簀子縁にて
 京の夏はとにかく暑い。

 もちろん、あかねにとっては京にとどまって初めての夏というわけではないので、暑い夏になるというのはわかっていた。

 わかっていたけれど、暑いものは暑い。

 しかも、ここ京にはエアコンもなければアイスもなく、扇風機さえ存在しない。

 つまり、あかねには目下、京の夏の暑さに対処する方法が皆無といっていいい。

 この世界にも一応、涼をとる手段がないわけではないけれど、それはあかねにはとうてい受け入れがたいものだった。

 何故なら、肌が透けて見えてしまうほど薄い生地でできた衣を着るなどという恐ろしい手段だったからだ。

 どんなにあかねがこちらの生活に慣れてきたとは言っても、これだけは受け入れられるものではなかった。

 そうなると、もう扇で自分をあおぐくらいしか手はない。

 あかねの周囲にいる人物、とりわけ妻が何より大事の夫である頼久はそれはあかねの体調を気遣って色々と手段は講じてくれた。

 庭の池を大きくしてみたり、より暑い日には氷を取り寄せたりもしてくれる。

 でも、氷というものはこの京ではとても貴重なもので、あかねとしては無理をしてそういうものを用意してもらうのは恐縮してしまう。

 友雅辺りが言うには頼久の家、つまり源家はたいそうな財力を持っているという話だから甘えていいらしいのだけれど、あかねはどうしてもこんなところでわがままを言う気にはなれなかった。

 そこで考えたのが簀子縁(すのこえん)だ。

 京の夏は確かに暑い。

 暑いけれど、それを更に暑く感じさせるのが身分ある女性は外へ出たり他人に姿を見せてはいけないというこの京ならではの決まりごとだった。

 京の建物はどこも壁が少なくて風通しはいいのだけれど、それでも御簾や几帳でいくつもに仕切られている室内は暑い。

 蒸し風呂と言ってもいい。

 なら、外へ出ればいいわけだが、それをすると頼久が心配することこの上ない。

 ということはもうあかねに選ぶことのできる選択肢はただ一つ。

 家にいながらにして外の風に当たること、しかない。

 そしてそれが可能なのが簀子縁だった。

 簀子縁などというと仰々しく聞こえるけれど、要は縁側のことで、ここに座っていれば多少は暑さをしのぐことができた。

 本来は簀子縁にさえ姿を見せないのがあかねの立場の女性達の常識だけれど、そこはそれ、あかねが違う世界から来た少女だとわかっている頼久はすぐにあかねに簀子縁へ出る許可を与えた。

 まあ、頼久に「お願いします。」とあかねに上目づかいに頼まれて断るという選択肢ははなからないのだが…

 もちろん、頼久はただ許可を出しただけではない。

 その代わりに決して一人では外出しないという約束をあかねと取り交わした上、屋敷の警備が三倍に増強された。

 それはあかねの知らないところでこっそりと変更されたのだが…

 という諸々の事情で、あかねは今、簀子縁に座ってニコニコと微笑んでいた。

 庭は夏らしく青々としていてとても気持ちがいい。

 空は快晴、降り注ぐのは夏真っ盛りの容赦のない陽の光。

 海水浴に行かなくても、かき氷を食べなくても、簀子縁で夏のないよりはましな生ぬるい風で涼んでいるだけであかねは今、夏を満喫していた。

「神子殿、珍しいですね、御簾の外に出ているというのは。」

「鷹通さんこそ、珍しいですね、昼間なのに。」

 あかねの住まうこの屋敷は頼久の命を受けた武士団の武士達ががっちり警護中だ。

 だから、こんなふうにふらっとあかねの前に姿を現すことができるのはごく一部の人間に限られる。

 そのごく一部の人間、元八葉の一人、鷹通は手に何やら箱のようなものを抱え、顔には苦笑を、額には今にも流れ落ちそうな玉の汗を浮かべてあかねの前へとやってきた。

「今日はこれをお届けに上がりました。」

 そう言ってあかねの方へ差し出されたのは鷹通が大事そうに抱えていた箱だ。

「中は薬草です。この暑さでは神子殿も体調を崩しておいでではと思いまして。」

「有り難うございます!あ、でも、今のところはとっても元気です!」

「はい、そのようにお見受けしました。何よりです。それは体調が少しでも優れなくなったらすぐお使いください。なくなってもおっしゃって頂ければすぐに次をお持ちしますので。」

「いつも有り難うございます。大事に使いますね。あ、もしよかったら鷹通さんも少し休んで行ってください。ここ、風が通って気持ちいんです。」

 無邪気に誘うあかねに一瞬苦笑しながら鷹通は考えた。

 あかねに他意がないことはわかっているが、ここで自分が「はい」とうなずいてしばらく涼んで行ったりしたら、それはもう妻が命という夫が妬くようなことになるのではないか?

 そう考えて、そして、鷹通はすぐに苦笑を微笑に変えた。

「今日は仕事もありませんので、お言葉に甘えて。」

 たとえば彼女の夫が妬くような事態になっても、何がいけないというのだろう?

 鷹通は一瞬で決断した。

 確かに彼女は今、頼久のものに違いはないが、彼女が誘ってくれているのだ。

 そして彼女の笑顔は頼久一人のものではない。

「鷹通殿、ここでお会いできるとは思いませんでした。」

「永泉さん!お久しぶりです!」

 鷹通が久々にあかねと二人の時を楽しむのもいいかもしれないと思っていたそこへ、今度は永泉が姿を現した。

 パッとあかねの顔に笑みが浮かぶのと同時に鷹通の顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。

 あかねにとって永泉は共につらい戦いを戦い抜いた仲間だが、それは鷹通にとっても同じことだ。

「お互いに忙しくてなかなか会えずにいましたが、神子殿がわたくし達の縁を結んでくださったのですね。」

「そんな大げさなことじゃ……あれ、永泉さん、その箱…。」

「これは神子殿にと思いまして。中に……。」

「薬草、ですよね。」

 そう言ってあかねはにっこり微笑んだ。

 永泉があかねに差し出した箱は、ついさきほど鷹通があかねに渡した箱と大きさといい色形といいそっくりだったのだ。

 となれば、中身もおそろいとあかねが考えるのは自然の流れだった。

「もしや…。」

「はい、私もついさきほど薬草を献上したところでした。」

 鷹通がそう言って苦笑すれば、永泉はあっという間に表情を曇らせるとすっかりうなだれてしまった。

「申し訳ありません。もう少々気のきいたものを持参するべきでした…。」

「そんなっ!薬草なんて貴重ですし、それに、武士団のみんなが体調を崩した時にも使わせてもらえるとありがたいです。」

「もちろん、それはもう神子殿に差し上げた物ですので、使い道はお任せします。」

 慌てるあかねに永泉が微笑んでそう言えば、鷹通もあかねの隣でそっとうなずいて見せた。

 自分に捧げられた贈り物だというのにそれを武士団の武士達にも場合によっては分け与えるという。

 武士達はあかねの身分からすればもちろん、何か手柄を立てた場合でなければ物を与えられるような身分の人間ではないのだが、あかねの中に身分の差は存在しない。

 この京にとどまってずいぶんと時がたった今でも、そんなあかねらしさが少しも変わっていないことに永泉と鷹通は思わず微笑を浮かべた。

「よ!あかね!って、鷹通と永泉もかよ。」

「イノリ君!」

「鍛冶の仕事が忙しくてなかなか来れなかったからな、代わりに薬草を山で採ってきたんだ。夏の暑さで弱った体に効く奴なんだぜ。」

 イノリはバタバタとあかねの方へ駆けよってくると、手にしていた布袋をあかねに渡した。

 袋からはほんのり草の香りが香ってくる。

 あかねは「有り難う」と微笑んで受け取って、それをついさっき受け取ったばかりの二つの箱の上に置いた。

「その箱……もしかして……。」

 イノリが箱の中身に気付いて永泉と鷹通へと視線を巡らせれば、案の定、二人は困ったような苦笑を浮かべていて…

 それを見たイノリは全てを悟ると、がっくり肩を落として溜め息をついた。

「うはぁ…。」

「気にしないで、凄く嬉しいから。もちろん、使うようなことにならないのが一番いいんだけどね。」

「あかね…。」

 相変わらずのあかねの優しさにイノリが立ち直った刹那、その背後にぬっと人の気配が現れた。

「うぉっ!」

「神子、息災なようだな。」

「泰明さん!どうしたんですか?陰陽師のお仕事が忙しいんじゃ…。」

「今日は師から神子にこれを預かってきた。中は…。」

「薬草ですね。」

 あかねは手渡された箱を見つめて苦笑した。

 こうも一日のうちに薬草の詰まった入れ物を渡されることになろうとは。

「ん?何故わかった?」

「それが、今日はどうしてかみんな薬草を持ってきてくれたので、見慣れた箱と言いますか…。」

 あかねが巡らせた視線の先には二つの箱と一つの布袋。

 それらを目にして泰明は全てを悟った。

「そうか。ならば、神子がこの夏、体を壊すことはないだろう。」

「あ、はい。忙しいのにわざわざ届けてくれて有り難うございました。晴明さんにも有り難うございましたって伝えて下さい。」

「承知した。」

 いつもの無表情でそう言った泰明は偶然にも顔をそろえた元八葉の面々を見回してふっと小さく息を吐いた。

 小首を傾げたのはあかねだ。

「泰明さん?」

「二人ほど足りぬな。」

「へ…。」

 鷹通、永泉、イノリと順に目を見合わせて、そしてあかねはなるほどと気付いた。

 ここにはあと二人、元の仲間が足りないと泰明は言っているのだ。

「頼久さんならもうすぐ帰ってくると思いますけど…。」

「皆さんに予定がないなら、私も今日は仕事がありませんので、友雅殿も誘って宴にしますか?」

 鷹通がそう提案すると、全員が待ってましたとばかりに一斉にうなずいた。

 そう、こんなふうに元八葉の面々が勢ぞろいする機会は今となってはそうそうないのだ。

 なら、もう楽しむしかないだろう。

「私への遣いならいらないよ?鷹通。」

「友雅殿…。」

 相変わらず優雅な身のこなしで姿を現した友雅は、既にそろっていた仲間達を見て口元に微笑を浮かべると、艶やかな視線であかねの横にある箱と布袋の山を眺めた。

「ここのところ暑かったからね、考えることは皆一緒というわけか。」

「あ、もしかして友雅さんも薬草を持ってきてくれたんですか?」

「いや、私はこんなことだろうと思ったからね、香にしてみたよ。心持を涼やかにすることも必要だろう?」

 友雅は懐から小さな陶器の入れ物を取り出すと、それをあかねに渡した。

 蓋を開けなくても辺りに涼しげな、それでいて奥深い何とも言えない芳香が漂って、思わず友雅以外の全員が深呼吸をしてしまった。

 確かに、どんなに暑くても思わず熱気さえ吸い込んでしまいそうな心地いい香りだ。

「さすが友雅さんですねぇ。私まだこういう感じには全然作れません。」

「神子殿の腕前もずいぶん上がったけれどね、これは私の得意分野だ。まあ、こうして献上するのは、神子殿を頼久の香りではなくて私の香りに染めることができるという下心もあるんだけれどね。」

「友雅殿、私がいるとわかっていてわざとおっしゃっているのですか?」

「頼久さん!お帰りなさい!」

「ただ今戻りました。」

 友雅の背後から現れて律儀にあかねに一礼した頼久はあっという間にあかねの隣に腰を落ち着けた。

 以前の頼久からは考えられない行動だ。

 何しろ、友雅や永泉といった頼久よりは遙かに身分の高い人物がまだ立ったままなのだから。

 けれど、今は非常事態だった。

 あんなあからさまな挑戦を友雅にされたからには、夫として応戦しないわけにはいかない。

 つまり、香などで独占しようとしても、あかねの隣は自分のものだと頼久は主張したわけだ。

 それに気づいて友雅は、何とも言えない苦笑を浮かべた。

「よ、頼久さん!友雅さんはからかってるだけなんですから本気で相手しちゃダメです!」

「ですが…。」

「このお香を焚く時は頼久さんと一緒にいる時にしますから、大丈夫です!」

「神子殿…。」

 神子殿の天の声で頼久の顔には一瞬のうちに微笑が浮かぶ。

「これは、参ったね。」

「友雅さんがからかうからいけないんです!」

「はいはい、私が悪かったよ。それより、せっかく珍しく皆が顔をそろえたんだ、鷹通の提案通り宴にしてはどうだろうね?」

「そうしましょう!」

 嬉しそうにパンと手を打って喜ぶあかねを仲間達は優しい笑顔で見つめた。

 頼久だけではない。

 あかねを見つめる全員の目に同じだけの穏やかさと優しさが宿っていた。

 この天女にかかっては八葉はいつだってこんなふうに微笑みを引き出されてしまうのだ。

 頼久の指示で料理や酒が運び込まれ、この日、あかねの身を案じてやってきた元八葉の仲間達はゆっくりと夏の一日を過ごすことができた。

 こんなに楽しい一日を過ごせたのはみんなが自分を気遣ってくれたからだと言って喜ぶあかねの笑顔は、どんなに暑い夏の陽射しよりも眩しく温かく仲間達の心に焼き付いた。







 夜。

「寂しいですか?」

 そっと尋ねたのは頼久だ。

 尋ねた相手は隣に座っているあかね。

 そして答えは…

「そんなことないです。みんなにはまた会えるし、それに、頼久さんがいてくれますから。」

 これほど頼久にとって嬉しい答えはない。

 少しだけ酒が残っているらしいあかねの顔はほんのり紅に染まっているのが月明かりでも見て取れる。

 そんなあかねの肩を抱き寄せて、頼久は嬉しそうに微笑むあかねと共に空を見上げた。

 そこには綺麗に輝く満月がある。

 すっかり陽が暮れるまで酒を飲みながら談笑していた仲間達はもう皆、それぞれの家へ帰ってしまって、簀子縁は先ほどまでのにぎやかさが嘘のように静まり返っていた。

 それでもあかねは寂しくはないと言ってくれる。

 そのことが頼久には何より嬉しい。

「こんなふうにみんなが集まって来てくれるなら暑い夏も悪くないかなぁ。」

 何気なくそうつぶやいたあかねの声を聞いて、頼久は慌てて肩を抱いていた手を離した。

 驚いたのはあかねだ。

 酒のせいで少しばかり霞がかかったような意識でどうしたのだろう?と不思議に思いながら、あかねは頼久に小首を傾げて見せた。

 どうしたんですか?と目で訴えてみる。

 すると、頼久は眉間にシワを寄せて口を開いた。

「夜になっても今日はまだ暑さが引きません。あのままでは神子殿が暑いのではと…。」

 聞いてみれば、肩を解放されたのはなんとも頼久らしい理由によってで…

 あかねはクスッと笑みを漏らすと自分から頼久の腕に抱きついた。

「み、神子殿?」

「頼久さんはこうしてると暑くて嫌ですか?」

「滅相もありません!」

「ですよね。私も同じです。」

 頼久の腕を抱いたまま、にっこり微笑んで見上げるあかねのその目尻もうっすら紅に染まっていて、何とも言えなく色っぽい。

 こんなふうに腕を抱いてくれるのもきっと酒の力が多少は働いているのだろう。

 これからはたまに二人で杯を傾けるのもいいかもしれない。

 頼久がそんなことを考えていると、あかねが頼久の腕にすりすりと頬ずりを始めたものだから、頼久は思わずあかねの体を抱き寄せるとあっという間に口づけを霞め取った。

 恥ずかしいとか、突然すぎるとかいう抗議をされるのかと思えば、唇を離した頼久の目にはやっぱり幸せそうなあかねの笑顔が映った。

 これはひょっとすると、あかねは思ったよりも酔っているのかもしれない。

 頼久がその事実に気付いた刹那、あかねはスーッと頼久の胸に崩れ落ち、気持ちよさそうな寝息をたて始めた。

 その寝顔があまりにも愛らしくて、無防備で、そして幸せそうで…

 自然と口元に笑みを浮かべて頼久はもう一度あかねの唇に優しい口づけを贈ってからその小さな体を抱き上げた。

 向かうのは奥の寝所だ。

 こんなに幸せな気持ちになって、あかねが幸せそうに眠ってくれて、この状況で自分が眠ってしまうなんてもったいない。

 そんなことを考えてしまった頼久は一晩中、あかねの眠りを妨げないよう、扇であかねをあおいでいることに決めて寝所へ向かう歩みを速めるのだった。








管理人のひとりごと

暑いんです!管理人の生息地さえ暑い!
まぁ、こっちはエアコンがないんでなおさらなんですが…
だから、節電のためにエアコンの設定温度を28度にとか言われても、そもそもエアコンないから!
という土地に生息しているんですよ!
ということで、夏の暑さもこんなふうにしのげたらいいなという管理人の切なる希望でした(’’)
気温、湿度、は機械の力を借りないとどうしようもないよね。
だから、昔から日本人は音や香りで涼をとってきたんだと思うんですよ。
うちの風鈴も絶好調ですから!
なので、あかねちゃんに倣う節電の夏の涼の取り方でした!
最後はお熱いですけどね(’’)











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