
「神子殿、お待たせ致しました。」
頼久は全ての仕事を終えて、書斎を出た。
行き先はあかねの待つリビングだ。
「あ、頼久さん、お疲れ様でした。」
あかねはというと慣れた様子でソファに座り、何やら膝の上に雑誌を広げていた。
「お茶、いれますね。」
あかねは膝の上の雑誌を開いたままテーブルの上に置くと、さっとキッチンへ向かった。
ちょうどあかねが座っていたその隣辺りに腰を下ろして、頼久が何気なくその雑誌を眺めてみれば、どうやらいつもよく見ているものとは違っている。
あかねがいつもよく見ているのはファッション誌だ。
雑誌で勉強しておしゃれをするのだといつも張り切っている。
だから、必然的に写真の多い雑誌になるのだが…
今、頼久が前にしているのはやたらと文字の多い雑誌だった。
これはいったいなんなのかと頼久が目を凝らしてみれば、その目にとまるのは時給の文字。
つまりはアルバイト情報誌ということらしい。
「緑茶でよかったですか?」
「はい、有難うございます。」
すぐにお茶をいれて戻ってきたあかねから湯飲みを受け取りながら頼久はじっとあかねを見つめた。
あかねはというといつもと全く変わらない様子で頼久の隣に腰を下ろして、再び雑誌を膝の上に乗せる。
「神子殿。」
「はい?」
「その…金に困るようなことになっておいでなのですか?」
「へ…。」
急に問われてあかねはキョトンとした後、すぐ頼久の視線の先に雑誌があることに気付いて慌てた。
「ち、違います!お金に困ったりなんかしてません!」
「ご入り用でしたら私が…。」
「違います!」
「では何故…。」
慌てて即座に否定して、あかねは深いため息をついた。
頼久には両親の次にちゃんと話をしようと思ってここへきていたのだけれど、ちょうど仕事に追われていた頼久に仕事を優先してもらった結果、こんな妙なことになってしまったというわけだ。
あかねは体の向きを変えて頼久を正面から見つめながら口を開いた。
「これは別にお金に困ってるから見てるんじゃないんです。ただちょっと、自分で稼いだお金で買いたいものがあって…。」
「はぁ…。」
「それに、社会勉強もしておきたいなって思ったんです。今ならアルバイトする時間もあるし、就職活動が始まったらそんな暇ないし。だったら今しかないかなって。」
今ならアルバイトをする時間があるというあかねの言葉に頼久はびくりと反応した。
確かにすっかり大学にも慣れてきたあかねには最近、余裕が見えた。
いくら単位の厳しい教授がいるとはいえ、勉強に追われているというわけでもない。
つまりはあかねの言うとおり、今ならアルバイトをする余裕があるということになるのだが…
頼久の中ではそういうことにはなっていない。
何故なら、時間があるというのなら、その時間は自分と二人で過ごしてほしいから、だ。
けれど、それは頼久一人のわがままであることもじゅうぶん理解しているだけに頼久は黙ったまま深いため息をついた。
社会勉強をしておきたいというあかねの志は立派なものだし、頼久があかねを独占したいという理由で反対などできるはずもない。
「難しいお仕事は無理だし、夜のお仕事は物騒だから絶対ダメって言われていて…。」
「当然です!」
「ですよね。頼久さんも心配するからって言われて…なので、これにしようかと思うんです。」
にっこり笑って見せられた雑誌に載っていた仕事は………
「いらっしゃいませ。」
輝かんばかりの笑顔、朗らかな声。
店員に支給される制服のよく似合うことと言ったら一級品。
そんなあかねの姿を頼久はもう1時間も見つめ続けていた。
客にいちゃもんをつけられたりはしていないか?
先輩から嫌がらせなどされてはいないか?
心配は尽きることがない。
だからこうして店の一角に陣取って見守っているのだが…
「お前は孫の初バイトを監視するじいさんかよ…。」
目の前で頼久に付き合っている天真が呆れてため息をついた。
父親どころか祖父のレベルで心配顔の頼久に付き合わされて、こうして1時間座り通しだ。
「しかし、何事が起こるかわからぬ。」
「わかるっての。なんにも起こりゃしねーって。」
「わからぬではないか。」
「ファーストフード店に強盗って話も聞いたことねーし、せいぜいされてセクハラくらいだろ。」
「セクハラだとっ!」
「されたって言ってんじゃねーって…。」
天真は再び深いため息をつくと、カウンターの向こうで接客をこなしているあかねを見つめた。
どこからどう見てもあかねはうまくやっていて、トラブルは今のところ一つもない。
仕事も失敗なくできているようだし、他のスタッフとも談笑していた。
だいたい、あかねのあの性格で同僚とうまくやれないということもないだろう。
頼久の存在さえ認知されなければ男性スタッフがどんな嫌がらせをする客からも守ってくれるに違いない。
つまりだ、頼久はこんなところであかねを監視しているべきではなくて、逆に存在を知られないようにした方があかねのためなのだが…
そんなことを話してみても頼久が引き下がるわけはなかった。
「まぁ、お前が心配なのもわからないわけじゃねーんだけどな。」
あかねは高校生の頃ももちろん可愛らしかったが、女子大生になってからは少し大人びて美人といって差し支えない。
そんなあかねが接客業についたのだから、頼久が心配するのも無理はないとは思っている。
思ってはいるが、これはちょっと異常だろうというのが天真の見解だ。
「だいたい、あかね、なんて言ってんだ?ここにいること知ってるんだろ?」
「神子殿のお許しは頂いてある。」
「頂いてるのかよ…。」
頼久があかねの嫌がることをするはずもなく、どうやら先手を打って許可を得てあるらしい。
許すあかねもあかねだが、あかねにしてみれば頼久さんに心配かけるなんてできない!とでも思ったのだろう。
(まったくこの二人は…)
天真は一人心の中でつぶやいてまたため息をついた。
男二人が不毛な会話を交わしている間にも、あかねはニコニコと客の注文を受けている。
「あかね、しっかりしてんな。」
「…ああ……。」
二人が見守っている間、あかねは一人でよく働いていた。
客から何か礼を言われたりもしていたようだ。
「神子殿のは気遣いの行き届く方だからな。」
「ま、接客業は向いてるってわけだ。」
「しかし…。」
「お前の心配もわかるけどな……なぁ、頼久。」
「ん?」
「お前もわかってんだろ。あいつは家の中に閉じ込めておけるような奴じゃない。」
「……わかっている…。」
「最近じゃずいぶんしっかりしてきたし、言い寄ってくる男だってちゃんと自分で追い払えるさ。」
「…ああ……。」
ここまで言っても頼久は眉間にシワを寄せるばかりで腰を浮かせようとはしない。
天真は本日何度目になるかわからないため息をついて、それからテーブルの上にあるコーラを飲み干した。
「お前、わかってるよな?こんなことしてたらあかねにとっちゃ迷惑だって。」
「……。」
「こんなこと続けて、毎日毎日お前が居座ってるって他の奴らが気付いたら、あかねの立場が悪くなる。」
「……。」
「あかねはそれでもお前が安心するなら構わないって言うだろうが、お前、それでいいのか?」
「……よくは、ない…。」
「だったら…。」
帰るべきだと言おうとして、天真は途中で言葉を飲んだ。
頼久が急に立ち上がったからだ。
「天真、付き合わせて悪かったな。」
「帰るのか?」
「ああ、神子殿にご迷惑をかけるわけにもいかぬしな。それに…。」
「ん?」
「神子殿がこうして成長しておられるのだ、私一人がいつまでも神子殿におすがりしているようでは愛想をつかされるだろう。精進することにする。」
低い声で己を縛めるように言った頼久は静かに歩き出した。
周囲の視線をまとって店を出る頼久の背を苦笑して眺めながら、天真も席を立ってカウンターを見た。
ちょうど客の注文を取り終わったところらしいあかねが驚いた顔で頼久を見送って、それから天真へと視線を移す。
天真は軽くあかねに手を振って、頼久の後を追った。
‐二か月後‐
あかねは大学の講義が終わるとすぐに頼久の家へと向かった。
ここ二か月の間はアルバイトが入っていたから、いつもより頼久と過ごす時間が少なかった。
だから、あかねも頼久と久々にゆっくり会える時間が嬉しい。
足取りも軽くあかねが頼久の家の前に到着すると、呼び鈴を鳴らすまでもなく扉が開いて笑顔の頼久が姿を現した。
「神子殿、どうぞ、中へ。」
「お邪魔します。」
にこやかに迎えられて、あかねはリビングへと足を踏み入れた。
相変わらずきちんと整頓されている部屋の中央にあるテーブルの上には既にティーセットが用意されていた。
にっこり微笑んであかねはソファに座り、すぐにティーセットで紅茶をいれる。
その間に頼久はあかねの隣へと腰を落ち着けた。
「久しぶりですね、こんなふうにゆっくりできるの。」
「ですが、よろしいのですか?神子殿はお忙しいのでは?」
「あ、大丈夫なんです。実は昨日でアルバイトが終わったので。」
紅茶を手渡しながらあかねがそう言って微笑すれば、頼久ははっと驚いたような顔をしてからすぐに安堵のため息をついた。
「頼久さん?」
「その…では、本日以降はもう少し、神子殿と過ごすことができるのでしょうか?」
「できます!毎日通います!その…頼久さんが迷惑じゃなければ、ですけど…。」
「迷惑などではありません!断じて!」
勢い込んで前のめりにそう言いつのって、二人は同時に笑みをこぼした。
「二か月でよろしかったのですか?」
「あ、はい。できたらもう少し続けようかなって思ってたんですけど…その…やっぱり寂しかったのでやめました。」
「寂しかった、のですか?」
「はい……最初の日、頼久さん、見に来てくれてたでしょう?」
「はぁ…。」
「でも、すぐ帰っちゃったから、その後すごく寂しくて…やっぱり時間があるなら頼久さんと一緒にいたいなって思っちゃったから…だからバイトはもうやめました。」
「神子殿…。」
「最初から二か月っていう約束でしたから。延長してくれないかって言われたんですけど断りました。」
力なく苦笑するあかねの肩を頼久は優しく抱き寄せた。
すっかり初日からあかねの傍をうろうろしていた自分は邪魔ものだろうと思っていたというのに、あかねも自分がいなくなって寂しいと感じてくれていた事実は頼久にとって嬉しいものだった。
だから、そんな想いが伝わるように、優しく優しく抱きしめる。
「神子殿はさぞかしこの身を鬱陶しくお思いかと…。」
「そんなことありません!心配してくれて嬉しかったです…。」
「神子殿…。」
恥ずかしそうに顔を赤くするあかねが愛らしくて、頼久はそっとその額に口づけを落とした。
「ダメですねぇ、私。」
「は?」
「こんなんじゃ大学卒業して社会人になったらどうなっちゃうんだろうって…。」
そう、社会人になれば毎日朝から晩まで仕事をしなくてはならない。
今よりずっと忙しくなるはずだ。
アルバイトさえ耐えられないのに、そんな毎日に耐えられるだろうか?
そう考えるとあかねの胸は暗く沈んだ。
「神子殿。」
「はい?」
「今は大学生活を楽しんでください。」
「頼久さん…。」
「先のことはもう少し後でゆっくり考えればいいのです。」
「はい。」
優しくかけられた言葉にあかねの顔が幸せな笑みでいっぱいになった。
先のことを今から心配してもしかたがない。
何か困ったことが起こったらきっとこの恋人が一緒に解決してくれる。
そう思えば安心で、幸せで…
「それと、来年の神子殿の誕生日は盛大に祝いましょう。」
「はい?どうしてですか?」
「二十歳になる記念の誕生日ですから。」
「頼久さん…はい、楽しみにしてます。」
あかねはにっこり笑ってそう返事をしたけれど、頼久の言葉の中に在る本当の意味に気付いてはいなかった。
二十歳は大人と認めてもらえる年齢。
だからこそ、頼久にとっては特別な日になるはずだった。
管理人のひとりごと
もし、あかねちゃんがアルバイトをしたいと言い出したら?
もちろん頼久さんは右往左往(マテ
だろうなと思ったので書いてみました(^^)
あかねちゃんのアルバイトはスマイルが0円のあれですよ、わかりますね(笑)
接客業だなんて頼久さんにとってはもうハラハラすることこの上ないお仕事です!
結局、あかねちゃんも長く頼久さんなしではいられませんでしたってことで(’’)
やっぱりこの二人にはいつも二人で仲良くいてほしい管理人でした(^^)
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