縁側に座る頼久のすぐそばには食べやすく切りそろえられたスイカがある。
上を見上げれば綺麗に晴れ渡った夏の夜空が広がっていて、その下に広がる庭は頼久の背後から漏れる部屋の灯りに照らされて幻想的だ。
にもかかわらず、頼久が庭も夜空も眺めていないのは、その視線がキッチンでいそいそと働いているあかねの姿をとらえていたからだった。
笑顔を絶やさずに働き続けるあかねの姿をうっすらと笑みを浮かべながら見つめる頼久はふと想いを馳せた。
こんなふうにあかねを見つめるようになったのはいつからだったろうか?と。
小さな麗しのその姿を探すのはもう習慣になってしまっていて、いつからだったかと初めを思い出すのは容易ではなかった。
あかねを愛しく想う己の気持ちに気付いてからはもちろんのこと、それ以前からずっとあかねをこうして見つめていたような気がする。
そうだ、最初にあかねの姿を目で追っていたのは、あの京で八葉に任命され、あかねを守るという任務についた時だった。
その尊い身を守るために目で追い始めたのが最初だった。
それがいつからか、愛しさから自然と目で追うようになったのだ。
「お待たせしました。」
あかねは手に盆を持って頼久の方へとやってくると、その盆を自分と頼久の間に置いて縁側に座った。
盆の上に用意されているのは日本酒の杯と徳利だ。
「頼久さん?どうかしたんですか?」
「いえ、私があかねの姿を見つめるようになったのはいつからだったかと思い出しておりました。」
「えっと……たぶんそれって私の警護をしてくれるようになった頃から、ですよね。頼久さん、ずっと私の警護してくれてましたし…そう考えると長いですね。」
「ただ見ているという意味では確かに。」
「ただ見ている、ですか?」
あかねはきょとんとした顔で頼久の表情をうかがった。
頼久はといえば楽しそうに笑みを浮かべている。
「はい、愛しい人をこの目でいつも探しているようになったのはそれより少々後のことになりますので。」
特別なことではないというようにさらりと頼久がそう言えば、一瞬の間を置いてあかねの顔が真っ赤に染まった。
「あかね?」
「それは……その……私も同じです…。」
「同じ、ですか?」
「はい。私もその…頼久さんのことを好きになってからは、理由もないのにすぐ頼久さんを探しちゃってましたから。」
思いがけないあかねの告白に今度は頼久が驚きで目を見開いた。
そんなふうに自分の姿を目で追ってくれていたのかと思えば、身の底から喜びが湧き上がる。
「そ、そういう話は恥ずかしいですから!もうやめてください!それより、せっかく用意したんですから、頼久さんは飲んで下さい!」
いつもより大きな声でそう宣言したあかねは、頼久の大きな手に杯を押し付けた。
真っ赤な顔でそんなことをされて頼久が嬉しくないわけがない。
笑顔で杯を押し付けられた頼久は、その盃にあかねが酒を注いでくれるのを黙って受けた。
「こんなに早い時間から酒というのも贅沢な話ですが…。」
酒が満たされた杯から目を転じれば、暗くなったとはいえ夜を迎えて間もない庭が見える。
床につくにはまだ早いが、陽が落ちて穏やかな一時だ。
「たまにはいいじゃないですか。頼久さんはたくさん飲んでもあまり酔わないし。今日は昼間が騒がしかったから少しゆっくりしましょう。」
そう言ってあかねに微笑まれて、頼久はゆっくりと杯に口をつけた。
あかねの言う通り、昼間は天真、蘭、詩紋がやってきての素麺パーティだったのだ。
この3人がやってくると何かと騒がしくなるのが常で、今日も3人が帰宅するまでそれは賑やかだった。
友人達が帰ってしまえば二人きりの住まいはすっかり静かで穏やかになる。
夏の夜のそんな一時を今度は二人で楽しもうというのはあかねの提案だった。
「花火でも買って参りましょうか。」
「へ?花火ですか?」
「酒にスイカ、夜風の心地良い庭とくればあとは花火でもあれば夏の夜としては完璧なのではないかと。」
「ああ、確かに。」
スイカを手にして庭を眺めながらあかねは少し考え込んだようだった。
これはあかねを楽しませるために花火を買いに走るべきかと頼久が考え始めると、あかねはクスッと笑ってサクッとスイカを口にした。
「あかね?」
「確かに花火は夏の風物詩っていう感じですけど、そういうのはやっぱり天真君達がいる時の方がいいかなって。」
「……なるほど。」
「せっかく二人きりですし……その…そういう子供っぽいのはまた今度で。」
ほんのり頬を赤くしてそう言って、あかねは黙々とスイカを食べ始めた。
どやら照れているらしいと気付けば頼久の口元には自然と笑みが灯る。
一息に杯を空にすれば、慌てておしぼりで手を拭いたあかねが次の酒を杯へと注いだ。
「そうだ、頼久さんは京での夏ってどんな感じで過ごしてたんですか?」
「京での夏、ですか…。」
「はい、京にはエアコンとかなかったし、冷たい食べ物とか凄く貴重だったし、きっと過ごし方が全然違ったんですよね。」
「それは確かに……。」
言われて改めて思い出そうと試みて、そして頼久は溜め息をついた。
すると、頼久の様子が変わったことに気付いたあかねがすぐに心配そうに頼久の顔を覗き込んできた。
心配そうなその愛らしい顔を目にして苦笑して、頼久は手にしていた杯の中身を口にする。
「えっと、もしかして思い出したくないようなこと、思い出させちゃいました?」
「いえ、そのようなことは決して。」
「でも……。」
「つくづく、私は朴念仁だと再確認しただけのことです。」
「朴念仁、ですか?」
「はい、京の夏といえばこれだというものを御紹介したかったのですが…。」
「何もみつからなかったんですか?」
「はい。何しろ私は幼い頃から剣の修行ばかりしておりましたので。」
「ああ!なるほど!」
「物心つくかつかないかの頃は外で遊びもしましたが、それはこちらの子供と大差ないでしょう。」
「確かにそうですね。」
「あとは剣の修行と武士としての任務をこなすことに明け暮れておりましたので。」
自分はなんとつまらない男かと頼久が己に呆れている間に、何故かあかねは幸せそうな笑みを浮かべた。
あかねもひどくしらけただろうと思っていただけに頼久は目を丸くしてあかねの笑顔を凝視してしまった。
「あかね?」
「今の話を聞いてたら、やっぱり頼久さんと一緒にこっちの世界へ戻ってこられてよかったなってしみじみ思っちゃいました。」
「はぁ…。」
「だって、子供の頃から剣の修行ばかりしなくちゃいけなくて、大人になってからはその剣で戦うことが当たり前で……。」
朴念仁を自称したばかりの頼久にもさすがにここまでくればあかねが何を考えているのかある程度の察しはついた。
頼久が知るどの女性よりも心優しいあかねだからこそ、きっと平和なこの世界での暮らしに安堵しているのだろう。
そんなふうに己の身が安らかであることを喜んでもらえているのだと思えば、頼久の顔にもあかねと同様の幸福な笑みが自然と浮かんだ。
「京では頼久さんが剣を手にして戦うのって凄く大事なことだっていうのはわかってるんですけど…でもやっぱり……。」
そこから先を言い淀んだあかねの小さな手を頼久はそっと優しく握った。
本当はその小さな体を力いっぱい抱きしめたいほど愛おしいのだが、あいにくと今は二人の間に酒器とスイカが鎮座している。
あかねの心遣いであるそれらを退けることなどできなくて、頼久はあかねの小さな手を優しく優しく握りしめた。
「そのようにこの身を案じて頂けるとは、私は果報者です。」
「京では女子失格なのかもしれないですけど。」
そう言って苦笑しながらもあかねは頼久の手をそっと握り返した。
頼久は酒よりも己の知る最高の優しさと最上の労わりと最深の愛情を感じる温もりに酔い痴れながら、ふわりと脳裏をよぎった京の風景に微笑を浮かべた。
「一つだけ、京での夏の風物詩を思い出しました。」
「剣の修行以外でですか?」
「はい。京にはエアコンがありませんので、夏は皆、薄絹など着ておりました。」
「それは知ってます!私も藤姫に勧められたことがありました!でも、あんなスケスケの服なんて絶対着られません!」
頼久の大きな手をぎゅうぎゅうと握りしめながらあかねは力説した。
もちろん、頼久もこの話を知らないわけではない。
「頼久さん!私が薄絹着られないの知ってて言ってますね!」
「私にとってはこちらの世界の水着の方がよほど衝撃でしたが。」
ニコニコと微笑んだまま頼久がそう言えば、あかねは「うっ」と小さな声をあげて口を閉ざした。
「京の女性は人前にはめったに姿を見せませんので薄絹でも問題はありませんが、水着というものは……。」
「そ、そうですよね……。」
言われてみれば確かにそうだ。
水着は透けこそしないが、見た目が下着そのものだと言えなくもない。
そう気付いてしまえばもうあかねに反論の余地はなくて…
黙り込んだあかねの様子を見て取った頼久はあかねの手を両手で包み込むように優しく握り直した。
「こちらの世界でも京でもどちらでも、どの季節でも、私はあかねの側にいられさえすれば、それだけで十分です。」
いつもよりも少しだけ低い、そして少しだけ小さな声で囁くように放たれた頼久の言葉に一瞬目を丸くしたあかねはすぐに微笑を浮かべた。
「私もです。」
やはりいつもより落ち着いた声で放たれたこの返事に頼久の顔に浮かんだ笑みはより一層深くなった。
そして…
あかねはとうとうもどかしそうに頼久の大きな手の中から自分の手を抜き出すと、二人の間に並んでいた酒器とスイカを移動させて頼久の隣へとその小さな体を移してしまった。
頼久はといえば、自分から寄ってきてくれたあかねが愛しくて愛しくて…
先程まであかねの小さな手を包んでいたその大きな手がすぐに今度は細い肩を抱き寄せるのを夏の夜空に輝く月だけが見守っていた。