
ちくちくと縫物を続けること三日。
あかねはようやく完成した単(ひとえ)を綺麗にたたむと濃紺の組み紐で結んだ。
ちょうどリボンをかけたように見えるように結んでみたのだが、組み紐だとあまりリボンには見えない。
どちらにしてもリボンを見たことがない頼久には分らないかとあかねが苦笑をこぼしたところで庭を歩く足音が聞こえてきた。
左大臣の警護でこの三日の間、屋敷を留守にしていた頼久だ。
すっかり足音でそれとわかるようになったあかねは、単を奥へ押しやって自ら御簾を上げて微笑んだ。
もうすぐ日が暮れる夕焼け空の下、庭を横切ってやってくるのはやはり頼久だった。
「ただいま戻りました。」
あかねの前までやってきて几帳面に一礼した頼久は、見上げるようになるあかねの顔をじっと見つめて口元に笑みをともした。
「お帰りなさい、お疲れさまでした。」
「中へお戻り下さい。この寒さはお体に障ります。」
縁に足をかけて軽やかに屋敷へと上がった頼久は、有無を言わさずあかねの手を取って御簾の中へと入った。
確かに二月の外はすっかり冷え込んでいる。
厚着をしているとはいえ、あかねには堪える気温であることは確かだ。
しかも頼久はあかねが育った世界ではエアコンだのストーブだのというもので簡単に暖を取ることができると知っている。
だから、ちょっとした寒さでもあかねになるべく感じさせまいと気遣うのが常になっていた。
「頼久さんは心配し過ぎですよ。」
「火桶は…ああ、ありますね。」
「それはもう女房さん達が絶対火は絶やさないって張りきってくれてます。」
「ならば安心です。」
やっとほっと一息ついたらしい頼久を見てあかねは苦笑を浮かべた。
大切にされているのだとわかってはいるけれど、やはり少しばかり過保護な気がする。
「せっかく帰ってきたんですから少しゆっくりしてください。お腹、すいてませんか?」
「いえ、まだ。あかねが空腹なら共に。」
「私もまだ大丈夫ですから、じゃあ、火の側で温まってください。外は寒かったでしょう?」
「私は鍛えておりますので。あかねこそ、もっと火の側へどうぞ。」
「頼久さん、先に座っててください。私はちょっと持ってくるものが…。」
有無を言わさず座らされそうな予感にあかねが慌ててさっきたたんだ単の方へ歩み寄る。
頼久はその様子を不思議そうに見つめながら、太刀を腰から外すと火桶の側に座って太刀を側へとそっと置いた。
「あかね?」
「お待たせしました。頼久さん、今日が何の日か覚えてたりしますか?」
「ばれんたいんでーのことをおっしゃっているのでしたら覚えておりますと言いたいところですが…。」
「あれ、覚えてたんじゃないんですか?」
「はい。先ほど藤姫様より確か如月十四日は神子様にとってばれんたいんでーのはずなので、失礼のないよう心して帰るようにと言い渡されました。」
「なるほど。」
あかねは今日三度目の苦笑を浮かべながら単を頼久へと差し出した。
「これは…。」
「そのバレンタインデーのプレゼントです。」
プレゼントという単語が贈り物のことだということはあかねとの暮らしの中で頼久にもすぐに理解できるようになっている。
だから頼久は戸惑うことなくすぐに単を受け取った。
「これは単ですか…。」
「そうなんです。甘いものは凄く貴重だって学習しましたから!」
「お望みでしたら用意しましたが…。」
「頼久さんに用意してもらったら意味がないです。それに私の育った世界ではバレンタインデーに贈るものって別に甘いものだけじゃないんですよ。」
「そう、なのですか?」
「チョコレートっていう甘いものを贈る人が多いんですけど、中には身に着ける小物とか、筆記具とか…こっちで言うと筆になるのかな、硯とか?手編みのセーターっていうのを贈ったりするんですけど、これが手作りの着物なんです。」
「それで単ですか。」
「はい。筆とかも考えたんですけど、頼久さんは外でお仕事が多いから着るものの方がいいかなって。」
「着替えはいくつあっても助かります。これも大切に……これは…。」
改めて手渡された単を見て頼久は小首を傾げた。
もちろん、十字にかけて綺麗に蝶結びされている濃紺の組み紐が気になったからだ。
「ああ、それはラッピングのつもりなんです。」
「らっぴんぐ、ですか?」
「えっとですね、私の育った世界では贈り物は綺麗な包み紙に包んでリボンっていう綺麗な紐で飾るんです。でもこっちでは紙も凄く高価なものだっていうことがわかったし、リボンはないので、リボンの代わりに組み紐で飾りだけでもつけようかなって思ったんですけど、あまりうまくいかなくて…。」
「いえ、あかねらしいと思います。」
「そうですか?変じゃないですか?」
「お心遣い、痛み入ります。」
「そ、そんなたいそうなことじゃないですから!」
突然深々と頭を下げた頼久に今度はあかねが慌てる番だ。
そんなあかねをよそに頼久は大事そうに単をじっと見つめた。
「色ももっと他の色も考えたんですけど、チョコレートを意識するとどうしてもその色になっちゃって…。」
「いえ、今までに頂いたことのない色ですので新鮮です。」
そう言って頼久は嬉しそうに微笑んだ。
ところが、その手が綺麗に結ばれた紐を解く気配がない。
「あの…頼久さん。」
「はい。」
「お願いがあるんですけど。」
「なんなりと。」
「それ、ちゃんと着てくださいね?」
「……。」
『やっぱり』とあかねは心の中でつぶやいた。
紐を解かないのは着るつもりがないから。
何故なら頼久はあかねの縫い上げた単を家宝のように大切に飾るかしまうかするつもりなのだ。
何しろ頼久には、以前にも贈り物として着物を贈られて、それを速攻でしまい込んだという前科がある。
今回もかとあかねが苦笑する中、頼久は眉間にシワを寄せて考え込んだ。
「頼久さんに似合うかな?って想像しながら布を選んで縫ったんですからやっぱり着てほしいです。」
「ですが…汚しでもしては…。」
「洗えばいいですし、落ちなかったらまた新しいの作りますから。」
「そのような!」
「着てもらえないよりはその方がいいです。だから、ちゃんと着てくださいね?」
「……神子殿の仰せとあらば…。」
苦渋の決断といった様子でつぶやく頼久はすっかり八葉だった頃に戻ってしまっているようで、あかねの苦笑が深くなる。
『神子殿』と呼ばれたのはいつ以来だろうとあかねが思い出していると、突然頼久はこくんと一つうなずいてその顔に笑みを浮かべた。
「承知致しました。必ず身につけさせて頂きます。」
先ほどとは打って変わって断言した頼久はあかねが驚くほど爽やかな笑顔を見せた。
どうしてそんなふうに頼久の態度が変わったのかはわからないけれど、頑張って縫い上げた単はどうやらちゃんと着てもらえるらしいとわかってあかねの顔にも笑みが浮かんだ。
「私があかねに贈り物をするのは弥生の十四日で宜しかったでしょうか。」
「そうですけど、これは私がやりたくてやってるだけなので、頼久さんはあんまりお返しとか気にしないでくださいね?」
「私もあかねに贈りたいものを贈りますので。」
何かにつけてあかねに贈り物をするとなると頼久が苦悩することはもう周知の事実だ。
だからあかねは、それほど苦労するのなら本当に何もいらないのにと思う。
けれど、贈り物をしたいのだといって微笑んでくれた頼久のその表情があまりにも幸せそうで、あかねは思わずうなずいていた。
「はい、楽しみにしています。」
火桶を囲んで座り、二人はしばらく黙ったままただニコニコと微笑み合っていた。
ただそうしているだけで、今が寒さの厳しい如月の一日であることなど忘れてしまうほど温かで穏やかな時を過ごすことができた。
頼久があかねから贈られた単を着て、元八葉のもとを回り、あかねに縫ってもらったものだと見せて歩いた事実をあかねが知るのはこの数日後のことだった。
管理人のひとりごと
遅れましたけどUPしますよ!(ノД`)
だって、13日には半分書いてあったんだもん!
14と15が思いのほか忙しくてUPする暇がなかったんです○| ̄|_
糖度低めですが、後日談のオチが気に入ってこの話になりました(’’)
本当は自慢された友雅さんの嘆く姿も書きたかった(笑)
現代版もやろうと思ってたのに…
次、ホワイトデー頑張ります(ノД`)
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