
頼久はすっと目を開いて、すぐに腕の中にあるぬくもりに気付いた。
優しくて暖かくてやわらかいその感触はもちろん愛しい妻のもの。
まだぐっすり眠っているらしい妻の寝顔を覗いて、頼久は愛しいその小さな体を優しく抱き寄せた。
外はもうすっかり明るくなっているが、今日は急ぐ必要もないと頼久の顔には穏やかな笑みが浮かぶ。
何しろ今日は頼久の誕生日。
昨年はあかねと藤姫の突然の思いつきで、武士溜まりへと出勤した頼久に急に休みが与えられたのだが、今年は昨日のうちに誕生日は休みになると藤姫に告げられていた。
おかげでこんなにも朝からゆっくりと愛妻の寝顔を堪能できて頼久は目覚めた直後から上機嫌だ。
いつもなら早くから仕事に出るから更に早く起きて鍛錬を済ませなくてはならない。
だから、こんなふうに妻の寝顔を堪能したり、腕の中に閉じ込めたまま妻の目覚めを待つなどということはできないのだ。
頼久が妻の寝顔を堪能できる幸せに浸っているうちに、その腕の中の小さな体はもぞもぞと動き出した。
「ん〜。」
可愛らしくそう呻いて目を開けたあかねは、視線を上げて何度か瞬きした。
そこにはこの上もなく幸せそうな顔をしている旦那様の顔が…
「お目覚めですか?」
「頼久、さん?」
「はい、おはようございます。」
「おはよう、ございます…。」
長い髪をといてある頼久を明るいところで見るのは珍しくて、あかねは思わずきょとんとしてしまった。
いつもはきりりと結い上げられている頼久の髪はさすがに寝る時にはとかれているけれど、こんなふうに陽の光の中でその姿を見ることは珍しい。
髪をといて寝巻き姿の頼久はなんだか妙に艶があって、あかねは思わず顔を赤くした。
「神子殿?」
「な、なんでもないです……って、あれ、頼久さん鍛錬いかないんですか?外、すっかり明るいですよ?」
「はい。本日は藤姫様より休みを賜りましたので、鍛錬は後ほどゆっくりでも。」
「あ、そっか。今日はゆっくりでいいんですもんね。」
そう言ってあかねがにっこり微笑みながら上体を起こすと、頼久も起き上がって笑顔を見せた。
「今日は頼久さんのお誕生日ですから今年もずーっと頼久さんと一緒にいますね。」
昨年、物欲皆無の頼久にどんな誕生日の贈り物をしたらいいかと悩んでいたあかねに、ただ側にいてやればいいと助言してくれたのは友雅だった。
おかげで昨年の10月9日は頼久にとってもあかねにとっても幸せな一日となったのだ。
もちろん、今年もあかねはこの一日、頼久のそばを離れないつもりでいる。
「はい。」
嬉しそうに返事をした頼久はすっとあかねに手を伸ばすとそのままあかねの体を抱き寄せて、腕の中に閉じ込めてしまった。
「よ、頼久さん?」
慌てるあかねをよそに頼久は優しくあかねの髪をなでた。
京に残ると決めた日から切っていないあかねの髪はずいぶんと伸びて、さらさらと背で揺れている。
その髪が伸びた月日を共に暮らしてきたのかと思うと、頼久の中で幸せな思いが溢れた。
「ちょっ、頼久さん!朝ですから!」
慌てて真っ赤な顔で頼久の腕から逃れたあかねは、やっとの思いで少しだけ頼久から距離をとった。
そうしないとまたあっという間に抱き寄せられてしまいそうだ。
「せっかくお休みなんですから、頼久さんのしたいことしましょうね!」
「はぁ…。」
頼久は思わず苦笑をもらした。
したいこと、といわれても、頼久が休みだからといってしたいことなどただあかねの側に寄り添っていたいということくらいのものだ。
そもそも趣味一つ持たない朴念仁なのだから。
「では、どこかへ野駆けでも参りませんか?」
「野駆けって馬で、ですか?」
「はい。」
あかねの顔にパッと光が差し込んだ。
もともとあかねは闊達な性質だ。
だから龍神の神子として戦う時には必ず八葉のみんなと共に最前線に立っていた。
だが、最近は頼久という夫の妻になったという事実が先に立って、家の中でおとなしくしていることが多くなっていた。
妻として色々努力するのはもちろん嫌いではないけれど、やっぱり外に出かけられるとなると嬉しいと思ってしまうのがあかねだ。
「山の方へ足を伸ばせばそろそろ紅葉も美しいかと思いますので。」
「でも……。」
綺麗な紅葉をあかねに見せようと前々から野駆けは頼久が計画していたことなのだが、ここであかねは何やら考え込むようにうつむいてしまった。
何か不都合があったのかと頼久が顔色を青くする。
「お気に召しませんか?」
「そうじゃなくて…武士団の若棟梁の奥さんが馬に乗って野駆けとかしてもいいのかなぁって……。」
うつむくあかねを見て頼久はほっと安堵の溜め息をついた。
そんなことを気にしていたのかと思うと愛しさもつのるというものだ。
「そのようなこと、気になさる必要はありません。武士の妻なればこそ馬に乗ることも問題はないかと。」
頼久がそういえば、ポンッと手を叩いてあかねが納得した。
「そうか、そうですよね。武士団の人はみんな馬に乗るわけだし、奥さんが馬に詳しくたっておかしくないですよね。」
もちろん、武士の妻だからといって馬に乗るという女性などいはしないのだが、そんなことはとりあえずどうでもいいので頼久は無視した。
この目の前の妻が楽しそうに笑ってくれればそれでいいのだ。
「朝餉を済ませたらすぐに出発致しましょう。そうすれば暗くなるまでに紅葉を楽しんで帰って来ることができます。」
「はい。お弁当持って行きましょうか。おにぎりとか。」
「御意。」
二人きりでの外出は久々だ。
頼久とあかねが幸せそうな微笑を交わしたその時、朝餉の支度が整ったことを女房が告げにやってきた。
久々に水干姿のあかねは馬に横乗りになってしっかり頼久につかまっていた。
自分でまたがって馬のたてがみをつかんでもいいのだけれど、そうすると頼久が不安になると言い張ったのでこの姿勢に落ち着いた。
馬を操っている頼久にすれば、馬にしがみつくよりも自分につかまっていてくれた方があかねを守りやすい。
というのが頼久の言だったのだが…
「頼久さん、やっぱりこの方が手綱とかさばきにくくないですか?」
「そのようなことは。」
「ん〜、前みたくちゃんとまたがっちゃった方が絶対色々やりやすい気がするんですけど…。」
頼久の胸の辺りでうんうん唸っているあかね。
その姿を見て、頼久は馬を並足で歩かせながら苦笑した。
手綱さばきだけならば確かにあかねの言う通りなのだが、それでは味気ないではないか。
と思ってしまったから。
「神子殿さえお嫌でなければ、今日はこのように乗って頂きたいのですが…。」
「嫌じゃないですけど、私は安心だし。でも本当に頼久さんは手綱さばきにくくありません?」
「はい。それに、こうして神子殿に寄り添って頂いた方が…。」
そこまで言って微笑む頼久の顔を見上げて、あかねは一瞬で夫が何を言いたいのかに気付いて顔を真っ赤にした。
そのままうつむいて頼久にキュッと抱きついて、あかねは口を閉ざした。
もう不平は言わないけれど、それ以外のことも恥ずかしくていえないらしい。
そんな愛らしい妻の様子に頼久の笑みは深くなる。
馬は機嫌よさそうに並足で歩き続け、山道も難なく登っていく。
すっかり照れてしまったあかねは何も話してはくれないけれど、自分にしっかりと抱きついてくれるぬくもりを感じていれば頼久は上機嫌だ。
二人で馬上で寄り添ってしばらく進むと、山の中腹辺りの少し開けたところへと出ることができた。
「神子殿、ここから見る景色はなかなかです。おりて御覧になりませんか?」
「へ、あ、はい。」
目的地に着いたのだと声をかけられてやっと気付いて、あかねは頼久の手を借りて馬をおりた。
頼久が馬を気につないでいる間に遠くを眺めれば、秋の京をすっかり見渡すことができた。
「うわぁ、綺麗。」
紅葉した木々の葉の間から見える京はとても綺麗で、あかねは思わず声をあげた。
萌えるように赤い楓の葉。
その合間から見えるきちんと整えられた京の都。
秋晴れの青い空に切れ切れに流れる白い雲。
何から何までが気持ちいい。
「気に入って頂けましたか?」
「はい!って、今日は頼久さんのお誕生日ですよ、私が気に入ってもしょうがないじゃないですか。」
「いえ、神子殿が心地良いと思って下さることが私の喜びでもありますので。」
「ま、また、頼久さんはそんなこと言って!」
あっという間に顔を赤くして視線をそらすあかねを頼久はそっと抱き寄せた。
「よ、頼久さん?」
「こうするとなおいっそう私は幸せなのですが?」
「……。」
頭上から降ってくる低い声は本当に幸せそうで…
あかねはしばらく黙って抱きしめられていることにした。
屋敷でもよくこうして抱きしめてもらうけれど、外でこんなふうにされることはめったにない。
綺麗な紅の木々の葉がちらりちらりと降ってくる中で、穏やかな京を見下ろして、大好きな人に大切に抱かれればあかねだって幸せだ。
伝わる体温も心地良くてあかねがうっとりし始めると、頼久があかねの髪に軽く口づけた。
その瞬間。
ぱっと慌てて頼久の腕から逃れて距離をとるあかね。
何事かと驚いて頼久は目を丸くした。
「よ、頼久さん!」
「はい?」
「ここ、外です!」
「はぁ…。」
「い、い、今キスした!」
「はぁ…。」
「はぁって……誰もいないからって外でそんな……。」
「お嫌でしたか?」
心配そうな顔でそう尋ねる頼久の顔を見て、あかねは言葉に詰まった。
いやじゃないというとそれこそ外ではちょっとと思うようなことをもっとたくさんされてしまいそうな気がするのだけれど、捨てられた子犬みたいな顔で見つめられてはやめてくださいとは言えない。
「いや、じゃないんですけど……その…外っていうのは…。」
「承知致しました。」
「へ。」
あまりにもあっさり了承されて、しかも何やら嬉しそうな声が聞こえてきてあかねは目を丸くした。
見ると頼久は嬉しそうに微笑んでいる。
「えっと…。」
「外でなければ宜しいのですね。」
「……。」
それはそうなのだが、そんなに嬉しそうに言われるとあかねとしては複雑だ。
「え、えっと…お、お弁当食べましょうか。」
あかねは慌てて馬にくくりつけてあった荷物からおむすびを取り出した。
それはあかねが自分でご飯を炊いて握ってきたもので、普通の塩むすびだ。
でもきっと、綺麗な紅葉を眺めながらだったらこった料理なんかよりずっとおいしいはずと思って心を込めて握ってきた。
その包みを草の上に座って広げると、すぐ隣に水の入った竹筒を持って頼久が座った。
「はい、頼久さんも一つどうぞ。」
「有難うございます。」
「私の元いた世界ではこういうのピクニックって言って、子供の頃からよくやるんですよ。」
「そうでしたか。」
「でも、大好きな人と二人の時はデートって言います。」
そう言ってにっこり微笑んであかねはぱくりとおむすびを頬張った。
もといた世界のこともサラリと話してくれることが嬉しくて頼久もその顔に笑みを浮かべながらおむすびを口に運ぶ。
どうということはないというふうに元いた世界のことを話してくれるということは、それくらいあかねが元の世界のことを懐かしいと思ったり元の世界へ帰りたいと思ったりはしていないという証拠。
頼久に気をつかわないのもつかってもらう必要のない話だということだ。
「神子殿。」
「はい?」
「私は今、この世に生まれたことをとても喜ばしく思っております。」
「頼久さん…。」
「この世に生まれ、神子殿に巡り会えたことは私にとって奇跡のようなものです。今はただこの奇跡に感謝するばかりです。」
「わ、私も頼久さんがこの世界に生まれてきて八葉になってくれて、こんな私をお嫁さんにしてくれて凄く嬉しいです。幸せです。有難うございます。」
「いえ、私の方こそ、このような一介の武士の身で神子殿に嫁いで頂けたこと、幸福に思っております。」
二人そろって深々と頭を下げて…
顔を上げて互いの顔を見合わせて、二人は思わず声をあげて笑ってしまった。
よくよく考えれば夫婦二人で何をしているのかと気付いたから。
「来年もこんなふうにお祝いしましょうね。」
「はい。」
「再来年もその次もずっとですよ。」
「御意。」
二人は微笑を交わしておむすびを食べきると、しばらくは何も言わずにただそこにたたずんだ。
もう少ししたら陽が傾いてきて寒くなってしまう。
そうなったら帰らなくてはならないから…
それでも来年もその先もまたずっと共にこうして過ごせると思えば寂しくはない。
「ん〜、来年はちゃんとプレゼント用意しようかなぁ。頼久さん、本当に何もほしいものないですか?私、お裁縫とかたくさん習ってるんです。着物とか縫ってみましょうか?」
「いえ、物は何も…。」
「物は?」
頼久の意味深な物言いに小首を傾げた瞬間、あかねはあっという間にかするような口づけをされて目を丸くした。
「頼久さん!」
「ほしい物はないかとお尋ねでしたので。」
悪びれもせずにそういう夫にあかねは更に驚いて…
いつからこんな確信犯みたいなことができる人になったんだろうと口をパクパクさせて…
それから軽く深呼吸をしてやっと落ち着いて、あかねは頼久をきりりとにらみつけた。
「外はダメって言ったじゃないですか!」
「そうでした。」
「へ?」
あっさりと肯定した頼久はさっとあかねを横抱きに抱き上げるとその体をつないである馬の背に乗せてしまい…
更に自分も軽々と馬にまたがるとあかねの体を軽く抱きとめて、そのまま馬を歩かせ始めた。
「頼久さん?」
「帰りましょう。」
「えっと、ちょっと早くないですか?」
「外はとおっしゃったので。」
「はい?ってええええええっ!」
赤い顔で一人もたつくあかねをしっかり抱きしめて、頼久は馬の腹に軽くかかとを入れた。
すると馬は早足で歩き出し、あかねの屋敷への帰りを急ぐ。
「しっかりつかまっていてください。危ないですから。」
悪戯っぽい頼久の声が頭上から聞こえて、あかねは顔を真っ赤にしたまま頼久に抱きついた。
今日は大切な旦那様のお誕生日。
ちょっとくらいのわがままは許してあげよう。
あかねはそう心の中でつぶやいて、屋敷に帰ってからどれくらいべったりと甘やかされるのかと想像して更に顔を赤くするのだった。
管理人のひとりごと
頼久さん京でもお誕生日おめでとう編でした。
急遽、1日で書いて校正してますので、誤字脱字はご容赦下さい(TT)
現代版書いたらどうしても京でも祝いたくなってしまった…
というか、現代でちょっと糖度上がらなかったのでもっと甘い京を書きたくなりました…
甘くなってましたでしょうか(’’)
現代版よりはちょっと押してる頼久さん。
お誕生日くらいは押させてあげましょう(w
頼久さん、お誕生日おめでとうです(^^)
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