
「神子殿がお望みでしたので。」
開口一番、頼久の口から飛び出したのはその言葉だった。
目の前に座っているあかねはというと自分の前に広げられている数々の布を見て大きな溜め息をついていた。
確かにあったらいいなとは言った。
何故なら、頼久の着物を縫う練習をしたかったから。
だから、手ごろな布があればいいなとは言った。
言ったのだけれど…
今、あかねの目の前に広げられているのは一枚や二枚といったレベルの布ではなくて、しかもそれらはどうやら全て絹らしく、どこからどう見ても豪華な布が山盛りてんこ盛りという状態だ。
そしてその布の山の向こうには嬉しそうな笑みを浮かべている頼久が立っていた。
頼久にしてみれば妻が望む物をそろえられたと喜んでいるのだが、あかねの方はというとこんなに贅沢なものじゃなくてもよかったのにと思ってしまう。
「あ、有難うございます…。」
「神子殿…もしや、お気に召しませんでしたか?」
戸惑いながらもあかねが礼を言うと、頼久はさっきまで満面の笑みをたたえていた顔を不安げに曇らせてあかねの顔をのぞきこんだ。
これだからあかねは正面からこんなに豪華なものじゃなくていいんですとは言いづらくなってしまう。
「いえ、凄く綺麗なものがいっぱいで嬉しいんですけど…その…こんなに豪華なものをこんなにいっぱいじゃなくてもよかったんです。練習用、だし…。」
「何をおっしゃいますか。神子殿のお手にされるものです。粗末なものを差し上げるわけには参りません。練習とおっしゃっておいででしたので、これでも柄などは頓着せずに選びました。もしお望みでしたら藤姫様にも御協力頂いて、もう少々いい品を…。」
「これでじゅうぶんです!これ以上あったら使い切れませんよ…。」
「いえ、お気に召さないものは捨て置いて頂いて、神子殿のお望みの色などありましたらお教え頂ければすぐに用意いたします。」
ここでまたにっこり微笑まれて、あかねはこくりとうなずいた。
つい先日もちょっと疲れて甘いものが欲しいななどと口走ろうものなら、とんでもない量のあまーいお菓子が運び込まれたのだ。
甘いものは貴重だったような…と一瞬あかねが疑ってしまうほどの量で、それがとても高価なものだということを後で藤姫に再確認したのだった。
あかねがちょっと口にしただけで頼久は何でもそろえてしまう。
しかも過剰に。
だから、あかねは藤姫に愚痴のようにそのことを話したのだが、藤姫には源家は領地が豊かですので神子様がどんなに贅沢な暮らしをなさっても不自由になることはございませんと笑われてしまった。
更に、頼久にそろえることができないものはこの藤が必ずそろえて差し上げますとまで言われて、あかねはすごすごと退散してきたのだった。
藤姫の父は左大臣で、この京で一二を争う権力者で裕福な人だということは知っている。
源家も元をたどれば帝の血筋につながる高貴な家柄で、一族も豊かであるという話も聞いている。
でも、それとこれとは話が違う。
あかねは庶民の家に生まれて庶民の生活をしてきたわけで、そういった贅沢とは無縁だ。
立場が変わったのはわかっているつもりだけれど、それでも旦那様におねだりして贅沢三昧なんて想像もつかなかった。
「あの、頼久さん、色々そろえてもらうのは嬉しいんですけど…その……。」
「神子殿は慎ましやかなお方ゆえ、決してわがままはおっしゃらぬから気をつけるようにと藤姫様からもきつく命じられております。神子殿はどうかお気遣いなく、なんなりとこの頼久にお申し付けください。」
「はい…。」
これはもうだめだ。
心の中でそうつぶやいて、あかねはコクリとうなずいた。
藤姫まで頼久にそんなことを言っているとなるとこれはもうあかね一人ではどうにもできないと悟ったのだ。
「では、私は土御門邸へ参りますので。」
「あ、はい、行ってらっしゃい。」
慌ててあかねが笑顔を作って見せると、頼久はそんなあかねをまぶしそうに目を細めて見つめてからかすめるように口づけして去っていった。
そう、行ってらっしゃいとお帰りのキスはあかねが頼久に必ずするようにと約束させたものだ。
それを今でも律儀に守っている頼久の背を見送って、あかねは一人小さく溜め息をつくと筆と紙を取り出した。
これはもう、こういうことでは一番頼りになる人の力を借りるしかない。
あかねは覚えたばかりの筆遣いで、それこそ必死になって手紙を書き始めた。
「つまり、神子殿の望みなら何でもかなえてしまうのが神子殿は気に入らないというわけかい?」
相変わらずの艶な姿で濡れ縁に座って扇を弄びながら、友雅は苦笑した。
たどたどしい筆遣いも愛らしいあかねからの文を受け取って、これ幸いとばかり帝の前から退出してきた友雅はしっかりと御簾を隔てた濡れ縁に座らせられている。
こういったところは少しずつ京の女性らしくなってきたと嬉しく思うものの、それが頼久のためだと思えば少しばかり寂しくもある。
そんな思いを密かに抱きながら友雅が受け取った文に使われていた紙の美しさなどを誉めていると、すぐにもあかねの話は始まった。
それは友雅からすれば惚気にしか聞こえない話だったのだが、あかねにしてみると真剣な悩みのようで、友雅は思わず苦笑してしまったというわけだ。
「かなえるだけじゃないんです!やりすぎなんですってば!」
御簾の向こうで大きな声でそう言うあかねに、今度は友雅がクスッと笑みをもらした。
こういうところはやはり異界からやってきた姫君らしいところが残っていて、そこがまた愛らしい。
「私が少し上手になったら琴もいいものにした方がいいのかなっていっただけでなんだかとんでもなくいい琴をすぐ用意しちゃうし、お香だって几帳だってなんだってそうなんです!」
「いいことじゃないか。夫には力があって望みは何でもかなえてくれる。私に言わせればそれは理想的な夫だと思うけれどね。しかも、その夫は他に通う女性もなく、妻一筋ときている。」
「そ、それはそうなんですけど……そうじゃなくてっ!」
不真面目な友雅の声に我慢しきれなくなったのか、バサリと音がしたかと思うとあかねが御簾をくぐって顔を出した。
友雅はそれでこそ龍神の神子とばかりに嬉しそうな笑顔を見せる。
「あのですね、私は頼久さんの主じゃなくて妻なんです!八葉が仕える神子でもなくて妻なんです!少しはこう、そんなわがままはきけないとか、もうちょっと我慢しなさいとか、そういうのが普通だと思うんです。」
「まぁ、確かにわがままが過ぎる女人というのも興がそがれるとは思うけれどね…頼久本人が神子殿の望みをかなえるのを至福のことと思っているのだろうしねぇ。」
「そ、そんなことはないと……。」
「それでもまぁ、神子殿の世界ではそういうのは普通ではないのだろうということもわからないではないよ。」
そう言って友雅は少し考え込むそぶりを見せた。
この恋愛の達人から何か鋭い解決策が出てくるのだろうかとあかねが目を輝かせて友雅の横顔を見つめる。
すると、友雅はあかねの顔を見てフッと笑みを浮かべて、弄んでいた扇をぱちりと閉じた。
「それはもう正面からきちんと話すしかないだろうね。」
「え…それが話しづらいからどうしたらいいか友雅さんに聞いたんですけど…。」
「残念ながら私は決まった妻を持っているわけではないのでね。夫婦の話はわかりかねるし、それに、頼久のことだ、回りくどいことをするよりもまっすぐ話した方が話は早いと思うのだが…。」
「それはまぁ、そうかも…。」
「そういうところに神子殿は惚れたのだろうしねぇ。」
「……。」
肯定するのは恥ずかしくて、でもそれが真実だから否定もできなくてあかねが真っ赤な顔でうつむいていると、どすどすと荒々しい足音が聞こえてきた。
すると、友雅がすっとあかねの方へ身を寄せてニヤリと不適な笑みを浮かべた。
「ほら、神子殿大事の頑固者がやってきたよ。」
「はい?」
あかねが小首をかしげていると、友雅の向こうに険しい表情の頼久が姿を現した。
まだまだ仕事があるはずなのに、どうしてこんなに日が高いうちに帰ってきたのかあかねには全くわからない。
「友雅殿…。」
「やあ、頼久。これはまたずいぶんと早いお帰りだね。」
「…私が早く帰っては何か問題でもございましたでしょうか?」
「いやいや、私には特に問題はないよ。」
まるで敵を見るような顔で友雅を睨みつけている頼久に対して、友雅はどこか面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべている。
「頼久さん、今日は夜までお仕事だったんじゃ…。」
「その予定だったのですが…藤姫様より急の休みを頂きました。」
そう言いながらも頼久はその鋭い目を友雅から離そうとしない。
「どうして藤姫が…。」
「友雅殿、我が家での用がお済みでしたらお急ぎください。藤姫様がお待ちですので。」
「ああ、そうだった。ということで神子殿、私は藤姫のところに行く用があるから、そろそろ失礼するよ。」
「あれ、藤姫のところに行く予定だったんですか?」
「そうなんだよ。だから、今日のところはこれで失礼するよ。」
友雅はあかねに綺麗にウィンクをして見せると、片手をひらりと振って華麗に去って行った。
自分に送られたウィンクは頼久とちゃんと話をするんだよという友雅からのメッセージだと受け取ったあかねは、小さく息を吐いて濡れ縁に座る頼久の隣に擦り寄った。
「お帰りなさい、頼久さん。」
「ただいま戻りました…。」
ちゃんと話をして自分を甘やかすのをやめてもらわなくてはと思っていたあかねだったけれど、目の前の頼久はなんだかぐったりと疲れている様子だ。
仕事は予定より早く終わったはずなのにと小首をかしげて、あかねは頼久の顔を下から覗き込んだ。
「頼久さん?体調、悪いですか?なんか凄く疲れてるみたい。」
「いえ…その…友雅殿がここへ来ていると聞いて少々急いで帰って参りましたので…。」
「へ、なんで頼久さんが…って藤姫か。」
「はい。藤姫様のもとに友雅殿から神子殿のもとへ立ち寄ってから藤姫様を訪ねると文が届きまして…それで顔色が悪くなった私に藤姫様が休みを下さったのです…。」
「顔色が悪くって……頼久さん、またここに友雅さんが来てるからって何か変な誤解したんですか?」
急に不機嫌そうに顔をしかめるあかねに頼久はしゅんとした様子でうなずいた。
「こればかりは嘘を申し上げても神子殿には見破られてしまいますので正直に申しますが、おっしゃるとおりです。」
「もぅ、頼久さんはいつまでそんなこと心配してるんですか!友雅さんはただの仲間なのに。」
「いつまでかと問われれば、永遠にです。」
「えー。」
「友雅殿は私などよりよほど時間が自由になります。神子殿が助けが欲しいと望む時に一番最初に駆けつけることができるのも友雅殿でしょう。」
「……。」
言われてみれば確かにそうかもしれないと思うと、あかねは何も言えなくなってしまった。
実際、今回だって友雅は手紙を出してからすぐ、その日のうちに会いに来てくれたのだ。
「そのことを思えば……妬けます…。」
「妬いてるんですか?友雅さんに?」
「……はい。」
渋々うなずいて頼久は眉間にシワを寄せた。
いくら妻が言葉を尽くして自分一人を想っていると言ってくれても、自分よりも身分が高く人生経験も豊富で女性からも人気があり、しかもあかねのそばにいつもいられる友雅が相手では妬くなという方が無理な話だ。
これはもしかしたらとんでもなく妻の機嫌を損ねるかもしれないと思った頼久だったが、恐る恐るあかねの顔をのぞいてみるとそこにはなにやら楽しそうな笑顔があった。
「神子殿?」
「頼久さんが妬いてくれるなんてちょっと嬉しいです。」
「は?」
「だって、どう考えても私の方がいっぱい妬いてる気がするんですもん。」
頼久は目を大きく見開いて愛らしく微笑むあかねの顔を見つめた。
この尊い女性はいったい何を言い出すのだろうか。
妬いているも何も、頼久は自分が許される時間は全てあかねのことを考えていると胸を張って断言できるほどだし、あかねを慕っている男は元八葉も含めて両手では足りないほどいるはずだ。
何しろあかねは頼久の部下達の心まですっかり奪ってしまっているのだから。
それなのにあかねときたらそんなことは少しも自覚していないらしい。
「頼久さんは女房さん達にもすっごく人気だから、私、いっつも妬いてるんですから。」
「何をおっしゃいます。神子殿の方がよほど人の心をとらえておいでです。最近では琴の上手な姫と噂が立っているとかで、やんごとなき身分のお方もなんとか神子殿に近づけないかと狙っているとも聞きます。神子殿はまことに私のようなものにはもったいない天女でいらっしゃるのですから、私の方が妬いているに決まっています。」
胸を張って断言する頼久に唖然としてから、あかねは小さく溜め息をついた。
またころころと変わるあかねの表情に頼久が戸惑う。
「もぅ、頼久さんはすぐそうやって私のことを過大評価するし、私のわがままもなんでも聞いちゃうし、私に甘すぎです。」
「そのようなことは…この身にはもったいない尊いお方を妻と呼ばせて頂くのです。できうる限りのことをさせて頂くのは当然のこと。」
「そのことでお話があったんです。」
「はぁ…。」
ここぞとばかりにあかねはその表情をきりっと引き締め、頼久を正面から見つめた。
妻の真剣な顔に、頼久も姿勢をただす。
大事な妻の真剣な言葉ならば、一つもらさず聞いて、何事も妻の望むとおりになるよう努力するのが自分のつとめだと胸の内で誓っている頼久だ。
あかねの顔が真剣なら頼久の顔もまた真剣になる。
「いつも言ってますけど、私はもう龍神の神子じゃないですし、頼久さんの主でもないんです。」
「はい、よく心得ております。」
「心得てないですよ。だって、私がちょっと何かがあったらいいなぁって言うとすぐにそれを買ってきちゃうし、私がどんなわがまま言っても全然怒らないんですもん。」
「それは、妻なればこそです。」
「はい?」
やわらかい微笑を浮かべる頼久の言葉にあかねは小首を傾げた。
「神子殿がことあるごとに今は私の妻であって主ではないとおっしゃってくださいますので、今では私もすっかりそのように心得ております。」
「だったら、もう少しそんなに無駄に物を欲しがっちゃいけないとか、わがまま言うなとか言ってくれても…。」
「いえ、妻なればこそ、妻を幸福にするため日々努力するのが夫のつとめと考えます。」
「それは……。」
確かにそうなのかもしれないけれど、幸せにするのとわがままをみんな許してしまうのとは違う気がする。
そう心の中でつぶやいても頼久のニコニコ笑顔を見てしまうとあかねにはなかなか思っていることが言えない。
「神子殿が妻でいて下さればこそ、私もでき得る限りのことをして差し上げたいと思いますし、何よりもまず妻たる神子殿の幸福を考えているつもりです。もちろん、神子殿がお気遣い下さいますので、無理はしておりません。神子殿が望まれるものはどれもそう高価なものでもございませんので、我が家の財政を圧迫してもおりませんし、ご心配には及びません。」
そういうことではなく…
と、心の中では言ってみるものの、やっぱりそれを口に出すことはできないあかねだ。
何故なら、目の前の夫は幸せそうに微笑んでいて、とてもではないけれどそれをやめて欲しいのだとは言えない。
頼久はそんなあかねの肩をそっと抱き寄せると幸せそうな笑顔のまま目を閉じた。
「次は何をお望みでしょうか?我が妻は。」
「もぅ、これじゃぁ、神子殿よりもタチが悪いです…。」
「は?」
腕の中で顔を赤くしてつぶやくあかねに、頼久はすっと目を開けると小首を傾げた。
「だって、頼久さんは今でも私のことを神子殿だと思ってるからわがままは言うなって言ってくれないのかなと思ったのに、妻だからわがままはなるべくきいちゃうって言うんですもん…。」
「以前にも申し上げたと思いますが、私は神子殿にはもっとわがままを言って頂きたいのです。それをかなえるのが夫の甲斐性というものでしょう。」
「そ、そうかなぁ…。」
「私にはそれくらいのことしかして差し上げられませぬゆえ。」
「他にも色々いっぱいしてもらってますけど…。」
「私のためと思って、何かお望みをおっしゃってください。」
「もぅ、頼久さんは………じゃぁ、今日はずっとこうしててください…。」
あかねがあきれながらも真っ赤な顔でそう言って頼久の胸にもたれかかると、頼久の腕がギュッとあかねの肩を抱いた。
上目遣いにあかねが様子をうかがえば、そこにはこの上もなく幸せそうな頼久の笑顔があって…
「それはわがままではありませんので、このまま次にこの頼久にどんなわがままを言うか考えておいてください。」
「はぅ。」
これはもうお手上げだ。
こんなに幸せそうにされてはもうわがままを叱ってとはとても言えない。
思いがけず早く帰ってきた夫の腕に抱かれながら、あかねは自分はとっても幸せな女の子だとしみじみ実感していた。
友雅さんの言うとおり、こんなによくできた旦那様きっとどこにもいない。
そう思いながら微笑を浮かべて視線を上げれば、すぐにその旦那様から優しい口づけが降ってくるのだった。
管理人のひとりごと
頼久さんは仕える態度を改めたらそれ以上にベタベタに甘くなるといい(’’)(マテ
そしてそれにあかねちゃんは最初危機感を覚えるんだけど、そのうち順応すると(コラ
夫らしくあかねちゃんを叱る頼久さんももちろんかっこいいと思うんですよ。
思うんですが、やっぱり頼久さんにはベタベタに甘くなって欲しい管理人でした。
あかねちゃんは恥ずかしかったり気遣ったりしながら結局甘えるのがいいな(’’)←妄想中
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