
あかねは縁側に座って輝く庭を眺めていた。
ここはあかねの婚約者である頼久の自宅。
庭が輝いているのは先程まで降り続いていた雨が止んだばかりで、草木に宿る水滴が差し込む日差しを反射しているからだ。
あかねがこの家を訪れてすぐに降り出した雨は家の中にいても雨音がしっかり聞こえるほど強く降って、そして1時間もしないうちに止んだ。
雨の降り方はもう夏だななどと思っていると、あかねの背後で扉の開く音が聞こえた。
それは頼久が書斎の扉を開いた音だった。
あかねが微笑みながら振り向けば、頼久は後ろ手に扉を閉めながら、やはりあかねに微笑を浮かべて見せた。
朝から仕事が立て込んでいた頼久は、自分のことは気にしないでほしいというあかねの言葉に従って書斎にこもったのだ。
そしてあかねが想像できないほどの速さで仕事を片付けて、書斎から出てきたのだった。
「止みましたか?」
「はい、もうすっかりいい天気ですよ。お仕事終わったんですか?」
「はい、急ぎのものは。」
穏やかな笑顔でゆっくり歩き出した頼久はすぐにあかねの隣へと腰を下ろした。
「お疲れ様でした。」
「いえ、疲れるというほどのことではありませんが、あかねをお待たせすることになり、申し訳ありませんでした。」
「そんな、お仕事なんですから気にしないでください。お庭が綺麗で見ていて飽きませんでしたし。」
「確かに。」
楽しそうなあかねの視線を追って頼久が庭へと目を向ければ、そこには先程まで雨に打たれていたとは思えないほど輝く庭が広がっていてまぶしいほどだった。
「雨上がりの庭って綺麗ですよね。」
「はい。」
ニコニコと楽しそうなあかねの隣で頼久も幸せな笑みを浮かべて、それから何かを思い出したように考え込んだ。
すぐにあかねが気付いて頼久の顔を覗き込む。
「どうかしたんですか?頼久さん。」
「いえ、その……本当によろしかったのですか?」
「何がですか?」
「その……婚儀のことです。」
「ああ。」
問う頼久は恐る恐るといった様子だが、問われたあかねの方はといえばその顔には笑みが浮かんでいた。
頼久があかねに聞いたのはもちろん二人の結婚式のことだ。
あかねは頼久のプロポーズを受けてから、それはもうジューンブライドにするのだと張り切っていた。
ところが、準備をしている間にやっぱり秋にしたいと言い出した。
頼久の方は招待する人間と言えば天真達くらいのものだったし、そもそもがあかねのために結婚式を行うようなものだから問題はない。
けれど、途中まで張り切っていた6月の結婚式を急に秋まで延ばすと言い出したのには驚いた。
何か不都合があったのかと心配になるものの、何か聞かれたくない理由があってはとこれまでは黙っていたのだ。
いざ質問をぶつけてみれば、あかねはどうということはない様子で、頼久はほっと小さく安堵の息を吐いた。
「6月の花嫁は幸せになるからと、張り切っておいでだったので。」
「それが、違ったんです。」
「は?」
「その6月の花嫁っていうのは結婚式場になることが多いホテルとかの宣伝だったらしいんです。」
「はぁ…。」
「で、よくよく考えてみたんですけど、6月ってこの通り、雨が多いじゃないですか?」
「それはまぁ、梅雨、ですので。」
「ですよね。せっかくならなるべく晴れてる方がいいし、6月はけっこう式場が混み合うんです。」
「はぁ…。」
「つまり、式場を借りるのも衣装を借りるのもみんな高くなっちゃうっていうことなんです。」
「そのようなことは…。」
「頼久さんがそういうこと気にしなくていいって言ってくれるのはわかってるんですけど、私は気になります。」
「はぁ…。」
「秋のからっと晴れた日に結婚式っていうのが一番いいなぁって思ったんですけど…頼久さんは都合悪かったですか?」
「いえ、私はいつでも。」
「なら、秋にしましょう。ちょうど夏の暑さが和らいだ頃がいいと思うんです。」
「なるほど。」
「それに、良く考えたら私、6月の花嫁にならなくても幸せになれますし。」
「そう、なのですか?」
「はい、だって頼久さんのお嫁さんにしてもらえるんですから。」
これ以上ないほど幸せそうに微笑むあかねに見惚れて、それから頼久はあかね以上に自分の幸福を噛みしめた。
頼久にしてみれば、結婚式などというものは別段、いつどのように行われても一向にかまわないものだった。
できる限りあかねの望み通りにという程度にしか考えていない。
ただ、一つだけ頼久に結婚式について望みがあるとすれば、それは時期だった。
できるだけ早く。
それが頼久の結婚式というものに対する唯一の希望だ。
今回、あかねが結婚式を秋に設定した理由を知りたかったのは、形はどうあれ延期となったからだった。
理由を聞いてしまえばあかねらしいしっかりした理由で、頼久は己の未熟さに心中で苦笑を漏らさずにはいられなかった。
「ほ、本当は、なるべく早くっていうのも考えたんですけど…。」
「は?」
「こういうことは焦るといいことがないのよってお母さんに言われて、ゆっくりきちんと準備できるように秋にしました。」
「なるほど。」
口では頬を赤くしているあかねに同意しながら、頼久はあかねも同じことを考えていてくれたのかという喜びを噛みしめた。
「一生に一度のことだからって言われると確かにそうだなって思ったんです。それに…。」
一瞬言い淀んだあかねは上目づかいに頼久の顔を見上げると、今までも赤かった頬を更に赤く染めてぼそぼそと次の言葉を口にした。
「楽しいことは長く続いた方がいいとも言われて、そうだなって思ったので。」
顔を真っ赤にしてあかねの口から放たれた言葉は頼久を一瞬で世界一幸せな男にしてしまった。
自分との結婚をこれほど幸せで楽しいものだと言ってもらえるとは。
感極まって頼久があかねの小さな体に手をのばそうとしたその時、あかねの目が大きく見開かれて、その体は跳ねるように庭へと飛び降りていた。
「あかね?」
「頼久さん、見て下さい、蝸牛(かたつむり)ですよ。」
楽しそうに見下ろすあかねの視線の先には、紫陽花の花が綺麗に咲いていた。
そしてその下にある大きな葉の上にゆっくりと歩みを進める蝸牛の姿があった。
「かわいい。」
ゆっくりと跡を残しながら歩いていく蝸牛をあかねは優しい笑顔で見守っていた。
隣に並んで頼久もあかねに習って微笑ましい小さな生き物を観察する。
そうしてみれば雨上がりの庭は思っていた以上に穏やかで幸福だ。
「こんなふうにゆっくり進んでいくのもいいんですよね、きっと。これからはずっと頼久さんと一緒にいられるんだし。」
「……はい。」
たった一言の返事に頼久は思いの全てを乗せた。
焦る理由などもう一つもないのだ。
京であかねと共に戦っていた頃とはもう違う。
いつの日か違う世界へ帰ってしまうであろう人を想って焦燥に駆られることはないのだ。
その事実がどれほど幸福なことかと思えば、結婚式が春から秋へと延期になったことくらい、あかねの言う通りどうということではないのだ。
「そうだ、天真君に新婚旅行はどこにするんだって聞かれたんですけど…。」
「私はどこへでも…。」
「あ、私も別にどこでもいいし、行かなくてもいいって思ってたんですけど。」
「いえ、それは、これも一生に一度のことですので。」
「天真君にもそう言われました。それもあって結婚式は秋がいいなって思ったんです。」
「新婚旅行のため、ですか?」
「はい、普通は結婚式が終わったらすぐに新婚旅行じゃないですか。だったら旅行はやっぱり晴れてる方がいいと思ったんです。」
「なるほど。」
「で、秋で紅葉なんかが綺麗な季節に式場がとれたら、結婚式が終わったらそのまま温泉に行くとかどうですか?紅葉の綺麗な露天風呂とかいいと思うんです。」
「それは名案です、是非そのように。」
「はい!」
頼久が即答であかねの意見に従えば、あかねは嬉しそうに一つうなずいた。
季節は梅雨。
雨の滴が梅雨のほんの切れ間の陽射しに輝く中で、頼久とあかねは二人寄り添って蝸牛が紫陽花の影に隠れてしまうまで見守っていた。
二人の脳裏にはやがてやって来るであろう紅葉の季節と、彩豊かな自然の中で湯気を上げている温泉が浮かんでいた。
管理人のひとりごと
気付いたらね!梅雨でした!(ノД`)
今年は管理人の生息地もなんだかこの季節、やたらとジメジメしていておかしな感じなんです。
こっちは梅雨ないはずなんですけどねぇ。
ということで、ジメジメネタで1本でした(’’)
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