三日見ぬ間に
 頼久は縁側に座り、じっと隣に座るあかねの横顔を見つめている。

 何故かと言えばそれは、二人そろって庭に植えてある桜の木を眺めているからだ。

 正確にはあかねは桜を、頼久は桜を楽しむあかねを楽しんでいるのだが…

 仲良く二人並んで座っているその背後には重箱が並んでいる。

 中身は全てあかねの手料理だ。

 頼久の手には盃もある。

 どれもこれもあかねがせっかくの花見だからと用意した品々だった。

 そんな妻の気遣いに囲まれて頼久は穏やかな時をひたすらに楽しんでいた。

「おつまみ、何か作りましょうか?」

 いつもより少しばかり浮かれている華やかな声で問われて、頼久は口元に笑みを灯すと軽く首を横に振った。

「重箱の中にある料理でじゅうぶんです。」

 二人が眺めている庭はもうすっかり夕陽のために紅に染まっている。

 薄紅の桜の花さえもがその色を濃くしているように見えるほどだ。

 そんな桜の前で、二人は重箱に詰められている料理を夕食としてゆっくりと口にした。

 重箱に残っている料理をつまみに酒を楽しんでいる頼久はもちろんのこと、あかねも夕食は終えた後だ。

 それでも重箱に料理が思いのほか残っているのは、あかねが足りなくなるよりはいいはずと少しずつ多めに作ったからだった。

「足りますか?」

「はい。ですから、あかねはゆっくり花を楽しんでください。」

「すっかり楽しんでますよ。今年の桜は綺麗ですよね。」

「はい。」

 嬉しそうに微笑むあかねにうなずいて、頼久は盃に口をつけた。

 あかねの言う通り、庭の桜は今が盛りとばかりに咲き誇り、風がなくても時折花びらが舞い落ちる。

 咲き始めるまではまだまだかと思っているものの、咲き始めれば楽しめる時間はあっという間だ。

 どこか名所へ花見に行こうかと誘った頼久に首を横に振ったのはあかねの方だった。

 今年の花の季節はすぐに過ぎ去ってしまいそうだから、庭の桜をゆっくりじっくり楽しみたいというのがあかねの希望だったから、頼久はそれならばと花が咲く前に大方の仕事を片付けてあかねと連日の花見を楽しんでいた。

「今年は寒い日が続いたからまだ先かと思ってましたけど…。」

「急に暖かくなりましたから。今年のように暖かくなるのが順調だと花も美しく咲くもののようです。」

「そうですね。」

 うっとりと答えながらも桜を見上げるあかねの横顔に頼久もうっとりと見とれた。

 大学を卒業したあかねはどこか学生らしさが抜けたようで、こうしてうっすらと微笑んでいる様子はとても大人びて美しい。

 他人の視線を気にすることなくじっと愛しい妻を見つめることができる時間は頼久にとって特別なものだった。

「幸せです。」

 安らかなその声は唐突に頼久の耳に舞い降りた。

「そう、なのですか?」

 我ながら間の抜けた問いだとは思うものの、想像もしていなかったあかねの言葉に頼久はどうしてもその問いを発せずにはいられなかった。

「はい。」

「その…どの辺りが、でしょうか…。」

 あかねがにっこり微笑んでうなずいてくれたのでひとまずは安心した頼久の脳裏に次に浮かんだのはどうして今、何が幸せだと感じてくれたのだろうかということだった。

 頼久にしてみれば、今のあかねをとても完璧に幸せにしているとは言い難い。

 そもそも、自分が京からこちらの世界へあかねを追ってくることを選んだことで、あかねには色々と気を遣わせている気がする。

 更に言えば、あかねを大学卒業と同時に妻にしてしまったおかげで、あかねは世の中の若い女性が経験するようなことを経験できていないような気もする。

 もちろん、そんなことをあかねに言えば否定してくれるだろう。

 そうとわかっていればこそ、やはりあかねに気を遣わせてしまっているという自覚もあるのだ。

「どの辺りがって……。」

 重ねての頼久の問いにあかねはさっと頬を赤くした。

 夕陽に照らされて赤く見えた頬が更に赤くなるのを目にして、頼久は話の最中だというのに思わずその美しさに見とれた。

「こういうふうに普通に頼久さんと二人で綺麗な桜を眺められるのって幸せだなぁって思ったんですけど…。」

「普通に眺めるのが、ですか?」

 驚いて目を見開いた頼久にあかねは恥ずかしそうに微笑んでうなずいた。

「だって、頼久さんが私と一緒にこの世界に来てくれなかったら、今頃こんなふうに二人で並んで座ってるなんて無理だったんです。」

「それは…確かに…。」

「並んで座るどころか二度と会えなかったかもしれないんですよね。そういうことを考えたら、こういうふうに普通に並んで座って綺麗な桜を見て、頑張って作った料理を食べてもらって、おいしいって言ってもらって……そういうことの一つ一つが幸せだなぁって。頼久さんはそう思いませんか?」

 今度はあかねに問われて頼久の方が微笑みながらうなずいた。

 あかねに問われるまでもない。

 頼久は毎日の一瞬一瞬にあかねが今言った幸福を感じているのだ。

 もし、京で頼久が共にこの世界に来ることをあかねが許してくれなければ、頼久は京で一人、魂が抜けたようになっていたことだろう。

 京で頼久があかねに出会い、八葉の一人に選ばれ、更にあかねと思いを通わせて、この世界へやってくる。

 その一つ一つ全てが、奇跡のような幸福なのだ。

「確かに、幸福だと思います。」

 発した言葉はそれだけだったが、頼久の胸の内には言葉以上に深い想いがあった。

 幸福という言葉は自分にはもっとも似つかわしくない言葉だと以前は思っていたのだ。

 その言葉をこんなにも自然に、そして自分の中に実感しながら口にする日が来ようとは。

「それに、今年はやっぱりちょっと特別です。」

「特別…。」

 その特別の意味は頼久にもわかる。

 なんといっても今年は頼久があかねを妻として初めての春なのだ。

 今、あかねはそんな今年の春を特別だと言ってくれたが、それは頼久にとっても同じことだった。

「だって、今まではずっと綺麗な桜を眺めて楽しい気持ちになっても、必ず夜には家に帰らなくちゃいけなかったんです。」

「はい…。」

「でも今年は、夜が更けて月が高く昇って、頼久さんがお酒をたくさん飲んでも大丈夫なんですよね。私このまま、この家で眠れるんです。ずっとそうしたかったから今年は特別幸せなんです。」

 頬を赤くしながらそう言って微笑むあかねの肩を頼久は思わず抱き寄せていた。

 あかねはいつもこの家から自分の家へ帰る時、とても寂しそうな顔をしていた。

 その顔を見て、頼久が平静でいられたわけがない。

 表面は平静を装ってはいたが、あかね以上に頼久は何度あかねを引き留めようと思ったかしれないのだ。

 だから、今こうして二人で際限なく並んで座っていられる幸せは自分の方が大きく感じていると頼久は信じていた。

「あかねの言う通りです。確かに今年は特別に幸福に思います。」

「お花見の名所へ行くのも楽しいかなって思いますけど、でも、今年は二人きりでいつまでも一緒にいられるようになった初めての年なので、ここでずーっと眺めていたかったんです。」

「はい。」

「頼久さんはどこか行きたい所、ありませんでしたか?」

 頼久に肩を抱かれながらあかねはそっとすぐ近くにある端正な顔を見上げた。

 優しく包み込むようなまなざしで自分を見つめる大切なその人の切れ長な目はあかねの顔を更に赤くさせた。

「私はどこでもかまいません、あかねがいるところであれば。」

 それは頼久の偽りない本心だ。

 たとえばそこが京であろうと、頼久もあかねも知らない未知の世界であろうと頼久には関係ない。

 あかねの傍らこそが頼久が生きたいと望む場所だ。

「よ、頼久さんはすぐそういうことを言うところ、変わらないですよね。」

「そういうこと、ですか?」

「恥ずかしいことを普通の顔でさらっと…。」

「そう、でしょうか…。」

 それは京にいた頃からあかねに言われ続けていることだが、頼久にはいまだに実感がない。

 あかねがなんと言おうと頼久は思ったことを素直に口にしているだけなのだが…

 気付けばあかねは首まで赤くなったその顔を再び散り始めた桜へと向けていた。

「でも、頼久さんの言うことはいつも本心で、お世辞とかその場しのぎとかじゃないってわかるから……その……そういう頼久さんが好きです…。」

 最後の方は頼久の耳に届くかどうかというくらい小さな声になりながらのあかねの告白に頼久は幸福に満ちた微笑を浮かべた。

 いくら愛しい人の側にいられたとしても、その愛しい人の心が他の男の方を向いていたなら、こんなふうに幸福な気持ちで座ってなどいられなかっただろう。

 今、肩を抱く愛しい人が自分を好きだと言ってくれる、これもまた奇跡のような幸福なのだと実感すると、頼久は自然とあかねの体を膝の上へと抱き上げていた。

「きゃっ、頼久さん?」

 驚くあかねにはただ微笑だけを見せて、頼久は小さな体を抱きしめる腕にそっと力を込めた。

 どんなに言葉を尽くしても言葉が不得手な頼久に、今自分が感じている幸福を語りつくすことはできなくて…

 だからこそ、幸福の全てを腕にこめて優しく力強くあかねを抱きしめるしかなかった。

 そしてあかねは、そんな頼久の不器用な想いの伝え方を理解してくれる稀有な女性なのだ。

 初めは驚いていたあかねがすぐに恥ずかしそうに微笑みながら頼久に体を預けてその肩に頬を寄せれば、何も言わなくとも二人の間には同じ幸福が通い合った。

 高い生け垣に囲まれた庭で人目を気にせず、二人はこれからただじっと、言葉もなく佇んでいた。

 風もない穏やかな春の夕闇の中、時折舞う薄紅の花びらを一枚一枚丹念に愛でるように眺めていた二人が寝室へと向かったのは夜もずっと更けてからのこと。

 月と星の光が空を埋め尽くした深夜、頼久は自分に寄りかかって眠るあかねを抱いて家の中へと入った。

 その小さな体を寝室のベッドへと下ろし、その隣に自分の身を横たえた時、頼久には再び静かな幸福が訪れた。

 小さな寝息をたてる愛らしい妻の隣で眠ることを許された己の幸せを感じながら、頼久は眠りの中へと落ちていった。

 普段は夢など見ない頼久が久々に桜の下に立つ、十二単姿のあかねの夢を見たのは、庭の桜の木がその幸福を祝福してくれたからかもしれない。








管理人のひとりごと

管理人の生息地ではまだ桜は咲いていませんが、今年はちょっと早めにスタートしております!
管理人の生息地では桜が咲くのはたいていゴールデンウィークが終わってからなので、まだちょっと間がありそうです。
今回の現代版は結婚直後のお二人さんに庭の木で二人きりのお花見をしてもらいました。
庭に桜の木を植えて独り占めするのが管理人の夢です!
そのため、田舎暮らしに適した土地を探しています!
今生息している場所もじゅうぶん田舎だけどね!
更に田舎の辺鄙な土地に隠棲したい…
桜の下の縁側で酒を片手にハープを爪弾くのが夢です(’’)
そんな夢の一部を二人に体現してもらいました!
頼久さんが幸せいっぱいだってことを詰めこんでみたつもりなのですが、いかがだったでしょうか?
ああいう人だから、頼久さんには結婚後は幸せいっぱいであってほしいです!









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