頼久は腕を組んで眉間にシワを寄せ、真剣に考え込んでいた。
場所は武士溜まり。
周囲では同僚の武士達が酒を飲んで騒いでいる。
普段なら一緒に騒いだりはせずに愛しい妻のもとへ直行する頼久が何故この場にいるのかと言えば、それは少しばかり愛しい妻のいない場所で考え事をしたかったからだった。
いつもの頼久なら、それこそあかねがいないことに耐えられないのが常だ。
だが、今この時ばかりはあかねの側にはいられなかった。
「若棟梁、まだ考え事ですか?」
あまりに真剣に考え込んでいる頼久を心配したのは、武士団の中でも年配にあたる武士の一人だった。
「うむ…。」
頼久はギロリと声をかけてきた武士をにらむように見つめてうなずいたのみだ。
若い武士ならこれでたじろぐところだが、さすがに年配の武士は苦笑を浮かべて手にしていた盃を空にした。
「その…仕事のことを考えておいでなわけでは…。」
「違う。」
「ですな。本日の警護はうまくいきましたし…。」
そう、警護が手際よくうまくいき、主から褒美を賜ったからこうして宴会を開いているのだ。
となれば、頼久の考え事は仕事に関係することではない。
仕事に関係することではないことで頼久がこれほどまでに考え込む問題とは何か?
さすがに年配の武士にはこの問いの答えがわかっていた。
「若棟梁、神子様のことで何かお悩みですか?」
「………何故、わかった?」
何故も何もと心の中でつぶやいて年配の武士は苦笑した。
武士としての任務と妻である天女、どちらかを捨ててどちらかを取らねばならぬとしたら、頼久は妻の方をとりかねないと武士団の者なら誰でも心得ている。
などということは口にせず、年配の武士は返答をあいまいにした。
「まぁ、そこは年の功というやつです。で、何を悩んでおいでで?」
「妻に何か贈りたいのだが、何を贈れば良いのか皆目見当がつかぬのだ。」
「……。」
思わず深いため息をつきそうになって、年配の武士はそれを飲み込んだ。
妻への贈り物にここまで悩む武士はおそらく他にいないだろう。
それも生真面目な頼久故のこととわかっていても、少なからずあきれずにはいられないのは人情というものだ。
「また何故突然に贈り物をとお考えで?」
「先日、神子殿のお育ちになられた世界での行事だとおっしゃって、神子殿が私のために菓子の類を作って下さったのだ。これが美味でな。」
「はぁ…。」
「この神子殿の世界の行事には対となる行事があるらしいのだ。」
「対、ですか。」
「『白い日』とかいう行事でな、この日には私が神子殿に頂いた菓子の礼をせねばならぬことになっているらしい。もうすぐそのほわいとでーの日なのだ。」
「ああ、それで贈り物ですか。」
「そういうことだ。」
「では、若棟梁も何か菓子になさっては?」
「菓子でもいいのだが…贈る相手が大切な異性であればあるほど凝った贈り物をするらしいと友雅殿が教えて下さったのでな。ただの菓子では…。」
「なるほど。若棟梁にとってはまさに神子様が最も大切な異性、ということになりましょうからなぁ。」
「うむ。」
間髪入れずに肯定した頼久に年配の武士はニコリと微笑んだ。
こういうまっすぐなところが天女のお気に召したに違いないとさえ思う。
が、このままではどうやらこの若者の悩みは解消されないだろう。
年配の武士はここは年の功とばかりにいくつか提案を試みることにした。
「まぁ、相手が貴族の女人ということであれば、衣か香といったものが喜ばれるのではありませぬか?」
「神子殿は贅沢な衣には興味がないどころか、恐縮してしまわれる。そもそも、藤姫様が必要なものは全てそろえておいでだ。香の類は友雅殿が使い切れぬほど贈っているはずだ。」
「なるほど。」
これは恋敵が多くて大変だと年配武士が苦笑しているうちに、頼久の眉間のシワはどんどん深くなってゆく。
「では、花などはいかがですか?神子様のお年頃で贅沢なものがお好みでないというのであれば、花などがよろしいのでは?」
「それは以前にも贈ったことがある。確かに喜んで頂けたが、毎回同じものではいくら朴念仁の私でも芸がなさすぎるというものだろう。」
異世界から舞い降りた天女に心奪われるまで女性に歌を詠み送ったことさえない頼久でも花はさすがに発想したのかと年配武士は更に苦笑した。
野の花を摘んで贈るというのは貧しい者達の間でよく行われることだから、贅沢を嫌う神子様なら気に入ってもらえると思ったが当てが外れた。
「他には何かないか?」
「そうですな、扇などは…。」
「それも友雅殿が山のように贈っている。」
「では、書物などはいかがですか?神子様のお暇つぶしになるのでは?」
「それは鷹通殿がいくらでも神子殿の望むだけ用意しておいでだ。」
「これも駄目ですか…ああ、護身の札など…。」
「泰明殿が屋敷中に張り巡らせている上に、神子殿は泰明殿が書かれた札を肌身離さず護身のために持っておいでだ。」
「最近神子様は筝を爪弾かれると聞きました。筝などはいかがですか?」
「そもそも私は楽の音の良し悪しなどわからぬ。それに、筝ならば先日永泉様が帝より賜ったものを是非神子殿にと贈っておられた。」
「で、では、上手い魚や果実などは…。」
「毎日のようにイノリが差し入れている。」
「……。」
異世界から舞い降りた天女のことを想っているのはどうやら自分の主と恋敵である橘少将だけではないらしいと思い至って年配武士はため息をついた。
これではお手上げだ。
何もかも元八葉の面々がそろえてしまっているのだから。
「どうすればいいと思う?」
「あー、まぁ、そうですな、神子様のことです、若棟梁が御自らお選びになられた物ならばなんでもお喜び下さるかと。」
「ああそうだ。だからこそ熟慮せねばならんのだ。まかり間違ってお気に召さぬものを差し上げてしまったとしても神子殿は必ず喜んで見せて下さるからな。」
言われてみれば確かにと年配武士はうなずいた。
心優しい天女が相手だからこそ、この無骨な武士は慣れない贈り物選びを必死に行っているのだ。
「申し訳ありません若棟梁、どうも私には…。」
「わからぬか。」
「はい。ですが、若棟梁が良いと思うものをお贈りするのが一番だとは思います。何を贈るにしても。」
「良いと思ったもの、か。では筝や笛の類は論外だな。」
そう言ってやっと頼久は苦笑を浮かべた。
周囲の若い武士達がとうとう歌う踊るのどんちゃん騒ぎを始めた頃、頼久は一人静かに盃を傾けながら楽しそうな部下達を眺めやった。
自分に良し悪しがわかるとすれば武士としての剣の腕前だの刀の切れ味だのくらいのものだ。
楽の音はおろか衣の様子も扇に描かれるべき絵についても良し悪しなどわからない。
愛しい妻に何を贈れば良いかわからないまま、頼久の悩ましい夜は賑やかに更けていった。
「大変恐縮なのですが…。」
弥生十四日夜。
頼久は紙燭の明かりにほんのりと照らされている御簾の内であかねと向かい合って座っていた。
仕事から帰って二人そろって夕餉を終えた後は、頼久がこの上なく幸せを感じるあかねとの二人きりの時間だ。
その時を迎えて頼久は、改めてあかねの前に向かい合って腰を下ろしたのだった。
目の前に座っているあかねの様子はといえば、こちらは揺れる紙燭の明かりに照らされていつもは愛らしいその笑顔が少しばかり艶やかに見えていた。
「恐縮なんて、どうしたんですか?」
恐縮とは言いながらも切羽詰まったものは感じないのか、あかねはニコニコと微笑んだままだ。
そんなあかねに一瞬見とれながらも頼久は、ゆっくり懐に手を入れた。
「お気に召さぬかもしれませんが、これをお受け取り頂けますか?」
頼久が懐から取り出したのは錦の布に包まれた細長い何かだった。
差し出されたそれをそっと受け取ってあかねは小首を傾げる。
「えっと…これは…。」
「その…本日が『白い日』だったかと思いましたが…違いましたでしょうか?」
「『白い日』……ああ!ホワイトデー!頼久さん、覚えててくれたんですね。」
「はい。」
そういえばホワイトデーとは『白い日』という意味だと説明したことがあったと思い出して、あかねはやっと納得した。
つまり、あかねの手にあるこれはホワイトデーのプレゼントということ。
あかねは思わぬ頼久からの贈り物に満面の笑みを浮かべた。
「すごく嬉しいです!中、見てもいいですか?」
「もちろんです。」
あかねはそっと錦の布に包まれた中身を取り出した。
出てきたのは一見すると黒い漆でつやつやに光っている短い棒に見えた。
ただし、切れ目も見える。
装飾が一切施されていないのに艶やかに光る表面は見とれるほど美しいそれをしばらく眺めて、あかねは手にしているそれが何かを悟った。
「これ、短刀ですか?」
「はい。」
あかねがそっと引き抜けば、漆塗りの鞘からは曇り一つない控えめな白刃が現れた。
「きれい……。」
あかねが思わずそうつぶやいてしまうほど、磨き上げられた刃は紙燭の光を反射して美しく輝いていた。
手に馴染む柄も鞘も金属とは違うぬくもりを持ったなめらかさだ。
「その…私が選んで良いものだとわかる物と言えば刀くらいのもので…その…お喜び頂けないのではとは思ったのですが…。」
「そんなことないです!頼久さんが選んでくれたっていうことは、これって物凄くいいものなんですよね?」
「はい。切れ味はもちろんですが、持った時に振るいやすいものを選びました。装飾は…その…私にはよくわからず…。」
「飾りなんていいです。だって、これは頼久さんが持っている刀と同じで、自分の命を守るためのものなんですよね?」
「はい。もちろん神子殿のことはこの頼久がお守りする所存ですが、神子殿にも護身用にその程度のものはお持ち頂ければと。」
「有り難うございます!凄く嬉しいです。なんか頼久さんとおそろいっていう感じがするし。」
そう言ってほんのり頬を赤く染めてあかねは嬉しそうに微笑むと、細心の注意を払ってそっと刀身を鞘へとおさめ、鞘ごと短刀を抱きしめた。
「頼久さんが心をこめて選んでくれたんですよね。頼久さんがお仕事で留守の間はこれを頼久さんだと思って肌身離さず持ってることにしますね。」
「神子殿…。」
大切そうに短刀を抱きしめるあかねが愛しくて、頼久は自然とその小さな体に腕を伸ばしていた。
そっと身を寄せて肩を抱き寄せれば、あかねは嬉しそうに微笑みながら頼久の肩にことりと頭を乗せた。
小さな紙燭の明かりに照らされる静かな局の中、二人は幸せに包まれて『白い日』の夜を過ごすのだった。