
あかねはニコニコと微笑みながら湯飲みを手に庭の桜を眺めていた。
桜の木は今がちょうど散り際で、風もないのにひらひらと絶えることなく花びらが舞い落ちている。
さっきまで晴天だと思っていた青空はいつの間にか夕焼けに染まり始めていて、徐々に紅を含もうという陽の光に照らされる桜はまた昼間の桜とは違う趣だった。
もちろん、あかねが今座っているのは頼久の家の縁側だ。
そこは毎年のように桜を愛でるためのあかねの特等席となっていて、今年も隣には幸せそうな笑みを浮かべて静かにたたずむ頼久の姿がある。
桜が咲いていてもいなくても毎日のようにこの家を訪れているあかねだが、今日はといえば朝早くから一日中、こうして二人で縁側に座っていた。
朝食を一緒にとって、花を眺め、昼食を一緒に作って食べては花を眺め、といった感じだ。
そして現在は夕飯に何を作るか考えながら二人並んで静かに花を眺めている、といったところだった。
会話らしい会話は午前中に終了してしまっていて、それからはただ黙って、時々微笑を交わしながら二人並んで座っているだけ。
それでもあかねには十分すぎるほど幸せな時間だった。
隣に座っている恋人を見れば、その顔にはこの上なく幸せそうな笑みが浮かんでいるから、あかねは恋人も同じように幸せな気持ちでいてくれるのだとすぐに感じることができた。
「うわー。」
穏やかな花見の場に場違いな声が響いて、あかねと頼久は自然と声の方へ視線を向けた。
するとそこには庭を囲っている垣根の上に見慣れた顔が一つ。
あきれたとはっきり書いてあるその顔は二人が良く知る友のものだった。
「あれ、今日、約束があったんですか?」
「あるわけねーだろ、お前と花見の予定があんのに。」
あかねの質問に答えたのは天真だった。
当然のことのように頼久はあかねに一つうなずいて見せて、それから、自分達の前へやってきた天真に剣呑な視線を向けた。
「それにしても、お前ら……。」
「なに?何かおかしい?」
「いや、もういいわ……。」
「へ?」
がっくりと力なくうなだれる天真にあかねは目を丸くしているが、頼久はというと渋い顔で眉間にシワを寄せていた。
どうやら、あかねにはわからない天真の心の中が真の友にはわかるらしい。
「天真、何か用があって来たのではないのか?」
「用?んなもんねーよ。久々にお前と一杯やろうかと思っただけで。」
「天真君、そうやっていっつも夜になると頼久さんの所に入り浸ってるの?」
さっきまできょとんとしていた表情はどこへやら、そんなこととんでもないと説教を始めそうなあかねに天真は苦笑した。
元から気の強いところは確かにあったが、それでも頼りないというか目を離せないような危なげな幼さのあったあかねが、今となってはすっかり姐さんと呼びたくなるような存在になっている。
これは年上の男と付き合っているせいなのか、それとも、その年上の男が意外と女の尻に敷かれるタイプだからなのか…
天真がそんなことを想っている間にあかねがじりっと天真の方へにじり寄ってきた。
とことん突きつめて吐かせてやる!というあかねの気合いを天真が感じ取って言い訳をしようとしたその時、あかねの隣で頼久が小さく溜め息をついた。
「いつもというわけではありません。皆無とも言いませんが。」
「それはじゃぁ……たまに、っていうことですか?」
「はい。」
「まあ、たまにならいいけど…。」
あかねはギロリと天真を睨んで、それからあきれたようなあきらめたようなため息をついて立ち上がった。
「今、お茶いれてくるから、今日はお茶で我慢してね。」
「おう、サンキュ。」
キッチンへ向かうあかねを見送って、天真は頼久の隣に腰を下ろした。
もちろん、今まであかねがいたのとは反対の隣だ。
そんな天真に鋭い視線を投げつつも、頼久は手にしていた茶をすすっただけで天真を追い返そうとはしなかった。
「お前さ。」
「なんだ?」
「婚約中から縁側で二人で茶すすってのほほんと花見ってのはどうだ?」
「問題か?」
「婚約中ってこう、もっとなんつーか、ほかほかなんじゃねーの?」
「ほかほか?」
頼久の眉間にシワが寄った。
一瞬何を言われたのかわからなかったが、あきれたような天真の顔を見ればすぐにその言葉の意味に思い当たったからだ。
「このままだとお前、結婚してからもすっげーかかぁ殿下って家庭になるぞ。まぁ、お前のことだから今すぐ押し倒せとは言わねーけど、少しはわがまま言っておけよ。」
「わがままは………聞いて頂いている。」
「あ゛?」
天真が自分でも驚くほどおかしな声を出してしまったのは頼久が天真の予想だにしない言葉を口にしたからだ。
あの、神子殿第一、神子殿は女神、神子殿のお言いつけには絶対服従の男がわがまま?
天真は天変地異でも見たかのような顔で隣で不機嫌そうにしている友の顔を覗き込んだ。
「お前が、いったいどんなわがまま言ったんだよ。」
「神子殿はここのところよく友人とお出かけになるのだが、毎回必ず、誰とどこへ行くかを報告して頂いている。」
「いや、まあ、それくらいは普通だろ。」
その程度の事かと天真が何故か安堵の苦笑を浮かべると、頼久はギュッと湯飲みを握りしめて「それだけではない」と先を続けた。
「門限を守って頂いている…。」
「門限だ?何時だよ。」
「午後6時だ。」
「……。」
ありえない。
大学生の門限が6時はありえない。
天真は思わず心の中でつぶやいていた。
確かにそれはわがままと言えるかもしれない。
「……6時って……。」
「冬は6時だともう暗くなってることがあって危ないから。それに、もっと遅くなる時はちゃんと連絡して、頼久さんが迎えに来てくれるの。はい、お茶。」
折よく戻ってきたあかねから湯飲みを受け取りながら天真は深いため息をついた。
確かに頼久が珍しく非常識なほどのわがままを通しているらしいと思ったのもつかの間、どうやらわがままを言われた相手の方はそれをたいしたわがままだとは受け取っていないらしい。
「お前も苦労するな、あかね。」
「苦労なんかしてないよ。頼久さんは私のことを心配して言ってくれてるんだから。」
「それだけではありませんが……。」
明らかにそれだけじゃないだろう。
天真はまた心の中でつぶやいた。
もちろん口には出さない。
口に出したが最後、この二人にどんな攻撃を浴びせられるかわかったものではないからだ。
「その……そっちの理由も嬉しいというか……。」
あかねは天真とは反対側の頼久の隣に座って自分の湯飲みを手に取って、顔を赤くしてもじもじし始めた。
これはもう自分が平然と間に入って茶化していられる状態ではないと悟った天真は、湯飲みの中身を一気に飲み干すと、カタリと空になった湯飲みを傍らに置いて立ち上がった。
「天真君?」
「婚約したての連中の間に入っていられるほど俺は強靭な精神持ってねーわ。」
「いつも一緒にいるじゃない。」
「いちゃついてるところにはいられねーって話だよ。」
「いちゃついてなんかっ………。」
いないと否定しようとしてあかねは途中でやめた。
今までの流れを考えてみると確かにいちゃついているように見えなくもないと気付いたから。
「ま、邪魔した俺が悪いし。今日のところは帰るわ。頼久もお前の尻に敷かれっぱなしじゃないってわかったしな。」
「尻になんて敷きません!」
「はいはい。」
天真は軽く片手を上げて二人にひらひら振って見せると、そのまま庭から出て行った。
どこか楽しそうなその背中を見送って、あかねは小さく息を吐いた。
天真が来ると賑やかでとても楽しい。
けれど、それはそれで疲れることもあるわけで、今となっては頼久と二人きりでいる時の方がずっとくつろいでいられた。
京で初めて出会った頃からは考えられないようなことだけれど…。
「神子殿。」
「はい?」
「その……やはり、外出時の報告や門限は……。」
「全然わがままじゃないですよ?」
歯切れの悪い物言いであかねには頼久が何を言おうとしているのかすぐにわかった。
友達と出かける時には必ず連絡すること、暗くなると心配だから門限は6時、そう決めた時も頼久は決して乗り気だったわけじゃない。
あかねがそうした方がいいでしょう?と詰め寄ってやっと決まった二人の間の決まり事だった。
だから、あかねには頼久が今どんな思いでいるのかが良くわかる。
愛しい人を自分だけのものにしておきたい気持ちと、自由に天真爛漫でいてほしい気持ち、その二つがたぶん今、頼久の中ではごちゃごちゃになって渦を巻いている。
だから、あかねはわざとつとめて明るい声を出すことにした。
「私、天真君が言うみたいに頼久さんを尻に敷いたりするつもりは全然ないんですけど、でも、もし頼久さんさえよかったら、わがままを一つ、聞いてもらえますか?」
「はい!なんなりと!」
一気に表情を明るくした頼久は、湯飲みの中身を波立たせてあかねににじり寄った。
こういうところは全く変わっていない頼久だ。
もちろん、あかねもそれが嫌なわけではない。
だから、目を輝かせて待っている頼久にあかねは優しく微笑を浮かべながら「わがまま」を口にした。
「できれば家の中でもあかねって呼んでもらいたいなって。」
「は、はぁ……。」
「外では呼んでくれてるわけですから、家の中は練習次第だと思うんです。」
「それは、確かに…。」
さすがに人前で神子殿などと呼んだ日には、間違いなく変人を発見したという視線が集中することは間違いない。
だから、頼久も外では、特に人前ではあかねのことを名前で呼ぶように細心の注意を払っている。
が、家の中となると話は別だ。
頼久の中では愛しい女性というのはもちろんだが、あかねが今でも敬愛するべき神子という存在だという感覚がなくなったわけではない。
あかねもそれを承知していればこそ、今までその呼び方にこだわったりはしなかった。
けれど、現状は頼久がこちらの世界へ来たばかりの頃とはずいぶん変わってきている。
つまり、二人は婚約者になっているわけで、それは近いうちに二人が結婚するという状態にあるということでもある。
結婚してからも神子殿と呼ばれ続けるのはさすがにどうだろう?とあかねが考えたのも無理はない話で…
そこまで考えて頼久はごくりと生唾を飲み込むと、きりりとその視線をあかねへとまっすぐに向けた。
「善処します。」
「よろしくお願いします。」
頼久の真剣な答えにあかねは嬉しそうに微笑みながら桜へと視線を移した。
天真が来てすっかり雰囲気が変わってしまったけれど、さっきまでは二人並んで静かな花見だったのだ。
その花見を再開しようとあかねが一息ついたその時、あかねの耳に思わぬ声が響いた。
「あかね。」
「……はいっ!」
耳の奥を優しく撫でるような低い声で名を呼ばれて、あかねは慌てて大声で返事をするとあっという間に顔を真っ赤に染め上げた。
その様子を見て頼久が困ったような苦笑を浮かべる。
「えっと……その……な、慣れるまでちょっとかかりそうです……。」
「お気に召しませんか?」
「そうじゃないです!そうじゃなくて…なんというか、嬉し恥ずかしという感じで……。」
そう言っている最中も首まで赤くなるあかねを眺めて、頼久は口元に微笑を浮かべた。
その表情からどうやらいやがっているわけではないとわかったから。
「じゃなくて!何か言おうとしてましたよね?」
「はい、今日は送らせて頂きますので、夜桜も共に愛でて頂けまいかと…。」
「はい!晩御飯作りますね!」
「よろしくお願い致します。」
「何にしようかなぁ。」
あかねは楽しそうににこにこと微笑みながら夕飯の献立を考え始めた。
せっかくのお花見だからお稲荷さんとか五目寿司なんかもいいかもしれない。
でもそれを作るには買い物に出なくちゃいけなくて、せっかく夜桜を楽しむなら冷蔵庫にあるもので何か簡単に済ませて、思い切り桜を眺めて暮らす方がいいような気もする。
そんなことを考えながらあかねがウキウキしていると、今度は頼久がすぐ近くに座り直す気配を感じて視線を隣へと移した。
すぐ間近にあったのは愛しい人の綺麗な顔。
急に近づいた距離にあかねがドキリと大きく跳ねる鼓動を感じるその間に、あかねの耳には再びあの声が響いた。
「あかね。」
「は、はい!?」
何度聞いてもその声は耳にとても心地よくて、けれどどこか恥ずかしくて…
まだどうしてもあかねの返事はうわずってしまう。
自分の返事がおかしなことになっていることに気づいてはいても、あかねにはどうすることもできない。
あかねが自分の返事に気をとられている間に、頼久はそっとあかねを抱き寄せると唇を耳元へと寄せた。
「夕飯は簡単なものでかまいませんので、今はしばらくこのまま。」
「…はい……。」
耳元で囁かれるその声はあかねの心にまで響いて、あかねはそのまま頼久の腕の中で目を閉じた。
さっきまでうかれながら考えていた夕飯のことなんて一瞬で吹っ飛んでしまって、あかねはただ自分が今いる場所の心地よさにうっとりするばかりだった。
そして頼久は、あかねのそんな様子に気付いて幸せそうに微笑むと、あかねを更に抱きしめたまま桜を見上げた。
桜が咲くとあかねがこうして花見に来てくれる。
だから、庭の桜は頼久にとってあかねを虜にするための道具の一つと言ってもいい。
けれど、桜は季節が過ぎると散ってしまう季節限定の道具でもある。
ところが、あかねの名は頼久がそっと囁くように口に出すだけであかねを虜にする作用があるようで…
あかねには家にいる時も常に名で呼べるようにしてほしいと言われはしたが、ここぞという時のために今しばらくはとっておいてもいいかもしれない。
そんなことさえ思ってしまう自分に頼久は苦笑するしかなかった。
管理人のひとりごと
だってね、あのお声はもう武器でしょう!という管理人の心の叫びを具現化してみました(’’)
はい、頼久さん、新しい武器をゲットしましたね!(マテ
先日、某ゲームをやっていて、やっぱり三木さんいい声だなぁと感心してしまったのでこんなお話に…
良かったよ!エロハルトもとい、エルハルト隊長!
というわけで、全編管理人の個人的事情により、桜って言うか、声の話になりました(’’;
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