ねぎらい
「はい、どうぞ。」

「頂きます。」

 頼久の手には杯が一つ。

 その盃に酒を満たしてくれたのは愛しい妻であるあかねだ。

 濡れ縁に二人並んで座れば空には美しい月が昇っていて、庭を美しく照らし出していた。

 そんな景色を眺めながら、頼久は酒を楽しんでいる最中だった。

 昼間、左大臣の警護中、賊に襲われた。

 もちろん、頼久もその場にいたから、武士団の指揮をとり、賊を一掃した。

 頼久一人でも斬った賊は5人を数えた。

 部下が斬った者も含めれば二けたはくだらないだろう。

 ここのところでは珍しいほど大掛かりな敵襲で、それを退けた頼久は左大臣から直々にお褒めの言葉を賜り、ついでに休みも与えられた。

 すぐ家に帰り、二日の間はゆっくり休んでよいことになったのだ。

 部下達をとりまとめ、報告などの細かな仕事はこなしたものの、それでも頼久は夕刻にはあかねの屋敷に帰ってくることができた。

 何故帰りが早いのかをあかねに語ったところ、それなら疲れた頼久を休ませなくてはとあかねが酒を用意したのだった。

「お月様、綺麗ですねぇ。」

「はい。」

 答えて杯に口をつけながら、頼久の視線はあかねの横顔に釘づけだ。

 月、花、雪、美しいものを見つめている時のあかねはとても美しい。

 頼久にしてみれば、月などよりよほどあかねの方が美しく見える。

 けれど…

「頼久さん!また月じゃなくて私見てるじゃないですか…。」

 気づかれてしまうとあかねは赤い顔でうつむく。

 こうなるともう、頼久は苦笑して黙るしかない。

「申し訳ありません。」

「いえ…駄目ですね、私、頼久さんにちゃんとゆっくり休んでほしいのに…あ、私がいたんじゃうるさくないですか?邪魔なら…。」

 心配して半ば体を浮かすあかねを頼久はさっと抱き寄せた。

 ここでいなくなられてしまってはせっかく早く帰ってきたと言うのに時間が無駄になってしまう。

「邪魔だなどということは決して。」

「そ、そう、ですか?」

「はい。ですので、今しばらくこのまま。」

「はい…。」

 耳元で囁けば、あかねは赤い顔をしながらもしっかりひとつうなずいて、頼久の腕の中でおとなしくなった。

 頼久は微笑を浮かべて杯を空にした。

 するとあかねがすぐに次を満たしてくれる。

 そんな何気ない一時がこんなにも幸福かと頼久はあかねを抱く腕に力を込めた。

 思えば昼間は命のやり取りをしていたのだ。

 もちろん、普段から鍛えている頼久の腕にその辺の賊がかなうはずもなく、頼久はかすり傷一つなく帰ってきた。

 だから、賊に襲われたという話をしてもあかねも取り乱したりはしなかったのだ。

 だが、どんなことが原因で命を落とすかもしれない、それが武士というものだ。

 今日も頼久はかすり傷一つなかったが、まだ若い部下の中には傷を負った者もいた。

 深手ではなかったから命に関わることはないだろうが、味方の地が流れたことに変わりはない。

 それが自分でなかったのは日々の鍛練と運がよかったおかげだ。

 今頃、傷を負った部下は痛みと闘いながら傷が癒えるのをひたすら祈っているだろう。

 家族があったはずだから看病だけはしてもらえているはずだ。

 少なくとも、八葉になる前の頼久よりはましだと言えた。

 何しろ、八葉になる前の頼久には家族らしい家族がなかったのだから。

 もちろん父は健在だ。

 だが、父は父親というよりは源氏の棟梁。

 つまり、父親というよりも頼久にとっては上司としての存在の方が強い。

 成人してからの頼久は怪我を負えば、それがよほどな深手でない限り、自分で治療を施した。

 幼いころから生傷が絶えなかったから、簡単な治療なら朝飯前だ。

 戦闘の後、血を洗い流し、己の傷を己で手当てして一人で眠りにつく。

 それが八葉になるまでの頼久の常識だった。

 傷が痛もうが、傷のために熱が出ようが、よほどのことがない限り他人の手は借りなかった。

 否。

 借りることができなかったのだ。

 手を借りるほどに親しい人間、特に看病に手慣れている人間などそばにはいなかったから。

 八葉となってからはほんのちょっとした怪我でも主たるあかねが慌てて手当てをしてくれた。

 手当てを必要とはしていないほどの小さな傷でも、あかねは大げさに騒いでしっかりと手当てをしてくれた。

 そしてそのまま警護の任につけば、あかねは夜が更けきるまで傷の心配をしてくれたものだ。

 今でもそれは変わらない。

 怪我を負わなくても、今日のように戦闘があった日は必ずそばにいて頼久をねぎらうのがあかねの常だ。

 母を早くに亡くし、姉妹もなく、唯一自分に優しかった兄をも失った頼久にとってあかねとこうして過ごす時間はこれまでになく幸せな一時だった。

「頼久さん?」

 愛らしい声に名を呼ばれてハッと我に返れば、あかねが心配そうに頼久の顔を見上げていた。

 どうやら頼久は物思いにふけってしまっていたらしいと気付いて苦笑した。

「考え事ですか?」

「はい、申し訳ありません。」

「あ、謝ってもらうようなことじゃないんですけど…。」

「いえ、神子殿の傍らにて物思いなど、失礼致しました。」

「そんなの全然失礼じゃないんですけど…ただちょっと…頼久さんが寂しそうな顔をしてたから気になっちゃって…。」

「寂しそう、でしたか?」

「はい…。」

 心の底から心配そうな顔で見上げられて、頼久は苦笑を深くした。

 確かに、あかねと出会う前の自分は寂しかったのかもしれないと思い当たって、今は大切な妻を抱きしめる。

「頼久さん?」

「本日、左大臣様が襲われたということはお話したと思いますが…。」

「あ、はい。帰ってきてすぐに。でも、頼久さん、追っ払ったんですよね?」

「はい。私一人ではありません。武士団の仲間と共に追い払いました。その際、部下が数名、負傷しまして…。」

「えっ!大変!」

 何故か慌てて立ち上がろうとするあかねを抱きとめて、頼久は小首をかしげた。

 どうしてここであかねが慌てて立ち上がるのかがわからない。

「神子殿?」

「武士団の人が怪我をしたなら手当てしないと!」

「いえ…。」

「軽い怪我でも油断しちゃダメです!」

「そうではなく…。」

「頼久さん!離してください!手当てしにいかないと!」

「手当ては既に他の者が致しましたので。」

「へ…。」

 我に返ってキョトンとするあかねに頼久は微笑を浮かべた。

 この心優しい元龍神の神子は頼久のみならず、その仲間にも気配りを忘れないらしい。

「それに、せっかく神子殿と過ごせる時間を得ることのできた私を置いて行かれるのですか?」

 少しだけ悪戯っぽくそう言ってみれば、あかねの顔は一瞬にして真っ赤になって、その首がぶんぶんと横に振られた。

「ご、ごめんなさい、私、あわてちゃって…。」

「いえ、お気になさらず。」

 そう言ってあかねを抱き寄せれば、あかねはほっと小さく息を吐いて頼久の胸に寄り添った。

「あ、そうだ、頼久さん、何かお話しようとしてたんじゃ…。」

「はい、部下が負傷し、手当てを行ってすぐに家へ帰らせたのですが…。」

「傷、ひどかったんですか?」

「いえ、そうでもなく。家に戻れば家族がおりますから、手厚い看病を受けているでしょう。」

「よかったぁ。」

「そのことを思っていたのです。」

「さっきの考え事、ですか?」

「はい。私は八葉に任じられるまで、己の傷はたいてい己で手当てしておりました。」

「へ、そうなんですか?」

「はい、意識を失うほどの怪我でなければたいていは。手当ての後も一人で過ごすことが多かったのです。」

「そんなの…心細いじゃないですか…。」

「当時はそのようなことは思わなかったのですが、今こうして神子殿に怪我をせずともねぎらって頂くような生活をしていると、自分がいかに果報者かと思い知ります。」

「そ、そんなこと!全然普通のことです!前の頼久さんが凄すぎです。怪我しても自分で手当てして一人で治しちゃうなんて…。」

「凄いというほどのことでは…当時はそのような過ごし方しか知らなかったというだけのことです。母が早くに亡くなりましたし…。」

「頼久さん…。」

 心配そうに頼久を見上げるあかねの瞳は今にも泣きださんばかりだ。

 これは大切な妻にいらぬ心配をかけてしまったと頼久が慌てたその刹那、あかねの腕がすっと頼久の首に巻きついた。

 小さなあかねの体がふわりと頼久の方へすり寄せられて、次の瞬間、頼久はあかねに優しく首を掻き抱かれていた。

「神子、殿?」

 驚きながらも頼久は杯を傍らに置き、両腕でしっかりとあかねの小さな体を抱きとめた。

 自分とは違う少し高い体温が伝わって、その吐息が耳元にかかる。

 頼久はそれら全てを感じ取ろうとするかのようにゆっくりと目を閉じた。

「今は私がいますから。」

「はい…。」

「どんなに大怪我したって絶対私が手当てして看病して治してあげますから。」

「はい。」

「でも、なるべく、怪我はしないでください…。」

「…はい。」

 耳元で囁くように聞こえた声は大切な人の嬉しい言葉。

 頼久は目を閉じたまま、あかねを抱く腕に力を込めた。

 誰かに、いや、自分が大切でならない人に自分もまた大切にしてもらえるということはなんと幸福なことか。

 頼久は自分の胸に内に満たされていく幸福をじっとかみしめていた。

 が…

「あの…頼久さん。」

「はい。」

「その……そろそろ離してもらえませんか?」

 うっとりしていた頼久はどれほどの間あかねを抱きしめていたのか見当もつかなかった。

 ただ、申し訳なさそうなあかねの声が聞こえるまで、ほんの数瞬ではないことだけは確かだ。

 思えばあかねは膝立ちの体勢なわけで、おそらく楽な姿勢ではないだろう。

 頼久はそのことに思い至って慌ててあかねを解放した。

「も、申し訳ありませんでした。」

「そんな、謝らないでください。ただ、せっかくお休みなんだし、お酒もあるし、ゆっくりくつろいでほしいなって…。」

 そう言って赤い顔のままあかねは空になっている頼久の傍らの杯に酒を満たした。

「これからは頼久さんが嫌だって言ったって私はそばにいますから、安心してくださいね。」

 あかねに差し出された杯を受け取りながら、頼久は一つうなずいた。

「はい。」

 優しい妻とうまい酒。

 それに美しい月夜。

 これ以上に満たされた夜があるだろうか?

「あ、そうだ。」

「は?」

「頼久さんお休みもらったんですよね?」

「はい。」

「じゃあ、友雅さんと鷹通さん、永泉さんとイノリ君と泰明さんと、あ、藤姫も呼んで、みんなでご飯食べたりしましょう!」

「はぁ…ですが何故…。」

「頼久さんにはたくさんの仲間がついてるんだって覚えておいてもらわないと。」

「……。」

 張り切ったあかねはすぐに奥へと駆け込むとそこで手紙を書き始めた。

 これはさっそく、みんなを集めるための手紙をしたためているのだと気付いて頼久は苦笑した。

 あかね一人いてくれれば他には何もいらない頼久だ。

 けれど、そのあかねはというとそれだけでは納得がいかないらしい。

 それもこれも自分への気遣いだと思えば、頼久も二人きりがいいとは言い出せず、結局あかねはこの夜のうちにみんなに手紙を出してしまった。

 きっと明日の夜には無理にでも都合をつけて集まった八葉の面々と久々に酒を酌み交わすことになるのだろう。

 あかねと二人の時間を削られるのは惜しいが、仲間達と飲むのも確かに悪くはないかもしれない。

 自分の傍らに戻ってきて楽しそうに笑みを浮かべるあかねを見つめながら、頼久はそう考え直すのだった。








管理人のひとりごと

今の頼久さんにはあかねちゃんがいます!というお話。
普段の何気ない二人を書くつもりだったんですが…
けっこうなんか色々回想したりしてるなぁ(’’)(マテ
頼久さんはお母さんがいなかったしね。
きっと優しく自分をいたわってくれる女性ってあかねちゃんが最初で最後なんだろうと(w
まぁ、あかねちゃんなので最後は仲間みんなと一緒になっちゃうわけですが(’’)










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