この日こそ
「本当にいいんでしょうか…。」

 あかねは困ったように眉を下げて小さく溜め息をついた。

 目の前にいるのは大切な旦那様。

 しかもその顔に浮かんでいるのは満面の笑顔だった。

「神子殿が気に病まれる必要はございません。全て、藤姫様のおはからいですので。」

「それはそうですけど…でも、一年で一番忙しいって言ってもいい時期なのに…。」

「だからこそ、私は神子殿のお側近くにいるべきだと藤姫様にきつく命じられております。」

 あかねが家に頼久がいることを嫌がるということはまずない。

 それなのに今、頼久が家にいてあかねが困惑しているのは、今日が大晦日だからだ。

 大晦日、元旦といえば内裏はもちろんのこと、藤姫のいる土御門邸も様々な行事や来客で大忙しのはずだった。

 ということは、屋敷の警護を万全にしなくてはならないはずで、そのためには頼久の手が不可欠といっても過言ではない。

 それなのに藤姫は新しい年をあかね一人きりで寂しく迎えさせてはいけないと、頼久を警護の任からすっかり外してあかねの屋敷へ帰してしまったのだった。

 あかねにしてみれば、頼久と二人で年を越せるのは嬉しいことに違いはないのだけれど、あかねのせいで武士団のみんなが指揮者である頼久を失ったのかと思うと申し訳ない気もする。

 ただ、目の前にある頼久の笑顔を見ると、自分はいいから仕事に戻ってくださいとはどうしても言えなくて、あかねはただただ溜め息をつき続けていた。

「藤姫様のおっしゃるとおりでした。」

「はい?」

「藤姫様は必ず神子殿は私がこの屋敷にいて武士団の方は大丈夫なのかと気をもまれるであろうが、何をおっしゃられても絶対に側を離れぬようにとおっしゃっておいででした。」

「藤姫…。」

 怨霊と戦っていた頃は星見としての力を発揮して、実際の年齢よりもずっと大人びた様子で力を貸してくれた藤姫は今でもあかねよりよほどしっかりしているらしい。

 あかねが何を考えるのかなどお見通しで、更にはそんなあかねのためと言えば頼久が藤姫の言うことを必ずきくとわかっていて屋敷へ帰している辺り、あかねももう苦笑するしかないしっかりさだった。

「武士団の者には細かなところまで指示を出してまいりました。何か判断に困ることがあれば、すぐ文で知らせるようにとも言ってあります。」

「あ、はい。」

「この年末年始に仕事が詰まった者は後日、ゆっくり休めるよう、私が仕事を代わる事も考えております。」

「そこまで…。」

「ですので、どうか神子殿には今宵ばかりは心安くお過ごし頂けないでしょうか。」

「頼久さん…。」

 まっすぐ正面から見つめる真摯な眼にあかねは頼久が真剣にこの年に一度の大切な日を自分と過ごしたいと思ってくれているのだと悟った。

 あかねはにっこり微笑むと、頼久に一つうなずいて見せた。

「わかりました。じゃあ、今年は頼久さんにいっぱい甘えちゃうことにします。」

「神子殿…有り難うございます。」

 微笑んで自分の望みを受け入れてくれた妻に、頼久は両手をついて深々と頭を下げた。

 頼久にとってあかねは妻であるのと同時に、敬愛すべき尊い女性でもある。

 それは、すっかり夫婦として共に過ごす姿が板についた今も変わらなかった。

「頭を上げてください。せっかくなんですから楽しく新しい年を迎えましょう。」

「はい。」

 二人は微笑を交わすと、そのまま視線を外へ向けた。

 御簾の向こうに見える庭はもうすっかり夕焼けで赤く染まっている。

 冬の陽射しはすぐに落ちてしまうから、もうすぐ庭には夜の闇が降りてくるだろう。

 そうなれば今年も残すところはあと数時間。

 そのわずかな時間を二人で過ごせるとなれば、頼久の顔からもあかねの顔からも幸せそうな笑みが消えることはなかった。

「頼久さん、お仕事だと思ってたので、夕餉の支度がきっと簡単になってますから、少しおかずを増やすように言ってきますね。」

「神子殿。」

 頼久は立ち上がって今にも厨へ駆け出そうとするあかねの腕をとると、優しく自分の方へと引いた。

 あっと声をあげて倒れるあかねの小さな体を優しく抱きとめて、頼久は妻を膝の上へと乗せてしまった。

「頼久さん?」

「夕餉はいつも通りでかまいませんので、しばしこのまま。」

「でも…。」

「何か事が起きればこの場を離れなくてはなりません、ですのでどうか…。」

 耳元で切なげにそう囁かれてはあかねに抵抗する術はなくて…

 あかねは小さくうなずくと、頼久の膝の上で頬を染めながら微笑んだ。

 一年の終わりの日、その陽が落ちる瞬間を二人はひたと寄り添って迎えようとしていた。







 御簾を下げているとはいえ、冬の夜は冷気が局に忍び込む。

 あかねは自分の肩を抱いてふるっと体を震わせながら御簾の向こうに見える月を眺めていた。

 御簾の内側からでも見える冴えた冬の月はとても綺麗で、あかねは飽きることなくその月を見上げていた。

 局にただ一人なのは、女房達が気を利かせてくれたから。

 本来なら今夜はあかねが一人で過ごすはずだったから、屋敷の中にはたくさんの人がいる。

 けれど、急遽、頼久があかねと共にこの夜を過ごすと決定したので、屋敷の中にいる人間は皆、仲の良い夫婦二人を水入らずにしようと気配を潜めていた。

 おかげで頼久とあかねは二人きりの幸せな一時を過ごしていた。

「神子殿、そろそろ奥へ入られてはいかがですか。」

 頼久は局に足を踏み入れてすぐに自分の肩を抱いているあかねを見て驚きながら、その小さな体の傍らへとかがみこむと、手にしていた単をあかねの肩へふわりとかけた。

「頼久さん…すみません、わざわざとってきてくれたんですね。」

「ずいぶんと冷え込んでまいりました。これくらいで寒さがしのげるかどうか…。」

「大丈夫ですよ、私、頑丈ですし。」

 そう言いながら単を抱き寄せるあかねの体があまりにも小さくて儚いことが気になって、頼久はすっとあかねを抱き寄せるとその肩をしっかりと抱いた。

「こうしていれば少しはましでしょうか。」

「ま、ましですね…。」

 耳元で囁かれた声にうなずいて、あかねは思わず視線を下げた。

 綺麗な月を見上げながら新しい年を迎えたくて、奥に入ろうという頼久にずっと逆らっていたのに、これでは月なんか見上げている余裕はなさそうだ。

「本当は奥へ入ってお休み頂いた方がよいのですが…。」

「でも、せっかく頼久さんと一緒にお年越しできるのに眠っちゃうなんてもったいなくて…。」

 新しく始まる一年を共に迎えたいのだといってくれることが嬉しいから、頼久は強くあかねに奥へ入って眠って欲しいとは言えなくなってしまう。

 二人で過ごすこの時を途切れさせてしまうことが惜しいと思っているのは頼久も変わりない。

 あかねの健康を思えば、無理にでも温かくして眠ってくれと懇願するのが自分の役目とわかっていても、頼久はただあかねの肩を抱く腕に力をこめることしかできなかった。

「頼久さんは行事のたびにとっても忙しいから、こんなふうに特別な日を二人きりで静かに過ごすなんて久しぶりですね。」

「それについては申し訳なく…。」

「あああ、違います!謝って欲しいんじゃなくて、たまにこんなふうに二人でいられるととっても幸せですっていうことが言いたかったんです!」

 慌てるあかねに頼久はふわりと微笑んだ。

 こんなふうにあかねが一生懸命に自分の幸せを伝えようとしてくれるのはいつものこと。

 初めのうちこそ二人でお互いに慌ててしまって何を言い合っているのかわからないような状態になったこともあったけれど、今となっては頼久もあかねの言葉を嬉しく静かに受け止めることができる。

 自分の腕の中でもぞもぞと慌てるあかねをひょいと膝の上に抱き上げて、頼久はぎゅっとあかねの体を抱きしめた。

「神子殿の世界ではこのように新しい年を迎えるのですか?」

「このように、ですか?」

「はい、このように夫婦二人で。」

「ああ、えっと、二人でっていうのは恋人同士とかが多いかなぁ。だいたいは家族みんなで過ごしますね。」

「家族で、ですか…。」

 また頼久の表情が曇った。

 あかねは自分の生まれ育った世界を捨ててこの世界に残った。

 だから、家族と言える人はこの世界にはいない。

 年の瀬を迎えてあかねが家族のことを思い出したのではと思うと、頼久の中には申し訳なさが渦巻くのだった。

 だが、いくら申し訳ないと思っては見ても、もう頼久にあかねを手放すことは不可能だ。

 寂しいのなら帰ればいいとは口が裂けても言えない頼久はただ眉間にシワを寄せて黙り込むしかなかった。

「頼久さん、また変なこと考えてますね。」

「変なこと、など…。」

「私が家族と新しい年を迎えられないのが申し訳ないとか考えてませんか?」

「……。」

 図星だ。

 あかねという女性は神子として頼久の主であった頃から心根の優しい、気配りのできる女性だった。

 その気配りが今となっては頼久のどんな想いをも見抜いてしまう。

 頼久は否定も肯定もできずにただ黙り込むしかなかった。

「もう、気にしないで下さいっていつも言ってるのに。」

「ですが…。」

「私にとっては頼久さんだってもう家族じゃないですか、旦那様なんですから……。」

 最後の方は少しずつ声が小さくなりながらもそう言ったあかねの言葉は確かに頼久の耳に届いて、あかねを抱く頼久の腕にかすかに力がこもった。

「では、神子殿はこちらでも家族と共に、あちらの世界と大差なくお過ごしだと思っても良いのでしょうか?」

「そ、そうなりますね…。」

 首まで赤くしてうつむくあかねの様子に頼久は幸せいっぱいの笑みを浮かべた。

「あちらの世界では家族でどのようなことをして過ごされるのかお教え頂けますか?」

 自分のことを家族だといってくれる人だから、ならばなるべく生まれた世界で過ごしたのと同じように過ごしてもらいたい。

 そんな想いから頼久の口をついて出た問いだったのだが…

 あかねの答えは頼久の予想だにしないものだった。

「ご馳走を食べたり、神社へお参りに行ったり…あ、あとは紅白見ますね!」

「紅白…。」

 赤と白がなんだというのか?

 頼久にはその単語だけでは全く理解できない。

 何をどう問えばいいのかと頼久が困惑しているうちに、あかねがはっと頼久の顔を見上げた。

「あ、ごめんなさい。わかりませんよね、紅白って言われても。」

「はい…。」

「えっとですね、男性と女性に分かれて歌合戦をするんです。」

「歌合戦、ですか…。」

「はい。歌っていっても和歌じゃない方のですけど…。」

「合戦ということは歌を競うのですか?」

「そうなんです。男性と女性、どっちが上手だったかを聞いていた人達で投票して決めるんです。それが終わるとちょうど年が改まるっていう感じですね。」

「神子殿も評価なさったのですか?」

「へ、あ、いえ、たいていの人はテレビで見るだけで実際にその場にいるわけじゃないから…。」

「てれび…。」

「ああああ、そっか、そこからですよね。テレビっていうのは遠くで起きている出来事を映し出してくれる箱みたいなもので、私も仕組みは詳しく知らないんですけど、たいていの家にはそれがあって、遠くでやってる歌合戦を見ることができるんです。」

「神子殿の世界には摩訶不思議なものがいくつもあるのですね。」

 以前にも夏の間を涼しく過ごすことができるというものがあると聞いたことがある頼久は、改めてあかねの生まれ育った世界が自分の生まれ育ったこの京とはかけ離れた世界であることを実感せずにはいられなかった。

 そんな世界からやってきたとなれば、あかねがどれほど不自由をしていることか。

 夏の暑い日はそれをよく心配した頼久だが、どうやらあかねが不自由しているのは夏だけではないらしいと悟って、その眉間にシワを寄せた。

「そんなふうにみんなでわいわいいいながら年を越すのがいつものことだったんですけど…。」

 説明に必死になっていたあかねがはっと我に返ったかのように言葉を止めるのを聞いて頼久はあかねの顔をのぞきこんだ。

 家族と過ごした過ごしやすい年の瀬を思い出して悲しんでいるのではないかと心配した頼久の目に飛び込んできたのは、なんとも幸せそうに微笑みながら頬をうっすらと赤く染めるあかねの顔だった。

 そんなあかねに優しく至近距離で見つめられて、頼久の意識がふわりと浮つく。

「神子殿?」

「お正月って家族みんなで楽しく過ごして凄くいいなって昔は思ってたんです。お祭り気分で大騒ぎして。でも、京ではそんなふうに大騒ぎすることってなくて、それが寂しくはないんですよね。」

「そう、なのですか?」

「はい。こうして頼久さんと二人きりでこんなに静かに新しい年を迎えられるなんて思っても見なくて、凄くなんていうか…幸せだなぁって思います。」

「幸せ…。」

 まさかこの話の流れでそんなことを言ってもらえるとは思わなかった頼久は、驚いた顔でじっとあかねを見つめた。

 あかねの笑顔は本物だ。

 その笑顔が作り物であるかどうかくらいは、いつも常にあかねのことを想っている頼久にはすぐにわかる。

 今のあかねの笑顔は本物に間違いない。

 ということは本心から幸せだと言ってくれている。

 そう悟って頼久は小さく安堵の溜め息をついた。

「大好きな人と静かに幸せに新しい一年の最初の日を迎えられるなんて、もうその一年がずっと幸せな気がしますから。だから、幸せだなって思います。」

「……私も、幸福です。」

 あかねが側にいてくれるだけで幸せな頼久だ。

 そのあかねが幸せだといってくれるなら、これ以上嬉しいことはない。

 ただ、そんな深い思いを伝える術を頼久は持っていない。

 普段から重い口がそんな複雑な想いを言葉にしてくれるわけもなく…

 ただ、自分も幸福であることは間違いないとそれだけは伝えたくて、頼久は必死に一言を紡いだ。

 するとあかねは嬉しそうに微笑を深くして、頼久の胸に頬を寄せた。

 腕の中にあるぬくもりのなんと幸福なことかと感激ひとしおだった頼久だったが、こうして二人で話をしている間に夜は更けに更け、局の気温もひどく下がっていることに気付いた。

 これ以上あかねをこの場に置くことはできないと我に返った頼久は、自分にすっかり身を寄せてくれているあかねの体をそっと抱き上げると、奥の寝所へ向かって歩き出した。

「頼久さん?」

「もうずいぶんと冷えてまいりましたので、奥でお休み下さい。」

「お休み下さいって、それじゃあ頼久さんはまるで外で警護するって言ってるみたいです。ちゃんと一緒に寝てくれますよね?」

 少し拗ねてみせるあかねは言いようのない愛らしさで、頼久は苦笑しながら首を縦に振った。

「もちろんです。神子殿が寒さで目覚めるようなことのないよう、この頼久がしっかり温めさせて頂きます。」

「あ、温めるのはいいんですけど…。」

 急に言いよどんでうつむいたあかねに頼久は小首を傾げた。

 自分は何か失言をしただろうかと慌てて紡いだ言葉を思い起こしてみても、あかねの気に触るようなことは言っていない気がする。

 無骨な自分などでは気付かないような失言だったのかと頼久が慌てているうちに、あかねの口から思いがけない言葉が転がり出た。

「あのですね、明日はイノリ君とか挨拶に来てくれるって言ってて。」

「はぁ…。」

「友雅さんも少しだけ顔を出すって…。」

「はい。」

「それに、藤姫のところに挨拶に行こうと思ってるんです。」

「はい、承知致しました。」

「本当に?」

「は?」

 何を問われているのかわからなくて、頼久は小首を傾げた。

 どうやらあかねの機嫌が悪いわけではないらしいが、自分は何かを疑われているらしい。

 そう思っても頼久には心当たりがない。

「明日、起きられないっていうのは困るんです…。」

 顔を真っ赤にしてそう言うあかねを見つめて、頼久はやっと何を言われているのかに気付いた。

 なるほどそういうことかと気付いてしまえば、なんとも愛らしいお願いで頼久の頬が自然と緩む。

「神子殿のおっしゃりたいことは承知致しました。明日は早く起きて客人を迎える用意を致しましょう。」

「頼久さん…有り難うございます。」

 腕の中で幸せいっぱいの顔をする愛しい人を見つめて、頼久はすぐに視線をその笑顔から外した。

 大切な妻の愛らしいお願いをかなえるためにはどうやら自分の理性を総動員しなくてはならないということに気付いたからだ。

 頼久は褥の上まであかねを運んで下ろすと、意識してゆっくりと、胸の内で己を落ち着かせながらあかねに深い口づけを贈った。








管理人のひとりごと

遅ればせながら年越し短編です!
ネタを思いついちゃった以上はやります(っдT)
年越しと言えばこれ!っていうのが紅白って今もそうなんだろうか…
ちなみに管理人は紅白は見ません(’’)
長すぎて…だるい…(マテ
クラシック見ますね、管理人は。
そして正月は雅楽を聞いて過ごします(^^)
ってなことを考えていたら思いついた、頼久さんがこっちの世界の正月の話を聞いても何がなんだかになるんだろうなってお話でした(’’;









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