その熱き…
 どうして目が覚めたのかわからない。

 だから、あかねはゆっくりと目を開けて、すぐそばに頼久の姿を見つけて小首を傾げた。

「神子殿、目が覚めたのですか?」

 何故か正座をしてあかねの顔を覗き込んでいる頼久の姿は射し込む月明かりにぼんやりと照らされていた。

 明るい陽の下で見る頼久はカッコいいあかねの自慢の旦那様だ。

 けれど、こうして月明かりに照らされる頼久はどこか艶やかで、見惚れてしまうほど綺麗で…

 あかねは本来なら自分の隣に寝ているはずの頼久がどうして今にも出かけそうな出で立ちのまま寝ている自分の側に座っているのかがわからなくて、考え込んでしまった。

 ところが、なんだか体がだるくて、ついでに頭もだるい気がして、思考が全くはっきりしない。

「どこか苦しいところがおありですか?」

「苦しくは、ないです。」

 心配そうな頼久の声に答えた自分の声にあかねは驚いた。

 少しかすれていて、そのかすれた声を出すだけでもなんだかひどく疲れる。

 声を聞いた頼久が更に心配そうに目を細めながらあかねの額の上のものを取り除くと、水音が辺りに響いた。

 あかねが自分の額を冷やしている布が温まったので頼久が水で冷やしてくれているのだと気付いたのは水音を聞いた次の瞬間だった。

 そしてそんな状況にあるということは自分は風邪をひいたのだろうと、やっと体のだるさの原因に気付いた。

「まだ夜明けまでは間があります。ゆっくりお休みください。何か御用の際は、この頼久、片時もおそばを離れませんのでなんなりとお申し付けください。」

 低く響くあかねの耳に優しいその声に、けれどあかねは顔をしかめた。

 お申し付けくださいなんて従者みたいなこと言わないでください!

 そう宣言したいのに体中の力が抜けて声が出ない。

「神子殿?お具合が…。」

「違います。」

 やっとそれだけ答えてあかねは小さく深呼吸をした。

 そしておろおろと心配そうにしている頼久の顔を見つめながら記憶をたどる。

 最初に思い出したのは綺麗な夕焼け空だった。

 そんな夕焼けを眺めながらあかねは仕事から帰ってきた頼久を迎えたのだ。

 いつものように穏やかに微笑みながら帰ってきた頼久とすぐに一緒に夕食を食べた。

 そこまで思い出して、あかねは小さく溜め息をついた。

 次の記憶は頼久の心配そうな顔だったから。

 全く食欲がなくて夕飯をほとんど口にすることができなかったあかねを頼久がひどく心配したのだ。

 あかね自身はそんなに具合が悪いつもりはなかったのだけれど、頼久があかねの額で熱をはかるとけっこうな高さだったらしく、すぐに泰明に使いが出された。

 その間もあかねは大丈夫ですと言い張っていたのだが、結局のところ、泰明の到着を待たずに寄り添う頼久の腕の中で意識を失ったのだった。

「私…病気、ですか?」

 これはひょっとしてとんでもなく頼久やおそらくは飛んできてくれただろう泰明に迷惑をかけたのではないだろうかと心配しながらかすれた声で尋ねてみれば、頼久は眉間にシワを寄せて一つうなずいた。

「はい、泰明殿が申されるには軽い風邪だそうですので、このままゆっくりお休みください。」

「風邪…。」

「はい。薬湯を飲んで安静にしていればすぐによくなると泰明殿が請け合って下さいましたので、ご心配なく。」

「でも………ごめんなさい…。」

 あかねはうっすら目に涙を浮かべた。

 だんだんとはっきりしてきた意識はより鮮明にあかねに今の状況を知らせてきたから。

 明日は頼久の誕生日だからと、とても浮かれて帰ってきた頼久を迎えたことを思い出して、あかねはそんな時に風邪をひいてしまった自分を情けなく思わずにはいられなかった。

 頼久の誕生日前後にはたいてい2,3日の休みが与えられるのが恒例となっていた。

 ところが今年は、左大臣の仕事の関係でいつもより少しばかり長い休みが取れるという奇跡的な幸運が舞い込んだ。

 せっかくの長い休みだからとあかねは頼久と二人、温泉に浸かりに行く約束をしていたのだ。

 風邪などひいてしまってはその約束も守れなくなってしまう。

「今はどうか何もお気になさらず、ゆっくり休養して病を治してください。」

「はい……。」

 頼久の言う通りだった。

 ここで落ち込んでいても風邪が早く治るわけじゃない。

 だから、あかねは今自分できる唯一のことをする。

 一度、月明かりに照らされる大好きな人の顔をじっと見つめて、目に焼き付けて、それからゆっくりと目を閉じた。

 そうすればあかねの額には冷たい布が置かれて、髪を大きな手が優しく撫でてくれた。

 なるべく早く風邪を治そう。

 そして温泉には行けなくても、手料理を作ったり縫物をしたり、そうして大切な人の生まれてきてくれたその日を祝おう。

 あかねはそんなことを考えている間に、いつの間にか眠りについていた。







 あかねはその顔に幸せそうな笑みを浮かべながら肩を抱いてくれている頼久にそっともたれかかっていた。

 隣であかねの肩を抱き、そっとその小さな体を支えている頼久の顔にも同じ笑みが浮かんでいる。

 あかねが熱を出してから三日。

 すっかり熱が下がり、食事も普段と同じものが食べられるようになって、あかねはやっと起き上がることを許された。

 とはいっても、まだ外出もできないので、こうして局の中で座って庭を眺める程度しかすることはない。

 それでも病に臥せっていたこの三日を思えば、起き上がって二人寄り添っていられるというのは二人にとって至福の一時だった。

「つらくはありませんか?」

「大丈夫です。どちらかというと今まで寝てばかりだったから少し動きたいくらいなんですけど、藤姫にとめられてるので。」

「当然です。熱が下がったのが昨日の夜のことなのですから。御不自由でしょうが、せめて本日は一日安静にして頂かなくては。」

「はーい。わかってるんですけど……でも温泉いけなくなっちゃったし、せめてどこかに散歩にでも行けたらって……。」

「私のことはお気づかいなく。こうして神子殿のお側にいられればそれだけでじゅうぶん幸福ですので。」

 もちろん、それは頼久の本心だ。

 頼久にとってはあかねの側であれば、そこが温泉だろうが自宅だろうが、あかねが生活していたという異世界であろうが関係ない。

 あかねの隣、そここそが頼久の安住の地だ。

「よ、頼久さんはすぐそういうことを……。」

 あかねが顔を赤くしてうつむけば、頼久の顔に浮かぶ笑みは深くなった。

 この京では風邪一つで命を落とすことも少なくない。

 だから、あかねが臥せっている間、頼久は気が気ではなかったのだ。

 それが、こんなふうに恥じらったり微笑んだりできるようになったのだから、今この幸福を神に感謝せずにはいられない。

 自分があかねの肩をこうして抱いていられることにどれほど感謝しているか、その想いをなんとか言葉にしようと頼久が悪戦苦闘しているうちにあかねに文が届けられた。

 こちらの文字を読むことが苦手なあかねのためにと読みやすく書かれているその文の差出人は藤姫。

 あかねはすぐに少女にしては優雅で美しいその文字を見るとにっこり微笑んで文を開いた。

「藤姫ったら。」

 読み終わってすぐにあかねはそう言ってくすっと笑った。

 もちろん、頼久はあかね宛ての文を覗き見たりはしないので、何が書いてあるのか全く見当がつかずに小首を傾げた。

 ご機嫌伺い程度の文だと思っていたその頼久の予想は外れていたようで、あかねは文を綺麗にたたむと頼久に楽しそうな笑顔を見せた。

「今朝、藤姫に熱が下がったって文を出したじゃないですか、その返事だったんですけど、藤姫ったらおかしなこと心配してるんですよ。」

 今朝早く、あかねは昨晩のうちに熱が下がったことを藤姫のみならず、心配してくれていた元八葉の面々にも文で知らせた。

 屋敷が近い藤姫からは一番にその返事が届いたというわけだ。

「私が病気で寝ているのをいいことに頼久さんが他の女の人のところに通ったりしていないかって心配してるんです。もし、その疑いがあったら藤姫が直々にお説教するから知らせてくれって。」

「そ、そのような……。」

「頼久さんがそんなことするはずないのに。」

 そう言ってあかねはクスクスと笑っている。

 あかねが自分に寄せてくれる信頼が嬉しいのと、藤姫に疑惑の目を向けられているという緊張で頼久は複雑な表情を浮かべた。

「あ、後でちゃんと頼久さんはずっと看病してくれてたって藤姫にも知らせておきますから。」

「はい。」

「絶対友雅さんだと思うんですよね。」

「は?」

 いきなり飛び出した男性の名に、頼久は思わずおかしな声をあげてしまった。

 どうしてここで友雅の名が出てくるのか頼久には全くわからない。

「友雅さんが藤姫に何か吹き込んだんですよ。妻が病気だと他の女に走る男が多いんだよとかなんとか。で、からかってるんです。」

「……。」

 確かに友雅ならそれくらいの話はしそうだと頼久は心の中でうなずいていた。

 そして、さすがは八葉を束ねていた龍神の神子、友雅の人柄をよく心得ていると感心することしきりだ。

 だが、友雅はおそらくただからかっているわけではないということも頼久にはわかっていた。

 この京では正式な妻があっても、不都合があれば夫は他の女性のもとへ通うことが常識なのだ。

 友雅はその常識を熟知している人物だし、藤姫はといえばあかねの影響もあってかそういったことに少々疎いところがある。

 大人の友雅としては藤姫とあかねの二人にこの京の常識をそれとなく聞かせたといところでもあるのだろう。

 もちろん、頼久はそんな常識に従うつもりは毛頭ないが。

「京ではそういうことってきっとよくあることなんですよね。」

「身分にもよるかと思いますが…。」

「友雅さんはそういう身分ですよね。」

「はい。」

「頼久さんもできる身分ですよね。」

「私は武士ですので。」

「でも、若棟梁だし。」

「それはそうですが、私は神子殿以外の女人は……。」

「女人は?」

「正直に申しますと誰が誰やら見分けがつかぬほどです。」

「はい?」

 思わずあかねが目を丸くして頼久の顔を覗き込んだ。

 眉間にシワを寄せている頼久はあかねの肩をぐっと抱き寄せて小さく息を吐くと、その顔に苦笑を浮かべた。

「私にとっては神子殿だけが特別なお方ですので。」

 囁く低い声にあかねは「うっ」と小さな声を漏らして、それからあっという間に顔を赤くしてうつむいた。

 そんなあかねの体を膝の上に抱き上げて、頼久は小さな体に負担にならない程度に優しく抱きしめた。

「…また熱が上がりそうです……。」

 あかねの小さな声が聞こえて、頼久は慌ててあかねを抱くその腕を解いた。

 すると今度は赤い顔で苦笑するあかねがそっと頼久の方に頭を預けてもたれかかった。

「冗談です。とっても温かくて安心します。」

「お体がつらいのでしたら…。」

「大丈夫です!頼久さんが恥ずかしいこと言うから顔が熱くなっちゃうだけです…。」

「恥ずかしいことを言った覚えはないのですが…。」

 相変わらずの頼久に笑みをこぼして、あかねは庭を眺めた。

 秋の紅葉に染まった庭は秋晴れの空に映えてとても美しい。

 こんな季節の露天風呂はどれくらい気持ちよかっただろうと思うと、あかねは熱を出したことが残念でならなかった。

「頼久さん。」

「はい。」

「来年もお休み、調整できないでしょうか。」

「来年、ですか?」

「来年こそは風邪ひかないように頑張りますから!」

 ぎゅっと両手を握って真剣な顔をするあかねに一瞬驚いて、それから頼久はあかねを優しく抱きしめた。

「はい。お約束致します。きっと参りましょう。」

 頼久は約束を破るということのない人だ。

 それはあかねが一番よく知っている。

 だから、頼久が約束だという以上はきっと、来年は二人で紅葉を眺めながら温泉につかることができるだろう。

 あかねは優しいぬくもりに包まれながら目を閉じて、二人で浸かる露天風呂を思い浮かべた。

 それは温かで穏やかで、そして幸福な一時。

 今から来年が待ち遠しい。

 あかねがそんなことをゆっくり思っていられたのはほんの少しの間だけ。

 秋の優しい陽射しが昼を告げる前に、あかねの屋敷には風邪の回復を祝う元八葉の面々が押し寄せるのだった。








「熱くはありませんか?」

「大丈夫です。頼久さんはぬるくないですか?」

「大丈夫です。」

 そんな会話を交わすあかねと頼久の頭上には紅に染まった楓の葉が秋の陽射しを遮っていた。

 二人がつかっているのは美しい紅葉に囲まれた露天風呂。

 湯煙が何ともいえない風情だ。

 誕生日だからと与えられた休みが明けて、藤姫の前へ挨拶に出向いた頼久はその場であかねの望みを藤姫に知らせた。

 来年こそはきっと二人で今年企画していた温泉につかりに行きたいので、来年も同じだけの休みをもらいたい。

 頼久は今のうちからそうして知らせておいて、来年、確実に休みをとろうとしたわけだ。

 ところが、神子様大事の藤姫は来年などと悠長な!と頼久を叱った上、あっという間に父にねじ込んで頼久の休暇をもぎ取ってきたのだった。

 結果、二人はこうして温泉につかっているというわけだ。

 最初は自分のせいで行けなかっただけなのにと反対したあかねも藤姫に押し切られてしまった。

 温泉を借り切ったのも藤姫の手配で、二人は何を気にすることもなく二人きりの入浴を楽しむことができた。

「最近、藤姫って少し友雅さんに似てきたと思いませんか?」

「そう、でしょうか…。」

「用意周到っていうか……気が付いたら流されちゃってるんですよね、私……。」

「藤姫様はもともとしっかりしたお方ですので。」

「確かに、友雅さんよりしっかりはしてるかも。」

 あかねの何気ない辛辣な評価に頼久は思わず苦笑した。

 恋敵と今でも思わないではない相手ではあっても、さすがにここまで言われている友雅は少しばかり哀れな気がする。

「この後は神子殿を紅葉の美しい里山へお連れする予定なのですが、ご都合はいかがでしょうか?」

「もちろん大丈夫です!」

「その後は夕餉を豪勢にと藤姫様より仰せつかっておりますのでそのように。」

「ふ、藤姫…。」

「それと…。」

「はい?」

「片時もお側を離れず、神子殿のお望みの通りにするようにとも仰せつかっておりますので。」

「は?」

 驚いてあかねが目を丸くすれば、ちゃぷんと小さな水音がして、頼久があかねに近づいた。

「頼久、さん?」

 湯につかっているせいか艶めいて見える頼久に見惚れている一瞬の隙にあかねの唇は頼久のそれでふさがれた。

 あかねが何が起こったのか理解するまでの数秒で頼久はすぐに離れた。

 次の瞬間、あかねが顔を真っ赤にしながらもう少ししててくれてもいいのにと思ったその思いを知ってか知らずか、頼久はあかねに微笑みかけながら小さく囁いた。

「お望みではありませんでしたか?」

 湯煙に溶けそうな低くて小さなその声に首を横に振って、あかねは顎まで湯につかると上目づかいに頼久を見つめた。

「お、お望みでしたけど……のぼせそうです。」

 顔を真っ赤にしてあかねがそう言えば、何を思ったか頼久は激しい水音を立ててあかねを抱き上げると、さっさと湯からあがってしまった。

「頼久さん?」

「のぼせてはいけません!すぐにお運びします!」

「ええええーーー。」

 あかねの抗議の声はあっという間に風呂場から消えてなくなった。

 妻が何より大事の夫にさらわれるように運ばれていったからだ。

 昼間の露天風呂はこうしてドタバタのうちに出る羽目になってしまったから…

 ゆっくりと散歩をして紅葉を眺めて、そして豪華な夕食を食べて。

 二人は夜、月と満天の星を眺めながら再び露天風呂を楽しむことになった。

 月の下の露天風呂はそれはそれは気持ちが良くて…

 頼久はその月の下、湯につかって上気した顔で微笑みながらあかねの口から告げられた「遅くなっちゃいましたけど、お誕生日、おめでとうございます」の言葉を耳の底に大事にしまい込んだ。

 毎年、愛しい妻から告げられるその一言は、今年もまた鮮やかに頼久の記憶に焼き付けられたのだった。








管理人のひとりごと

やっぱりかかった、時間が○| ̄|_
そして予定よりなんか長い……
シーンを三つに分けたからか……
でもどうしても温泉のシーンも書きたかったんだもん(’’)
と、管理人のこれやってみたい♪ってなノリでポロっと書いちゃってますすみません(ノД`)
何はともあれ、今年もまた頼久さん、お誕生日おめでとうございます!でした。
お、遅れたけど(、、;
来年は遅れないように頑張ります(TT)









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