心から
 あかねと頼久はあてもなくゆっくりと歩いていた。

 冬は寒くてついつい屋敷の中でじっとしているので太ってしまうと心配したあかねがダイエットのためにと散歩を始めたのだ。

 もちろん、あかね一人で外を歩かせるなど危険極まりないので、自然と頼久が供をすることになる。

 だから、あかねと頼久は少しばかり寒さが肌にピリピリと感じるようになった朝の京を並んで歩いていた。

 以前はあかねの数歩後ろを歩いていた頼久だが、さすがに許婚となってからそれをやったところ、こっぴどくあかねを怒らせてしまい、あげく、私の隣を歩くのは恥ずかしいですか?などと言われてしまった。

 青白い顔で必死にそれを否定した頼久は、じゃぁ隣を歩いてくださいという涙目の愛らしいあかねのお願いを拒めるはずもなく、最近では特に抵抗もなくあかねの隣を歩くようになっていた。

 最近のあかねは本人の自覚とは関係なく、やたらと人目を引く。

 つい先日までは神子としての無垢さと子供っぽさとが同居していた少女だったが、命をかけた戦いを経て成長したあかねの花開いたような美しさはとにかく男の目を引いた。

 おかげで頼久としては心休まる暇もない。

 龍神の神子というだけでも一人で出かけるなど危険でしかたがないが、こうも美しく成長してしまったあかねは神子として以上の価値を得てしまったようで…

 頼久は最近、あかねが外を歩くたびに、男達があかねを見つめている視線が気になってしかたがない。

 龍神の神子であることを知らない者までが、あかねにうっとりとした視線か情熱的な視線かを投げかけてくるのだ。

 今までは八葉だけ牽制していればよかったが、最近はライバルが増えたというわけだ。

 だから、あかねを一人で出歩かせるなどということはもってのほかで、常に頼久が警護と称してついて歩くことになる。

 だが、あかね本人はというと自分がそんなふうに異性の目を引いているなどとは露ほども思っていないらしく、屈託ない笑顔で機嫌よさそうに歩いていた。

「きれい。」

 頼久が辺りに人はいないかと警戒して歩いていると、あかねがつつと少しだけ先に駆けて行って足下の花に微笑みかけた。

 咲いていたのは名もわからない小さな白い花だ。

 博識な鷹通や風流なことに詳しい友雅なら花の名前くらい簡単に口にできただろうが、頼久にはあいにくとその手の知識はあまり詰め込まれていない。

 だから、頼久はただ清らかな笑みを浮かべるあかねを優しく見つめる。

 ただ何気なく花を見て微笑むあかねの優しい心も、愛らしいその顔も、たたずむ華奢な姿も全てが愛しくて。

 愛しくて愛しくてたまらない、ただただその想いだけに満たされてひたすら見つめるしかできないのだ。

「あ、ごめんなさい、急に立ち止まっちゃって。」

「いえ、私のことはお気になさらず、神子殿の御心のままに。」

 自分を気遣ってくれる愛しい人の想いが嬉しくて頼久の顔にはまた深い笑みが浮かぶ。

 そんな頼久の笑顔が嬉しくて、やはりあかねも幸せそうな笑みを浮かべるのだ。

 そして二人はまた並んで歩き出した。

 隣を歩くあかねの横顔をたまに盗み見て、頼久はその顔に穏やかな笑みを浮かべた。

 それを歩いている間、何度も繰り返す。

 たまに腕が触れ合うほどの位置にいる愛しい人。

 その気配を感じるだけでも幸せだと思っていたのに、今ではその笑顔が見たい、その声が聞きたいと望みは増えるばかりで…

 いつから自分はこんなふうになったのだろうと自問して苦笑して、はっとあかねが急に駆け出した事に気付いた頼久はその後を追う。

「うわぁ、かわいい。」

 いつの間にか二人は市が立っている場所にたどり着いていたらしく、あかねはというといち早く見つけた売り物に見惚れていた。

 辺りに怪しい気配はない。

 それを確認して頼久は少しだけ距離を置いてあかねを見守ることにした。

 もちろん、あかねの安全を確保するためには少し距離をとって辺りを見回していた方がいからだが、それ以上に今の頼久は楽しそうにしているあかねをそっと見つめていたかったのだ。

 以前、市へ行くあかねの供をした時、売り物を見て歩くあかねにお望みでしたら購って参りますがと声をかけたところ、別にほしいわけではないと全て断られてしまい、以来、頼久はあかねの買い物には口をさしはさまずに見守ることにしている。

 あかねが言うにはこれは「うぃんどうしょっぴんぐ」というあかねの世界の習慣だそうで、別に必要なものがなくても売り物を見て回るだけで楽しいということだったので、頼久もあえて口を出さないことにしたのだ。

 今もあかねは次々に売り物を見て回ることが楽しいらしく、愛らしい顔に楽しそうな笑みを浮かべて歩いている。

 少し売り物を見ては次の売り場へとまるで小鳥が気紛れに木の枝にとまりながら飛ぶように歩いていたあかねだったが、やがて急に足を止めて何かに見入っているのに頼久は気付いた。

 そこは小さな器をたくさん扱っている売り場で、どうやらあかねはそのうちの一つがいたく気に入ったらしい。

 珍しく小さな器の一つにずっと見入っているあかねにこれは声をかけた方がいいかと頼久が歩み寄ろうとしたその時、向こうからあかねに近づいてくる若い男の姿が目に入った。

 明らかにあかねに何か声をかけようとしている。

 頼久は数歩あかねの方へ歩み寄ると、武士らしい鋭い殺気を放ちながら男をにらみつけた。

 ぴたり。

 若い男の足が急に止まり、そのまま顔面が蒼白になる。

 あかねはどこぞの尊い姫君で頼久はその護衛と理解したものか、若い男はそそくさと人込みの中へ姿を消した。

 これだから油断ならぬと頼久が心の中でつぶやいて溜め息をつくと、あかねが小首を傾げて頼久を見上げた。

「頼久さん?何かあったんですか?」

「いえ、何もございません。お気になさらず。それよりも神子殿、そちらの器がお気に召したのですか?」

「あ、お気に召したっていうか、かわいいなぁと思って。」

「購ってまいりましょうか?」

「ん〜、かわいいなあとは思うんですけど、でも、何に使うかわからないし…。」

 気に入ったものがあったのなら片端から購っていけばいい。

 それだけの力があなたにはおありなのですと言おうかと考えて、だが頼久はそれをやめた。

 この京でも二人といない尊い龍神の神子は、自分が尊く身分高き存在なのだということを認めないのだ。

 自分はみんなと同じ人間、武士でも庶民でもみんな同じ仲間、怨霊と戦っていた頃もそう言って譲らなかったのだから。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの左大臣家の養女という扱いのあかねだ、手に入らないものはないほどの権力を背後に持っているのだが本人はその権力を使うということを発想もしない。

 変わらぬ神子の美しい心根に惚れ直しながらも頼久は苦笑した。

 この小さな器一つを買うか買わないかで悩み続けている少女のことがやはり愛しくてしかたがない自分に気づいて…

「やっぱりやめておきます。使い道がないのに買うなんておかしいし、買っても使わないだろうし、使わないんじゃもったいないし。」

 そう言って微笑んで見せてあかねはまた歩き出す。

 買わないという選択は頼久の予想通りだった。

 とにかくこの少女は贅沢をするということを知らないのだ。

 使わないものならばもったいないから買わない、それは何度か聞いたことのあるあかねの言葉だった。

 この京を救った唯一無二の龍神の神子だというのに庶民のようなことを言うこの少女はだが、それが自然だと言うのだ。

 頼久は再びあちこちの売り物を見て回るあかねに従った。

 市には様々なものが売られている、美しい染物や、時には牛が売られていたりもする。

 それらをいちいち驚いたり感動したりしながら見て回るあかね。

 ころころとよく表情の変わるその姿を見つめているだけで頼久は幸福に満たされた。

 こんなふうに自然体で楽しむあかねの側に常にいることを許されたのは自分一人なのだ。

 その事実がこれほど自分を幸福にするとは思ってもみなかった。

 いや、たった一人の女性の存在がこうも自分というものを変えてしまうとは夢にも思わなかった。

 そんなことを思って歩いているうちに二人は市を抜けていた。

 市を抜けると人通りは格段に減って、頼久は自然とあかねの隣に並んで歩き出した。

「凄い人の数でしたねぇ。」

「はい。」

「頼久さんは何かお買い物とかなかったんですか?」

「はい、私は特には。」

「ごめんなさい、私ばかりなんかよけいなところいっぱい見ちゃって…。」

「いえ、神子殿のお望みで出た散歩ですのでそのようなことはお気になさらず。」

 そう言って頼久が微笑んで見せれば落ち込みそうだったあかねもすぐに笑顔を取り戻す。

 そして二人はまた言葉もなく屋敷への帰路につくのだ。

 以前は何も話すことのない時間があかねにとって苦痛なのではなかろうかと心配した頼久だったが、今はもうそんなことを気にはしない。

 あかねは黙っていても、何語ることがなくても幸せなのだということを全身から発する気配で語ってくれるから。

 だから自分もあかねといられることがそれだけで幸せなのだと全身で、視線で語ってみる。

 言葉が苦手だからこそ。

「よ、頼久さん。」

「はい?」

「そんなに見つめられると恥ずかしいんですけど…。」

 あかねが急に隣で赤くなってうつむいた。

 どうやら頼久が自分の幸せを伝えたいと送った視線があかねには恥ずかしいらしい。

 だが、それは、頼久の想いが伝わったという証だ。

「申し訳ありません。気をつけます。」

 謝りながら頼久はやはり優しい視線であかねをからめとる。

「さ、最近の頼久さんはすぐそうやってじっとこっちを見てるから…なんていうか…恥ずかしいんですよね…。」

「ご迷惑をおかけしているのでしょうか?」

「ち、違いますっ!う、嬉しいんですけど、恥ずかしいんです……。」

 嬉しいと言われて頼久はほっと安堵の溜め息をついた。

 これで迷惑だと言われてしまったらもうどうしていいかわからないところだった。

「会ったばかりの頃の頼久さんは私のことをそんなふうには見てくれなかったから。だから今はそういうふうに見つめてくれて嬉しいっていう気もするんですけど…ずっと見つめ続けられるとちょっと恥ずかしいと言うか…。」

「私が神子殿を見つめる目はそんなに以前は違いましたか?」

「え、はい、違いましたよ?」

 そう言われても頼久には何がどう違っていたのかがわからない。

 今となってはもう、以前からずっとこの愛しい人に熱いまなざしを向け続けていたようなそんな気さえしてしまうのだ。

「その…どのように違っていたかお教え頂けますか?」

「えっとですね…最初はこう、とがった感じ、鋭いっていうか。そりゃそうですよね、頼久さんは武士で、藤姫ちゃんのお屋敷を警護してたわけだし。次に八葉だってわかった後は凄く静かで冷静な感じでした。でも、冷静な分、他人行儀っていうか距離があるっていうかそんな感じ。」

「では、今は神子殿は私の視線をどのように感じていらっしゃるのでしょうか?」

「それは、その…凄く暖かくて、包み込んで守ってくれるみたいな……。」

 と、その先は言いよどんであかねは真っ赤になってしまった。

「それだけ、でしょうか?」

「はい?」

 急に隣から降ってきた頼久の声が暗く沈んでいて、あかねは驚いて視線を上げた。

 目に入ってきたのは憂いにかすむ紫紺の瞳。

「えっと、え?」

「私はいつも神子殿をお慕いしている想いをこめて神子殿を見つめているつもりでいたのですが…。」

 自分の想いが伝わっていると思っていたのは勘違いだったのかと頼久がうつむくと、あかねはそんな頼久にぶんぶんと首を振って見せた。

「わ、わかってますっ!伝わってますから!その…包み込んでくれるっていっても保護者っていう感じじゃなくて、凄く大切で大好きっていうのが伝わる感じって、そういおうとしてましたからっ!」

 必死に語るあかねの言葉を聞いて頼久の顔にぱっと笑みがさした。

 その整った顔に一瞬見惚れたあかねは次の瞬間、自分が何を口走ったのかに気づいて真っ赤になるとすたすたと足を速めて歩き出した。

 クスッと笑って頼久がその隣を歩く。

「もう、頼久さんはいつからそんなに直球でお慕いしてるとかそういうことを平気で言うようになっちゃったんですか…。」

 可愛らしくあかくなっているあかねのつぶやきを聞いて頼久は小首をかしげた。

 さて、いつからだったか?

 自分は兄の死にとらわれ、武士であるという自分の立場にとらわれ、己を殺し続けていたはずだった。

 それが今では一人の女性を慕っていると平気で口にするようになっている。

 それがいつからなのか、自分では全く意識がなかった。

 これといって自分が変わった瞬間はわからない。

 だが…

「以前の私と比べると確かに大分変わったと思います、自分でも。ですが、いつ変わったかといわれればいつからなのかはよくわかりません。」

「そ、それはまぁ、そうですよね。」

「ただ、わかることもあります。」

「はい?」

「私が変わり始めたのは神子殿にお会いしたあの瞬間からです。神子殿にお会いできなければ、今の私はありませんでした。それだけは確かです。」

「頼久さん…。」

「このように一人の女性を心からお慕いすることもなかったでしょう。」

「はぅっ。」

 思いもかけないところで思いもかけない告白を受けて、あかねは真っ赤になって歩みを止めた。

 そんなあかねを頼久はにっこり微笑んで横抱きに抱き上げると、すたすたと歩き出す。

「よ、頼久さんっ!」

「何か?」

「何かって……もぅ……。」

 どうやら解放してくれる気はさらさらない様子を察してあかねは真っ赤な顔のまま抵抗するのをやめた。

 頼久は果てしなく幸せそうに微笑んでいて、こうなったらもう絶対に下ろしてはもらえないと観念したのだ。

 人通りもほとんどない屋敷の近くまできていたから頼久にされるがままになっていたのだが、屋敷についても下ろしてはもらえなくて、結局あかねはそのまま自分の屋敷の庭を許婚に抱かれて歩くことになってしまった。

 そして、自分の局が見えて、やっと解放してもらえると思ったその瞬間、まだ縁までは距離があるところで頼久の足が止まった。

 不思議に思ってあかねが視線を上げると、頼久の綺麗な紫紺の瞳がぐっと近づいてきて…

「よ、頼久さんっ!」

 油断したところに軽く口づけられてあかねは更に赤くなってうつむいた。

「どれほど私がお慕いしているかをお伝えしたかったので。」

「さっき伝わってるって言ったじゃないですか…もぅ…。」

 そうはいいながらも突然の口づけはやっぱりちょっとは嬉しくて、あかねは結局頼久にはかなわない。

 そのまましばらく抱きしめられて、寒いはずの冬の庭で暖かい想いに包まれて…

 抱きしめる頼久も抱かれているあかねも幸せな冬の一時を静かに過ごすのだった。








管理人のひとりごと

校正してて自分で砂を吐きましたΣ( ̄ロ ̄lll)
仲がいいところをね、書きたかっただけなんです、たぶん…
何しろこのお話、思いついて2時間くらいで書き上げており…
何も考えてなかったんだね、自分(’’;
一応、校正の段階でおかしなものは全て修正しましたのでお許しを(っдT)
ただただ頼久さんはあかねちゃんだけ見つめてるっていう、そういうお話です、たぶん…




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