その価値は
 朝、旦那様を笑顔で送り出して、あかねはとりあえず一息ついた。

 夫の頼久はというと武士団の仕事だけでなく、武士団の若棟梁として後輩の指導などもしなくてはならないから朝が早い。

 一方あかねはというと、帰りが遅い夫を律儀に起きて待っていて、それから少しだけ夫婦の会話などというものを楽しんだりして、その他諸々の大人の事情もあって朝は苦手だ。

 だから、寝ぼけ眼じゃなくてちゃんと笑顔で見送れた今朝は自分なりに合格だと言えた。

 どうして今朝に限ってこんなに気合を入れて旦那様を送り出したのかというと、今日はあかねにとって特別な日だったから。

 今日、あかねは一つ年を重ねた。

 そう、今日はあかねの誕生日。

 京では誕生日を祝う習慣はなくて、みんなお正月に年をとってしまうから関係ないといえばないのだけれど、あかねにとってはやっぱりちょっとだけ特別な日だった。

 一つ大人になるのだから、大人らしく、奥さんらしく。

 そう思っての早起きだった。

 京の人達には誕生日を祝う習慣が無いから、たぶん誰かが祝ってくれるということはないだろうけれど、それでも一つ年を重ねたことに違いは無い。

 さぁ、一つ大人になった今日は次に何をしよう?

 あかねがそんなことを考え始めた頃、妻の笑顔に送り出された頼久は思いもかけない人物につかまっていた。





 頼久はいつになく爽やかな妻の笑顔に送り出されて、嬉しくも幸せで、少しだけ後ろ髪引かれる思いで歩いていた。

 あかねの屋敷から頼久の職場とも言える土御門邸までは歩いて数分の距離だ。

 だから頼久は毎朝歩いて土御門邸の武士溜まりへ向かう。

 たいていは誰とすれ違うこともなく、速やかに職場にたどり着くことができるのだが…

 頼久が妻の笑顔を思い起こしながら気分よく歩いていると思いがけない声がその耳に届いた。

「頼久。」

 艶やかな声に自分の名を呼ばれて、頼久は反射的に歩みを止めた。

 その声は確かに聞き覚えのあるもので、敵意こそ無いものの頼久にとって無害とは言いがたい声でもあった。

 ゆっくりと声のした方を振り返るとそこには予想通りの人物の姿があった。

「頼久、人の顔を見るなり眉間にシワを寄せるのはやめてもらえないか?」

「申し訳ありません、意識しているわけではないのですが…。」

「意識していない方が問題だと思うが…。」

「はぁ……。」

「いや、そんな話をしにきたのではなかった。頼久、今日はなんの日かよもや知らないということはないだろうね?」

「今日、ですか?」

 訝しげに首を傾げる頼久に目の前の美丈夫、橘少将友雅は深く溜め息をついて見せた。

「まったく、神子殿はどうしてこんな朴念仁をお好みなのか私には理解ができなくなることがあるよ。」

「……もしや、本日が妻の誕生の日であることについてのお話でしょうか?」

「わかっていたのなら先に言えばいいものを。頼久もすっかり性格が悪くなったね。」

「友雅殿にだけは言われたくありません。」

「言うねぇ。」

 どこか楽しそうにそういう友雅に今度は頼久が溜め息をついた。

 武官としては申し分のない腕前を持ち、女性ならば誰もが一度は憧れるという美貌の持ち主でもある友雅は文官としても十分に通用するほどの能力の持ち主だが、常に人をはぐらかすような物言いをする。

 これでも八葉の任につく前よりはずいぶんとましになったが、それでも絡まれる頼久としてはあまり共にいて心地いい相手ではなかった。

「友雅殿、まさか私をからかって遊ぶためにわざわざこんなところまでいらっしゃったわけではありますまい?」

「まぁね、いくら私でもそこまで暇じゃない。我らが神子殿の誕生した日を皆で祝いたいと思ってね。」

「は?」

「まさか夫の頼久が何も考えていなかったとはいわないだろうね?」

「いえ、何もする予定はございませんが。」

 友雅はここで再び深い溜め息をついた。

 朴念仁極まりない男だとは思っていたが、ここまでとは。

「神子殿はお心の広い方だからね、まぁそれでも不平は言うまいが……哀れになってきたよ…。」

「いえ…妻の希望で何もしないことになりましたので…。」

「神子殿の希望で?」

「はい、こちらの風習に従って何もしないでほしいと、そう望まれまして…。」

「だが、頼久は神子殿に祝って頂いたのだろう?」

「はい、その話もしたのですが…。」

「まぁ、神子殿らしいといえば神子殿らしいけれどね。」

 艶やかな友雅の美貌に苦笑が浮かんだ。

 もともとが私欲の無い清らかな女性だが、本当に折に触れてその清らかさが今でも感じられる。

 だからこそ、八葉の任を終えた今も友雅がいつも心を砕いているのだ。

「実は元八葉の皆で神子殿の誕生の日を祝いたいという話が出てね。」

「はぁ…。」

「心ばかりの贈り物を神子殿に贈ろうということになったのだが、神子殿がほしがるものなど皆一つしか思い浮かばないのだよ。」

「はぁ……。」

「そこで、頼久に協力を頼みたいのだが。」

「はぁ…は?」

 ここは戯れ好きの少将の話だから軽く聞き流して早く仕事へ向かおうとしていた頼久は、とてつもなく嫌な予感と共に目の前の元同志を見つめた。

 自然と眉間にシワが寄っていることに頼久本人は気付いていないが、友雅は本日最も深いそのシワを見て漏れる苦笑を止められなかった。

「まぁ、ついてきてくれればわかるよ。私一人の考えではないから安心するといい。」

「といいますと?」

「鷹通はもちろんのこと、泰明殿、イノリ、永泉様も一枚噛んでいるということさ。」

「永泉様まで……。」

 こと、龍神の神子のこととなると法親王もいつもの慎ましやかな行いを翻すことがある。

 それをよく心得ているだけに、八葉の中では最も常識人といえる永泉も行動を共にしていると聞かされても頼久の嫌な予感が消えることは無かった。

「まさか、永泉様にまで望まれているのに来ない、ということはあるまいね?頼久。」

「……お供、致します。」

 永泉といえば一つ何かが違えば帝であったかもしれない人だ。

 その永泉までが望んでいるといわれては、一介の武士たる頼久に断ることはほぼ不可能。

 それと知っていて永泉の名を出した友雅はニヤリとその口元だけで微笑むと、頼久の先に立って歩き出した。

 頼久は一つ溜め息をつくと、その表情をきりりと引き締めて友雅の後を追った。

 この年長の美丈夫にはこれまでも何度も振り回されている。

 今回も相当の覚悟が必要だ。

 頼久は胸の中でこれも八葉たる仲間達を想う妻の心を守るためと言い聞かせて、深く深く眉間にシワを寄せたまま歩き続けた。





 あかねは夫を送り出してから歌の勉強を始めて、あっという間につらくなり、次は香の合わせ方をと思って格闘して、これはなんとか作り上げることができたところで一息ついていた。

 小腹がすいてきたからお菓子でもつまんで、さて午後は何をしようかと考え始めたその時、あかねの耳に聞き慣れた足音が届いた。

 一歩一歩しっかりとしたその力強い足音は間違いない、朝早く仕事へと出かけて行き、夜まで戻ることがないはずの夫のものだ。

 こんなに早く帰って来るはずはないからきっと何かあったのだとあかねが慌てて立ち上がったその刹那、あかねの目の前に見たこともない姿の頼久が現れた。

「頼、久……さん?」

「はい、ただ今戻りました。」

「……。」

 足音はもちろんのこと、顔も声も間違いなく頼久だ。

 頼久なのだけれど…

「神子殿、その……。」

「えっと…頼久さん、ですよね?」

「はい。」

「その、どうしてそんなかっこうなんですか?」

 おずおずとあかねがそう尋ねたのも無理はない。

 今の頼久はというと今までに見たことのない出で立ちだったのだ。

 その姿はというと、まるで友雅ではないかというような派手な着物を着て腰にはなにやら豪華な太刀がさがっている。

 いつもの頼久の太刀は使いやすさが一番といった様子のものなのにこの太刀には装飾が施されていてどこかキラキラと輝いてさえいた。

 そして極めつけは髪だ。

 いつもきりりと結い上げられているその長い髪は解かれていて、まっすぐの綺麗な髪が肩へと流れている。

 その手には扇が握られていて、ちょっと見ただけではあかねでさえ別人だと思っても無理はないほどだった。

「やはり、お見苦しいですか…。」

「み、見苦しくなんかないです!凄くステキです!ステキですけどなんか……頼久さんっぽくないというか…。」

 そう、いつものどこから見ても隙がなくて強そうで、それでいてとても優しい頼久とは全く違った外見で、ひ弱で美しい貴族の御曹司のように見えてしまう。

 だから、その立ち姿は確かに美しいし、ステキだとは思うのだけど、いつも共に暮らしている夫とは思えなくてあかねは戸惑った。

「実は、さきほどまで友雅殿と永泉様にこのような出で立ちに飾り付けられておりまして…。」

「へ?友雅さんと永泉さんが?」

「はい、その……本日は神子殿がお生まれになった日ということで……。」

「ああ、二人とも誕生日、覚えていてくれたんだ。……ってどうしてそれで頼久さんがそんなかっこうになるんですか?」

「それが……本日の私の仕事は全て鷹通殿に調整されておりまして、本日と明日は休みとなりました。」

「はい…。」

「この衣装一式は友雅殿が贈ってくださったものです。」

「はい…。」

「焚き染めてある香は永泉様からで、この太刀はイノリが師匠に頼んで神子殿をお守りするために私が使うようにと用意してくれたものです。」

「はい…。」

「そしてこれが…。」

 何がなんだかわけがわからないという顔で小首を傾げているあかねの目の前に、頼久は懐から一枚の紙を取り出して見せた。

「泰明殿からです。」

「それはひょっとして……。」

「はい、飾り付けた私が皆からの……。」

「お誕生日の贈り物…。」

「そういうことです。」

 苦笑しながらうなずく頼久に、あかねは目を丸くした。

 確かに目の前にあるのは普段の生活では絶対に見られないといってもいいような頼久の姿だ。

 めったに見られないものを見せてもらえたと言えなくもない。

「みんなちゃんと私のお誕生日覚えててくれたんですねぇ。」

「それは当然です。皆、自分の生まれた日を神子殿に祝っていただいておりますから。」

 そう言って微笑む頼久の姿はいつもとは違っているだけになんだかやたらと輝いて見えて、あかねは一瞬で顔を真っ赤にした。

「神子殿?」

「あ、いえ、えっと、泰明さんがくれたその紙ってなんなんですか?」

「これは…………失礼致します。」

 一瞬躊躇してから頼久は左手であかねの肩を抱いた。

 すると優しい香りがあかねを包み込む。

 これが永泉の香かとあかねがその香りを楽しんでいると耳元に頼久の吐息がかかった。

「わ……私の愛しいあかね。」

「は、はいぃ?」

 あかねが驚いて飛びのいて見れば、頼久は耳まで真っ赤になっており……

 右手に持っていた紙からはヒラヒラと美しい蝶が舞い上がっていた。

「へ……。」

「先ほどのように囁くと神子殿が喜ばれるものがこの紙より湧き上がるといわれていたのです。」

「そ、そうだったんですか……。」

 つまりは頼久の甘い言葉とこの美しい蝶の群れが泰明からの贈り物。

 そう思うとなんだか嬉しくて、あかねはにっこり微笑んでから苦笑している頼久を見つめてはっと目を見開いた。

「頼久さん!」

「はい?」

「ごめんなさい…。」

 小さな声でそういったきり、だんだんうつむいてしまうあかね。

 それを見て頼久はおおいに慌てた。

 美しく着飾った夫を見て嬉しくない妻があろうはずはないとか、甘い言葉を喜ばない女性はいないとか言われて渋々承諾したのだが、やはり異界から舞い降りた天女にはこのような衣装も振る舞いも気に入らなかったのかと頼久は頭の中で色々な可能性を考えていた。

 だが、いつものように何が最もよくなかったのか、頼久には答えが出せない。

「神子殿…申し訳ありません、やはりこのような振る舞いはお気に召さなかったのですね。」

「ううん、違うの。私のせいで頼久さんにたくさん嫌な思いさせちゃったみたいだから……だから、ごめんなさい。」

「そのようなことは!」

「でも……。」

「いえ、神子殿に喜んで頂けるのならどのようなことも厭いません。私はただ、神子殿がそのように悲しげにしておいでの様子ですから、お気に召さなかったのかと…。」

「気に入らないなんてこと無いです。本当にステキです。こんな頼久さんと一日過ごせるなんて、凄く楽しみですよ。だから、嫌な思いをさせてごめんなさい。それと、ステキな誕生日を有難うございます。」

「神子殿……いえ、礼は八葉の皆へ。」

「あ、はい、みんなにもお手紙書きます。」

 あかねさえそう言って微笑んでくれれば頼久にはもう何一つ不安は無い。

 可憐な花のような笑顔を目に、頼久は再びあかねの小さな体を抱き寄せた。

 すると頼久の手にあった紙は一気に多くの蝶へと姿を変え、二人の周囲にふわりふわりと舞い始めた。

 淡く光るその蝶は優しく二人を包み込み、あかねはその口元に優しい微笑を浮かべた。

「綺麗ですねぇ。」

「はい……神子殿。」

「はい?」

「神子殿が今日この日にこの世へ誕生してくださったこと、この頼久、心より感謝致します。」

「頼久さん……。」

 頬を桃色に染めたあかねはにっこり微笑んで頼久の胸にもたれた。

 すると優しい香りのする腕が柔らかい体をしっかりと抱きしめてくれる。

 どんなに美麗な服を着ていようとも鍛えられたその腕は間違いなく頼久のもの。

 安心して抱かれるあかねと大切そうに妻を抱きしめる頼久の二人を美しい蝶の群れはいつまでも見守っていた。








管理人のひとりごと

今年もまた管理人が一つ老けたということでこんな短編を書いてますが…
実際に老けたのは3日でした(’’;
間に合わなかったんですが…もう七夕創作も間に合わんということで(’’;;;
八葉のみんなが頭をひねって考え出したのは頼久さんにリボンをかけてあかねちゃんへプレゼントでした♪
あかねちゃんにリボンをかけて頼久さんをプレゼントっていう話はありがちなんで逆にしてみました!
私も頼久さんならほしいから!(マテ







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