
「里帰り、したいんですよねぇ。」
縁に座ってあかねは深い溜め息をついた。
夏の日差しがぎらぎらと照りつける庭は花も咲き乱れて美しい。
だが、夏の暑さはあかねの額にうっすらと汗をにじませていた。
「ほぅ、里帰り、ねぇ。」
扇で己をゆったりとあおぎながらつまらなそうにそういったのは友雅だ。
京の女性なら誰もが憧れるという伊達男。
が、今はまだ幼げの残る源武士団若棟梁の妻の隣で何気なく扇をひらひらさせていた。
「ここでは当たり前のことかもしれないんですけど、なかなかお出かけさせてくれないんです。」
「それは神子殿が徒歩で出かけようとするからじゃないかい?」
「うっ。」
言葉につまった少女に友雅は笑みを漏らした。
「そ、それはそうなんですけど…ちょっとそこまでっていう距離を牛車で移動っておかしいと思うんです!」
両手を握り締めて力説するあかね。
そんなあかねの様子を友雅はやわらかな笑みを浮かべて見守る。
「しかも、ちょっとお泊りっていうだけで物凄い大騒動になるんです。これじゃちょっと里帰りなんてできないです…。」
と、今まで力説していたあかねが今度は力なくうなだれた。
どうやらこれはかなり参っているらしい。
もともとが自らが先頭に立ってこの京を鬼の手から救った勇猛果敢な女性だ。
異世界からやってきたということもある。
あかねが今の暮らしに不自由があるだろうことは友雅にも容易に察しがついた。
何しろ、八葉として供をしていた頃はよく一緒にどこまでも歩かされた身だ。
だが、源武士団若棟梁の妻とあっては以前のように気軽に外出というわけにはさすがにいかないだろう。
その事情もわかるのだ。
「近くの実家にちょっと里帰りして妹の顔を見たいって、そんなにいけないことでしょうか…。」
「いけないこと、ではないがね。」
溜め息をつくあかねを優しく見守る友雅。
「それにしても。」
「はい?」
「近所の実家に里帰りして妹の顔を見る、ねぇ。」
「何かおかしいですか?」
クスクスと笑う伊達男にあかねは小首を傾げた。
今の会話で何がそんなにおかしいのかあかねには皆目見当がつかない。
「いや、神子殿もすっかりこの京の住人だと思ってね。」
「それはまぁ、慣れてはきましたけど…。」
「そういうことではなくてね、神子殿は今、土御門を実家、藤姫を妹と言ったのだよ。」
「はい、違います?」
「いいや、違わないよ。」
友雅が何を言いたいのかわからないらしく、あかねは小首を傾げるばかりだ。
そしてそんなあかねが友雅には可愛らしくてならない。
「それはともかく、里帰りの話だったね。頼久に頼んでみてはどうだい?」
「それも考えたんですけど…私のわがままなのかなぁって、そんな気がして…。」
「ふむ…私には神子殿は十分に我慢も努力もしているように見えるし、少しはわがままを言ってもいいように思うがね。」
「そ、そうでしょうか…。」
「神子殿はずいぶんと暑そうにしておいでだが…。」
「はい、暑いですけど…。」
「頼久は薄物の一つも用意してはくれないのかな?」
「はい?」
「いや、頼久はそのようなこと一つ神子殿に不自由や我慢を強いているのかと思ってね。」
「ち、違いますっ!」
さすがに友雅のこの言葉にはあかねが赤い顔で反論した。
頼久は武士とは思えないほど繊細な気配りであかねのことを気遣ってくれているのだ。
友雅の言う薄物ももちろん頼久が用意してくれたのだが、それは想像しただけで恥ずかしくなる代物だった。
だから、あかねが自分から絶対に着ないと宣言したのだ。
「頼久さんは夏の始めにすぐに用意してくれたんです…でも、あんなすけすけの着物なんか恥ずかしくて着れません!」
「そうかい?京ではあれが普通だからねぇ。正式な席でなければ薄物を着て御簾の内にいれば少しはましだろうに。」
「京では普通でも私は絶対無理です!恥ずかしいです!だいたい、御簾の内にいたって友雅さんは勝手に入ってきちゃうじゃないですか!」
そうなのだ。
友雅はあかねや藤姫の局には気軽にひょいひょいと入ってくるのが常なのだ。
だとしたら薄物など着ていたらそれこそ体が透けて見えそうな姿でいるところに友雅がひょっこり現れることになる。
あかねはギロリと友雅を一瞥した。
「さてと、私は少々用を思い出したのでね、御前を失礼しようかな。」
あっという間に苦笑を浮かべた友雅はヒラヒラさせていた扇をパチリと閉じると素早く立ち上がった。
「逃げるんですね。」
「いやいや、藤姫のもとを訪れる約束をしているのだよ。」
「あ!じゃぁ、藤姫に届けてもらいたいものがあるんですけど、お願いしてもいいですか?」
「もちろんかまわないよ。」
「じゃぁ、すぐ持ってきますから待っててください!」
今までの不機嫌さはどこへやら。
藤姫のこととなるとすぐに態度を変えたあかねは自分の局へ駆け込んだ。
あかねが藤姫のこととなると機嫌を悪くしていたことさえ忘れてしまうと先刻承知の友雅だ。
まだまだあかねはこの大人の美丈夫にはかないそうもない。
なんとか窮地を脱した友雅はあかねが局から出てくるのを微笑を浮かべて待つのだった。
頼久は朝早くから後輩達の鍛錬の相手をしていた。
左大臣の警護がない時はいつもたいていそうして過ごしている。
以前のように何かに追い詰められているような空気が消えた武士団の若棟梁は、若い者達に以前よりも更に好かれるようになった。
だがら、若棟梁直々の指導を受けたいという者は後を絶たないのだ。
武士溜まりにある道場では朝早くから大きな声や木刀を打ち合う音が響いていた。
「若棟梁、お客様です。」
頼久がそう若い者に声をかけられたのはもうすぐ昼になろうとしている頃だった。
そろそろ休憩を取ろうと思っていたところでもあったから、すぐに全員休憩するように言い渡してから道場を出た。
果たして、廊下の柱にもたれて扇で己を扇ぎながら頼久を微笑で出迎えたのは橘の少将、友雅だった。
その姿を目にした瞬間、頼久の顔に渋い表情が浮かぶ。
「久々に同じく神子殿をお守りする八葉の仲間と顔を合わせたというのにつれないな、頼久は。」
「そのようなことは。」
「礼節をわきまえているだけだと言いたげだな。」
「本日は何か?」
「用がなければ友を訪ねてはいけないのかね?」
友になった覚えはないと頼久が心の中でつぶやきながらきりりと友雅を見返せば、友雅は苦笑しながら溜め息をついた。
「まぁ、少し神子殿のことで気になったことがあってね。」
「妻が何か?」
ここで今までやわらかだった友雅の表情が変わった。
扇をぱちりと音を鳴らして閉じた友雅は長い髪の先を指に絡めてもてあそびながらも、その顔からは笑みが消えていた。
「先日、藤姫から神子殿に届けてほしいと頼まれたものがあって神子殿の元へ参上したのだがね。縁でどこかけだるげにしていた神子殿が、こう言ったのだよ『里帰りがしたい』とね。」
「さ、里帰り…。」
かすかな狼狽を見せた頼久を見て友雅の唇の端がうっすらと上がる。
「それはもうせつなげな目で空を見つめてね、里帰りがしたいと言っていた。夫である頼久の前では強がっているのだろうが、里を想う神子殿を見ているのがつらくてね。」
「……。」
「聞けば京の夏は神子殿にとっては暑くてつらいらしくてね、それで里が恋しくなったのかもしれないね。」
そういえば神子殿が元いた世界には人を涼しくさせる不思議なものがあると聞いたことがある。
と心の内で思い起こせば、頼久の頭の中には元いた世界に帰りたがっているあかねの姿がちらついて…
もしや今にもあかねは泰明にでも方法を聞いて元いた世界へ帰ってしまうのではないかと頼久の頭はそんな心配でいっぱいになった。
青白く顔色を激変させた頼久は目の前に友雅がいることも、今まで後輩達の面倒をみていたことも忘れて物凄い勢いで駆け出した。
その後姿を見送る友雅はしてやったりとばかりにニヤリと笑うと、道場の中で呆然としている武士団の若者達に少しだけ同情するのだった。
「神子殿!」
「はい?」
庭で花の手入れをしていたあかねは急に大声で呼ばれて慌てて声のする方へ視線を向けながら立ち上がった。
すると、今朝、いつもどおりに武士団へ出かけていって夜まで帰らないはずの頼久が物凄い勢いで駆け込んできて、きょとんとしているあかねを腕の中に閉じ込めてしまった。
何が起きたのかわからないあかねはただただぎゅっと抱きしめられて、一瞬頭の中が真っ白になってしまった。
「えっと…あの…何かあったんですか?」
と、あかねがとりあえず聞いてみると、更にぎゅっときつく抱きしめられてしまった。
「よ、頼久さん?」
「…私も共に参ります。」
「はい?」
「どうかお連れ下さい。」
「えっと…どこか行くんですか?」
「どこへでも、神子殿のお側に置いて頂けるのでしたら、どこへでもお供致します。」
「お、お供致しますって…そんな従者じゃないんですから…。」
「従者でもなんでもけっこうです。ですから、どうか…。」
「ちょっ、話がなんか変ですってば。」
ここでようやくらちがあかない状況らしいことに気付いて、あかねは力いっぱい頼久の胸を押しのけた。
もちろん、頼久が本気になればそんなことでひるむことはないのだが、ここで話さずにあかねの機嫌を損ねるようなそんな恐ろしいことができるはずもなく。
頼久が渋々あかねを解放すると、あかねはほっと安堵の溜め息をついた。
「まず!頼久さんは従者じゃなくて旦那様です!」
「神子殿…。」
「もう、お供をするとかそういうのそろそろやめて下さい!」
びしっと人差し指を突きつけて断言する妻が愛しくてまたぎゅっと頼久が抱きしめると、すぐにあかねに突き放されてしまった。
「話はまだ終わってません!」
「はい…。」
「一緒に行くとかお供するとかなんの話ですか?」
「なんの、とおっしゃいましても…神子殿が、その……帰りたいとおっしゃっていると…。」
「はい?」
「さきほど、友雅殿から神子殿が里帰りをしたいとおっしゃっていると聞きまして…その…元の世界に帰りたいと思っておいでなら、せめてお供をさせて頂きたいと…。」
一瞬きょとんとした顔で立ち尽くしたあかねは、うなだれる頼久を前に深い溜め息をついた。
「友雅さんはもう…絶対わざとだ…。」
「は?」
「頼久さん、からかわれてるんですよ、それ。」
「ですが…。」
「確かに里帰りしたいとは言いましたけど…。」
あかねのこの一言で頼久の顔色がさっと青くなる。
そしてあかねはそんな頼久を見てまたため息をついた。
「あのですね、里っていうのは私が元いた世界のことじゃなくて、土御門のお屋敷のことです。」
「は?」
「一応、私って左大臣さんの養女にしてもらったわけですから、実家って言うと土御門のお屋敷になるでしょう?で、藤姫は私の妹ってことになるじゃないですか。」
「はぁ…。」
「里帰りっていうのは土御門のお屋敷に行きたいって意味で言ったんです。」
「……それは…いらっしゃればよろしいのでは?」
「牛車で、ですか?」
あかねがそう言ってぎろりと上目遣いに頼久を見れば、頼久はやっとその顔に苦笑を浮かべた。
「そういうことでしたか。」
「そういうことです!私の元いた世界では簡単に実家にひょいって帰れるんです!せっかく近くにあるのに先触れを出して十二単着て牛車に乗ってじゃないと藤姫のところに遊びにも行けないなんてっ!」
幼げの残る愛らしい顔で不機嫌そうにしているあかねは可愛らしくて、頼久はようやく満面の笑みを浮かべて妻を優しく抱きしめた。
「では、これから参りましょうか?」
「へ、いいんですか?お仕事は?」
「…放り出してきましたので…どちらにしろ土御門に戻りますし……。」
「もう、頼久さんったらお仕事放り出してきたんですか?」
「はぁ…申し訳ありません、神子殿が元の世界に帰ってしまわれるのではと思い…つい…。」
「頼久さんは…そういうこといつまで心配してるんですか。だから友雅さんにからかわれるんですよ。私が頼久さんと会えなくなるようなこと、するわけないじゃないですか。そろそろ信用してください。」
「し、信じております!信じておりますがその…。」
「もう、これからもずっとそんなだと本当に帰るって言いますよ?」
「み、神子殿!」
慌てた頼久が腕に力を込めると、あかねは逆に頼久の胸を力いっぱい押しのけた。
「だから、そんな心配、もうしないで下さい、ね?」
「承知致しました。」
まるで敵に対する時のようにきりっとした顔でそういった頼久を見て、あかねはクスッと笑みを漏らした。
頼久がこの顔で承知したというのならそれこそ死ぬ気で本当に心配するのをやめようと努力するとわかっているからだ。
それくらい、頼久は実直な男だ。
「じゃぁ、頼久さんがお仕事に戻るついでに私も一緒に藤姫に会いに行ってもいいですか?」
「そう致しましょう。」
「で、頼久さんが帰る時に一緒に帰りますね。」
「御意。」
やっと頼久がその顔に笑みを浮かべると、あかねはその腕をとって歩き出した。
牛車に乗せられるのも、簡単に外出を許してもらえないのも、自分が大事にされているからだということはあかねにもよくわかっている。
それでも、やっぱりこうして大好きな人と腕を組んで歩きたいとも思ってしまうのだ。
そしてそんなささやかなわがままを聞いてもらえて嬉しそうなあかねを見て、頼久もこれからはもっとなんでもあかねの望むとおりになるように気をつけようと心の内で誓った。
いつまでもこうして愛しい人に幸せそうにしていてほしいから。
二度とあかねが元の世界へ帰ってしまうのではないかと心配しなくてもすむように。
このあと、土御門邸で武士溜まりへと向かう頼久と分かれて藤姫を訪ねたあかねに同じく藤姫のもとを訪れているところを発見された友雅が、こってりお説教をされるのを藤姫はニコニコと見守ることになるのだった。
管理人のひとりごと
夏真っ盛りの京です(^^)
あかねちゃんは絶対薄物は着ません、プライドにかけて絶対に(爆)
新婚生活もだいぶ板についてきた二人ですが、頼久さんはまだ不安なことがあるようです。
まぁ、すっかり安心にはなかなかならないかなと(’’)
これから色々な時間を積み重ねて安心で穏やかな二人になっていってほしいですね(^^)
少将様はまぁ、役得です(’’)
「妻」なんて頼久さんに言われちゃったのでちょっと意地悪しただけです(w
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