
頼久は目の前で静かに裁縫をしているあかねを微笑を浮かべて眺めていた。
最近では、たまに仕事が休みになると、こうして愛しい妻を日がな一日眺めているのが頼久の何よりの娯楽になっている。
もちろん、あかねが望むのなら外出の供もする。
元八葉の仲間達を呼んで宴会になることもあるが、頼久にとって休みの一番の楽しみはこうして妻を独り占めにすることだった。
目の前のあかねはというと、そんな頼久の視線にもここのところは慣れたのか、文句も言わずに黙々と自分の仕事を進めていた。
京では妻が夫の衣類を仕立てるのは常識とされている。
だからあかねは懸命に裁縫の勉強をした。
結果、今では頼久の着るものは全てあかねが見繕って仕立てたものだ。
今も夫のためにせっせと針を運んでいる最中だった。
自分のためにとこまごまとした仕事をしてくれている妻を眺めることは、香や歌の勉強をしている妻を眺めるよりも心なし嬉しく感じてしまう頼久の口元には常に微笑がともっている。
裁縫を進めるあかねの顔にも幸せそうな微笑が浮かんでいればなおさら、頼久は幸せに浸りきってその様子を眺めていることができた。
だが、たまにふと頼久には思うことがある。
あかねが元いた世界では妻は夫のためにこんなふうに裁縫をしたりするのだろうか?と。
もし、あかねの世界ではそんなことは全て他人にやらせるのが常識だとしたら、あかねには相当な負担をかけているのかもしれない。
現に、あかねの世界には「えあこん」というものがあって、寒さや暑さを自由に操ることができると聞いたことがある。
この京ではもちろんそんなことはできないから、夏も冬もあかねには苦労をかけ通しだ。
あかねの元いた世界では夫婦はどうやって暮らしているのか?
それは頼久が目下、最も気にしていることだった。
聞いてみたくてもおそらく惜しみなく情報を与えてくれただろう真の友は既にこの世界にはいない。
ということは、もう尋ねる相手は目の前にいる妻しかいないということになる。
頼久は今までともしていた笑みをそっと消して、真剣な顔つきになったかと思うと、その質問をあかねに投げかけてみることにした。
「神子殿。」
「はい?」
呼ばれて視線を夫へ向けたあかねはやっぱり優しく微笑んでいて、思わずその笑顔に見惚れた頼久は軽く首を横に振って自分を取り戻すと、思い切って問いを口にした。
「神子殿のいらっしゃった世界では夫婦とはどのように過ごすものだったのでしょうか?」
「へ……どうしたんですか?急にそんな…。」
「いえ……完全に、は無理と思いますが、できる限り神子殿の世界の夫婦というものに近づきたいと思いまして……。」
「頼久さん…。」
頼久が正直な想いを口にすれば、あかねはその意図を察して嬉しそうに微笑んだ。
異世界からきた自分のことを目の前の夫がどれほど気遣ってくれているかあかねはよく知っている。
だから、ここははぐらかすことなく正直に話してみることにした。
「そうですねぇ…私も他の家とか知らないんで、自分の両親のことしかわからないんですけど…。」
「些細なことでも構いませんので。」
「ん〜、お父さんは朝仕事に行って夜は家に帰ってきて…お母さんは専業主婦だったから家にずっといて、私とお父さんの面倒を見てくれて……これは私も頼久さんと同じ屋敷に住まわせてもらってますから、こっちでも同じ感じですよね。」
「はい。」
そう、あかねの世界ではこうだからというので、頼久はあかねと同じ屋敷に暮らしている。
一応、屋敷はあかねのものということになっているが、頼久にはここ以外に帰る場所はないのだ。
夫が自分の屋敷から気の向いた時だけ妻の屋敷へと通うという形の結婚が常識のこの京では、頼久とあかねの暮らしはちょっと珍しい。
頼久にしてみれば、どうせ自分の屋敷から通うことになったとしても毎日通うことになっただろうから、結果としては変わらなかったなどと思っているのだが…
「ご飯は毎日お母さんが作ってくれてましたけど、私もたまには作らせてもらってますし…お掃除もたまにはさせてもらってるし……ん〜、あんまり変わらないような……。」
「では、このように裁縫などは…。」
「それは人それぞれ、かなぁ。好きな人は服も自分で縫っちゃうって人もいるし…お母さんはそこまでしませんでしたけど。」
「神子殿は今、ご負担では?」
「へ?私ですか?もう慣れちゃったし…あっちの世界の服よりこっちの世界の服の方が作りが簡単だから別に大変だと思ったことないですよ?頼久さんが私の作った服を着てくれるの嬉しいし……。」
最後は顔を赤くして言うあかねに頼久はほっと安堵のため息をついた。
どうやら裁縫は負担ではないらしい。
「他には何か、ございませんか?」
「ん〜、他の家ならあったのかなぁ……もちろん細かいところは色々あると思うんですけど、そんなに違ってて困ったなってことはない気がします。」
「そうですか。」
ならばとりあえず妻は今、不自由なく幸せということで良いのだろうか?と頼久が自問自答していると、あかねがクスッと笑みを漏らした。
「神子殿?」
「私のイメージ、あ、印象のことですけど、そういうのはありましたよ。」
「は?」
「新婚さんはこんな感じっていう。」
「では、明日よりそのようになさってください!」
「はい?」
間髪入れずに大声で宣言されて、あかねは目を丸くした。
ちょっと思い出して懐かしくなってぽろっと口から出てしまっただけなのに、まさか実行しろと言われるとは思わなかった。
「神子殿が思い描いていらっしゃったようになさってください。この頼久、神子殿が望んでおいでだった生活を是非送って頂きたく。」
「えっと……本当にやるんですか?」
「お願いいたします。」
言いながら両手をついて頭を下げる頼久。
あかねは慌ててその頭を上げさせながら、苦笑を浮かべてうなずいた。
そんなにたいしたことじゃないし、やった後で事情を説明すればいいだろう。
それで大切な旦那様の気が済むのなら、大仰なことをするわけでもないし。
この時のあかねはその程度に考えていた。
そして、彼女は自分の夫があまりにも生真面目で一本気な人であることを失念していた。
頼久はこまごまとした仕事の残りの処理を部下達に指示すると襟を正してから武士溜まりを後にした。
頭上には夕陽に染まる赤い空。
頬を撫でるのは晩夏の優しい風。
散歩をするにももってこいというくらいの穏やかな夕暮れ時だ。
だが、頼久はそれどころではない。
仕事をしている間はさすがに仕事に集中していたが、こうしていざ妻の元に帰るとなるとさすがに緊張していた。
昨日、頼久は何よりも大切な妻にこの京で幸福になってもらうべく、愛しい妻であるあかねがもといた世界の夫婦というものがどういう暮らしをしているのかを尋ねた。
結果、大きな点ではあかねのもといた世界もこの京も差異はあまりないという結論に至った。
ところが、あかねがその後、ほろりとこぼした言葉を頼久は聞き逃さなかった。
あかねはどうやら思い描いていた夫婦の印象というものがあったらしいのだ。
なんとしてもあかねを幸福にしたい頼久は間髪入れずにそのあかねの思い描いていた通りの生活をしようと決断した。
そして今朝、あかねは帰ってくる時に自分が思い描いていた「新婚さん」というのをやってみると宣言したのだ。
あかねがどんな生活を思い描いているのか予想もできない頼久としては、帰路を緊張しながら歩くより他に方法がなかった。
ただ、その胸の内でどんなことでもあかねの望むとおりにしよう、そう誓っていた。
頼久はしっかりした足取りで屋敷へ入ると、一つ深呼吸してあかねの局へと向かった。
しっかりと下ろされている御簾の前で片膝をつき、思い切って息を吸い込む。
「神子殿、頼久、只今戻りました。」
声をかけて御簾の中へとすべり込めば、そこにはあかねの嬉しそうな笑顔があった。
ここまではいつもと何も変わらない。
あかねが優しい笑顔で迎えてくれることへの喜びで頼久が口元をほころばせたその時、あかねは微笑もそのままにいつもとは違う言葉を口にした。
「お帰りなさい、頼久さん、お疲れ様でした。えっと……夕餉にしますか?それとも湯につかりますか?それとも……その……私にします?」
「………。」
恥ずかしそうに頬を赤らめながらのあかねの問い。
それを頼久はしっかり頭の中で二度ほど繰り返してみた。
いつもとは違うあかねの発言。
これは間違いなく、先日の頼久の懇願をあかねが受け入れた結果だ。
つまり、これがあかねの思い描いていた憧れの新婚とやらの図。
となれば、頼久にはこの問いに答える義務がある。
と、少なくとも頼久自身は思った。
思った結果、頼久はというと真剣に考え込んでしまった。
「あの、頼久さん?」
困ったような顔であかねが問いかけるのにも気づかずに頼久は眉間にシワさえ寄せて考え込み始めた。
まず、あかねが提示した選択は三つ。
夕餉、つまり食事、湯につかる、つまり身を清める、そして『私』、つまりはあかね自身。
あかね自身?
と、ここで頼久の思考回路は一度停止した。
あかね自身とはつまり……そういうこと、か?
選択肢を提示したあかねが顔を真っ赤にしているところから考えれば頼久の想像は間違いなく当たっている。
そうなれば頼久は一も二もなく「神子殿でお願いいたします。」と言ってしまいたいところなのだが、それでさて答えが合っているかといえば頼久にはわからない。
あかねが自分の体のことを一番に心配してくれていることはよく知っている。
ならば夕餉をと選択するのが正解であるような気がしてきた。
まずは食べることが体を作ることになるからだ。
だが、仕事で疲れた頼久にゆったりとくつろいでもらいたいというのもあかねの本心だと知っている。
そのために、この京ではまだ考えもしなかった湯殿というものをあかねの提案で作り、頼久はゆっくり火でわかした湯につかるというあかねの習慣に倣うことができた。
あかねがもしそれを望んでいるのなら、頼久はまず一日の疲れを湯で流すべきだとも思う。
どれとも決めかねて頼久は小さく息を吐くとおろおろし始めたあかねにまっすぐ視線を向けた。
「神子殿。」
「はい!」
「それは、どれか一つを選択せねばならぬのでしょうか?」
「へ?……ま、まさか、どれか一つって夕餉以外を選んだらご飯食べられなくなっちゃうじゃないですか。えっと…その……。」
「では、湯につかった後に夕餉を頂き、最後に神子殿を頂く、でよろしいでしょうか?」
「それが普通の順番ですよ……へ?」
あまりにも生真面目に頼久が答えたので思わずあかねもうなずきそうになってしまったけれど、さすがにあかねは頼久の言葉の一番最後にひっかかった。
入浴と食事はいい。
それは当然の選択だ。
けれど、最後の一つは……
あかねは一瞬で夕陽のように顔を赤くすると、頼久に苦笑を見せた。
今度は頼久の顔色が一瞬で青白くなる。
よもや答えを間違えたのか?
頼久が内心でそう叫んで顔から血の気が引いたことは言うまでもない。
「今の質問は定番っていうか、お約束っていうか…私が元いた世界でよく描かれる風景っていうかそういうものなんです。」
「はぁ…。」
「そうですよね、頼久さんは真剣に答えを考えてくれますよね。そうでした。」
「その…私は何か間違った答えを…。」
「違います!」
どんどん落ち込みそうになる頼久を前にあかねは慌てて否定した。
別に合っているとか間違っているという問題ではない。
「その…別に正解があるわけじゃないんです。恥じらいながらこういう質問をするのが新妻というか…それだけのことで……。」
説明しているうちに更に恥ずかしくなってあかねは首まで真っ赤だ。
もじもじとしているあかねを見ながら頼久はようやく顔色をもとに戻し、あかねの説明をしっかりと聞くべく姿勢を正した。
「答えはその…頼久さんが思った通りでいいんです。向こうの世界は『君がいいにきまってるじゃないか』みたいな返事だったりしますし…。」
「そのような答えでもよろしいのですか?」
「だって、聞いているのは私なわけですし、頼久さんが選びたい順番で選んでもらって構わないんですけど…その…今回は私がちょっと言ってみたかっただけなのでそんなに真剣に答えてくれなくても…。」
「では。」
「はい?」
「先ほどの答えを変更させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「それはかまいませんけど…。」
「本心を申せば、せっかくこうして神子殿のお姿を見ることができたところをすぐに離れて湯殿へ参るのはつらいと思っておりました。」
「つ、つらいってそんな…すぐ一緒にご飯ですよ…。」
予想だにしない頼久の発言にあかねは思わず苦笑した。
苦笑はしているけれど、そんなふうに思ってくれる夫の言葉が嬉しいのは間違いない。
「ですので、神子殿からは離れず、湯につかり、夕餉を共にして頂ければと思います。」
「離れず…はい?」
あかねが驚きで目を丸くしている間に頼久はさっとあかねの小さな体を抱き上げて歩き出してしまった。
進む先にあるのは間違いなく湯殿だ。
「頼久さん?」
「この選択は間違いだったでしょうか?」
足を止めてそう問われて、真剣な目で見つめられてはもうあかねに勝ち目はない。
あかねは顔を赤くしたまま首を小さく横に振った。
すると安堵と共に幸せを含んだ笑みが頼久の顔に浮かんで、端整な顔に浮かぶその温かい表情にあかねも微笑を浮かべた。
なんだか予想もしないことになってしまったけれど、大好きな人がこんなふうに微笑んでくれるならかまわない。
あかねはそう思い直して頼久の胸にもたれて目を閉じた。
ゆっくり歩きだす頼久の腕の中は安心で幸せで…
こっちの世界だろうと元いた世界だろうと、こうしてこの人といられるならきっとどこだって幸せだ。
あかねは頼久の腕から伝わる温もりを感じながら、心の中でそうつぶやいていた。
管理人のひとりごと
新婚さんにありがちな風景を京でやってみました!
前にもやったっけ?と思いながら(゚Д゚|||)
でもまぁ、想像しちゃったんで書きます(’’)
頼久さんはそんな質問されたら真剣に熟考するに決まってるじゃない!(笑)
そしてとんでもない答えを出すに決まってるじゃない\(^O^)/
と、管理人がはしゃいだ結果がこれです(’’;
頼久さんはあかねちゃんが元いた世界ではどんな奥さんになってどんな生活をしていたのか知りたかっただけなんですがね…
どこの世界でも幸せの本質って変わらないと思う。
そう、この二人にとってはお互いと一緒にいること、それが幸せの本質!
と信じて疑わない管理人でした(^^)
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