
あかねはゆっくりを目を開けた。
眠い目をこすりながら隣を見れば、そこに寝ていたはずの頼久の姿は既にない。
朝の鍛錬をする夫の朝はとても早くて、いつもあかねが起きる頃には頼久の姿は褥にはないのだ。
何度起こしてくださいとお願いしても「神子殿はごゆっくり」と言って微笑むばかりで起こしてはもらえなかった。
頼久はそれが京の貴族の女性の常識だからと言い張って結局そのままになっている。
あかねは抜け殻になっている隣をボーっと眺めてそれから袿を羽織ると局の外へ出てみた。
すると、その気配に気付いた頼久が鍛錬を終えてあかねの方へと歩み寄った。
「おはようございます、神子殿。」
「おはようございます。今日はまたずいぶん寒いですねぇ。」
「はい。すぐに火を持ってこさせましょう。」
「いえ…えっと……火よりもその……。」
あかねがそう言って赤い顔でうつむけば、それを見ていた頼久はニコリと微笑むと木刀を傍らへ置いて縁へ上がり、あかねの小さな体を抱きしめた。
「これで宜しいですか?」
「…はい、有難うございます……。」
「いえ、私もこの方が。」
頼久の優しい声が頭上から降ってきて、あかねはうっとり目を閉じた。
こうして夫の腕の中にいれば冬の寒さだって全然平気だ。
「頼久さん、今日はお休みですよね?」
「はい。」
優しい返事に嬉しくなって、あかねは長身の夫を見上げて微笑んだ。
頼久は腕の中で微笑む妻の笑顔の美しさにくらくらと眩暈さえ起こしそうになる。
龍神の神子たる尊い女性をこうして妻として抱いてもうずいぶんになるのだが、今でも頼久のあかねへの想いは色あせることがない。
頼久のあかねへの想いは愛しいというだけではない。
愛しいのと同時に尊敬しており、畏怖しているといってもいい。
妻として褥を共にして、食事も共にとり、こうしていつも側にいることを許されてもまだ、その想いが変わることはなかった。
「すっかり寒くなってきて、なかなか八葉のみんなとも会えないし、やっぱりこうして頼久さんと二人でいられるのは嬉しいです。」
腕の中でそういう妻が愛しくて、頼久はあかねを抱く腕にそっと力を込めた。
「そういえば今日って何日でしたっけ?」
ここ京は暦に色々とうるさいのだが、そのわりに何日かということはあまり重要じゃない。
おかげで太陽暦を使い続けていたあかねには何月何日なのかがとてもわかりづらいのだ。
お風呂に入ってはいけない日、外に出てはいけない日、北の方角だけは行ってはいけない日などなど、その日何をしてはいけないのかは細かく決まっているのだが、今日が何日かということには疎い、それが京の文化だ。
だから、いまだにこの京の暦に慣れないあかねに頼久は優しい声で告げる。
「師走24日ですが。」
「師走っていうことは12月24日かぁ、クリスマスイブなんだ。」
「くりすますいぶ、ですか?」
「ああ、えっと、私が向こうにいた時にお祝いというかお祭りというか、友達と騒いだりとかしていた特別な日なんです、12月つまり師走の24日って。」
「そうでしたか。」
懐かしそうに元いた世界の話をするあかねを抱く手にかすかに力を込めて、頼久はじっとあかねの様子をうかがった。
いつものようにその顔には元の世界へ帰りたいといった後ろ向きの様子は見えない。
「でも、クリスマスって、本当は……。」
そこまで言って言い淀んで、あかねは頼久の顔をまじまじと見上げた。
至近距離で見つめられる幸福に浮かれながらも頼久は小首を傾げる。
どうやらあかねは何か言いたそうだ。
「神子殿?何か?」
「クリスマスって向こうでは恋人同士で過ごすことも多いんですよ。」
「はぁ…。」
「デートとかするんです。」
「でーととは、あの二人で出かけて神子殿が私の腕をとって下さったりするあれですか?」
「そう、あれです。」
キラキラと輝く瞳で見上げられて、頼久はあかねが何を言いたいのかを理解して苦笑した。
このパターンは以前にも経験したことがある。
おそらくあかねは元いた世界であればできたであろうその「デート」とやらを「クリスマス」であるらしい今日、頼久と二人でやってみたいと言うのだろう。
ならばと頼久は口を開いた。
「ではそのでーとを致しますか?今日は幸い休みですし。」
「ん〜。」
すぐにでも始めようと言うかと思ったあかねは、何故か何か考え込んでしまった。
頼久がこれは自分の理解が違ったのかと焦り始めると、あかねは再び頼久を見上げてにっこり微笑んだ。
「神子殿?」
「デートもするんですけど、もっと他のこともするんです。デートは他の時でもできるから今日はクリスマスパーティしましょう!」
「は?」
「えっと、クリスマスっていうお祭りを祝うっていう感じです。つまり、宴です!」
「宴…。」
「そうです、ご馳走作ってクリスマスツリーを飾って、夜になったらキャンドルの灯りで雪景色を眺めたり…ってそれはいつもやってるか…。」
「くりすますつりー…きゃんどる……。」
聞きなれない単語の嵐に頼久が眉間にしわを寄せ始めた。
なんとかあかねの望みがどんなものか理解しようと必死に努力してみるものの、聞いたことのない単語の群れはいかんともしがたい。
そんな頼久の様子に気付いて、あかねははっと目を見開いた。
「ご、ごめんなさい!私勝手に…えっと、クリスマスツリーって言うのは樅の木に色々飾りをつけて飾ったもので、クリスマスの飾りとしては定番なんです。それからキャンドルっていうのはつまり紙燭(しそく)みたいなものです。灯りのことですね。」
「なるほど。」
「紙燭はたくさんあるから、問題は樅の木ですね。」
「それは私が用意させましょう。切り倒して運べば宜しいのでしょうか。」
「はい。私と同じくらいの大きさのでいいので、お願いしてもいいですか?」
「はい、お任せ下さい。」
やっとあかねの役に立てると頼久は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃぁ、私はみんなに手紙を書いて、それからご馳走を作らなきゃ。」
「みんな、ですか?」
「はい、八葉のみんな。やっぱりこういう宴は大人数でやる方が楽しいから。」
驚く頼久の腕からするりと逃れて、あかねはパタパタと屋敷の奥へ姿を消してしまった。
すっかりクリスマスとやらを二人で楽しむのだと思っていた頼久は一瞬呆然と立ち尽くしたが、すぐにまずはあかねの望みどおり樅の木を探してこなくてはと思い直した。
二人きりで過ごせないのは残念だが、あかねは何やら楽しそうだ。
ならば自分はあかねのその笑顔を守るためにどんなことでもするのみと頼久は一人心に誓って、樅の木を探すべく屋敷を後にするのだった。
「これはまた、珍しい飾り付けですね。」
「あ、鷹通さん、こっちですよ〜。」
まだ陽が頭上に明るく輝いている時間だというのに、鷹通があかねの屋敷に到着したときには招待された八葉の全員がそろっていた。
八葉としてあかねの側にいた頃から見れば、それぞれ忙しくなっているというのに、あかねの呼び出しとなるとこうしてすぐに駆けつけるのだからたいしたものだ。
庭には小柄な樅の木が立てられていて、そこには何やら色のついた紙で作られた飾り付けがされていた。
鷹通が感心したのはその飾り付けだ。
なんとも可愛らしく色とりどりで、京では見たこともない色彩だ。
鷹通はひとしきり樅の木を観察してから皆が座っている縁へと自分も腰を下ろした。
「鷹通はああいう色彩が好みなのかな?」
「いえ、見たことのない彩りだと思っただけです。」
「ふむ、神子殿が元いた世界でよく見た飾り付けだそうだよ。」
「そうでしたか。」
そう言って天地の白虎はなおも庭の樅の木に夢中だ。
「なぁ、これ、もう食ってもいいだろ?」
「いいよ、鷹通さんも来たし。イノリ君はほんと、食いしん坊だね。」
「育ち盛りなのでしょう。」
「そうそう、永泉も食えよ。」
「はい、せっかくの神子の手料理です、喜んで頂きます。」
一番にイノリが料理に手をつけ、次に永泉が箸を伸ばす。
そんな二人を微笑ましく見つめながら天地の白虎は酒を酌み交わし始めた。
「泰明殿もどうぞ。」
永泉にすすめられてやっと泰明も料理に箸をつけると、場は一気に和んだ。
「藤姫も来たがっていたんだけどね。」
「ああ、藤姫には文を出しておきました。明日は藤姫の所に贈り物を持っていこうと思ってるんです。」
「そうしてもらえると助かる。このまま藤姫に何もなしでは訪ねていくたびに私が責められることになるからね。」
そう言って友雅は苦笑しながら杯に口をつけた。
「本当は藤姫も一緒にって思ったんですけどね。こう寒いとわざわざ来てもらって風邪ひいちゃってもいけないし、私が向こうへ行くとなるともう盛大に準備されちゃいそうでそれも申し訳なくて。」
「なるほど。確かに藤姫のあの気性ならそうなりそうですね。」
あかねの言葉に鷹通が苦笑しながらうなずいた。
神子様のためならたとえ火の中水の中というところは頼久に勝るとも劣らない藤姫のことだ、あかねの言うとおりの事態になることは間違いないだろう。
「ま、藤姫の気持ちもわかるけどな。あかねと宴会ができるってのに参加できないんじゃ愚痴も言いたくなるさ。」
「確かに。わたくしもこの場にいることを幸福に思っておりました。」
そう言って永泉が幸せそうに微笑むと、あかねも嬉しそうに笑みを浮かべた。
もともと自分をあまり表現することのない永泉がそう言うのなら本当に楽しんでくれているのだろう。
「泰明さんも楽しんでますか?」
「ああ、とてもいい気が流れている。問題ない。」
「あはは。」
泰明はいつもの無表情な顔でそう言いながらあかねの料理を次々に口にしている。
口ではそっけない様子だが、どうやら楽しんではいるらしい。
「我々はずいぶんと楽しませてもらっているが、頼久は残念だったのではないかな?」
「は?」
話を振ったのは友雅だ。
振られた方の頼久はというと、一同からは少し離れた場所でじっとあかねを見つめたまま微動もしないでいた。
八葉の面々が集まっても無口さを発揮するのは今に始まったことではない。
あかねを見つめているのもいつものことだが、さすがにこう一同が盛り上がっている中で一人だけその様子だと皆もそれが気になっていたところだった。
「神子殿と二人きりで楽しみたかったのだろう?」
「いえ、そのようなことは……。」
「友雅さんはすぐそういうこと言って頼久さんをからかうんですから。いつも二人で楽しく暮らしてますから、たまの宴会くらいいいんです。ね、頼久さん。」
「はい。」
あかねに問われて幸せそうに微笑んだ頼久はしっかりとうなずいた。
そう、確かに友雅の言うとおり、二人きりで一日をすごすつもりではいたが、普段はいつも二人きりなのだ。
たまにあかねが仲間達との宴を楽しみたいというのをどうして残念だなどと思うことができようか。
「すみませんでした、わたくしなどが訪ねてきたばかりに…。」
「違いますっ!永泉さんも来てくれなきゃ寂しいですよ。頼久さんとは明日も一緒だからいいんです!」
「神子…。」
出会った頃から変わらないあかねのくったくない優しさに永泉はやわらかな微笑を浮かべた。
あかねがたった一人、頼久を選んだことは事実だが、あかねが今でも八葉の全員を慈しんでくれていることに変わりはない。
そう思うと永泉の心は静かに凪ぐのだ、
「せっかくの宴だしね、何か楽の音でも披露しようか?神子殿。」
「ほんとですか?」
「ああ、琵琶でも琴でも笙でも、神子殿のお望みのものをお聞かせするよ。」
酒を片手に機嫌がいいらしい友雅があかねに向かって綺麗なウィンクを見せた。
あかねはわくわくしながら少し考えて、その視線を友雅から永泉へと向ける。
「えっと、じゃぁ、永泉さんも一緒に笛を聞かせてもらえませんか?友雅さんが琵琶で永泉さんが笛っていうのが聞きたいです。」
「神子…はい、神子が喜んでくださるのでしたら、つたない笛ではございますが、わたくしも一曲。」
「永泉様に合わせて頂けるのなら私は一曲といわず何曲でも。」
「有難うございます、それじゃぁ楽器を…。」
「それは私が手配してまいります。」
立ち上がろうとするあかねを制して頼久がすぐに奥へ消えると、すぐに楽器を携えた女房達と共に戻ってきた。
笛は永泉が持参したものの方がいいと言って懐から笛を取り出し、琵琶はあかねにと永泉が贈ったものを使うことになった。
友雅が琵琶の音を少しばかり調整しているうちに泰明が天へ向かって何かつぶやく。
すると、庭にちらちらと雪が降り始めた。
「うわぁ、雪。」
「お師匠がこの季節は雪などが風流だと言っていた。」
「って泰明さんが降らせたんですかっ?」
「そうだ、ほんの数刻のことだ問題ない。」
「問題ない、のかなぁ…。」
あいかわらずとんでもないことをしてくれる泰明に苦笑しながらも、友雅と永泉は視線を交わすなり演奏を開始した。
確かに雪とは風流なもの、ここで奏でない手はないというわけだ。
こうしてあかねの屋敷の庭には美しい琵琶や笛の音が響き渡り、あかねが想像していたのは少しばかり違ってはいたが、クリスマスの一日は楽しくも優雅に過ぎていった。
「少し残念だなって思ってくれました?」
夜。
話していた通りに紙燭を置いて、あかねと頼久は縁に座っている。
紙燭のほのかな明かりで庭のクリスマスツリーがほんのりと照らし出されている様子はなんとも美しい。
二人はそんなクリスマスの夜の風景を楽しんでいた。
「正直申しますと、かなり残念だと思っておりました。」
頼久は自分の腕の中で悪戯っぽく尋ねるあかねにそう言って笑って見せた。
あかねが八葉の皆とクリスマスの宴を楽しむと言ったとき、残念だと思ったのは半分本音だ。
もちろん、それでもあかねが楽しいのならかまわないとも思ったのだが。
「でもほら、頼久さんとはこうして夜もクリスマスを楽しめますから。」
「はい。」
「昼間は久しぶりにみんなに会えて楽しかったけど、やっぱりこうして二人でいるのが落ち着きますね。」
「落ち着きますか?」
「落ち着きませんか?」
腕の中で小首を傾げるあかねを眺めて、頼久は幸せそうに微笑んだ。
頼久にしてみれば自分が側にいることであかねが安らかでいてくれることが一番嬉しい。
「頼久さんは私と二人でいると落ち着きませんか?」
「いえ、そういうことではなく、神子殿がこの頼久の側が落ち着くと言って頂けるようになったのかと、そう思いまして。」
「そ、それは……その…なんというか、昔はほら、頼久さんは私のこと好きでいてくれるのかな?とか、嫌われたりしないかな?とか色々考えちゃって落ち着かなかったんですけど…ドキドキしていたと言うか…でも今は頼久さんがずっと側にいてくれるって信じてますし、やっぱり二人でいるのが落ち着きます。」
「そのように言って頂けるとは光栄です。」
「光栄だなんて大げさですよ。」
あかねはそう言って微笑むと、頼久の胸にもたれた。
そのあかねの体を両腕でしっかり抱きしめながら、頼久は小さな灯りに照らされているクリスマスツリーを見つめた。
「くりすますはお楽しみ頂けましたか?」
「はい、とっても。頼久さんも楽しみましたか?」
「私は…そうですね、今楽しんでいます。」
「はい?」
「今このようにして神子殿と夜の庭など眺めているのが一番幸福です。」
「ま、また頼久さんはそういう恥ずかしいことを平気で…。」
「恥ずかしくなどありません、真実です。」
相変わらずの頼久の態度にあかねはクスッと笑みを漏らした。
こんなふうに想いをストレートに伝えるところは全然変わらなくて、でもそれが嬉しくて…
うっとりと頼久の胸にもたれるあかねはそのまま静かに寝息をたて始め、紙燭の火が消えるまで頼久は小さなあかねの体をしっかりと抱きしめていた。
管理人のひとりごと
ということで2008年バージョンクリスマス短編でした♪
あかねちゃんと頼久さん、だいぶ夫婦がいたについてきたっていうお話です(w
久々に京残留組八葉も総出演で、管理人的には満足しています(’’)
現代版でクリスマスでもよかったんですが、せっかくだから京でもやってみたいということで今年は京バージョン。
習慣がそもそもないのでどうかなともおもったんですが、あかねちゃんがそこは頑張って説明したということで(’’)
以上、紫暗からのメリークリスマスでした(^^)
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