん、親王である永泉でさえあかねに密かに想いを寄せていたことを頼久は知っている。
もし、彼らの妻となっていたら、あかねのこの悲しみは生まれなかっただろう。
自分の妻になったばかりにそんな思いをさせているのだとその事実を噛み締めて、頼久は眉間にシワを寄せて浅い呼吸を繰り返した。
「見回りをしたかったのは嘘ではございません。」
事実を噛み締めてから頼久はゆっくりと言葉を紡いだ。
あかねの哀しみを晴らせるかどうかはわからないが、それでも真実を語らなくてはと思う。
あかねが思っているように身分を気にしてばかりで席を離れたわけではないのだから。
「ですが、身分を気にして見回りを理由に席を立ったというばかりでもございません。」
「じゃあ、どうして?」
「少し離れた場所から神子殿を拝見したかったのです。」
「どうして離れた場所から?」
「桜の舞う中で八葉の皆と楽しげにされている神子殿が大変お美しかったので。」
微笑と共にそう本心を語れば、一瞬キョトンとしたあかねの顔が次の瞬間、一気に真っ赤に染まった。
「ななな、何言ってるんですか!」
「本日の神子殿は幸せそうにしておいでで、桜の花がよくお似合いでした。」
遠くから眺めた妻の姿を思い起こすように頼久が目を細める。
「頼久さんばっかりずるいです。」
「は?」
さっきまで真っ赤になって照れていたと思えば、あかねはもうどこか拗ねたような様子だ。
頼久はあかねのよく変わる表情についていけずに、少々間抜けな声を出してしまった。
「私だって見たかったのに。」
「何を、でしょうか…。」
「決まってるじゃないですか、桜の中にいる頼久さんです…。」
今度は頼久が驚きで目を見開く番だった。
頼久にしてみれば花が似合うといえばあかねのように可憐で美しい女性であろうと思うのだが、どうやらこの異界から降ってきた天女にはそうとは限らないらしい。
「私など花の下におりましても…。」
「そんなことないですよ。頼久さんが桜の散る中に立ってると絵になるというかなんというか…ステキだなって思います。だから、見たかったのに、なかなかじっと座っててくれないんですもん。隣にもいてくれないし…。」
再び悲しそうにうつむくあかねの側に頼久はその身を移した。
いきなり至近距離に体を寄せられて慌てたあかねが赤い顔で頼久を見上げる。
「頼久さん?」
「隣でしたら、今ここに。」
優しくかけられた言葉にあかねが赤い顔のまま微笑んだ。
そう、頼久は皆と一緒にいる時は並んで仲睦まじくしてはくれなくても、こうして二人きりの時はうんと優しくて、たくさん甘えさせてくれる人なのだ。
あかねは月明かりに照らされて昼間よりもずっと幻想的に見える頼久に胸に擦り寄ると満面の笑みを浮かべた。
「頼久さん、大好きです。」
「神子殿…。」
思いがけなく妻に愛らしく甘えられてしまった頼久はというと、発した言葉の落ち着きとは裏腹に動揺していた。
ここはあかねの屋敷、時は夜。
月はもうすっかり美しく輝いていて、辺りを淡く照らしている。
腕の中には何やら機嫌のいい妻。
しかもその妻からは優しい梅香の香りが薫って、長い髪は月明かりに輝いて美しく頼久を魅了していた。
花の下にいるあかねよりも今のあかねの方がなんだか大人びて美しくて…
頼久は躊躇しながらもあかねの体を抱きしめると、そのままゆっくり口づけた。
そのまま口づけを深く深くしていくと、それまでうっとりしていたあかねが急に頼久の胸を押し返し、潤んだ瞳で頼久を上目遣いに睨みつけた。
これは調子に乗って機嫌を損ねたかと頼久が心配していると、あかねは赤い顔で杯を指差した。
「ま、まだお酒飲んでないじゃないですか。せっかく用意したんですから飲んでください。」
恥ずかしそうにそう言ってあかねが手を伸ばすと、酒が満たされた杯の中に花器に生けてあった桜が散って、花びらが一枚舞い降りた。
薄紅の花びらが小さな水面に波紋を作るのを見て、あかねはその顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
「綺麗ですね。」
「はい。」
「なんだかお花見って感じ。」
そう言いながらあかねは杯を手に取ると、それを頼久に差し出した。
「どうぞ。」
「有難うございます。」
頼久は桜のおかげですっかり機嫌を直したらしいあかねから杯を受け取ると、花びらごと酒を飲み干した。
「どうですか?桜の味は。」
「はあ…。」
味が特に変わったという気はしない。
けれど、そんなそっけない返事を妻が望んでいるとも思えなくて…
「春を飲んでるって感じですよね。」
どう答えたものかと頭を悩ませ始めた頼久に、あかねが優しく問いかけた。
春を飲んでいる。
言われてみれば確かにと頼久は小さく頷いた。
「はい、そうかもしれません。」
頼久の答えにあかねは嬉しそうに微笑んで、空になった杯に酒を満たした。
「やっぱり桜の下に立つ頼久さんも見たいから、桜咲いているうちに墨染も行きましょうね。」
「御意。」
今度もやっぱりまるでお付きの人みたいな返事だったけれど、あかねは苦笑しただけで抗議はしなかった。
一緒に墨染へ桜を見に行ってくれることは間違いないだろうから。
そして、二人きりでそんなことをしてくれるのは、頼久との距離がそれだけ縮まったということでもあるから。
月明かりの下、気付けばあかねは、桜の下にいる時よりもずっと艶めいて見える夫にドキドキしながら酒を杯に注ぎ続けるのだった。
管理人のひとりごと
桜企画第一弾、京版でございました!
頼久さんのあかねちゃん鑑賞会という名のお花見がテーマです!(マテ
途中、頼久さんが狼になりかけてますが(笑)風流を楽しみたいの!あかねちゃんはね!
墨染の桜は管理人も死ぬまでに一度は実物を見たいなぁと思います。
でもそれはなかなか実現できないので、今年は桜の資料をいっぱい買いました(’’)
写真付きのハンドブックとか…雑学系の本とか…
管理人の代わりにあかねちゃんには目一杯桜を楽しんでもらおうと思います!
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