薫る花を
 頼久は浮かない顔で帰路を歩いていた。

 武士団の勤めを終えてあかねの待つ屋敷へ帰る途中なのだが、いつもは飛んで帰る頼久のその足取りがここ数日、重いものへと変わっていた。

 それというのも数日前から妻であるあかねの様子がおかしいのだ。

 おかしいといっても病気のようだとか気落ちしているとかそういう類のおかしさではない。

 あかねは頼久の妻になってからというもの、この京の女性として恥ずかしくない女性となるべく、日々努力を重ねている。

 頼久としてはそんな努力は全く必要ないくらいあかねは立派な女性で魅力的だと思うのだが、あかねは頼久にふさわしい妻になるのだと日々の努力を欠かさないのだ。

 だから、最近は屋敷から外出することもほとんどなくなっていたし、屋敷にいる間は琴の練習をしたり書物を読んだりしている。

 そのあかねが最近とても落ち着かない。

 食事の時にぼーっと考え事をしていたようだから、何か気になることでもあるのかと聞いてみたけれど、なんでもないといわれてしまった。

 あかね大事の頼久ではあるが、あかねがなんでもないというのにそれ以上追求するようなことができるはずもなく、その日はそのまま食事を終えた。

 ところが、その翌日、頼久が屋敷を訪れてみると、あかねは慌てて何かを後ろ手に隠した。

 もちろん、それが何かなのは気になったけれど、大切な妻が隠そうとしている物を問い詰めて暴くなどということはとうていできず、頼久は何も気づかなかった振りをしてその日を過ごした。

 更に翌日、頼久が仕事を早めに終えて帰宅すると、そこには永泉の姿があった。

 おそらくは永泉が持参したのだろう菓子を前に座って談笑する二人を庭から眺めて、頼久は思わず武士溜りへ戻ろうかと思ってしまった。

 何故なら、あかねはとても楽しそうに微笑んでいて、永泉もその前で幸せそうな顔をしていたから。

 二人はとても自然で似合っていて、あかねが今は自分の妻なのだとわかってはいても、二人の間に自分が割って入るようなことは許されない気がして。

 だが、そんな頼久の帰宅に気づいて、あかねが顔を真っ赤にしたので頼久は慌てて二人の前に進み出た。

 それ以降はどうということはなく、永泉も快く頼久を迎えてくれたのだが、あかねは何か会話がぎこちなくて永泉を見送ってからもしばらく赤い顔をしていた。

 もちろん、どうしてぎこちなかったのかを聞くこともできず、頼久は昨日を迎えた。

 永泉とのことがあったから、昨日、あえて早めに帰宅してみた頼久はあかねの不在を知って驚いた。

 ここのところ屋敷を出ることがほとんどなかったあかねが外出。

 しかも、頼久には一言もそんな話をしていなかったのにだ。

 屋敷の者にはしっかりと行き先を言っていたので、頼久が右往左往するような事態には陥らなかったが、それでもあかねにしては珍しい外出だったことは間違いない。

 行き先はイノリのところということだったから、頼久も屋敷でおとなしく待つことにした。

 イノリは元八葉の一員でもあるから、あかねの身に危険が及ぶようなことはないだろうと判断したのだ。

 何やら楽しそうに帰宅したあかねが、濡れ縁に座る頼久の姿を見つけて慌てふためいた姿は今も頼久の脳裏に焼きついている。

 それは、明らかに何か隠し事をしていて、それを見つけられたのではないか?といった類の動揺に見えたのは頼久が疑い深くなっていたからというわけではなかったはずだ。

 明らかに何かを隠したがっている様子のあかねのたどたどしい説明を頼久はただ静かにうなずいて聞き入れた。

 あかねが何か隠したいのならやはり暴いてはならないと思ったからだ。

 万が一にもこの妻が、自分の災いになるようなことを隠れてするわけがない。

 そう信じてもいる。

 だから、頼久は我慢して問わずにおいた。

 きっとそのうちきちんと話してくれるだろうとも思っていたからだ。

 そう信じてはいても、やはり隠し事をされるというのは気持ちのいいものではない。

 だから今、頼久の足は果てしなく重くなっていたのだが…

 武士溜りがある土御門邸とあかねの屋敷とはほぼ目と鼻の先。

 歩いて数分のところにあるのだから、いくら重い足取りでもそう時間はかからない。

 頼久は夕暮れ時の紅の中をあかねの元へ向かって歩を進めた。

「神子殿、ただいま帰りました。」

 いつものように庭から濡れ縁へ回った頼久は、下ろされている御簾の前でそう言うと、その場に片膝をついた。

 これはもちろん武士としてあかねに仕えていた頃の名残で、最近ではあかねにそんなことをせずにすぐ御簾を上げて中へ入ってくださいと怒られたりもしているのだが、一度身についた習性はなかなか直らないものだった。

 今回も怒られるのだろうかと思っていた頼久の目の前で、御簾はゆっくりめくられて、向こう側からどこかぎこちない笑みのあかねが顔を出した。

「お、お帰りなさい、頼久さん。早かったんですね。すぐ夕餉にしますね。」

「はぁ…。」

「えっと、ちょっと散らかってるのでもうちょっとそこで待っててもらっていいですか?」

「はい…片付けでしたらお手伝い致しますが…。」

「だ、大丈夫です!頼久さんは仕事で疲れてるんですからそこでゆっくりしててください!」

 急に大きな声でそういったあかねは慌てて御簾を下ろすとごそごそと奥へ入っていってしまった。

 またかと頼久は溜め息をついてしばらく考えて、その手は御簾の裾へとかけられた。

 あかねはまた何かを隠したい様子だが、もし中が本当に何かで散らかっているのなら片づけを手伝いたいというのも本心だ。

 いつもは御簾を勝手に上げて入ってくださいとあかねは言い続けているのだから、今そうしても問題はないはずだ。

 そんな言い訳を自分の中でしながら、頼久は御簾をくぐって中へ入った。

 するとそこには…

「よ、頼久さん!本当に一人で大丈夫ですから!」

 あかねが慌てて片付けていたのは香を合わせるための道具と香木の数々だった。

 そしてその場にはそれらの香が放つ薫りの他にほのかに香る侍従の薫りが残っていた。

 頼久は一瞬であかねが何をしていたのかを悟ってその眉間にシワを寄せた。

「神子殿…。」

「すぐ片付けますから!」

 慌ててバタバタと道具を片付けるあかねの手からその一つを取り上げて、頼久は深い溜め息をついた。

「頼久さん?」

「神子殿が何かなさるたびに詮索をするのはどのようなものかと思い、これまで黙って参りましたが、今日は友雅殿がおいでだったのですか?」

「えっと……お香でわかっちゃうんですね、頼久さんは……はい、来てました。」

「香を学んでおいでだったのでしょうか?」

「はい。」

「つい先日、お好みの香がうまく合わせられるようになったとおっしゃっていたかと思いましたが?」

「それはそうなんですけど…その他にもちょっと……。」

 言いづらそうにうつむくあかねを見て、頼久は再び深い溜め息をつくと辺りに散らかっている道具の数々を手早く片付け始めた。

 もともとこういったものには無縁の生活を送ってきた朴念仁の頼久だが、最近は妻の話を聴きながらそれらをよく眺めていたから扱いも心得たものだった。

 この場に残る侍従の香が頼久の胸を締め付けてやまないのを必死に隠しながら作業を進める。

 あかねはそんな頼久に泣きそうな顔を見せた。

「頼久さん、本当に、私がやりますから…。」

「……。」

「頼久さん…。」

「……これくらいは、お手伝いさせて頂けませんか…私にも、これくらいは…。」

 地を這うような低い声。

 普段はあかねがステキだとほめるその頼久の声も、今は地に溶け込むような重さをはらんでいて、あかねははっと目を見開いた。

 頼久がどんな思いで散らかる道具の片づけをしているのかに気づいたから。

 次の瞬間、あかねは頼久にきつく抱きついていた。

 その体からはほのかに梅香が香って、あかねは愛しい人の薫りをいっぱいに吸い込んだ。

「頼久さん、大好きです。」

「神子殿…。」

「本当に、頼久さんのことが誰よりも大好きです。」

 優しい天女の声は頼久の胸を縛り付ける嫉妬から静かに頼久を救い出した。

 たとえあかねが自分の不在に誰と何をしていたとしても、今この瞬間、こうして自分を好きだと言ってくれるのならそれだけでいい。

 頼久はそんなことを思いながらあかねの小さな体を抱きしめた。

「友雅さんには私がお願いして来てもらったんです。教えてもらいたいことがいっぱいあって…でも、それだけです。お勉強しただけですから。」

「はい…。」

「私が大好きなのは頼久さんだけですから、心配なんてしないで下さいね?」

「心配は、しておりません。」

「でも今…。」

「嫉妬、していただけです。」

 そっと体を離せば至近距離に苦笑する頼久の端整な顔があって、あかねははっきり嫉妬と言った頼久を前に顔を真っ赤に染め上げた。

「え、えっと、嫉妬もしないで下さい…。」

「では、ご説明頂けますか?」

「何を、ですか?」

「ここ数日、何をなさっていたのかです。先日、食事の間も何かを考え込んでおいでのようでしたが、それは?」

「そ、それはですね…鷹通さんに教えてもらったことを忘れないようにって思い出してました…。」

「鷹通殿もおいでだったのですね…では、先日、永泉様がいらっしゃっていたのは?」

「それは、ちょっと習い事を…。」

「その後はイノリとお出かけでしたか…。」

「それもイノリ君に付き合ってもらって買い物してただけです。」

「そして今日は友雅殿ですか。」

「あの…。」

「はい?」

「実は泰明さんにも来てもらって教えてもらったこととかあって…。」

 これで八葉全員かと心の中でつぶやいて、頼久は深い深い溜め息をついた。

 八葉全員とまるで隠れるようにして会っていたというのだ、これでは嫉妬するなという方が無理な話だった。

 それでも、嫉妬なんかしないでほしいと目の前の大切な人がそう言うから、頼久は最大限の努力をしてみる。

 してみても、胸の内に淀んだ想いはどうしても晴らせなくて、頼久はあかねの体をきつく抱きしめた。

「頼久さん?」

「もう少しだけこうしていて頂けませんか…。」

「それはいいんですけど、頼久さん、変な誤解してませんか?」

「誤解、ですか…。」

「私がみんなに色々お願いしてきてもらってたのは頼久さんのためであって…。」

「は?」

「やっぱり頼久さん忘れてるんだ。」

 頼久は慌ててあかねの体を少しだけ離すと、その愛らしい顔をのぞきこんだ。

 自分がいったい何を忘れているというのだろう?

「明日、頼久さんの誕生日ですよ?」

「あ…。」

 小さく声をあげて頼久はしまったという顔をした。

 誕生日のことは頼久も以前のようにすっかり忘れていたというわけではないのだ。

 あかねの様子がおかしくなるまでは頼久も自分の誕生日をそれはそれは心待ちにしていた。

 何故なら、その日は必ず休みになると決まっていて、一日中あかねが側で笑顔を見せてくれることになっていたからだ。

 だが、そこであかねの様子がおかしくなった。

 何よりもあかね大事の頼久の脳はそれ以降、あかねのことで占められて、自分の誕生日のことは片隅に追いやられてしまったのだ。

「頼久さんったら、まだ自分の誕生日忘れちゃうんですね。でも、そうかなって思ってたから内緒で準備したんです、プレゼント。」

「ぷれぜんと、ですか…ですが…。」

「何を用意したかは明日まで内緒です。今年はお休みだけじゃないですから。その準備のためにみんなにも協力してもらったんです。最近八葉のみんながここに来てたのはそのためです。」

「そう、でしたか…。」

 突き詰めてみれば自分のためであったのかと思うと、頼久は自然と安堵の溜め息をついていた。

 常日頃からあかねは自分のことを好きだ好きだと言ってくれるのだが、頼久自身はどうして自分のような気のきかぬ朴念仁を好いてくれるのかいまだに自信がない。

 だから、自分以外の男があかねに近づくたびにどうしても嫉妬をおさえられない。

 そうして自分が右往左往している間もあかねは自分のことを想っていてくれたのだと気づけば、頼久にとってこれ以上幸せなことはなくて、その腕に小さな体をぎゅっと抱きしめた。

「頼久さん、安心しました?」

「はい、とても。」

「よかった。明日は楽しいお誕生日にしましょうね。」

「はい。」

 楽しいに決まっている。

 あかねが心を尽くして用意をしてくれているのだから。

 いや、あかねが誰でもなく自分を選び、自分の隣にいてくれる。

 それだけで幸せで楽しいに決まっているのだ。

 頼久は今、自分の腕の中にある己の幸せの全てに感謝した。





「これは…。」

 頼久は目を丸くして驚いた。

 朝、早く起きだしたあかねは頼久には入室を禁じて奥の局にこもってしまったのだが、そこから出てきたあかねはというと十二単を美しく着飾って、長くのびた髪をたらしてそれはそれは美しいいでたちだったのだ。

 普段身につけているものと衣の色も少し違った落ち着いたものになっていて、女性としての気高い美しさに満ちていた。

 少女らしく愛らしいあかねも素晴らしいと思うが、今目の前にいるあかねもまた頼久を一瞬にしてとりこにした。

「どうですか?似合ってますか?」

「はい、よくお似合いです。」

 満面の笑みで頼久があかねに歩み寄れば、ふわりといつもとは違って少しばかり大人の気配がする梅香が薫った。

 その香りに頼久の笑みが深くなる。

「良い香りです。」

「これが昨日友雅さんに教えてもらったお香なんです。やっぱり友雅さんって凄いですね。私がこんな感じって説明しただけですぐにできちゃうんですもん。」

「はい。」

 今日ばかりは友雅があかねに誉められることも許す気になった頼久は、幸せそうな笑みを浮かべたままあかねの隣に座った。

 するとそこへ、女房達が全を運んできた。

 いつもより少しばかり豪華な食事が頼久の前に並ぶ。

「これはイノリ君にお願いして新鮮な野菜をたくさん用意してもらったんです。この前の買い物がこれです。料理は昨日、私がつくっておいたんです。たっくさん食べてくださいね。それから、その器の中にあるのは薬湯なので、ご飯食べたらそれを飲んでください。」

「薬湯…特に体を病んではいませんが…。」

「ああ、違います。鷹通さんに教えてもらったんです。疲れを取る薬湯なんですよ。」

「なるほど。」

 頼久が感心している間に今度はあかねの前に琴が用意された。

 これはどうやらあかねの奏でる優しい琴の音色が聞けるらしいと頼久の口元が自然とほころぶ。

「私がいた世界では食事の間に後ろでBGMっていって、綺麗な音楽を流したりしてたんです。今日は頼久さんの食事の間、私が琴を弾きますからゆっくり食事を楽しんでくださいね。」

「これは、光栄です。」

「じゃあ、いきます!」

 ひときわ気合を入れたあかねが腕まくりせんばかりに一つうなずいて琴を奏で始めるのと同時に頼久は箸を手に取った。

 本当なら、あかねと二人で楽しく食事をしたいところだが、あかねが弾いてくれる琴の音も魅力だ。

 ところが、頼久を楽しませるべく琴を弾いているあかねはどうやら間違えないように必死になっているようで、頼久は苦笑を浮かべた。

 これだと頼久がゆっくり食事をしていては、その間ずっとあかねが緊張しっぱなしということになりかねない。

 そう気づいて頼久はできるだけ急いで食事を済ませた。

 もともとが、食事など腹がふくれさえすればいいという頼久だったから、食事を早く済ませるのはおてのものだ。

「神子殿、おいしく頂きました。」

「はい。ゆっくりできました?」

「はい、とても。」

 琴を奏でるのをやめたあかねが嬉しそうに微笑むのを見て、頼久もまたその顔に笑みを浮かべた。

 そして、琴を脇へとどけるあかねの腕をとるとその腕を自分の方へと引いて、小さな体を抱きしめた。

「よ、頼久さん!まだあるんですから!」

「は?」

「これ。」

 頼久の腕の中であかねは懐から小さな布の袋を取り出すとそれを頼久に渡した。

 それを受け取って頼久は小首をかしげる。

 あかねの手から渡されたのは一見するとお守り袋に見える美しい錦の袋だった。

「えっとですね、見たらわかると思いますけど、それはお守りなんです。一応、元龍神の神子のお手製です!たぶんご利益あります!」

「神子殿…。」

「中にはお札が折りたたんで入れてあるんです。泰明さんに教えてもらって一生懸命書きましたから、きっと頼久さんを守ってくれます。」

「神子殿が手ずから…それは確かに効き目がありそうです。」

 そう言って頼久はあかねを抱きしめた。

 八葉との逢瀬もなにもかも自分のため。

 心づくしの食事も琴の音色も薬湯も、そして何より美しく着飾ったあかねも、全ては自分のために用意してくれたもの。

 最後には自分の身を護るためにとお守りまで作ってくれた。

 その妻の心づくしに対する感謝の言葉を頼久は持ち合わせていなかった。

 もともと言葉は得意ではないから、だからせめて感謝の想いをこめて愛しい人の華奢な体を大事に大事に抱きしめた。

「今日はこれからずっと二人でいましょうね。」

「はい。」

「頼久さんが聞きたいなら琴もいっぱい弾きます。せっかく永泉さんに教えてもらったし。薬湯のおかわりだっていれちゃいます。」

「いえ……今日はこのまま…。」

 静かで甘い声に耳元でそう囁かれて、あかねは顔を真っ赤にしながらうなずいた。

 それで大切な旦那様が幸せな誕生日を過ごせるならそれでいい。

 少しだけ恥ずかしいけれど、でも、幸せそうにしてくれるその顔を見られるならそれくらい我慢する。

 あかねはそっと体を離すと、頼久の唇に優しく口づけた。

 一瞬、キョトンとした頼久は次の瞬間、すぐにあかねに口づけを返すのだった。








管理人のひとりごと

どうしてもお誕生日のプレゼントは内緒で用意したいあかねちゃん。
そしてそれを見守りたいけどどうしても黙っていられない頼久さんの図(笑)
結局のところあかねちゃんは誰といる時も頼久さんのことを考えていますってお話。
今年はあかねちゃんをプレゼント♪ということで、京も現代もそんなお話です。
頼久さんが喜んでるのはもちろんのこと、あかねちゃんが着てるところを想像して喜んで十二単を選んでる少将様が目に浮かぶ(’’)
まぁ、そんな少将様も今回ばかりは頼久さんに許してもらえそうです(w







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