あかねは御簾の内でニコニコと微笑んでいた。

 それというのもここ数日、大好きな旦那様が休みを取って屋敷にずっとこもっているからだ。

 武士団の若棟梁としていつもは忙しくしている頼久だから、こんなふうに病気でもないのに連日屋敷にいることは珍しくて、あかねはそれが嬉しくてならない。

「頼久さん、今日は何をしましょうか。」

「神子殿のお望みのままに。」

「またそんなこと言って。」

 そうはいいながら、あかねの顔には笑みが絶えない。

 それを傍らで見つめている頼久の顔もいつもよりは柔らかく、時折その口元に微笑も浮かんでいた。

 ここ数日は完全に休み、どんな仕事も持ち込むなと部下に命じてある頼久は刀を傍らに置いてはいるものの、射籠手は外してくつろいだかっこうで座っている。

 そしてそんな頼久のすぐ目の前には十二単を着てご機嫌なあかねの姿が常にあった。

「頼久さんはせっかくのお休みなのに何かやりたいこととかないんですか?」

「私は……こうして神子殿のお側に置いて頂けるだけで。」

「もぅ、頼久さんはすぐそういう恥ずかしいこと言って全然自分のやりたいこと言ってくれないんですから。」

 そうは言われても、頼久には本当に休みだからといってやりたいことがない。

 もともと趣味など持っている性質ではないし、何よりこうして愛しい妻の愛らしい姿を眺めていることほど幸せなことはないのだ。

「ん〜、もう2日もずっとこうして屋敷の中に閉じこもっちゃってるし、やっぱりどこかお出かけしましょうか?」

「お供致します。」

「そうじゃなくて、頼久さんは行きたいところないですか?ちょっと馬に乗りたいとか、買いたいものがあるとか。」

「いえ、私は特に。」

 あかねはぷっとふくれて、それから小さく溜め息をついた。

 ここ2日、ずっとこの調子なのだ。

 せっかくの休みだというのに頼久は何をするでもなく、ただあかねの側にいるだけ。

 そう、あかねが香を合わせたり、手習いをしたりしているのをただ黙って見つめているだけなのだ。

 もとは闊達なあかねが丸2日を黙って我慢したのは頼久がどこか幸せそうに見えたからだが、それもそろそろ限界だった。

「もう、頼久さんったらせっかくのお休みなのに……って、そういえば、今回の休みってずいぶん長いですよね?」

「はぁ。」

「何かのご褒美、とかですか?」

 小首を傾げて見せるあかねに一瞬見惚れて、それから頼久は慌てて視線を反らした。

 もともとが実直でまっすぐな男だから、頼久はとにかく嘘というものが苦手だ。

 しかも嘘をつく相手が愛しい妻相手となるとなおさら、平気な顔で嘘などとうていつけたものではない。

 そしてあかねの方は、そんな頼久の性質をよく見抜いていた。

「頼久さん…今回のお休み、まさか……。」

 あかねが頼久をジト目で睨んだその時、御簾の向こうで頼久を呼ぶ声が聞こえた。

 どうやら武士団の武士が頼久を呼びに来たものらしい。

 いつもなら頼久がすぐに休みの間は声をかけるなと言っているだろうと怒って使いを帰らせるところだが、あかねの追求にたじたじになっていたところだったから、これ幸いにと今回は素早く御簾を潜って濡れ縁へと出て行った。

「もぅ。」

 あかねはぷっと頬をふくらませて頼久が去っていった方を眺めていたのだが、途中で急に寂しくなって溜め息をついた。

 もし、何か突然の仕事が入ったという知らせなら、頼久はすぐに出かけてしまうはずだ。

 今日は一日ずっと一緒にいられると思っていただけに、それはかなり寂しいということにあかねは気付いたのだった。

 それでも、お仕事ならしかたがないんだからとあかねが自分で自分を抑えていると、そこへ御簾を上げて頼久が戻ってきた。

 手には文のようなものが握られている。

 あかねは恐る恐る頼久の顔をのぞき見た。

「頼久さん?もしかして急なお仕事ですか?」

「いえ、神子殿宛てに文が届きましたので、代わりに受け取りました。」

「私に?」

「はい、泰明殿からのようです。」

 あかねは差し出された文を頼久から受け取って開いてみた。

 が…

「えっと……頼久さん……。」

「はい、お預かりします。」

 恥ずかしそうにあかねが名を呼べば、頼久の大きな手があかねの手から手紙を受け取った。

 あかねはこの世界の生活に慣れようと毎日様々なことを必死に勉強している。

 その努力のほどは頼久が一番よく知るところだ。

 だが、人によって筆跡がかなり違う文の文面は、まだあかねには簡単に読めるものではなかった。

 それを知っていればこそ、頼久はあかねに頼まれる前に代わりに文を読もうとそれを受け取ったのだった。

「泰明さん、なんて?」

「先日の一件のその後を報告して下さっています。青葉というあの少年ですが…。」

「えっと、やっぱり凄く偉い人、だったんですか?」

「永泉様の血縁の方…つまり帝の血筋に連なるお方だったようです。安倍晴明殿に結界を張らせたのはあの少年の母君だったとのことです。」

「お母さん、そうなんだ。青葉君、お母さんには大事にされてたんだね、よかった。」

 自分が監禁同然の扱いを受けていたことなど全く気にせずそう言って微笑む妻に心温められて、頼久の顔にも優しい笑みが浮かんだ。

「泰明殿の説明で晴明殿も事の次第を理解してくださり、結界は泰明殿が張り直したとあります。あの少年はおとなしく母の元へ戻ったとありますから、全てうまくおさまったというところでしょう。」

「よかったぁ。私がひょいひょいついていっちゃったせいで青葉君が罰を受けたりするのかもってちょっと心配してたんです。」

「神子殿のせいではございませんから。」

「でも、私の方がお姉さんなのに全然力になってあげられなかった気がして…。」

「そのようなことはありません。イノリが様子を見に行ったと言っていましたが、神子殿に好かれる男になるのだと張り切っていたと。」

「私に好かれる男の人?」

「はい、そう言っていたそうです。」

 小首を傾げながら頼久をじっと見つめて、それからあかねはクスッと笑みをこぼした。

「それはいっぱい努力しないと。青葉君大変だ。」

「そう、なのですか?」

 この妻に好かれるためにはまだまだ想像を絶する努力が必要であったかと頼久が顔色を青くすれば、あかねは少しだけ頬を赤くしてうなずいた。

「そりゃそうですよ、だって…頼久さんくらい強くならないといけないんですから。」

 一瞬、何を言われたのかと目を丸くした頼久は、あかねが恥ずかしそうにうつむくのを見てやっと言葉の意味を理解した。

 そういうことかと安堵して、頼久があかねの隣に座って文をあかねに返せば、あかねの顔にも穏やかな笑みが戻った。

「でも、なんで泰明さん直接来ないで手紙なんだろう?そんなに忙しいのかな?」

「いえ、文には友雅殿にせっかく二人きりで楽しんでいるのだから訪ねるのはやめておけと言われたので文にしたと書いてありました。」

「友雅さんが…。」

 つぶやいてあかねは考え込んだ。

 確かに友雅はいつも自分達二人のことを気遣ってくれる人ではあるけれど、でも、どうして今こうして頼久と二人の時間を楽しんでいるとわかったのだろうか?

 本来なら今は頼久が仕事に出ている時間なのだ。

 あかねが一人で退屈しているだろうと友雅なら予想するはずだった。

「頼久さん。」

「はい。」

「今回のお休みって、もしかして頼久さんが私のためにとってくれたんですか?」

「は?」

「私が青葉君についていっちゃったりしたから、頼久さんが側にいなくちゃって考えてとってくれたんですか?」

「それは…。」

「友雅さんはいつも私が一人で退屈しているんじゃないかって心配してくれるんです。それで頻繁に遊びに来てくれます。でも、今日は頼久さんがここにいるって知ってて泰明さんを止めてくれてる。それってもしかして、頼久さんが私のために休みをとったから邪魔しちゃいけないって思ってくれたってことじゃないかなって……違いますか?」

「違います。」

「頼久さん、嘘はつかないで下さいね?」

「嘘ではありません。今回の休みは私が願い出て与えられたものではありません。」

「本当に?」

「はい。藤姫様のたっての願いで頂いた休みなのです。」

「藤姫が?」

 どちらかといえば藤姫は頼久を頼れる従者として重宝していたはずだ。

 それがどうして休みを願い出たりしたのだろう?

 あかねは小首を傾げて頼久を見つめた。

「その……藤姫様が今回の一件は神子殿が私の不在が多く寂しい思いをなさっているために起きたに違いないとそうおっしゃいまして、左大臣様に私の休みを願い出てくださったとのことで…。」

「ち、違います!私はただ青葉君の力になりたかっただけなのに…。」

「私もそのように申し上げたのですが…。」

「もぅ、藤姫ったら……そうだ、休みっていつまでなんですか?」

「……。」

 急に頼久の瞳が揺らいだ。

 武士団の若棟梁などやっている頼久はめったなことでは動揺しない。

 その頼久の瞳が揺らいだので、あかねは訝しげな表情を浮かべて頼久ににじり寄った。

「頼久さん、いつまでなんですか?」

「それが…その……。」

「はっきり言ってください!」

「……神子殿のお心が安らぐまでと……。」

「それってもしかして、無期限ってことですか?」

「はい……。」

 あかねは驚きのあまり、口を開けたまましばらくパクパクしてしまった。

 源武士団の若棟梁が無期限の休みを与えられるなどありえない事態だ。

 でも、すぐに仕事に戻ってくださいとはどうしてもいえなくて、あかねはしばらく口をパクパクさせてから悲しげに目を伏せた。

「ダメだなぁ、私。」

「は?」

「だって、頼久さんは武士団のみんなにも頼りにされてるんだから独り占めにしちゃいけないってわかってるのに、すぐお休みを切り上げてお仕事に行ってくださいって言えないんです。もう少しだけ一緒にいたいなって思ってしまって…。」

「神子殿…。」

「これじゃぁ、若棟梁の妻失格ですよね…。」

 一人落ち込むあかねの肩を頼久はそっと抱き寄せた。

「神子殿にもっと共に在りたいと思って頂けることはこの頼久、この上ない幸福です。ですが、いつまでもお側にいることで神子殿のお心を苦しめることになるのでしたら、すぐにでも仕事に復帰致します。ですから、そのようにお気になさらず。」

「頼久さん…すぐって…。」

「いえ、本日はもう仕事へ出ても何も手につきませんので、このまま。神子殿がお望みでしたら明日から復帰致します。」

「はい。」

 あかねが嬉しそうに微笑んだので頼久はほっと安堵してあかねを抱く腕に力を込めた。

 何もかも投げ出して四六時中あかねと共に過ごしたいと思っているのは頼久も同じだ。

 だが、それではあかねを悲しませることになることもよくわかっている。

 だからこそ、頼久はあかねが一番喜んでくれるだろう選択をした。

 それがわかっていればこそ、あかねも少しばかり寂しい気持ちを胸の奥に押し込めて、その顔に笑みを浮かべたのだった。

 そんなあかねの想いが嬉しくて、頼久は妻の体を抱き寄せた。

「本日はこのままで。」

「…はい……。」

 大好きな旦那様の腕に抱きしめられて、あかねはうっとりと目を閉じた。

 こんなふうに幸せな数日を過ごせたのは藤姫のおかげ。

 お礼の手紙を書いて送らなくては。

 そんなことを思いながら頼久に今どれほど自分が幸せかを伝えたくて、あかねは顔を上げて笑みを浮かべて見せた。

 すると、頼久の顔にも至福の笑みが浮かんで、その笑顔がゆっくりと近づいて…

 あかねはそっと目を閉じると、優しいぬくもりで唇がふさがれるのを静かに受け入れた。








管理人のひとりごと

以上で「幻の消える時」完結でございます!
長きに渡り、お付き合い下さった皆様、有難うございましたm(_ _)m
お楽しみ頂けたら幸いです(^^)
頼久さんの中にはまだまだ色々不安とかあって、それが幻になって見えてしまったり…
そんなのを吹き飛ばしてあかねちゃんは側にいるっていう話に…
プロットの段階ではなるはずでした(’’)(マテ
なってたらいいなぁ(コラ










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幻の消える時 第七話