日蝕
 あかねは縁に座り、頼久はいつものように庭に立ったままの状態で二人は同時に深いため息をついた。

 別に二人ともあせっていた訳ではないし、急いでいたわけでもない。

 だが、こうも予想以上に先延ばしにされてしまうとさすがに落ち込んだ。

「泰明さんの占いで出ちゃったんならしかたないですよねぇ…。」

「はぁ…。」

 先延ばしにされたのはあかねと頼久、二人の婚儀の日取りだ。

 当初、すぐにでも婚儀を執り行ってあかねが今住んでいる屋敷へ頼久が越してくる予定でいたのだが、希代の陰陽師安倍晴明の愛弟子、安倍泰明の占いで縁起のいい日がここ数ヶ月は見当たらないと出たのだ。

 おかげで婚儀は来春と断言されてしまった。

「でも、そんなに縁起のいい日ってないものなんですか?こっちの世界って。」

 そんなことは泰明に聞けばよかったのだが、婚儀の日程を勝手に決めてしまった泰明はさっさと自分の庵に戻ってしまい、あかねがそんな質問をする隙は微塵もなかったのだった。

「いえ、縁起のいい日、というのはそこそこございますが……その…婚儀を執り行うには縁起のいい日が三日続いている必要がありますので…おそらく三日続くというのが問題だったのかと…。」

「ええ!三日もっ!」

「はい…。」

「それはしかたない、かなぁ…。」

 二人は同時に深いため息をつくと、お互いに顔を見合わせて苦笑した。

「花嫁修行をちゃんとする時間ができてよかったと思うことにします。頑張って色々勉強しよう、うん。」

 いつも前向きなあかねはそう言って頼久に両手をきゅっと握って見せた。

 だが、頼久はというとそんなあかねを苦笑して見つめるばかりで、どうやらいまだに半年も婚儀を先延ばしにされたショックから立ち直れないようだった。

「私もその…すぐに頼久さんのお嫁さんになれたらいいなぁとは思いますけど、でも、泰明さんがせっかく占って縁起のいい日を探してくれたんですし、えっと…その……。」

 どうやって頼久を慰めようか?

 そんなことを考えていたあかねだったが、どんな言葉よりも「すぐにお嫁さんになれたらいいなぁ」の一言ですっかり機嫌をよくした頼久は今までの落ち込みようとは打って変わった明るい笑みを浮かべた。

「はい、せっかく泰明殿が縁起のいい日を占いで示して下さいましたし、ゆっくりと待つと致しましょう。」

「その間に私は花嫁修行、しっかりやっておきますね。」

「神子殿は修行などなさらずとも私にとって最高の花嫁でいらっしゃいます。」

「よ、頼久さん…またそんな恥ずかしいこと……。」

「恥ずかしい、ですか?」

 頼久はきょとんとした顔で小首をかしげる。

 頼久にしてみれば真実を思いのまま語ったにすぎないのだが、あかねにとってそれはとてつもなく恥ずかしい発言だったようで、しばらくの間、あかねは赤い顔でうつむいたきり動けなかった。

 そんなあかねが次に視線を上げたのは頼久の突然の行動に驚いたからだった。

「神子殿!急いで中へ!」

「はい?」

 叫びながら自分の方へ向かって階を上ってくる頼久の顔は急に険しくなっていて、今度はあかねの方がきょとんとしてしまう。

 屋敷中が慌しく騒いでいるのは感じられる。

 女房達がなにやら悲鳴をあげているようだし、あわてて走り回る人の足音も聞こえる。

 だが、辺りを見回しても妖しい気配はないし、人影もない。

 危険など何一つ迫っている風には見えないのに頼久はひどくあせっていて、立ち上がろうとしないあかねを横抱きに抱き上げると急いで局の中へとあかねを運んでしまった。

「頼久さんっ!」

「不吉ですので、今しばらくこちらでお過ごしください。」

「不吉?」

 あかねには何が起こったのか全くわからない。

 局の中に入っても頼久があかねを解放する気配はない。

 あかねはしっかり抱き寄せられた頼久の胸板がひどく緊張しているのを感じた。

 それは怨霊と戦っていた頃によく感じた緊張感だ。

「神子殿に万一のことがあっては…。」

「ちょっと待ってください。いったい何が起きたんですか?」

「御覧にならなかったのですね?」

「はい?何をですか?」

「日を御覧にはなっていないのですね?」

「日?あぁ、太陽ですか、はい、見てませんけど、日がどうかしたんですか?」

「翳りましたので…。」

「はい?」

 翳るという言葉を口にした瞬間、頼久は明らかに顔をゆがめた。

「日が翳っても別に不思議じゃないと思うんですけど…。」

「いえ、私の言い方がいけませんでした、日が欠けているのです。日が欠けるのは不吉の証、ですから神子殿には泰明殿の張られた結界に守られたこの局の奥にてお過ごし頂きたく。」

「日が欠けたって…あぁ、日蝕ね。」

「にっしょく、とは?」

「あぁ、ごめんなさい。私が元いた世界では日が欠けることを日蝕って言うんです。」

「神子殿の世界でも日は欠けることがあるのですか。ならば、不吉であることはご承知のはず。何事も起きぬよう、本日はこの局にてお過ごしください。この頼久、お側にて神子殿のお命を必ずや守らせて頂きますゆえ。」

「いえ、あの、別に守ってもらうほどのことじゃ…。」

 頼久はまるで怨霊と戦っていた頃の神子と従者に戻ったかのように必死な様子だ。

 あかねは頼久の腕の中でくすっと笑うと不思議そうに上から覗き込む許婚の腕からそっと抜け出した。

「あのね、頼久さん、私の元いた世界では日が欠けることはもちろんありますし、ちゃんと日蝕って名前もついていて、それで、ここからが重要なんですけど、別に不吉なことだとはされていないんです。」

「は?」

「向こうの世界では日がどうして欠けるのかその原因がちゃんとわかっていて、別に不吉なできごとじゃないんですよ。」

「何故日が欠けるのかがわかっているのですか?」

「そうなんです。だから、ただの天体ショーっていうか…。」

「てんたいしょー、とは…。」

 頼久はあかねの口から次々に飛び出す聞きなれない言葉に翻弄されてすっかり眉間にシワを寄せている。

「えっと、まぁ、わかりやすく言うとお祭りみたくなるだけで別に不吉なことは起きないし、大丈夫ってことです。」

「祭り……。」

「あぁぁ、そこは深く考えなくていいですから!要は、日蝕はそんなに不思議なものでも不吉なものでもないってことです。だからそんなに心配しないで下さい。」

 あかねはできるだけ明るく優しく微笑んで見せる。

 本当になんでもないことなのだとわかってほしくて。

 だが、頼久はそう簡単には警戒を解かない。

「しかし、こちらでは不吉とされておりますし、神子殿のお言葉を疑うわけではありませんが万が一ということもございますので、やはり今日一日はこの局にてお過ごしください。」

「ん〜。」

 これはどうあっても譲ってはもらえそうにないと観念したあかねは、しばらく考え込んでから何か考え付いたようにポンと手を叩いて微笑んだ。

「じゃぁ、こうしましょう!」

「は?」

「私は今日一日ここでおとなしくしてますから、その代わり頼久さんも今日は一日ずっと一緒にここにいてください。」

「ここに、ですか?」

「そうです。いっつも頼久さんは縁までしか上がってくれないから私が縁に出なくちゃならないだけなんですから、頼久さんが一緒にここにいてくれるなら私は一日中ここにいても全然かまわないです。」

「一日中、ここで、神子殿のお側に……。」

「はい!」

 うつむいて考え込んだ頼久はしばらくしてあきらめたようにふっと息を吐き出すとあかねに深々と一礼した。

「承知致しました。では、本日はこちらで神子殿をお守りさせて頂きます。」

「いえ、ですから、守ってもらうほどのことじゃないんですけど……あの…もしかして頼久さん、ここにいるのがいやなんですか?」

「そ、そのようなことは決してっ!その…私のような一介の武士が神子殿のような高貴な女人の局に立ち入ることなど、普通では決して許されぬことですので…。」

「またそんなこと言って……私はもう頼久さんの許婚なんですから、同じ局に一緒にいたっていいんです!私が一緒にいたいんですからいてください!」

 頼久にまた主扱いされて少しばかり機嫌が悪かったとはいえ、あかねは思いっきり大声でそんなことを言ってしまって、言い終わってから自分が何を言ったのかに気付いて真っ赤になった。

 一方の頼久はといえば、一瞬きょとんとした顔をしていたがすぐにその顔に微笑を浮かべた。

「承知致しました。神子殿のお望みのままに。」

 そんなことを言って余裕の笑みを浮かべている許婚がなんだかうらめしくて、あかねは赤い顔のまますっと頼久の隣へその身を寄せると左腕に抱きついた。

「みみみ、神子殿?!」

「不吉なことが起こるって思ったら恐いから、今日はずっとこうしてますからっ!」

 あかねの予想だにしないこの宣言に頼久はあたふたと慌てた。

 だが、あかねは抱きついた頼久の左腕にすりっと頬擦りすると気持ちよさそうな笑顔を浮かべてうっとりしてしまい、離してくれとは言えなくなってしまった。

 これはもうあかねの言う通りにするより他ないと観念した頼久は一つ深く息を吐くと、左腕に抱きついているあかねを力任せに自分の膝の上に抱き寄せてしまった。

「よ、頼久さん?」

「不吉なことが起きた時にはこの頼久、この身に代えても神子殿をお守り致す所存ですので、本日はこのままで。」

「え、えぇーーー、こ、このままって……。」

 ぶつぶつ言いながら赤くなってうつむくあかねを頼久はしっかりと抱きしめる。

 神子殿のおっしゃるように日が欠けても不吉なことが起こるということはないのかも知れぬ。

 むしろ私にとっては吉兆であった。

 あかねを腕の中に閉じ込めた頼久は一人微笑みながらそんなことを胸の中で思うのだった。






管理人のひとりごと

いわずと知れた自然現象、日蝕であります。
もちろん、不吉なことなんて起きるはずないんですが、その昔は大変恐れられていた現象です。
あかねちゃん大事の頼久さんは慌てるんだろうなぁと思って書いてみました。
対するあかねちゃんは日蝕の原理知ってますから余裕です(笑)
二人の結婚がのびのびになっているのは吉日が続かないからでした。
これ、実際にけっこうあった話のようです。
「源氏物語」にもそんな記述が出てきます。
源氏の場合は吉日ないからもういいやって感じでお嫁さんにしちゃってますが(爆)
さすがに泰明さんの助言では二人とも逆らえないのでした(笑)




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