定まる心
 軽く鼻歌が飛び出すほど浮かれているあかねの後ろ姿を頼久もまた穏やかな笑みを浮かべて見つめている。

 あかねがせわしなく動き回っているのは台所だ。

 頼久の家の台所はもうあかねにとっては自分の家の台所よりも詳しいくらいの場所だった。

 だから、あかねの料理を作る動きには無駄がない。

 今日は一人で全部作りたいからと頼久は台所から追い出されてしまった。

 頼久としてはあかねの邪魔をするつもりもないので、ソファに座ってあかねの楽しそうな姿を眺めているというわけだった。

 こんなふうに自分のために料理を作ってくれるあかねが楽しそうにしている姿を眺めていられるなら、何時間だってかまわない。

 そんなことを考えて、それから、そんなに長時間あかねに料理をさせるなどとんでもない!と自分で自分を戒めて…

 そして一人で何を浮かれているのかと、頼久が一人苦笑を浮かべたところでチャイムが鳴った。

「あ…。」

「天真でしょう。私が出ます。」

「すみません、お願いします。」

 包丁を持ったまま振り返って苦笑するあかねにうなずいて見せて、頼久は玄関へと向かった。

 天真が来るとわかっていたのはあかねが呼んだことを知っていたから。

 果たして、頼久が扉を開けるとそこには仏頂面の天真が立っていた。

「まったく、なんで俺が…。」

「すまん…。」

「いや、まあ、お前が悪いんじゃないんだろ…。」

 いきなり素直に謝られては天真もそれ以上何も言えなくて、二人は苦笑を交わしてリビングへと移動した。

 事の始まりはあかねが料理の猛練習を始めた事にある。

 何を思ったかあかねは最近、毎日のように頼久の家を訪れては食事の世話をするようになった。

 もともと料理が下手だったわけではないのに、最近の熱の入れようと言ったらプロを目指しているのかと思うほどだ。

 そして、そこまで気合を入れて練習するとどうなるかといえば、当然のように大量の料理が出来上がることになる。

 頼久は男性の中でも特に良く食べる方ではあるが、それでも最近あかねが作る料理の量は限度を越えていて、とうとう助っ人に天真を呼ぶことになったのだった。

「いらっしゃい、天真君。もうちょっとでできるからちょっと待ってね。」

 そう言って天真を迎えたのは台所で振り返ったあかねの笑顔だった。

 その明るく輝くような笑顔に一瞬見とれて、それから「おう」と答えて、天真はリビングのソファに腰を落ち着けた。

 実は、つい先日まで、天真は何やら落ち込んでいるらしいあかねをよく見ていた。

 就職活動だのなんだのと、ここのところ忙しかったからそのせいだろうと思ってはいたが…

 万が一にも頼久との間に何かあって、朴念仁の頼久がそれに気づいていないということがあってはまずいだろうとそれとなく頼久に話をしてはいた。

 天真の忠告で頼久が何か言うかするかして、それであかねが元気になったのならそれはそれでいいことだとは思う。

 思うのだが、この変わり方はあまりにもはっきりしていて、正直、天真は驚いていた。

「なあ、頼久、お前、あかねに何した?」

 それは天真のほんのちょっとした好奇心だ。

 どうしたらあかねがこうもはっきりと幸せで楽しそうな顔になるのか?

 だが、頼久はその天真の質問に何を聞き取ったのか、一瞬、眉根を寄せてから、小さく溜め息をついた。

「お前が想像したようなことは何もしていないぞ。」

「なんだよ、想像って……ああ、いや、そういうことじゃねーよ。」

「ではなんだ?」

「いや、最近あいつ、なんだか落ち込んでただろう?なんだってこんな短期間にあんなテンション高くなったのかと思っただけだって。」

「たいしたことはしていないが……話を少ししただけだ。」

「どんな?」

「就職のことで色々と悩んでおいでのようだったからな、その……仕事につけなければ私の妻になって頂ければというような話をした。」

「んなこと今更じゃねーか。」

「それはそうだが…私が口下手なせいで神子殿には色々と気苦労をおかけしたようだ。」

「口下手も今更だ。」

 バッサリ天真に断言されて、頼久は苦笑した。

 確かに今更だ。

 そんなことはあかねもよくわかっていたことでもある。

 それでもあかねが悩んでしまったのはきっと、よほど弱っていたからなのだろう。

「つまり、大学卒業したら即結婚ってのが決まったんで張り切ってるってわけか。」

「そう、なのか?」

「お前なぁ…。」

 この男がこう朴念仁だからあかねは苦労するんだと天真は心の中でつぶやいて深いため息をついた。

「そうじゃないなら、あかねがどうして今、料理の猛練習を始めんだよ。」

「………。」

「あいつは何をしていいかわかんねー時は色々考えてあれもこれもってなっちまうこともあるが、進むべき道が決まれば、そこに向かってまっしぐらに頑張れるやつだからな。」

「そう、だな。」

「ああ、だから、結婚するなら料理に掃除に洗濯にって頑張りだしたんだろ。」

「そういうことか…。」

「ん?」

 突然何かに気付いたように頼久はハッと視線を天真からあかねの後ろ姿へと移した。

「神子殿は最近、掃除も洗濯も頻繁にしにきて下さるのだが…。」

「だが?」

「先に私がしておくのでご不満らしいのだ。」

「…………なんだ、そのノロケは。」

「のろけ?」

「ノロケだろうが。」

「そうなのか?」

 これはダメだと言わんばかりに天真は深いため息をついた。

 お互いに家事を奪い合っているなんて、もうノロケ以外のなんだというんだと天真としては突っ込みたいところだ。

 蘭に話したら羨ましがられること間違いなしだろう。

「お待たせしましたー!今日のお昼ご飯完成!頼久さんも天真君もどうぞ!」

 張り切ったあかねの声にハッとして、天真は「おう」と答えながら立ち上がり……

 何気なく食卓に目をやって、踏み出そうとした足を止めた。

 そこに並んでいたのはおよそ、二人や三人で食べるとは思えない量の料理の数々だった。

「お前、こりゃ作りすぎだろう。」

「うん、だから天真君に来てもらったんだってば。」

「いや、俺がいても無理だろう…。」

「残してくれても大丈夫だから。残った分は冷凍して頼久さんが明日の朝ごはんとかに食べてくれるの。」

 ニコニコと微笑みながらあかねは席についた天真にご飯山盛りの茶碗を渡した。

 隣に座った頼久はというと、天真よりも更に山と盛られたご飯を受け取る。

 そしてあかねはというと、自分の茶碗は持たずに頼久の向かいに座った。

「おい、あかねは食わないのか?」

「え、あ、うん、だって味見もいっぱいしちゃったし、あんまりたくさん食べると太るし……。」

「いや…毎日のようにこんなに食べてたら頼久だって太るぞ…。」

「え!太りました?頼久さん。」

「いいえ、全く。」

 落ち着いた調子で答える頼久に、あかねはほっと安堵のため息をついた。

 それにしてもとそんな二人を眺めながら天真は思う。

 これだけ食べて太らないということは隣に座っているこの男はいったい一日にどれだけ体を動かしているんだ?

「では、いただきます。」

「はい、どうぞ。天真君も食べて食べて。」

「お、おう、いただきます。」

 頼久と天真は二人同時に箸を手に取ると、おかずへとその箸をのばした。

 天真が最初につまみ上げたのは鳥の唐揚げだ。

 対する頼久がつまんだのはイカの天ぷらだった。

 つまり、テーブルの上には揚げ物も盛大に積まれているわけで、本当にこれを食べて太らないというのはどういう生活だと天真は改めて突っ込みそうになりながら、唐揚げを口の中へ放り込んだ。

「どうですか?」

「おいしいです。」

「ちょっと失敗しちゃったんですよね。天ぷらやっぱり難しいです。」

「唐揚げは文句なしにうまいぞ。」

「唐揚げは三回目だからさすがに……天ぷらはまだ二回目だからコツがつかめなくて。」

「お前、揚げ物ばっかだな。」

「難しいんだもん。」

 顔を赤くしながらうつむくあかねに天真は苦笑し、頼久は幸せそうな笑みを浮かべた。

 揚げ物だろうが煮物だろうが頼久にはあまり関係がない。

 あかねが一生懸命作ってくれる、そのことが何よりうれしいのが頼久だ。

「ま、野菜もてんこ盛りのテーブルだけどな。」

 天真の言う通り、テーブルの上には野菜の煮物やサラダもちゃんとのっている。

 しかも、サラダはボールに山盛り、煮物も正月か?というくらい積まれている。

 それを頼久はニコニコと幸せそうに、そして満足そうに微笑みながらパクパクと食べ進めていくのだ。

 これにはさすがの天真も驚いてしまった。

 京にいた頃も一緒に食事をすればよく食べる男だとは思っていたが、周りも同じような男ばかりだったからかここまでとは思わなかった。

 大食いでは間違いなく天真の負けだ。

「天真君、おいしくない?」

「いや、うまい。どれもうまいって。でもなぁ、この量は……。」

「天真君が来てくれるからいつもよりたくさん作っちゃったんだけど…さすがに多すぎたかな。」

「俺は頼久ほど食わないからな。っていうか頼久、お前、そんなに食って太らないってどんだけ運動してんだよ。」

「朝の鍛錬くらいのものだが…そうだな、最近はたまに夜も鍛錬をしているくらいか。」

「朝晩鍛錬って……鍛えたって使うところないだろ。」

「体を動かしていた方が落ち着く。」

「ああ、まぁ、お前はそうだろうな…。」

 そういう男だったと苦笑して天真は天ぷらに手を付けた。

 あかねは失敗したと言っていた天ぷらも天真にはどの辺が失敗なのかわからないほどの出来栄えだ。

「うまいぜ、これも。この調子なら結婚したら間違いなく頼久は幸せ太りだな。」

「そ、そんなことないから…頼久さん運動もちゃんとするし、毎日毎食料理をするようになったらこんな量は作らないし…。」

 顔を真っ赤にしながらうつむくあかねを頼久は黙々と料理を口にしながら優しく見守っている。

 そんな二人に苦笑して、天真は味噌汁を口にした。

 味噌汁も塩加減がちょうど良くていい出来だ。

 何一つ天真の口に合わないものはなくて…

 ただひたすら量に圧倒された食事は、それでも頼久の恐ろしいほどの食べっぷりで三分の二ほどは片づける事に成功した。

 残りの三分の一を冷蔵、および冷凍保存すると、本当に片付くのか?と天真が危ぶんだテーブルの上は綺麗に片付いたのだった。







 夕暮れ。

 あかねと頼久は縁側に並んで座って庭を眺めていた。

 天真はというと役目は終わったとばかりに昼ご飯を食べるとすぐに帰ってしまった。

 だから、それからは二人きり、こうして穏やかにくつろいでいるというわけだ。

「頼久さん、食べたいものがあったらなんでもリクエストしてくださいね。練習しますから。」

 どうやら現在のあかねの頭の中は料理のことでいっぱいのようで、頼久はそんなあかねが少し心配だった。

 ここのところ、毎日のようにおいしい料理を作りに来てくれるあかねはおそらく、家でも料理の練習をしているだろう。

 そうなると、まだ大学の講義も受けているあかねにはそうとうな負担になっている気がするのだ。

「神子殿。」

「はい?」

「その……手料理を作って頂けるのは私にとっては喜ばしいばかりなのですが、あまり無理はしないでください。」

「無理、してるように見えますか?」

「はぁ…。」

 頼久としては抱いていた心配をただ口にしただけなのだが、改めて無理をしているように見えるかと問われるとしていると断言はできなくて考え込んでしまった。

 最近のあかねはとにかく明るい。

 そして楽しそうだ。

 料理をしているのも別に無理に努力をしているという様子では確かにない。

 後ろ姿さえ楽しさを滲ませているように見える。

 そんなあかねの様子を思い起こしながら頼久は隣に座って微笑んでいるあかねをじっと見つめた。

「私、無理なんかしてないです。まあ、確かに量は作りすぎちゃってるかもしれないですけど…。」

「いえ、それはきちんと後ほど私が頂きますので…。」

「はい。頼久さん、いっぱい食べてくれるから作るの楽しいんです。本当は洗濯とか掃除とかもさせてほしいんですけど…。」

 そう言ってあかねは少しばかり不満気だ。

 これに関してはもう頼久は苦笑するしかない。

「私、頼久さんが一緒にこっちの世界に来てくれたこと、本当にすごく嬉しいんです。」

 突然のあかねの告白に頼久は一瞬目を見開いた。

 頼久が生まれ育った世界よりもあかねを選んだのはもうずいぶんと前のことで、そしてそのことへの感謝は今までの間にも何度もあかねの口から聞いている。

 だから、今、こんなふうにそのことを改めて言葉にされるとは思ってもみなかった。

「京での生活を全部あきらめちゃったっていうことは凄く大変なことだし、寂しかったりもするのに、でも頼久さんはそれを選んでくれて、私は凄く幸せだなって思ってるんです。」

「私は神子殿のお側にいることができるのならばそれで…。」

「はい、頼久さんがそういうふうに思ってくれてるって、それはわかってるんです。でも、私はそのおかげでとっても幸せだから、私も頼久さんのためにできることをしたいなって思うんです。」

 そう語るあかねの顔に浮かぶ微笑は穏やかで一点の曇りもなくて…

 さすがに最近ではあかねの笑顔に耐性ができてきた頼久でさえ見とれてしまうほど美しかった。

 そしてその笑顔に頼久がうっとりと見惚れているうちに、あかねは視線を空へと向けた。

「おいしい料理を作ったり、おうちを綺麗に掃除したり、シミ抜きの方法も覚えて頼久さんの洋服を綺麗に洗濯したり、私にできるそういうこと一つ一つを身に着けることが、今は凄く楽しいんです。」

 心の底からの嘘偽りない言葉は頼久の心に静かに染み渡った。

 あかねは今、空の向こうにやがて来る幸せな未来を見つめている。

 一目でそうとわかるあかねの表情に頼久の顔は自然と微笑みを浮かべていた。

「家事は分担してください。」

「へ?」

「料理は神子殿にお任せしますので、その他の掃除や洗濯といった家事は私にもやらせてください。」

「でも…。」

「私にも神子殿のためにできることを与えて頂きたいのです。」

「そ、それはだって、頼久さんはお仕事してるわけだし…。」

「それ以外にも何かしたいのです。その代わり、食事だけは神子殿にお願い致します。毎日神子殿の手料理を食べられることほど私にとって幸福なことはありませんので。」

「頼久さん……わかりました。今からたくさん練習しますね。」

「お願いします。」

 そう言って微笑みを交わしながら頼久は、そう遠くはないだろう未来を思った。

 綺麗に掃除の行き届いた部屋、二階のベランダには風になびく洗濯物、そして食卓にはあかねが作った見目も麗しい料理の数々。

 食事を終えれば二人並んでの食器洗いが待っている。

 それは間違いなく、やがて現実となるだろう未来だ。

 あかねも同じ未来を脳裏に描いてくれていると思えば頼久の内にある幸福は膨れ上がること際限がなくて…

 そんな幸福を与えてくれた人に感謝と愛しさを込めて、深い深い口づけを贈った。








管理人のひとりごと

今回は、強いあかねちゃんって現代だとこんな感じ?という管理人の妄想でした。
やらなきゃならないことが見えるとあかねちゃんってものっすごいスピードで努力する気がします。
そして頼久さんもあかねちゃんのためならどんなことでもやってやる!と思っちゃうので家事は奪い合いです(笑)
料理はお任せされちゃったんであかねちゃんはそりゃ気合入りますよ!
たぶん、新婚生活はホテル並みのフルコース料理が出るね(笑)
どちらかというと頼久さんは材料費を稼がないと!っていうくらいの料理が出るね(’’)
そんな新婚生活を妄想しつつ、あ、その妄想も書かないと!ということに気付く管理人でした(ノД`)









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