ないはずの物
 外を見れば驚くほどの雪。

 公共交通機関がほぼ麻痺していること間違いなし。

 そうなると、タクシーだって容易につかまらないことは明白で…

「はぁ。」

 あかねは窓から外を眺めて溜め息をついた。

 これはもう、けっこうな距離ではあるけれど、徒歩での帰宅を覚悟した方がいいかもしれない。

 今日は帰ってすぐ頼久さんのところへ行く予定だったのに…

 あかねがそんなことを思っているうちに講義が終わった学生達は次々に席を立ち始めていた。

「あかね、どした?溜め息なんかついて。」

 声をかけてきたのは天真だった。

 たまたまあかねと同じ講義をとっていた天真は、脳裏に元は八葉の相棒だった男の姿を浮かべながらあかねに声をかけていた。

 大学内にまで頼久が入ってくることは簡単にはできない、だから、天真はこれでも頼久の変わりにあかねに気を使っているのだ。

「あ、うん、雪がひどいなぁと思って。」

「ああ、確かにな。でもお前は別に溜め息つく必要ねーだろ。頼久呼び出せばいいだけのことだし。」

「そ、そんなことしないよ!」

 あかねは慌てて思わず大きな声を出してしまった。

 一瞬、帰ろうとしていた学生達の視線があかねに集中する。

 顔を赤くしたあかねに天真は呆れたような溜め息をついた。

「お前さ、今日、頼久と会う約束してなかったか?」

「うん、してるけど、でもこの雪じゃたぶん歩いて帰らないといけないし…あ、天真君…。」

「バイクで来てるけどな、後ろには乗せねーぞ。」

「え、ダメ?」

 意外な答えにあかねは目を丸くした。

 天真はいつだってあかねには優しい。

 困っている時はいつだって助けてくれる。

 だから今回もきっとバイクの後ろに乗せてくれると思ったのに…

「あのな、バイクの二人乗りってどういう状態になるのか考えてみろよ。」

「……?」

「後ろにお前を乗せると、後ろから俺の腰に抱きつくことになるだろう?」

「うん。」

「うん、じゃねーの。そんなことしたってあいつに知られたら俺は殺される。」

「あいつって?頼久さん?」

「当然。」

「天真君相手に頼久さんはそんなに怒ったりしないよ。」

「する!間違いなくする!」

「天真君と蘭は頼久さんのことちょっと勘違いしてると思うんだけど…。」

 あかねが苦笑するのを脱力しそうになりながら見つめて、天真は軽く深呼吸した。

「その話はもういいわ。とにかく、俺はお前を乗せては走らないからな。」

「うん、雪道だと危ないしね。歩いて帰るから心配しないで。」

「いや……。」

 今度こそ本当に天真は脱力した。

 どうしてここで恋人で婚約者でもある男に迎えに来てもらうという選択肢が出てこないのか?

 そう考えて、だからこそあかねだという結論にたどり着いて、天真は更に脱力した。

 たとえ相手が恋人であろうと、くだらないことで頼ったりはしない。

 あかねがそういう女性だからこそ頼久も天真も、いや、八葉のみんなが惹かれたのだったと思い出す。

「あのな、あかね。」

「なに?」

「ここは頼久呼んどけ。」

「そんな迷惑かけられないよ。」

「いや、そもそもな、迷惑じゃねーから。」

「でも頼久さん、仕事してるし…。」

「仕事してようがしてまいが、雨が降ってようが雪が降ってようが、たとえば降ってなくてもな、頼久は呼ばれたいんだって。」

「まさか。」

「まさかじゃなくてな…。」

「だって頼久さんは大人で、ちゃんとお仕事してるし、忙しいところ邪魔するのは…。」

 ここまで言ってもまだダメかと天真はポリポリと頭をかいた。

 頼久にしてみれば徒歩で帰宅したために時間がなくなってあかねに会えなくなることの方が、それこそどれほど「迷惑」なことか。

 あかねに対して「迷惑」だなどとは思わない男なだけに、どれほど今日の雪を呪って過ごすことになるか天真には手に取るようにわかった。

「あのな、あかね、男ってのは惚れた女には頼ってもらいたいもんだぜ?」

「へ…。」

「そりゃ、あかねのその、なんでもなるべく自分でやろうって姿勢はいいとは思うけどな、男としては全然頼ってもらえないってのも悲しいんだ、これが。」

「そ、そういうもの?」

「ああ、特に頼久はそれこそお前より遙か年上の大人の男だろ?まだ学生の恋人に頼ってもらえないってのはかなり男としてはこたえると思うぜ?」

「……。」

 お、これは反応があった、と、天真は安堵の溜め息をついた。

 このまま押し切ればあかねを徒歩で帰らせるなどということはせずにすみそうだ。

「それにだ、雪のせいでお前が徒歩で家に帰ると間違いなく時間がなくなって頼久のところには行けなくなるだろ?そんなことになるくらいなら、仕事中断してでもお前を迎えに来て一緒に過ごす時間を作りたいって思うんじゃねーの?あいつなら。」

「そう、かも…。」

 いつだってなるべく側にいて、そして気遣いを見せてくれる恋人の姿があかねの脳裏に浮かんだ。

 こっちの世界では友人らしい友人は天真しかいなくて、親族なんて一人もいないその人はきっとあかねに会える時を心待ちにしてくれているはず。

 そう思うといても立ってもいられなくて、あかねは携帯を取り出した。

「おう、メールで呼び出してやれ。喜んで尻尾振って迎えに来るぜ。」

「尻尾なんてないから。」

 そう言って苦笑しながらもあかねは携帯を操作し始めた。

 最初は手間をかけさせてしまって申し訳ないという謝罪の文章から。

 そして本題へ…。

 簡単な文章を打ち込んで送信すること数十秒。

 あっという間にあかねは頼久からの返信を受け取った。

「来るって言ってるだろ?」

 どうやらすぐに返事が来ると予想していたらしい天真に、あかねは嬉しそうにうなずいた。

 あかねが天真に見せた携帯の画面には『すぐに参ります。』とだけ書かれていた。

 とるものもとりあえず、車に飛び乗った友の姿が脳裏に浮かんで、天真は苦笑しながらあかねに手を振った。

「じゃ、俺はお役ごめんだな。蘭が今日は友達と食事に行くから一緒に帰れないって伝えてくれって言うから伝えに来ただけだし、俺はバイクで先に帰るわ。」

「あ、うん、わざわざ有り難う。」

 颯爽と去って行く天真の背中を見送ってあかねは帰り支度を始めた。

 もうすぐ大好きな人に会うことができる。

 そう思っただけであかねの顔には自然と笑みが浮かんだ。







「み……あかね、お待たせしました。」

 その声は明らかに浮かれていた。

 聞いた瞬間にそのことに気付くことができるのはあかねくらいのものだけれど、あかねにはすぐにわかった。

 楽しそうに浮かれている声、そして軽く駆け足でやってくるその姿。

 雪が融けて少し濡れている髪もなんだか色っぽいのに、あかねの目には何故か駆け寄ってくる頼久の姿がかわいらしいものに映ってしまった。

「そんなに待ってないです。わざわざ来てもらってすみません、有り難うございます。」

 律儀にあかねがぺこりと頭を下げると、頼久は微笑を浮かべたまま首を横に振った。

「これくらいのことはなんでもありません。さあ、参りましょう。」

 さりげなくあかねの手から傘を取り上げるとその傘を素早く広げてあかねの方へ差し掛ける。

 そんな気遣いも自然にできる頼久は、あかねの手から荷物も取り上げてゆっくり歩き出した。

 同じ学生だろう何人かの女性がうらやましそうにあかねを見つめるのはいつものことで、二人はそんな視線にはかまわずに歩き出した。

 そっとあかねが頼久の横顔をのぞいてみれば、それこそ幸せ一杯の笑みが浮かんでいて…

 足取りはいつもよりかなり軽やかだ。

「頼久さん、何かいいことありました?」

「はい、こうしてあかねをお迎えに上がることができました。」

 どれほど嬉しいのか頼久は、あかねに満面の笑みを見せた。

 全身から喜びと楽しさとがあふれ出ているような姿を見てあかねは思わず、天真の言葉を思い出していた。

『尻尾振って迎えに来るぜ。』

 天真の声が耳の奥に蘇って……

 あかねの目にはなんだか頼久の後ろでパタパタと振られる尻尾が見えたような気がして…

 思わずあかねが軽く首を横に振ると、あっという間に頼久が心配そうにあかねを覗き込んでいた。

「どうかなさいましたか?」

「なんでもないです。さっきまでちょっと天真君と話してたことが気になっただけで…。」

「天真が一緒だったのですか?」

「あ、はい、頼久さんからメールをもらうまで。本当は天真君にバイクで送ってもらおうかと思ったんですけど…。」

「それは……。」

「天真君にダメだって断られちゃって。」

「そうでしたか。」

 どこかほっとしたような頼久にあかねは苦笑した。

 天真が言っていたようなことはないとは思うのだけれど、確認してみたい気持ちもあって…

「やっぱりバイクでっていうのはダメですか?」

「天真の腕前は承知しているつもりですが、この雪ではやはり危険かと。」

「そうですよね。」

「……晴れている日でもバイクに二人乗りはあまり……想像して心地のいいものではありません。」

「はい?」

「天真の後ろに乗るくらいでしたら、本日のようにこの頼久をお呼び頂いた方が。」

 真剣な顔でそう言われて、あかねは思わずうなずいていた。

 これは、天真の判断が正解だったのだろうか?と心の中で確認しながら。

「わかりました。でも、頼久さん、迷惑じゃないですか?」

「迷惑だなどと。とんでもありません。」

「でも、お仕事の邪魔かなって…。」

 あかねがそう言い淀めば、頼久がはたと足を止めてまっすぐあかねを見つめた。

「頼久さん?」

「神子殿のことを邪魔だと思うことなどありえません。いつなりともお呼び出し下さい。」

 真摯な瞳、そして力強い声。

 外出中だと言うのに力が入って思わずこぼれた『神子殿』。

 あかねは頼久の本気を感じて深く一つうなずいた。

「有り難うございます。これからは頼久さんに連絡しますね。」

「はい。」

 あかねの言葉にやっと安心して頼久は歩みを再開した。

 隣を歩きながらあかねは、こんなに嬉しそうに返事をしてくれるのかと頼久の横顔を盗み見る。

 そしてやっぱり思い出すのは天真の言葉だった。

『男としては全然頼ってもらえないってのも悲しいんだ』

 本当にそうなのだろうか?

 天真の言うことが本当なのかどうしても気になって、あかねは思い切って口を開いた。

「頼久さん。」

「はい、何か?」

「さっき天真君が言ってたんですけど、私が頼久さんに頼らずに頑張るのって頼久さんにとっては寂しいというか悲しいというか、そういうものなんですか?」

 愛らしい瞳で覗き込まれて、一瞬見惚れて…

 頼久ははっと我に返ると苦笑を浮かべた。

「天真がそのようなことを。」

「はい。本当なのかなって……だって、頼久さんは天真君よりずっと大人だし、私が頼る頼らないなんてことそんなに気にしてないんじゃないかなって思ったんですけど…。」

「天真は真の友ですので。」

「はい?」

「私のことをよくわかっているようです。」

 それは天真の言うとおり、あかねに頼ってもらえないのは悲しいという答えそのもの。

 聞いてしまうとなんだか恥ずかしくて、あかねは一瞬驚きで目を大きく見開いてから、真っ赤に染まった顔を隠すようにうつむいた。

「神子殿がおっしゃるとおり私は神子殿よりは遙かに年長ですので、頼って頂きたいと思うことはあります。正直なところを申し上げれば、四六時中頼って頂きたいくらいです。」

「し、四六時中ってそんな…。」

「無理なことは承知しております。神子殿はそのようなことをよしとはなさらないお人柄ですし、私はそのような神子殿をこそ愛しいと思っております。ですから、四六時中とは申しません、何かお困りの時くらいは頼って頂ければ。」

「頼久さん。」

 優しく穏やかな声にあかねが思わず微笑むと、頼久が歩みを止めた。

 目の前には見慣れた頼久の愛車がある。

「まずは、ご自宅まで送らせて頂けますか?」

「あ、それはその……自宅じゃなくて、頼久さんのところにお邪魔してもいいですか?」

「もちろんです。」

 あかねの一言に嬉しそうに微笑んで、頼久は助手席のドアを開けた。

 うながされてあかねが車に乗り込めば、後部座席に丁寧にあかねのカバンを置いて、すぐに頼久も運転席へとその身を沈めた。

 あとはもう頼久の丁寧な運転で頼久の家への道を急ぐだけ。

 寒さを感じなくてすむ車の中で、あかねはニコニコと微笑みながら隣の恋人の横顔をじっくりと眺めた。

 正面から見つめ合うのは恥ずかしいけれど、車の助手席は恋人の綺麗な横顔をじっくり見るのには最適だ。

 今見つめているその横顔には幸せそうな笑みが浮かんでいて…

 あかねはまた頼久の後ろにパタパタと揺れる尻尾と頭にはぴピクピクと動く犬の耳が見えた気がして慌てて首を横に振った。

「神子殿?」

「天真君が変なこと言うから…。」

「は?」

「なんでもないです。あ、今日は晩御飯一緒に食べませんか?」

「よろしいのですか?」

「頼久さんさえ良ければ。」

「では、どこか店に寄りましょうか?」

「そうですね。買い出しして帰りましょう。明日も雪みたいだから、明日の頼久さんのご飯も作りますね。」

「有り難うございます。」

 心から感謝の言葉を口にしながら、頼久はフロントガラスの向こうにちらつく雪の破片に感謝していた。

 この雪があればこそ、こうしてあかねに呼び出してもらえた上に食事まで作ってもらえるのだ。

 こんな幸せを雪が運んできてくれるというのなら、例年にないほどの頻繁な雪も悪くない。

 そんなことを考えながら頼久の口元にともった笑みは、夜、あかねを自宅まで送り届けるその時まで消えることがなかった。








管理人のひとりごと

あかねちゃんはなんでも頑張っちゃう方だと思うので。
でも、頼久さんとしてはやっぱりちょっとは頼ってもらいたいと。
で、管理人はそんなことはどうでもいいから尻尾振ってる頼久さんが書きたいとΣ(゚д゚lll)
そんな感じの一本です(’’)
たぶん、この二人のことを一番的確に把握してるだろう天真君。
苦労多そうだなぁとも思いました(^^;








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