焦燥
 頼久の仕事は起床時間を拘束しない。

 だから、大げさに言えば朝なんていつまで寝ていたっていい。

 つまり、昼夜逆転した生活をしていてもなんら問題はないのだ。

 ないのだけれど…

 頼久はもともと体が覚えている生活習慣もあって朝が早かった。

 きちんと朝のうちに起床して、天気のいい日は庭で木刀を振って鍛錬を行う。

 もちろんこちらの世界ではそんなものは必要ないとわかっているが、それでも鍛錬を行わないと落ち着かなかった。

 結局のところ、あかねが大学に通うようになってそんな生活習慣は頼久にとって吉と出た。

 何故なら、毎日の送り迎えができるから、だ。

 高校生のうちから恋人が車で送り迎えはどうかと考えてあかねが高校生のうちは控えてきた。

 だが、大学生となった今、頼久は何の遠慮もなくあかねの送り迎えができるようになったと考えていた。

 だいたい、大学までは自宅から通える距離とはいえ、電車に乗らなくてはならない。

 満員電車にあかねを乗せたりして、万が一にも痴漢にあったりなどしたら、頼久は悔やんでも悔やみきれない。

 ということで、入学式から一週間、頼久は毎日あかねを送り迎えしていた。

 毎日二度もあかねに会えるのはなんと幸せな毎日だろう。

 大げさでも何でもなく、頼久にとっては天にも昇る幸せな日々が続いていた。

 鍛錬を終えてシャワーを浴びて、現代の便利さをかみしめてから軽く朝食をとる。

 あかねに恥をかかせぬようにきちんと着替え、頼久はその顔にうっすらと笑みさえ浮かべて家を出た。

 外は晴天。

 雲一つない青空が頼久の気分をよりいっそうよくさせる。

 頼久は口元に笑みを浮かべたまま車に乗り込み、あかねの家に向かって出発した。

 徒歩でも頼久の足であれば15分とかからないあかねの家に車ならばあっという間で到着する。

 どうしてもあかねに会えると思うと家を出るのが早くなってしまって、あかねが出てくるよりもかなり早く到着してしまう頼久はじっと車の中であかねの部屋の窓を見上げるのが日課になっていた。

 そうして待っていればあかねは慌ててバタバタと玄関から飛び出してくる。

 窓から頼久が既に到着していることを確認しているから、必ず慌てて出てくるのだ。

 何度頼久が慌てる必要がないと言ってもあかねは毎朝慌てて飛び出してきて、すぐに車の助手席に乗り込んだ。

 この日もそう。

 いつもと同じように車に乗り込んできた。

 そして頼久もいつものようにあかねと朝の挨拶を交わすと、丁寧に車を発進させた。

 もともと頼久の運転は決して乱暴な方ではないが、あかねを乗せている時は特にその運転は丁寧になる。

 もちろん、あかねを乗せている状態で万が一にも事故など起こさぬためにだ。

「すみません、毎朝…。」

 しばらくしてあかねがこう言い出すのもいつものこと。

 そして…

「いえ、お気になさらず。私がしたくてしていることですので。」

 こう答えるのも日課のようなものだ。

 頼久にとってはあかねの声を毎朝聞けるというだけで幸せなことこの上ない。

 ところが、いつものように言葉を交わして、二言三言雑談をして…

 あかねの大学の前に車を止めたところで、いつもとは違う言葉があかねの口から飛び出した。

「あの、頼久さん、今日はお迎えいらないので…。」

「どこかへお出かけですか?」

「そうじゃないんですけど…その、もう送り迎えはやめてほしいんです…。」

 頼久はうつむくあかねの横顔を見つめたまま凍りついた。

 ついさきほどまで何気ない会話をしていたはずなのに、どうしてこんなことを言われているのかが分からない。

「その…何か私は神子殿のお気に障るようなことを…。」

「ち、違います!そうじゃなくて…その…私がちょっと恥ずかしいだけで…。」

「恥ずかしい…。」

「一人でもちゃんと登下校できますし、時間がある時は必ず頼久さんの家に直行しますから、明日からは送り迎えなしでお願いします!」

 それだけ言い放つとあかねは急にドアを開けて車を降りてしまった。

 頼久が呼び止める間もなく、その小さな背は校門に吸い込まれ、校舎の中へと消えて行った。

「恥ずかしい…。」

 一つつぶやいて頼久はため息をついた。

 今日はもうあかねに会えないかもしれない。

 明日からは毎朝あかねの顔を見るという楽しみが奪われてしまった。

 それだけではない。

 どうやらあかねは自分といることを恥ずかしいと思っているらしい。

 頼久はつい数分前とは打って変わって沈みきった表情で車を発進させた。

 あかねが恥じているのは自分のどの辺だろうか?

 そのことばかりが頭の中でぐるぐるとまわり続けた。

 もしどこが恥ずかしいのか気付けず、そこを直すことができなかったら…

 あかねを失うのかもしれない。

 そんなことまで考えて、頼久は目の前が真っ暗になった気がした。







「んなことで俺を呼びつけるな。」

「そんなことではない!私にとっては重大事だ…。」

 天真は青白い顔をしている相棒を前に深いため息をついた。

 今にも死にそうな声で電話がかかってきたかと思うと相談したいことがあるからすぐに来てくれと言われて、とりあえずは頼久の自宅へ駆けつけた。

 ところが、その相談というのが天真にしてみればくだらないことこの上ない内容だった。

 慌てて駆け付けた方の身にもなってほしいというのが天真の意見だが、頼久はそれどころではないらしい。

 天真と二人で飲むためにと出された酒瓶の半分ほどをあっという間に飲み干して、それでも青い顔をしながらうなだれているのだから重症だ。

 話の内容は至って簡単。

 あかねに大学への送迎を拒否された上、その理由が「恥ずかしいから」だった。

 自分のどこが恥ずかしくて、どうすればいいのか?

 それが頼久が天真にもちかけた相談だった。

 天真にしてみれば、あかねが頼久の存在自体を恥ずかしがるわけがないとわかっている。

 もし、本当に恥ずかしいと言ったのならそれはもっと違う意味で、だろう。

「あのな、頼久。あいつがたとえば恋人じゃなくたってだ、自分のダチのことだって恥ずかしいだなんて言うと思うか?」

 頼久の視線がハッと天真をとらえた。

 心優しいあかねがそんなことを言うはずがないとやっと思い至ったらしい。

「あかねが仮にも恋人のお前を恥ずかしいなんて言うはずねぇし、思うわけもねぇだろ。」

「しかし…確かに恥ずかしいとおっしゃったのだ…。」

「なら、それはなんか別の意味だろうな。」

「別の…どんな意味だ?」

「んなこと、俺が知るかよ。」

「……。」

「本人に聞きゃいいだろ。」

 天真が呆れて言い放てば、頼久は黙り込んでしまった。

 頼久にしてみれば、自分のどこが恥ずかしいのか?などとは聞きづらい。

 それが万が一にも直しようもないことだったら?

 そう思えば身がすくむ思いだ。

「あ゛ーーーーーっ、鬱陶しい!」

 天真が頭を掻きむしって悶えても頼久は無反応。

 天真はひとしきり悶えてから深いため息をついた。

「お前が嫌われてるってことはねーから安心しろ。とにかく、それはもう直で聞いてみるしか解決策はねぇだろ。」

 追い討ちをかけても動かない頼久に代わって、天真は素早く携帯を取り出した。

 頼久が気付いて止める間もなく電話に出たあかねを問答無用で呼び出すと、右往左往している頼久をよそに通話を切ってしまう。

 いつもの頼久なら天真に電話をかける隙を与えなかっただろう。

 持ち前の機敏さで携帯をはねのけるくらいのことはできたはずだ。

 けれど、今の頼久はいつもの頼久ではない。

「あのな、頼久。お前がここで一人でうだうだ言ってたってしかたねーんだ。」

「それはそうだが、このような時間に神子殿を呼び出すなど…。」

「たいした距離でもねーし、帰りは俺かお前が送れば問題ねーだろうが。」

「いや、もう外はすっかり暗くなっている。これからお迎えにあがるべきでは…。」

「あのなぁ、あかねだって子供じゃねぇって。」

「いやしかし…。」

 今からでも迎えに行こうと腰を浮かしかける頼久とそれをとどめる天真。

 二人の攻防が白熱し始めた頃、二人の前にあかねが駆け込んできた。

「天真君!どうしたの?!」

「お、早いな。」

「急いで来いって言ったの天真君じゃない。あ、頼久さん、こんばんわ。」

「神子殿…こちらへどうぞ。」

 いつもと同じようにあいさつし、笑顔を見せてくれたあかねに少しばかり安堵して頼久はあかねにソファを勧めた。

 どこから見てもあかねの様子はいつもと変わりない。

「頼久さんごめんなさい。」

「は?」

「天真君がどうしてもすぐここに来いって言うから来ちゃいましたけど、迷惑じゃなかったですか?」

「迷惑だなどということは決してございません!」

 慌てる頼久にあきれてため息をつく天真。

 二人を見比べてあかねはくすっと笑みを漏らした。

「よかったぁ。こんな時間だから迷惑になるんじゃないかなってちょっと思ったんです。天真君、こんな時間にこんなところに来いなんてどうしたの?」

「迷惑なわけねーだろ。そもそもがこいつのために呼んだんだからよ。」

「へ?」

 あかねの視線がゆっくりと頼久をとらえる。

 頼久はというと眉間に深いシワを刻んで黙り込んでしまった。

「あかね、お前、こいつが大学に送り迎えすると恥ずかしいからやめてくれって言ったんだってな。」

「え、ああ、うん…。」

「何が恥ずかしいんだよ?」

「えっと、それってもしかして…頼久さん、気にしてました?」

「…はい……。」

 絞り出すように答えた頼久にあかねは目を丸くした。

「ごめんなさい!そんなに気にするなんて思ってなくて!」

「その…よろしければ私のどこが恥ずかしいのかお教え願えますでしょうか?」

「へ……ち、違います!別に頼久さんが恥ずかしいとかそういうことではなくて…。」

「だから言っただろ。」

 慌ててまごつくあかねを横目に、天真が独り言のようにそう言っても頼久からの反応はなかった。

 もう既に頼久の視線はあかねに釘づけだ。

 自分が恥ずかしいというのでないなら、いったい何がどうして恥ずかしいという話になったのか?

 頼久の興味はその一点にある。

「その…頼久さん、目立つんです。」

「はぁ…。」

 それは天真にも再三言われてきたことだ。

 頼久自身は自分がそんなに目立つ容姿をしているとは思わないが、どうやら実際にはかなり目立っているらしい。

 そのせいであかねが色々と気にすることがあるのだという話はよくされているので心得ているつもりだ。

「それで、送り迎えをしてもらうと、そのたびに注目されちゃって…恥ずかしいんです…。」

「……。」

「頼久さんと一緒にいるのがっていうんじゃないですよ!そうじゃなくて…その…注目されちゃうっていうのがもう恥ずかしくて…。」

「はぁ…。」

「それだけならなんとかなったんですけど、この前、蘭に私、有名人になっちゃってるって言われて…。」

「は?」

「その…凄くかっこいい人が毎日校門前に女の子を送り迎えしてて、その女の子が私って、なんか有名になっちゃったみたいで…。」

 頼久は驚きで目を見開いた。

 まさか、自分が送り迎えをしているというだけでそんな事態になっていたとは予想だにしなかった。

 さすがの天真もあかねの話には目を丸くした。

 相棒は目立つ容姿をしているとは思っていたが、ここまでだったとは。

「なので、頼久さんが気にするようなことじゃないですから。」

 真っ赤な顔でそう言ってあかねは苦笑した。

 そして頼久はというと、驚きから我に返って、そして考え込んだ。

 ここでわかったと言ってしまえば、これ以降、頼久はいっさいあかねの送り迎えができないことになってしまう。

 それはなんとか避けたいというのが頼久の本音だ。

 自分が恋人だということ自体を恥じていたわけではないのは朗報だが、ここでだまっているわけにもいかない。

「神子殿。」

「はい?」

「では、毎日とは申しませんので、その、週に何度かはよろしいでしょうか?」

「へ…。」

 突然の申し出に目を丸くするあかねを頼久は正面からまっすぐ見つめた。

 いつだってまっすぐで真摯な瞳。

 大切な人のそんな眼差しにあかねが勝てるわけもなく…

「えっと…その…。」

「いけませんか?」

「じゃぁ、あの…週に二日くらいなら…。」

「有難うございます!」

 あかねの許可に頼久は満面の笑みで叫ぶようにそう言った。

 その笑顔があまりにも幸せそうで、あかねの顔にも笑みが浮かぶ。

 そして…

 そんな二人を見守る天真は呆れかえって深いため息をついていた。

 普通、送り迎えをしてくれと頼むのはあかねの方で、してくれて有難うと礼を言うのもあかねの方ではないのだろうか?

 それがこの二人にかかると全く逆の構図になるのだ。

 だいたい、大の大人の男が女子大生の彼女に対して送り迎えをさせてくれと懇願している図などそうそう見られるものじゃない。

「天真。」

「ん?」

 天真が呆れている間にいつの間にやらいつもの様子に戻った頼久がその名を呼んだ。

 慌てて天真が我に返れば、頼久とあかねは今にも部屋を出ていきそうな気配だ。

「私は神子殿をご自宅までお送りしてくる。」

「じゃぁ、俺は…。」

「いや、お前は留守居を頼む。酒でも飲んでいてくれ。」

「おう…。」

 頼久はあかねを伴ってさっさと出て行った。

 後に残された天真はテーブルの上に並んでいる酒を手に取って小さく息を吐いた。

 いつもならここは酒場じゃないだのなんだのと文句を言うくせに、今日に限って残っていろと言った頼久。

 これは頼久なりに相談にのってもらった礼をしようとしているのだと気付いて、天真の顔には苦笑が浮かんだ。

「ったく、相変わらず不器用な奴。」

 言いながらもあかねはそこがいいのかと思い至っていたたまれなくなって、天真はテーブルの上にある真新しい酒瓶の封を切った。








管理人のひとりごと

相変わらずの二人です(マテ
天真君の反応が普通でしょう(^^;
送らせてくださいってお願いする人はそういないよね…
でも頼久さんはほら、武士属性というかワンコ属性というか…
今回も割りを食ったのは天真君だったなぁ(’’)
あんなステキな人が毎日送り迎えしてたらそりゃ有名人になると思うんだ。
あかねちゃんがうらやましい限りです(’’)









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