
頼久は前日から家中の大掃除をしてこの日を迎えた。
この日というのはもちろん頼久自身の誕生日だ。
何故家中の大掃除をしたのかといえば、そればあかねが誕生日を祝うため、朝からこの家を訪れることになっていたから。
あかねのことだから、誕生日のプレゼントに家の掃除や洗濯をと言い出すかもしれないと予想してのことだった。
もちろん、洗濯も完璧に済ませてある。
頼久としてはあかねにそんな瑣末な家事をさせることは耐えかねるので、先回りして全て済ませてしまったというわけだ。
リビングを見回して一つうなずいて頼久は時計を見た。
時刻は午前9時。
昨日のメールではいつもより少し早めにここへやってきてお昼ご飯の用意をすると言っていたのだが、さすがに9時ということはないかと頼久は苦笑しながらソファに座った。
こちらの世界へやってきてからもうだいぶ時間が経っているというのに、今でもまだあかねに会える日は落ち着かない。
落ち着かないというのは少し違っているかもしれない。
早くあかねに会いたいと思うあまり、時の流れを遅く感じるのだ。
逆にあかねがやってきてしまえば光陰矢のごとし。
時間は瞬く間に過ぎてしまう。
今日も日の出前から目が覚めてしまい、家中の大掃除をしてもまだあかねがやってくるには早い時間で、頼久はソファに座ったまま天井を見上げて苦笑した。
その時…
玄関の向こうに人の気配を感じて頼久は自然と立ち上がった。
あかねが来るにはまだ少し時間は早いはずだ。
幻覚かもしれない。
そんな思いで玄関へと向かう。
あかねに会いたいあまりに幻の気配を感じたのだろうか?
そう思いながら扉を開けて、頼久は満面に笑みを浮かべた。
「おはようございます。」
「おはようございます。どうぞ。」
頼久は自分の大きな体を脇へと寄せてあかねを中へ誘った。
幻ではなく、目の前に立っていたあかねは秋らしいワンピースを着ていて、とても愛らしい。
あかねは頼久の脇をすり抜けて中へ入ると、ほんのり頬を桜色に染めて頼久を見上げた。
「ちょっと早かったですね。」
「いえ、お待ちしておりました。」
愛しそうに目を細めてあかねを見つめる頼久。
そしてそんな視線を受けて、桜色だったあかねの頬が真っ赤に染まった。
「えっと……きょ、今日は、お昼ご飯を作って……あ、晩御飯も私が作りますから!」
「はい、楽しみです。」
頼久は心の底からそう言って微笑んだ。
京にいた頃は自分の生まれた日を祝う習慣はなかった。
こちらの世界で生きてきた自分の記憶の中にもこんなに愛しい人に心から誕生日を祝われたという記憶はない。
だから、こうして愛しい人に自分がこの世に生まれてきたことを祝われることがこんなにも心躍ることなのだと教えられたのは、あかねに出会ってからのことだ。
だからこそ、こうしてあかねに祝ってもらえる誕生日というものが頼久にとってはより特別な日になっていた。
「凄く楽しみで、凄く張り切っちゃって、その……朝早くに目が覚めちゃって、いても立ってもいられなくて来ちゃったんですけど…。」
「それは、私も同じです。」
「頼久さん…。」
頼久とあかねの視線が交差した。
受験生として忙しい毎日を送っているあかねは、なるべく時間を作っては頼久に会いに来るようにしている。
それでも、以前のように頻繁に会うことはできなくて、こうしてゆっくりと一日二人でいる時間は貴重だ。
だからこそ、二人は何も言わずにただ視線を交わす。
それだけで、言葉で伝える以上の思いが伝わる気がした。
「お、お昼ご飯の準備しちゃいますね!」
頼久の眼差しに顔を真っ赤にしたあかねは慌てて荷物をテーブルの上に置くと、カバンの中からエプロンを取り出して身に着けて、すぐキッチンに立った。
頼久の想いは一途でまっすぐで、そんな想いが込められた視線はいつも熱を帯びている。
あかねはそんな視線を受けただけで、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになって黙って立っていられなくなるのだ。
慌ててキッチンに立つあかねの背を見ながら口元に微笑を浮かべて、頼久はあかねの後を追った。
ところが…
「今日は頼久さんのお誕生日なんですから、頼久さんはそっちでゆっくりしててください。お昼ごはんは私一人で作りますから。」
赤い顔のあかねにやんわりとそう拒絶されて、頼久はあかねと並んでキッチンに立つことをあきらめた。
頼久にとってはあかねの隣に立って料理を手伝うことも喜びなのだが、今回はあかねの努力を無にしないためにもぐっとこらえてソファに座った。
キッチンで揺れる小さな背中は見つめるたびにいとおしくて、会えなかった時間のつらさをさらりと洗い流してしまうほどのぬくもりを持っていた。
だから、頼久はソファに座ったまま、懸命に料理に集中する恋人の背中を飽きることなく眺め続けた。
小一時間ほどもすれば料理も終わって少しはゆっくり話ができるだろう。
そんな幸せな瞬間を待つこの時間さえもいとおしい。
頼久の顔から笑みが消えることはなかった。
「神子殿?」
「えっと…その…似合わない、ですか?」
「まさかっ!ですがその……。」
午前中はあかねの学校でのささいな出来事の話などを聞いて、頼久は幸せいっぱいの時間を過ごした。
昼はあかねが苦労して完成させたドリアを二人で食べて、食後の紅茶を楽しんで今に至る。
至るのだが…
急に着替えたいから脱衣所を借りてもいいかとあかねが言い出したところで事態は一変した。
頼久にしてみれば別にこの家のどこにあかねが入ってもそれはかまわないから家の鍵を渡してあるのだが、どうして脱衣所で着替えをしたいのかがわからない。
それでも恋人のお願いを断るという選択肢が頼久にあるわけもなく、あかねに脱衣所での着替えを許可した。
そして、数分後、脱衣所から出てきたあかねの姿を目にして、頼久はソファに座って飲もうとしていた紅茶を手にしたままフリーズしてしまった。
何故なら、脱衣所から出てきたあかねは何故かメイド服なるものを着ていたからだ。
真っ赤な顔で恥ずかしそうにしているあかねはそれはもう想像を絶するほどに愛らしいのだが、頼久には事態が全く飲み込めない。
「えっと、毎年手編みのなんとかって言うのも飽きちゃうかなとか、色々考えて、それで、天真君にもそうだんにのってもらったりとかして、今年はちょっと変わったプレゼントにしようかなって…。」
「プレゼント、ですか?」
プレゼントとあかねのメイド服姿、この二つの間にどんな関係があるのか、頼久にはまだ理解ができない。
キョトンとしたままの頼久にあかねは真っ赤な顔でうなずいた。
「この服は天真君と蘭と詩紋君からのプレゼントなんです。」
「はぁ…。」
「ほらっ、頼久さんって何かプレゼントでほしいものありませんか?って聞いても絶対にほしいものはないって答えるじゃないですか。」
「それは、はい、そうかもしれません…。」
「だから、今年は物でプレゼントはやめたんです。」
「はぁ…。」
「それで、天真君に相談したら頼久さんは絶対このかっこうだと喜ぶからって…。」
「……。」
頭から湯気を出しそうになりながらあかねがもじもじと説明するのを聞いて、たっぷり5秒は考え込んでから頼久は眉間にシワを寄せた。
これは天真の仕業であったか。
心の中でそうつぶやいて、次に会った時には必ず稽古をつけてやると誓う。
「やっぱり似合いませんか?」
「は?」
「だって、頼久さんなんか恐い顔してるから…。」
「いえ、これはその……天真がまたおかしなことを神子殿に吹き込んだのかと…。」
「やっぱりこの格好は頼久さん好きじゃなかったんですね…。」
「そうではありません!とてもお似合いです!お似合いですが…天真が意図したのはそういうことではないかと…。」
「はい?」
「いえ、神子殿がそのように着飾って美しくないなどということはありえません。よくお似合いです。ご安心を。」
似合っているのだ。
それは間違いない。
そのことだけはわかってほしくて、頼久はその顔に笑みを浮かべて見せた。
昔は苦手だった笑顔も、いや、今でも他人の前で笑うことが得意とは言いがたいが、あかねの前でなら自然と見せることもできるようになった。
そんな頼久の笑顔を見て、あかねはやっと安堵のため息をついた。
「このように愛らしく着飾った神子殿を拝見できるとは、誕生日のプレゼント、確かに受け取らせて頂きました。」
「あ、違います、それは天真君と蘭と詩紋君からのプレゼントです。」
「は?」
「天真君があかねを飾ってプレゼントって言ってました…。」
だからこの衣装一式が3人からのプレゼントということかと気づいて、頼久はため息をついた。
まったく天真ときたらこの手のからかいに最近やたらと力が入ってきたものだ。
再び頼久は胸の内でつぶやいて稽古の量を2倍にすると誓った。
「そ、それでですね、私からはまだ他にプレゼントがあるんです。」
真っ赤な顔でそう言ったあかねは頼久の隣に座るとカバンから耳かきを取り出した。
「神子殿?」
「えっとですね、天真君が面白いお店の話を聞かせてくれて、今日は頼久さんにそのお店にいるみたいな気分を楽しんでもらおうかなって思ってるんです。それが私からのプレゼントなんです。受け取ってもらえますか?」
「神子殿からのプレゼントを受け取らぬということはありませんが、店とはいったい…。」
「耳かきエステです。」
「は?」
「だから、耳かきエステをプレゼントしようかなって。」
「それはいったいどのような…。」
「天真君の話だとこういうかわいい服を着た女の人が膝枕で耳掃除をしてくれるお店だって言ってました。」
かわいい服で膝枕で耳掃除。
頼久は頭の中でそれらの単語を並べ直してめまいを起こしそうになった。
よくよく見ればあかねのメイド服はミニスカートで、膝枕などしようものなら間違いなく素足の膝が目に入る。
しかも、その状態であかねに優しく耳掃除をされるとなれば、それはもう頼久としては天国以上の居心地間違いなしなのだが…
「頼久さん?嫌ですか?」
「いえ、嫌だということは決して!」
「じゃあ、私の膝の上に横になってもらえますか?」
嬉しそうに耳かきを構えて膝を指し示すあかね。
頼久はそんなあかねのかわいらしい姿をじっと見つめて数秒考え込んでから、意を決したように手にしていたティーカップをテーブルに置いて一つ小さく深呼吸した。
膝枕で耳掃除などされたら本当に失神しかねない気がしたから、深呼吸で自分を落ち着かせずにはいられなかったのだ。
「遠慮なくどうぞ。」
「では、失礼致します…。」
頼久がそっと頭をあかねの太腿の上に乗せると、やはり素足の膝小僧が至近距離で視界に入った。
それだけでも頼久の心臓は早鐘を打ち始める。
「じゃ、力抜いて下さいね。痛かったら言ってください。なるべく優しくやりますけど…。」
「はい…。」
直接伝わるあかねのぬくもりで頼久はそれどころではない。
あかねが優しくそっと耳かきを耳に入れて掃除を始めてもくつろぐことなどとうていできない。
頼久はこのままではいけないとあわてて目を閉じた。
視界をさえぎってしまえばどうやら落ち着くことができるようで、あかねが優しく掃除してくれる耳が心地いい。
「頼久さん、痛くないですか?」
「はい。」
そんな会話が何度か交わされて、最後にふわふわの綿で耳のなかをさらっとぬぐわれて、どうやら耳掃除が終わったらしいと頼久が安堵したその時、掃除されたばかりの耳にあかねの次の声が届いた。
「じゃあ、反対側もやりますね。こっち向いてください。」
「は?」
「反対側やりますから、こっちを向いてください。」
慌てて跳ね起きた頼久はまじまじとあかねを見つめた。
その顔には屈託ない笑みが浮かんでいる。
どうやら気持ちよかったらしいと思っているあかねは、反対側の耳も掃除する気満々だ。
頼久はごくりと唾を飲み込んで再び一つ深呼吸をした。
反対側を向くということはそれは…
「頼久さん?」
「いえ、では、その……失礼致します。」
「はい、どうぞ!」
はりきるあかねの膝の上に、今度はあかねの方を向く状態で頭を乗せる。
当然のことながら頼久の視界にはキュッと絞ってあるメイド服姿のあかねのウェストが目に入った。
「じゃ、楽にしててくださいね。」
あかねは頼久の状態には気づかないまま、ウキウキと耳かきを頼久の耳に差し込んだ。
そして…
よく耳の中を見ようとあかねがかがみこむと、頼久が予想していた事態が発生した。
そう、あかねの胸が頼久の顔をかすめるのだ。
これは目に毒とばかりに頼久がかたく目を閉じるのにも気づかずに、あかねは頼久の耳掃除に夢中だ。
「ん〜、反対側よりちょっと見づらいかも…。」
などとつぶやきながら更に体を前に倒す。
そうすると当然のことながら、目を閉じている頼久の顔にあかねの胸が当たり、これにはさすがの頼久も黙っていることができず、そっと耳掃除を続けるあかねの手をのけた。
「痛かったですか?」
「いえ、もうじゅうぶんして頂きましたので。」
頼久が苦笑しながら体を起こすと、あかねは耳かきを手にしたままうつむいてしまった。
「ごめんなさい。」
「は?」
「頼久さんはあんまり嬉しくなかったんですね…。」
「違います!」
大声で力いっぱい否定するその声にあかねが目を丸くする。
「嬉しいか嬉しくないかといわれれば当然嬉しいのですが…。」
「ですが?」
「……神子殿はお気付きではないようでしたが、その……。」
「気持ち悪かったですか?」
「いえ!そうではなく、です……その……神子殿がかがみこむと胸が…。」
「胸?」
言われてあかねは自分の胸を見下ろした。
そしてそこから自分の膝へと視線を移して、次の瞬間、はっと視線を頼久へ戻した。
みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「当たって、ました?」
「はい。」
「は、恥ずかしい…。」
「ですので、その、気持ちいいか悪いかといわれれば気持ちよかったのですが、今日はこの辺で。」
「はい…。」
真っ赤な顔で消え入りそうな返事をしたあかねは、すぐに深いため息をついた。
「神子殿、あまりその、お気になさらず。」
「頼久さんに喜んでもらえること何かないかなって天真君達と一緒に一生懸命考えたんですけど、やっぱり慣れないことするものじゃないですね。頼久さんにも迷惑かけちゃうし…。」
「迷惑などでは決して…。」
「嫌な思いさせちゃいました…。」
「嫌な思いもしておりませんが…。」
「そう、ですか?」
「……。」
ここでハイと返事をすると何か誤解されるような気がして、頼久は思わず言葉に詰まった。
あかねが自分に対して心を砕いてくれたことはこれ以上ないほどに嬉しかった。
目の前のあかねは本当に愛らしくて、しばらく脳裏に焼きついて消えることはないだろう。
あかねが物ではなく、気遣いで誕生日を祝おうとしてくれたことに自分がどれほど感謝しているかを伝えたくても、頼久にはそれを伝えるだけの言葉が出てこない。
鉛のように重くなっていく自分の口に辟易しながら、目の前で沈んでいくあかねを見つめて頼久はただ自分の口下手を呪うばかりだ。
京にいた頃はあかねがこんな口下手な自分をよくおしゃべりで紛らわせてくれたものだ。
そう思い出せばこのまま黙っていてはいけない気がして、それでも一向に頼久の口は動いてくれる気配を見せなくて…
頼久は頭の中をぐるぐると回り続ける脈絡のない言葉を首を激しく横に振ることで追い払うと、あかねの肩をぐっと抱き寄せた。
「頼久さん?」
頼久の胸に倒れこみながらあかねが驚いて頼久を見上げると、すぐに優しい口づけが降ってきた。
突然のことにあかねが驚いている間に頼久の顔はすっと離れていって、あかねは真剣な顔をしている頼久を呆然と見つめた。
「お慕いしております。」
「頼久さん?」
「その、私は言葉があまり得手ではなく…。」
苦しそうにそう言う頼久をじっと見つめて、あかねはその顔に笑みを浮かべた。
言葉が苦手だから、口づけに想いを託してくれたのだと気づいたから。
「私も頼久さんが大好きです。」
あかねはそう言って頼久の胸にもたれた。
言葉の数は少なくても、ぬくもりで想いが通じるように。
「神子殿…。」
どうやら自分の想いは何とか伝わったらしいと頼久が安堵のため息をつきながらあかねを抱きしめようとしたその時。
ついさっきまで頼久の腕の中でうっとりしていたはずのあかねが急に立ち上がった。
「大変!晩御飯の準備しなくちゃ!」
「は?まだずいぶんと時間が…。」
「晩御飯はビーフシチューなんです!煮込むんです!」
あかねは頼久にびしっとそう宣言すると、あっという間に脱衣所で元の姿に戻ってキッチンに立った。
またソファに座ったままあかねの小さな背中が楽しそうに揺れるのを見守りながら、頼久は口元をほころばせた。
あかねは今年も自分のために本当に色々と心を砕いてくれた。
そのことが何より嬉しくて、頼久の心を温かくする。
そして、そんな優しい時間はまだまだ続くようで、キッチンに立つあかねの背中はどこか楽しそうだ。
頼久はこれからも続くだろうあかねとの時間に想いを馳せながらその背を見つめ続けた。
いつかこの家であかねと二人で暮らす日がやってきたら、またその時はこのソファで耳掃除をしてもらおう。
きっとそんな日がもうすぐやってくる。
そう思えば、頼久の顔から笑みが消えることはなかった。
管理人のひとりごと
天真はどれだけそういう趣味なんだと(マテ
いつも物でプレゼントでは味気ないので、今回はあかねちゃんをプレゼント♪
管理人からも♪(コラ
ちなみに耳かきエステの実態は管理人も良く知りません(’’)
耳かきなんざ自分で好きなようにやるのが一番いいに決まってら、というのが管理人の主張です(オイ
まぁ、頼久さんは耳かきだろうが洗髪だろうが肩もみだろうが、あかねちゃんがやってくれるならなんでも幸せです!(^▽^)
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