新しく建てられたばかりの屋敷は木の匂いがして、それだけでもあかねをとても幸せな気分にさせた。
最初、足を踏み入れた瞬間はあまりの広さに愕然としたあかねだったが、すぐにこの屋敷を建ててくれた二人の人物の優しさが見えるような気がしていつの間にか微笑んでいた。
そう、この屋敷を建ててくれたのは、あかねを姉とも慕う少女藤姫と、もうすぐ夫としてこの屋敷へ引っ越してくるはずの頼久の父親の二人。
どちらもあかねと頼久のために自分が屋敷を建てると言い張って、結局二人で建ててくれた屋敷だ。
「でも、ほんと、二人で暮らすのには広すぎますよねぇ。」
「神子殿にお住まい頂くにはこれくらいはなくてはと父と藤姫様がこの広さだけは同意したと聞きました…。」
「……。」
あかねと頼久は過保護な保護者を持ったことを少しばかり恐ろしく思いながら、新居を見て回る。
「神子殿…。」
「なんですか?」
頼久に呼ばれて振り返ったあかねの目に映ったのは…
「……それって…どう見ても、池、ですよね?」
「はい、池かと…。」
二人は同時に深いため息をつく。
二人の目の前に広がっているのは広い庭に整えられた池。
そしてその周囲に植えられた色とりどりの花。
池には小さな橋なんかもかかっていてとてつもなく豪華な庭になっている。
「ここまでしなくても…。」
そうつぶやいたのはあかねだけだったが、もともと寡黙な頼久の眉間にはうっすらとしわがよっている。
考えていることは同じようだ。
どう考えてもやりすぎでしょう、二人とも。
と思いながら新居の奥へと歩みを進めて、二人は更に愕然とすることになった。
「こ、これって…。」
「絵巻物に漢文…どう見てもこれは…。」
「鷹通さん、ですね…。」
蔵にうずたかく積まれた書物の山、山、山…
あかねが好きだろうと選ばれたに違いない綺麗な絵巻物も中にはあるが、漢文だの歌の載っているものだの、何かの資料のようなものまでどうみても鷹通が選んだとしか思えないものが積んである。
あかねは頼久と顔を見合わせて、それからくすっと微笑んだ。
これが鷹通なりの祝福の気持ちだろうことがわかったから。
「全部読むのは大変そう。私、まだこっちの文字ってよく読めなくて。」
「では、私が少しずつお手伝い致します。せっかくの鷹通殿のお気持ちですから。」
「うん、時間はかかるかもしれないけど全部読みたいし。お願いしますね。」
「承知致しました。」
二人はにっこり微笑み合って、それから隣にもう一つ蔵があることに気付いた。
笑顔を収めて二人はうなずきあい、そして頼久が蔵の扉を開けるとそこには…
「これは間違いなく…。」
「永泉様でしょう…。」
こちらの蔵に積まれていたのは、楽器の山だった。
見たことのある笛から見たことのない琵琶らしきものや琴らしきもの、太鼓にいたるまで様々な楽器が詰め込まれている。
あかねは自分の世界でだって楽器なんか俗に言うケンハモとかリコーダーくらいしか弾いたことがないし、生まれてこの方、剣を振ることしか学んでいない頼久が楽器など扱えるわけもなく…
めいっぱい楽器が詰め込まれた蔵を前に、二人はとりあえず凍りついた。
「まぁ、あれです、永泉さんも精一杯お祝いしてくれたってことで…。」
と静かに扉を閉めるあかね。
生真面目な頼久はといえば、この楽器をどうしたものかと真剣に考え始めてしまい…
「さ、さぁ、頼久さん、私たちの部屋、見てみましょう。」
楽器を学ぶべきだろうかなどと考えているに違いない頼久の腕をあかねは慌てて引っ張った。
とにかく今はこの蔵の前から離れよう。
次に二人が目撃したのは自分たちの部屋へ向かう途中で通りかかった厨にある数え切れない包丁の群れ。
「こ、これは…。」
「イノリ君、ですよねぇ……。」
どんなに使い倒してもこれは使い切れないだろうというほどの数の包丁を前に、二人は同時に首を横に振った。
そして無言のまま屋敷の奥へと引き返す。
「もう、みんな張り切りすぎ。」
そう感想を口にしたのはあかねだけだったが、隣を歩く頼久の眉間にはやはりシワが寄っていて、考えていることは同じらしい。
なんともいえない気分のまま二人は次にあかねの部屋へと向かった。
几帳が整えられた部屋の中央には何やら洒落た箱が幾つか並べられている。
小首をかしげながらあかねが近づくと、箱の上に文が置かれていた。
「うっ…。」
「どうなさいました?神子殿。」
うめき声をあげたあかねに頼久が近づいてみると、あかねは達筆な文字が連なる文を手に凍り付いていた。
どうやら達筆すぎて読めないらしい。
そんな愛しい人を微笑ましく思いながら、頼久は優しくあかねからその文を取り上げた。
「私が代わりにお読みします。」
「お、お願いします。」
頼久、文に目を通すこと数十秒。
黙ったままかたまってしまい、いつまでたっても文の内容をあかねに告げずにいる。
まさか頼久が字が読めないなどということはないだろうと思いながらあかねは頼久の難しそうにしている顔をのぞきこむ。
「頼久さん、なんて書いてあったんですか?」
「これは…その…。」
「誰からの手紙だったんですか?」
「友雅殿、です。」
「あぁ、だからそんな凄い字なんだ。で、なんて書いてあったんですか?」
「それが、その…この箱の中身は全て香を合わせるための道具と材料だそうで…。」
「うわぁ、友雅さんらしい!」
「……。」
喜んで箱を開けてみたりするあかねに対して難しげな顔のまま凍りついている頼久。
そんな頼久に気付いてあかねは再び頼久の顔を下からのぞきこんだ。
「他にも何か書いてあったんですか?」
「それが…その……。」
苦しげに顔を歪ませて黙り込む頼久が心配で、あかねは更に顔を頼久に近づける。
「なんて書いてあるんですか?」
「この道具で香のことを学んで……。」
「学んで?」
「頼久が他所の女人に浮気して通うようなことがあればすぐに見破れるようにと……。」
腹の底からしぼりだすように苦しそうにそう言う頼久にはかまわず、あかねはクスクスと笑い出した。
「神子殿?」
「友雅さんらしい!頼久さんがそんなことするはずないのに、自分のことを考えるからそういう発想になるんですよ、きっと。」
目の前でクスクスと笑い続ける愛しい人の、自分へ寄せられた信頼が嬉しくて頼久は思わずあかねを抱き寄せていた。
一瞬驚いたあかねだったが、すぐにその広い胸のぬくもりにうっとりと目を閉じる。
その鼻腔をくすぐるのは淡い梅花の香り。
「神子殿にご信頼頂き、この頼久、光栄の極み。生涯神子殿お一人をお慕いし、お守りすると誓います。」
「頼久さん…。」
幸せな空気に満たされてしばらくそうして抱き合っていた二人。
だが、そんな二人は同時にはっと視線を合わせた。
鷹通、永泉、イノリ、友雅とくれば残るは…
「泰明さんってどんなお祝いを用意してくれたんでしょうね……。」
あかねの言葉に再び眉間にシワを寄せる頼久。
いつも無表情、冷徹なことこの上ない陰陽師の泰明が実は神子たるあかねのことをどれほど慕っているか知らない頼久ではない。
何しろこの神子のおかげで人としての心を得た泰明だ、神子の幸せを願う想いもひとしおのはず。
稀代の陰陽師がいったいどのような祝福を用意しているのかを想像して背筋が寒くなった二人は、まだ回っていない部屋を慌てて見て回った。
が、どこにもおかしなところは見当たらない。
部屋は全て綺麗に整えられていたし、庭にも特に変わったところはなようだ。
二人はぐるりと一周してあかねの部屋へと戻ってくるとほっと安堵のため息をついた。
「泰明さんは何も用意してないみたいですね。」
「泰明殿のことです、まだ婚儀の祝いなどということにまで思い至らなかったのやもしれません。」
「主が何か?」
『はい?』
いきなり庭の隅から聞こえた声にあかねと頼久は同時に驚きの声をあげた。
見るとそこには一人の女房の姿がある。
今まで全くそこにいることを感じさせなかったその女房は二人の前へ歩み出ると軽く頭を下げた。
あかねはともかく武士として鋭敏な感覚を持つ頼久が、女房の存在に気付かないはずがない。
この女房に妖しげなものを感じた頼久は思わず刀の柄に手をかけた。
「えっと…あなたは?」
「はい、私は主の式神にこざいます。」
『主の式神?』
あかねと頼久の声が再び重なる。
どこから見ても普通の女房に見えるこの女性はクスリとも笑わずにうなうずいた。
「左様にございます。主より、いついかなる時も神子様のお側にてお役に立つよう言いつけられております。なんなりと御用をお申し付け下さいませ。」
「えっと……ひょっとして…泰明さんの…お祝い?」
「いいえ、主は神子様の婚儀の祝いとしてこの屋敷の周りに二心のある者は何人たりとも進入できぬよう、三重の結界を施しております。私は神子様の御身の周りのお世話をさせて頂くために在るだけでございます。」
『……』
あかねと頼久は呆然とその場に立ち尽くした。
今までの四人からは想像もできない結婚祝いにどう対処したものか、全く考えが及ばなかったからだ。
さすがというかなんというか泰明の結婚祝いは人知を越えている。
「えっとですね…このお屋敷には藤姫がつけてくれた女房さん達もたくさんいてくれるので、あなたにお願いするようなことはたぶんないと思うんです。ですから、えっと…そうだ!泰明さんにお祝い有難うございましたって私が言ってたって伝えてもらえますか?それであなたのお仕事はおしまい、それでいいですか?」
「神子様の仰せなれば。」
「よかった、じゃぁ、泰明さんへの伝言、よろしくお願いします。」
「承知致しました。」
無表情な女房は一礼するとふわりと屋敷の外へ出て行った。
その姿を見送ってあかねと頼久は安堵のため息をつく。
「さすが泰明さん…結界がお祝いだなんて…しかも式神つき…。」
また深いため息をつくあかねの隣で、さっきまで同じくため息をついていた頼久は微笑を浮かべた。
八葉の誰もが慕ってやまないこの尊き人が自分の隣を選んでくれたことが嬉しくも幸せで、頼久はその肩をそっと抱き寄せる。
急のことでまた驚いたあかねだが、見上げた青年の顔に浮かぶ微笑があまりにも穏やかで暖かくて、自分もふっと微笑んでその逞しい長身に体を預けた。
交わす言葉はいらない。
ただ微笑みを交わしただけで、お互いが幸せであるのがわかる。
あたたかな陽の光が射し込む庭を眺めながら二人はしばし多くの人に祝福される幸せにひたった。
頼久があかねの夫となるまであと少し、穏やかな時が流れていた。