空の花地の花
 近所の河原で花火大会がある。

 その情報をもたらしたのは天真だった。

 あかねが、なら、みんなで一緒に行こうと誘ってみれば、話を持ち出した天真が真っ先に断ってきた。

 というのも、天真がその花火大会を知ったのは、花火大会の会場でアルバイトを見つけたからだった。

 屋台で焼きそばを売るというその日だけのアルバイトを天真は見事にゲットしていた。

 蘭はどうやらそんな兄の屋台に入りびたるつもりらしくて、やっぱりあかねの誘いを見事にことわってきた。

 そうなればせっかくの夏の夜、綺麗な花火を見る相手としてあかねが思い浮かべるのはただ一人だ。

 ということで、あかねが恋人である頼久に声をかけたのは当然のことだった。

 そして、二つ返事で頼久が了解したのも自然の流れ。

 源頼久という男に、あかねの誘いを断るという選択はもとより存在しない。

 だから、花火を見ること自体はすぐに決定したのだ。

 問題はどこでどうやってどんな予定で見るかということ。

 珍しく二人が議論を交わすことになったのは、花火をどんなシチュエーションで見るかの意見が食い違ったからだった。

 あかねが主張したのは花火大会の会場。

 つまり花火が上がる川の河川敷まで見に行くという方法。

 そうすればバイトをしている天真にも会えるし、そこに入りびたっているだろう蘭にも会える。

 何より、近くで大きく見える花火はさぞかしきれいなことだろうと思った。

 けれど、頼久が珍しくそれに異を唱えた。

 花火大会と言えば花見と同じくらい人が多くなる。

 夏の夜ということで観客は浮かれているだろうし、不逞な輩も多いはず。

 そんな危険な場所へあかねを連れて行くことを躊躇したのだった。

 京で怨霊からだって守ってくれた人が一緒なのだから安心だとあかねが主張しても頼久は頑として首を縦に振らなかった。

 では、頼久はどこで見ることを主張したかというと、それが自宅だったものだから、いつもなら頼久に譲るあかねもなんとなく抵抗してしまった。

 だって、それではいつもと何も変わらないから。

 だいたい、この家から川まではけっこうな距離があるはず。

 あかねにはまともに花火が見られるとは思えなかった。

 お互いに控えめながらも決して譲らない議論が一時間ほど続き、最後に折れたのはあかねの方だった。

 珍しく全く自分の意見を曲げようとしなかった頼久が最後には捨てられた子犬のような目ですがってきたものだから、あかねは思わず頼久の言うとおりにすると言ってしまったのだ。

 頼久に押し切られる形で頼久宅での花火見物が決定して、そのまま帰宅。

 つまり、二人は花火見物前、少しばかり微妙な雰囲気で分かれていた。

 だから花火大会当日の今日、あかねは頼久に気分よく花火を見てもらうためにも思いっきりおしゃれをして家を出た。

 母に着付けてもらった浴衣は少しだけ大人っぽい紺の地のもの。

 髪はアップにしてもらって小さなかんざしをつけてみた。

 手には母と一緒に作った料理の数々が詰め込まれた重箱がある。

 自宅で見物するなら飲み物を飲みながらつまめる料理があった方がいいだろうと母に言われて作ったのだ。

 一人暮らしの頼久には少し多めに持って行って、余ったら翌日の朝食にでも食べてもらえばいいと母が言い張って、重箱に詰め込むほどの量になってしまった。

 それが迷惑にならないかももちろん気になるけれど、あかねが今一番気にしているのは頼久の機嫌だった。

 もちろん、頼久の言うとおりの花火見物になるのだから、怒っているということはないと思う。

 けれど、先日はどうしても川原で花火が見たくて駄々をこねるような形になってしまった。

 頼久さんはあきれてないだろうか?ひょっとして子供っぽい自分に愛想が尽きたりはしていないだろうか?

 そんなことばかりがあかねの頭をよぎった。

 喧嘩はもとより、議論さえそうそう成立しない二人だ。

 たまに言い合いになった先日は本当におかしな空気になってしまった。

 それを今も頼久は引きずっているのではないかと心配で、頼久の家に到着するまでの間、あかねはその目にうっすらと涙さえ浮かべて歩いてきた。

 頼久の顔を見るのが少しだけ恐くて、玄関の前で少しだけ躊躇する。

 そして、思い切って扉に手をかけようとしたその時、いつものように何も言わなくてもあかねの目の前でその扉はすっと開かれた。

「神子殿、ようこそ…。」

 いつものようにあかねを中に招き入れようとした頼久は、扉を開ききったところで動きを止めた。

 その視線はあかねの上に釘付けになっている。

 戸惑ったのはあかねの方だった。

 いつもだったらすぐに中に入れてくれる頼久が、その大きな体で入口をふさいでしまっているのだ。

 これでは中へ入れない。

「あの…こんばんわ……頼久さん?」

「これは、失礼しました、中へどうぞ。」

 一瞬、中へ入れてもらえないのかと思ってしまったあかねは、胸に詰めていた息をほっと吐き出した。

 頼久にいざなわれて、あかねはいつものように中へ入った。

 家の中はいつもと変わりなく綺麗に片づけられている。

「あの、これ、お母さんからです。食べながら見なさいって。」

「ありがとうございます。ですが、見ながら食すのは少々無理かと…。」

 あかねに差し出された重箱を受け取りながら頼久は眉間にシワを寄せた。

 家で花火を見るのなら、重箱の中身をつつきながら、頼久は酒の一杯も飲んでいいはずだ。

 あかねは小首をかしげて頼久を見上げた。

「どうしてですか?ここで花火を見るんですよね?」

「そうなのですが…家の中で見るわけではありませんので…。」

「え、違うんですか?二階の窓からだと思ってました。」

「二階からではなく、実は普段は使っていない屋根裏部屋がありまして、そこの窓から小さなベランダに出ることができるので、そこでと考えておりました。」

「そんな部屋ありましたっけ…。」

「玄関側からは見えませんので。ちょうど南に向いているので…。」

「あ、川の方!」

「はい。ですから、天気さえよければ見えると思うのですが…。」

 天気はいい。

 あかねはここまで歩いてくる間に綺麗な夕焼け空を見た。

 雲一つない空だったからきっと花火が上がる頃も晴れているはずだ。

 あかねは思いがけない特等席から花火を見ることができるらしいと悟ってにっこり微笑んだ。

「天気はすごくいいですから大丈夫ですよ。まだ時間も早いですし、今のうちに少し食べましょうか。頼久さん、晩御飯まだですよね?」

「はい。」

「じゃあ、一緒に食べましょう。」

 あかねは頼久の手から取り上げて重箱をテーブルの上に広げると、勝手知ったるキッチンから箸だの小皿だのを運び出した。

 重箱の中身は煮物や漬物、卵焼き、焼き魚におひたし、それとお稲荷さんと頼久の好む和食ばかりだ。

 あかねは手早くお茶もいれて、頼久と二人向かい合わせに座って落ち着いた。

「これはまた、豪華な…。」

「そうでもないですよ。でも、量が多くなっちゃったので、あまったら頼久さん、明日とか食べてもらえますか?いらなければもって…。」

「頂きます。」

 不要なら持って帰ると言おうとしたあかねに頼久は最後まで言わせなかった。

 そして、微笑むあかねの前でまずは卵焼きに箸をのばす。

 黄色くふっくらとしたそれを口に入れて、頼久は嬉しそうに微笑んだ。

「これは神子殿の手作りですね。」

「へ、どうしてわかったんですか?」

「味が、神子殿の味です。」

「え、えっと、全部私が作ったわけじゃなくて、煮物とかはお母さんも手伝ってくれて…。」

 嬉しそうにしている頼久を前に、あかねは顔を真っ赤にしてうつむいた。

 まさか自分の手料理をあてられるとは思わなかった。

 しかも、この上なく幸せそうにそれを食べてもらえた。

 あかねにとってもそれはとても幸せなことだ。

「そ、そうだ!」

 しばらく真っ赤な顔でうつむいていたあかねが、急に大声と共に顔をあげたので頼久は食べようとしていた煮物の芋を箸でつまんだまま小首をかしげた。

「あの…すみませんでした。」

「は??何が、でしょうか?」

「この前、花火の話をした時、私、わがまま言っちゃって頼久さんを困らせたから…。」

 急にしゅんとなるあかねを見て、頼久はつまんでいた芋を小皿に置くと姿勢を正してあかねを正面から見つめた。

「そのようなことはお気になさらず、私も神子殿の安全のためとはいえ、御不快な思いをなさったであろうと案じておりました…。」

「不快だなんてそんな!そんなことありません!ただ、頼久さん怒ってるかなってちょっと心配で…。」

「怒ってなど!」

「でも、さっき、なかなか中に入れてくれなかったから…。」

「そ、それは…その…神子殿が浴衣を召しておいででしたので…見惚れておりました…。」

「へ…。」

 どんな言い訳がなされるのかと思えば、あかねの耳に届いたのは意外な告白だった。

 そういえば、今日はずいぶんと張り切っておしゃれをしたのだたっとあかねは苦笑した。

 それもこれも頼久のためのおしゃれだったのだから、見惚れてもらえたのなら嬉しい限りだ。

「そうだ、頼久さん、お酒飲みませんか?お酒のおつまみに会うものをそろえたつもりなんですけど…。」

「いえ、花火が終わってから頂くことにします。酔って階段から転げ落ちたりしては申し訳ありませんので。」

 天真と二人で一晩中飲み明かしても酔っているのかいないのかわからないほどの酒豪である頼久が、酔って階段から落ちるなんてありえない。

 そうは思ったあかねだけれど、いくら勧めても頼久がこう言ったら絶対に飲まないこともわかっている。

 だから、あかねは煮物のニンジンをつまむとそれを頼久の方へ差し出した。

「じゃあ、花火見ている間におなかすかないように今のうちにいっぱい食べておきましょう。」

「神子殿…はい。」

 一瞬戸惑った頼久は、それでも『はい』と返事をするとすぐに口を開けた。

 あかねに食べさせてもらうニンジンの味は格別だった。







 頼久の言うとおり、屋根裏部屋のベランダからは南の空がよく見えた。

 二人が並んで立つのがギリギリというくらいの広さのベランダに並んで二人はそろって空を見上げていた。

 邪魔な建物が皆無ではないにしても、空高く打ち上げられる花火は小さなベランダからよく見えた。

 頼久の言うとおり、花火大会はものすごい人出になるし、こうして二人きりで花火を楽しむことができることを考えれば頼久は英断だったといっていいだろう。

 あかねは長身の恋人と花火とを見比べて微笑んだ。

「最初から頼久さんの言うとおりにしておけばよかった。」

「は?」

「だって、すごくよく見えるんですもん。人もいないしから落ち着いて見られるし。」

「いえ、下の方で行われる仕掛け花火が見えません…。」

「それくらいいいですよ。静かだし、落ち着いてるし、こっちの方がずっといいです。」

「神子殿…。」

 実のところ、頼久は頼久で自分の判断を悔やんでいた。

 確かにここならあかねを危険にさらさずに打ち上げ花火を見ることはできる。

 が、仕掛け花火は全く見えなかったし、あかねの言っていた迫力のある大きな花火は見られなかった。

 今考えてみれば、あかねが川原まで行きたいと言ったのは、出店も楽しみたかったからではないかと気づいてもいた。

 そんな中で告げられたあかねの言葉と笑顔は頼久の胸の内にあった後悔の念を一瞬で打ち消した。

「綺麗ですねぇ。」

 ドーンという花火独特の音が響く中で、あかねは小さくつぶやいた。

 肌が触れ合うほど近くに並んでいる頼久の耳にその声は確かに届いて…

 隣を見れば、愛らしい顔に満足げな笑みが浮かんでいた。

 その笑顔が頼久の口元をほころばせる。

「今頃、天真君はバイト大忙しなんだろうなぁ。」

「やはり、川原まで行って天真にも会うべきだったでしょうか…。」

「ん〜、たぶん行っても邪魔になるだけな気がします。蘭の相手をしなきゃって言ってたし。」

「ですが…。」

 天真だってきっとあかねと一緒に花火を見たかっただろうとも思う。

 頼久にとってはもちろんそれは気分のいい話ではないけれど、あかねだって皆と一緒に花火を楽しみたかったのではなかろうか?

 そんな思いが頼久の脳裏をよぎった。

「きっとこれだけ天気がよかったらお店だって大繁盛だろうし、逆に忙しいところ邪魔になっちゃったと思います。ああ見えて、天真君って意外と私たちに気を遣ったりするし。」

 あかねはそういって頼久ににっこり微笑んで見せた。

「それに、やっぱり二人きりで見たかったです。」

 あかねがそう言ったとたん、花火はクライマックスを迎えたらしく、立て続けに大きな音が鳴り響いた。

 空には色とりどりの花火が広がっては消え、空の花畑のようだ。

 それにうっとり見惚れるあかねを頼久はじっと見つめた。

 ころころと変わる光の色に照らされるあかねは幻想的で、自分の恋人である人とは思えないほど神々しく頼久の目に映った。

 そして花火が終わってしまえば、そこはただの夜空の下。

 辺りには人の気配もなくて、花火の音が絶えた夜空の下はやけに静かに感じる。

「綺麗だったですね。」

「はい。」

「やっぱり二人きりで見れてよかったです。」

 あかねがそう言って微笑むのを見て、頼久の手は自然とあかねの方へ伸びていた。

 小さな体をゆっくり抱きしめると、夜風に揺れるかんざしが見えた。

 少しばかり大人びて見える浴衣を着た恋人。

 満足そうなその笑顔。

 二人きりでよかったと言ってもらえたから。

 頼久は少しだけ腕の力を緩めると、赤い顔で見上げる恋人の唇に優しい口づけを落とした。

 空に咲く花よりも数段美しい地上の花に愛しさと敬いの心をこめて。

 静かな夜空の下で、二つの人影はしばらく重なったまま動かなかった。








管理人のひとりごと

あまりにも暑い日が続き、花火の中継がテレビであったりなんかしたので、夏ネタ一本です!
管理人の生息している日本最北の地、北海道も今年は猛暑。
夜まで暑いってこっちじゃそうそうないんですが、熱帯夜ってやつを久々に経験しております…
おかげで寝れない寝れない。
そして昼間、扇風機に当たりながら寝たりしてね…
せっかくの夏の夜なので、頼久さんとあかねちゃんには楽しんでもらいました!








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